詩集どうでしょう?
詩を書いて出版しました。
眠っている女の胸に耳を押し当てると、意外なほど速い心音が聞こえた。目を覚ましていたのだ。
「私、動物になる」そう言って彼女は身を起こした。
「何の動物になるの?」と僕は訊いた。
彼女は何も答えずに、服を脱いで、バスルームへ向かった。
すると入れ替わりに、バスルームから、背の高い、痩せた少年が出てきた。ここはホテルの一室だ。少年は財布や時計、メガネやメガネケースがたくさん入った引き出しを開けて、中を見ている。
「どれが俺のだっけ‥‥? 何でこんなたくさんあるの?」
「まず服を着ろよ、フルチン」と僕は声をかけた。
「あんたの服、貸してくれる?」
「いいよ」
僕は自分の服を脱いで、下着まで全部彼に渡した。それからシャワーを浴びようと、バスルームに入った。
さっきまで一緒にいた女はいなくなっていた。
バスルームは扉の向こうで隣の部屋と繋がっていて、別の女がソファで雑誌を読んでいるのだ。彼女は僕の裸をジロジロ見てから、「入ってくるなら言ってよ」と笑った。
すべての内壁が取り払われていた。その校舎には机も椅子も、ロッカーも何もない。僕たちは、廊下ではないところをまっすぐ歩いて、また元の場所に引き返す。
階段はあった。けれど2階や、3階といった階層はなくなっていた。天井はある。ほとんど空と同じ高さに天井は見えた。階段はそこまでつづいていたから、屋上に出ることができれば、そこは天国に感じられるだろう。
弁護士はたいへんな美青年だった。そのせいで僕はからかわれているような気持ちになった。どうしてこんなハンサムが、ハタチそこそこで弁護士になれるというのだろう。ドッキリか何かに決まってる。
僕は隠しカメラを探した。どこで撮影しているのか。だが彼はハタチではなかった。50を越えていた。二枚目ふうの前髪をかきあげながら「見た目で誤解されてしまうことが多いのですが‥‥」と言う。
「卑怯者?」
「えっ?」
「えっ? あぁ聞き間違えました。言い間違えたのかな‥‥」
「弁護士を雇った覚えはありませんが」と僕。
「弁護士ですって?」
「えっ?」
「えっ? それにしても本当ですか‥‥?」
法学部の学生たちが司法試験に落ちた。試験問題と回答は事前に教えてやった。それでも全員が落ちたのである。
死んだ蝶がヒラヒラと舞っていた。それは蝶のゾンビだった。蝶は花にとまり蜜を吸った。そうするとその花もゾンビになった。
蜂がゾンビ花の蜜を集めにやってきた。花に触れた途端蜂はゾンビになったが、自分がゾンビ蜂になったことには気づかない。
ゾンビ花の花びらが風に吹かれて舞っている。僕はそれをキャッチしようとしたが逃げられた。ゾンビのくせに逃げるのか。ゾンビはゾンビではない者を追いかけてくるのではなかったのか。
ヨーロッパによくある、安いホテルだった。シャワーを浴びようとすると、ベッドルームまで水浸しになってしまう。水(お湯)をあまり使わせないよう、わざとそういう設計にしてあるとしか思えない。
僕はその国を訪れたのは、友達に会うためだったが、インスタを見てみると、彼は日本を旅行中であった。何なんだよ、と少し腹が立った。嫌味のつもりで、彼の投稿にいいねしてから、ホテルを周辺をうろついた。
1時間の内に、何度か日が上り、日が落ちた。日が落ちたあとも、暗くはならなかったが、町にはあやしい雰囲気が漂い始めるので、夜なのだとわかる。その「夜」も、あっという間に昼にかわる。
腹が減って、何か食べたかった。インド料理の店があって、うまそうだったけど、ディナーは高い。ランチがお得なのだろう。夜が終わるのを、店の前で10分ほど待った。
僕の初恋の人と、僕の女房と、僕と、3人で船に乗っていた。
初恋の人が昔僕に書いた手紙を、なぜか女房が持っていて、声に出して読み始めた。それは彼女が結局出せなかった手紙で、「あなたのことは、本当は好きではないの」という内容であった。
僕の初恋の人も、手紙を持っていた。僕が結婚前、女房に出そうとして、出さなかった別れの手紙だが、それを今から読むと言う。
彼はずいぶんと太った、足の短い体操選手だ。「若い人には負けない」と言っているところをみると、若くはないのだろう。僕は彼の演技を見た。いや見事なものである。それが彼自身の容姿の醜さをいっそう引き立てているのだ。僕はその残酷さに目を奪われた。むしろ失敗してくれればよかったのに、と思った。
彼の名前は落合といった。その名前を聞いて、なぜか観客たちは笑った。腹を抱えて大笑いしている者もいる。僕は笑えはしなかったが、そこに不思議と「安心した」のだった。
明日、テストを受ける必要がある。テストの内容をこっそり教えてもらった。鏡文字を書かされるらしい。
左右に反転した文字だけではなく、上下にひっくり返った文字も書かされるとか。
そこに、深層心理のようなものが‥‥出る(?)
僕の何をテストしたいのだろう。
テストの内容を教えてくれた女性は、僕の名字の鏡文字を書いた。
彼女はなぜか僕の住所を知っていて、それも鏡文字にしてみせた。
朝食を食べてから家を出るまで余裕を持って30分。その30分のほとんどをネクタイを締めるのに費やした。ブレザーの上着を着て、その上にハーフコートを羽織るか悩んだが、それはもう少し寒くなってからにしようと思う。
歩いて5分のところにあるバス停には長蛇の列ができていた。このへんでは見慣れない外国人たちだったが観光客とも思えない。サラリーマンのようだ。どこに勤めているのだろう。
僕は最後尾に並んだ。すると「バス停が前方に動き出して」、僕との距離を取った。空いた隙間にあとから来た外国人が割り込んでいく。そのようにして列はどんどん長くなった。
『何でも鑑定団』という番組があったはずだ。我が家の家宝を鑑定してもらうため、テレビ局の中を歩いていた。家宝というのは木刀である。それを持って受付を訪ねた。
受付嬢は「社長」と呼ばれている人物と話をしていたので、僕は少し待った。
さて僕の順番が来た。「この木刀なんですが‥‥」と僕が始めると
「鑑定のご依頼ですね」さすが話が早い。
「この専用の袋に入れて○○番にお持ちください」
「袋は、有料ですか?」
「いえ、もちろん無料です。私がお入れしますね」
その袋の中には、本榧の囲碁盤と碁石が一緒に入っていて、非常に重かった。片手で持てるようなものではない。
僕は突然、「そこ」に出現した。半屋内・半野外といった感じの商業スペースで、人々が2つのグループに分かれて、何か議論をしていた。「こいつに訊いてみよう」と誰かが言う。誰だろう。「こいつ」というのはもちろん、突然あらわれた僕のことだ。
ワケがわからぬまま、僕は片方のグループの主張を支持した。本当によくわからないのだが、それが決定打になったらしい。もう一方のグループは、負けをみとめて、すごすごと退散した。マンホールの蓋を開け、地下におりていく。
僕は「勝った」グループのあとをついて、上りのエスカレーターに乗った。すると上の方から、さっきのグループの一員と思われる(ファッションや髪型でそれと知れるのだ)、金属バットを持った若者たちが、すごい勢いで逆走してきた。
僕たちは熊を追うハンターだった。猟犬とともに山を駆け巡った。獲物は見つからなかった。さらに奥深くに分け入った。
すると雑草ではなく、刻んだネギが敷き詰められた斜面に出た。(食べられるのではないだろうか。)その斜面を滑り下りると、ブランコのある児童公園だった。
何かがおかしい。そう気づいたが遅かった。熊が・目の前に・あらわれた。そのとき2匹の猟犬は夢中でネギを食べていた。
大人の女性が2人倒れた。毒を盛られたようで1人は亡くなっていた。もう1人はまだ息があった。麓の病院まで運ぶのに車を貸してほしいとお願いした。僕はまだ中学生だったから「運転できるのか?」と大人たちは訊いた。
僕が免許を取ったのは遥か40年以上昔だ。
2人の女性を乗せて僕は走り出した。道には砂利の代わりに百円硬貨が敷き詰められていて、帰りに拾おうと考えた。このような経緯で僕は大金持ちになったのである。
電車の窓から水田が見えた。青緑色の宇宙服を着た人が1人で苗を植え付けていた。ヘルメットをかぶって月面を飛び跳ねるように歩く姿はまるで本当の宇宙飛行士のようだ。
気づいたのだが宇宙服は青緑色なのではなく鏡面で周囲の色を映しているのだった。水田の向こうには大きな山が見えた。高くも険しくもなくただただ「大きい」
僕は窓から身を乗りだし宇宙服の農作業員に手を振ってあいさつをした。(いや敬礼すべきだったのかも知れないとあとから思った。)
‥‥電車はゆるやかなカーブを曲がり水田から離れていく。
駅の自動券売機にお金を投入したら詰まった。
スケルトンの券売機だった。詰まっている箇所が見える。カバーを開け、自力で直した。
周囲の人たちが驚嘆の目をこちらに向ける。
いやいや、たいしたことじゃあないだろう。
名乗るほどの者ではございません。
人として当たり前のことをしただけですよ(棒)
あたらめてお金を入れ直した。
すると切符の代わりに五百円玉が大量に出てきた。
すべてポケットに入れた。
「仕事は何?」と訊かれて嘘を答えた。「職人」と。
あぁ職人という嘘を答えるのは初めてだ。
「職人? 何の職人?」
「鑑定士さ」
「カンテイ? 何を鑑定するの?」
「抽象的に言えば『技』を」
「どうやって?」
そこで、あぁ、僕の周囲に「鑑定会場」が‥‥つくりあげられた。
広い倉庫のような会場。
展示された品々を鑑定して回る。
真夜中にトイレに起き出してみると居間ではテレビがついていた。この音だったのか。なんかうるさいなぁと思っていた。
「ちょっと音量を下げてくれないかな」と僕は耳栓をしたままお願いしてみた。
ソファに寝転がっている女のコは返事をしたのかも知れないが聞こえなかった。
聞こえなかったとしたらそれは耳栓のせいだろう。
トイレから女性が出てきた。入れ替わりに僕が入ろうとするとタオルを渡してきた。濡れたタオルだ。「これ、まだ乾いてないよ」と僕は言った。彼女も返事をしなかった。
あるいはしたのかも知れないが、耳栓をしているせいで聞き取れなかった。
兄と、双子の姉と、私の3人で食事をした。6人掛けのテーブルに、出てきた料理も6人前。私たちは2人前ずつ食べる。
「イカの唐揚げ、2人前はきついね」と姉は言った。
「揚げたてはいけるんだけど、冷めてしまうと‥‥」
お茶で流し込もう、と姉は言って、ペットボトルを持ってきた。
「気づいたけどあんた、今日は一言も喋ってないじゃない」と姉。
「食べるのに忙しいんだ」
「てゆうかこれ、全部食べる必要あるのかしら」
姉は珍しく眼鏡をかけている。
「あんた、何観察してるのよ」
「観察‥‥?」
「見るひまがあるなら口を動かしなさいって」
「そうだね‥‥(もぐもぐ)」
兄は仕事の話をしている。東南アジアに出張したときのことだ。現地でペヤングソースヤキソバを食べた。
「よくヤキソバの話なんかしながら違うもの食べれるね」と姉。
「あたしは無理」
「ミミズ・フェルジナンドのコスプレをしてあげる」とその子は言って、僕の髪の毛をいじった。
ヘアメイクはすぐに終わった。僕は仕上がりを確認したくなって顔を映すものを探した。
反射するものであればなんでもよかったのだが‥‥
学校の授業だった。コスプレをして教室の窓から身を乗り出すという課題だ。
落ちないように二人一組でやる。僕は本当は身を乗り出した相方を支える役だった。
「やっぱり長髪は映えるわね」としかし、その子は褒めた。そう言われると悪い気はしない。
僕の好きな背の高い女の子は首に包帯を巻いて「ろくろ首」のコスプレをしている。
「寝違えたのがやっと治ったのよ」
首が長いとそういうとき苦労するのだろう。
「ミミズ・フェルジナンドのコスプレ素敵」とそのろくろ首の女の子も僕の髪型を褒めた。
電車に乗っているとき、雨が降ってきた。僕は傘を持っていた。傘を持っているのは、僕1人だった。
雨は、ますますひどくなった。
しかし途中の駅から乗ってきた乗客も、誰1人傘を持ってない。
それは、環状線だった。1時間ほど乗っていると、最初に乗った駅に着く。僕はその駅で降りた。
改札を出ようとすると、駅員に注意された。「その傘を持ち出すことはできませんよ」
「なぜですか? これは僕の傘ですよ。外はひどい雨なのに‥‥」
とにかくだめなのだ。傘は駅で預かるという。次に乗車するとき、返してもらえる。
「本当にどうしてなの? 乗車するときに返してもらったところで、電車の中で傘は必要ないでしょう」
「必要ないのなら、駅でずーっと預かっていることもできます」
その自転車に鍵がかけられてないのを見て、僕は盗んだ。目撃者は大勢いた。「借りるだけだ」と彼らの前で言った。
100メートルほど走って、また別の、鍵のかかっていない自転車を見つけた。それに乗り換え、また100メートル走る。すると、オートバイがあった。
キーはついてなかったが、跨がると、動き始めた。エンジンはかかっていない。なのに、すごいスピードだ。
夕日に向かって、僕は走った。しばらく走った。あまりにも眩しかったので、Uターンした。すると、僕の正面に、朝日があった。
今度はその朝日に向かって、走った。眩しさが我慢できなくなるまで、走りつづけた。
王様と話す機会が与えられたのに誰も話しかけようとしない。僕は床に落ちていた挽肉を拾い集め王様のところに持っていった。そしてカレーの話をした。王様もカレーが好きなんだそうだ。
付き人がやってきて僕の挽肉を下げた。それと同時に厨房から挽肉のカレーが運ばれてきた。僕の挽肉が使われたわけではないことはわかった。しかし王様と一緒に食べるカレーはおいしくて、僕は与えられた機会を最大限に活かすことができたとわかった。
部屋のドアの前に扇風機が置いてあった。ためしにつけてみる。するとクーラーのような冷風が出た。暑くなったら使おうと思う。(それにしてもどういう仕組みになっているのだろう。)
もう昼過ぎだ。今から学校に行かなければならない。僕は卒業した高校にまたもういちど通っている。今日は大幅に遅刻だ。
今度進路指導の面談がある。
けれど先生たちは僕をどう扱っていいのかわからないでいる。
1階の居間には母がいた。「今日は学校はどうしたの?」
「今から行くよ。ってかそれ何?」
「韓国産フルーツの盛り合わせよ。これを今から送るの」
「送るって、どこに? それ、もらったんじゃなかったの?」
「これを韓国に送るのよ、そうすると抽選で葉書がもらえるの」
「えっ、葉書?」
「あんた、韓国に友達いるでしょ。そこに送るから、住所教えなさい」
「葉書もらってどうするの?」
「あのね、抽選だから必ずもらえるってわけじゃないのよ」
病院の待合室には大勢の人がいた。予約のない僕が診てもらえるかわからなかったが、いちおう整理券を引いた。(キャンセル待ちということになるのか。)腰掛けて待つことにした。
窓の側の席だった。外は曇りで、雨が降りそうに見える。「1人なの?」とおばあさんが馴れ馴れしく話しかけてきた。
「え? ええ。ええと、保険証も持ってないし、帰ろうかな」
「やっぱり、1人なのね」おばあさんは僕のとなりに腰掛け、腕を取り、体をぐいぐいと密着させてきた。
エレベーターはまっすぐではなく、渦巻き状に回りながら上昇した。
まっすぐ行く普通のエレベーターは2時間停止したままだった。いつ動き出すのかわからないというので「渦巻き」に乗ったのだが後悔した。
「渦巻き」は最上階まで行く。途中の階では止まらない。
僕は途中の階に用事がある。階のボタンはある。「これを押せばいいんですよね」と僕は言う。
エレベーターは加速する。
「17を押せば17階に止まるんですよね。そうですよね?」
と僕は言ってボタンを押す。全部の階のボタンを押す。
通路の突き当たりに案内所があってスーツを着た男女がパイプ椅子に座っている。歩いてくる僕を彼らが見ているのはわかっていたが、僕は彼らには目を向けないようにしていた。
話しかけられるのは億劫だ。わかっているよ、
と左の壁にあるドアを開けた。
そこは空の上だった。どういう仕掛けなのか1枚の細長い板が空中に浮いていて、その向こうに「客車」がある。
「板の上を歩くのです」
後ろから女が声をかけてきた。
「あいにく高所恐怖症なんでね」
僕は振り向かずに答えた。
「あちらに渡ればソファがありますよ」
「いいんだ、やめとくよ」
そこで男の方が立ち上がって近づいてきた。
「私の勤務時間はまだあるのですが、そういうことでしたら‥‥」
と言って板の上を歩いて客車に行ってしまった。
‥‥女は恨めしそうに
「あなた、もしかして女性という可能性は?」
「ないよ」
「これから女性の連れが来られるんですよね?」
「どうかな。ところで僕はまだ勤務時間前だったね」
と断って歩いてきた通路を引き返した。
「明暗が分かれるというでしょう」
「『明と明』、または『暗と暗』に分かれることって、あるのかしらね」
「明と明だったら、どこが境目なのかわからないんじゃないでしょうか」
「暗と暗でもね」
「あなたは明よね、私も明だわ」
「同じ明るさ」
「私たち、分かれることはないのよ」
「ずっと一緒にはいられなくても、同じ明るさでいる限りは」
飛行機の客室はまるで高級ホテルのスイートルームのように贅沢だった。乗客は僕ともう1人だけで、僕らの何倍の数の客室乗務員がいた。
そのもう1人の乗客というのは大統領の奥さんだ。仕切りの向こうの、おそらく僕のいる部屋よりももっと豪華な客室に乗っている。僕は挨拶に行った。
彼女は占い師を思わせる格好をしてテーブルの向こうに座っていた。客室は赤い敷物とカーテンに覆われていて暗い。「ずいぶん遠いところからいらっしゃったのね」と彼女は言った。僕のことを知っているようだった。
「そして遠いところまで行くのよね」
「ええ、まぁ、奥様と同じところまで」
「私は降りないのよ、この飛行機からは」
僕は実は来月もまた○○国を訪れるのにこの飛行機に乗ると言った。
「降りて、また乗る」
「そうですね」
1人で飲んでいると、知り合いの男がやって来て誘ってくれた。
「向こうのテーブルに来ないか、ドイツから○○が、フランスから××が来日してるんだ」
「知ってるよ、実は彼らとはここで待ち合わせていたんだけど‥‥」
「そうだったのか? あいつら、お前抜きで飲んでるぞ(笑)」
男と一緒に彼らのテーブルに行くと、2人はもうだいぶできあがっていた。
「遅かったじゃない」とフランス人の女は言った。
「うん、場所わかんなくて」
「俺たちは、お前に会いにきたんだぞぉぉぉ」とドイツ人の男は言った。
そして鼻からビールを吹き出した。「クジラ」という、彼が昔から得意としている一発芸だ。
どこからかミサイルが飛んで来た。標的が何だったのかはわからないが、とにかくそれに命中して、それは爆発した。その爆風に乗って、僕はジャンプした。空高く舞い上がった。
空には、サーフボードのような細長い板が1枚浮いていた。僕はボードに飛び乗り、雲の海を滑った。眼下に、ひどく小さい富士山が見えた。
僕は1人で登山をした。連れの女性は「寝てないから」と言って断った。登山と言っても大した山ではない。人工的につくられた山で、登山道もよく整備されている。
山の中腹にテーマパークが建設中だった。サンリオのキャラクターとつくりかけの城が見えた。建設作業員はみんなアイドルのような美少年、美少女で、登山中の僕に笑顔で手を振ってくれた。
もしかしたらこの山自体がテーマパークの一部なのかも知れない。登山というのもアトラクションで‥‥
山頂に着いた。そこは海抜ゼロメートルで、海岸と港があった。砂浜に老夫婦が座っていた。奥さんがご主人に、「お父さん、来てよかったですねぇ」と何度も繰り返している。
海岸にはやたら長いバゲットが置いてあった。何十メートルあるのだろう。食べられるのかどうかわからない。僕は記念に写真を撮った。
二足歩行する白い象が、黒い傘をさし、降りしきる雪の中を歩いている。象の背丈は僕と同じくらいだったが、子象というわけではなさそうだ。どこへ行くのだろう。
というか、ここはどこなのだろう。都会の真ん中のはずだが、あるはずのものが何もない。地平線の果てまで見渡しても‥‥
象を追いかけた。
それと不思議なのは雪に足あとが残らないことだ。象の足あとも、僕の足あとも。傘の黒だけが目印だった。
いつの間にか雪はやみ、象は黒い傘を畳んだ。そうすると白い雪に、象の白い体が紛れて見えなくなった。
友達が部屋に持ってきたCDを聴く、立ったまま、抱えた頭を揺らして。「とても斬新な聴き方だ」と彼は褒めてくれたので、僕は彼の音楽の好みを「センスがいい」と褒めた。そうしてさらに強く頭を抱え、大きく揺らした。
熱い音でできたプールの中に頭を突っ込んで限界まで呼吸を止める。顔を上げて、激しく息を吸い込む。そうすると音楽が肺の中に入ってくる。ずうっと目は瞑ったままだ。ちなみに僕は泳げない。
曲が終わった。僕は疲労している。「もう休もう」と友達は言って、トイレに立った。彼は部屋に泊まっていくつもりだ。僕が床に布団を敷いていると、戻ってきた彼も手伝い始めた。
「トイレで父に会ったかい?」と僕は訊ねた。
「いや、トイレには誰もいなかったよ」
「そうか、父はいつもトイレにいるんだがな」
「男親ってのは‥‥そんなもんだよな」
僕が冗談を言ったのだと思って友達はそんなことを言う。
社員食堂のようなところに集まっていた僕らの首にロープがかけられた。処刑がまさかこんな食堂で執行されるとは思わなかった。あっけないものだ。
次の瞬間僕は床に倒れていた。首のロープは外されている。意識はあった。死んではいない。「彼ら」が僕たちを見て言う、
「まだ足がピクピクしてるぜ」「キモチわりー」
ここは死んだふりをしていた方がよさそうだ。目を閉じたまま考えた。周りの死体は足をピクピクさせているらしい。僕もマネてみる。
そのうちに「彼ら」はどこかへ行ってしまった。
僕は目を開けて周囲を見た。みんな生きていて足をピクピクさせている。生きているのだ。全身をワザとらしくピクピクさせている者もいて、それはたしかに‥‥気持ち悪い。
冷蔵庫の扉を開けると中に僕がいた。僕は冷蔵庫の中にビールの缶を積み上げている。声をかけようか迷った。
その缶ビールは僕が買ってきたものだが、僕は酒は飲まない。「僕は酒は飲まないんだよ‥‥」結局声をかけた。
だが彼は振り向かなかった。
冷蔵庫の中にはビール以外に何の食材もない。僕は憐れむような気持ちで冷蔵庫の扉を静かに閉めた。そして今見たことを忘れようとした。
僕は何となく、憐れむような気持ちで、冷蔵庫の中に、ビールの缶を積み上げている。
冷蔵庫の中にはビール以外に何の食材もなかった。
その缶ビールは僕が買ってきたものだが、僕は酒は飲まない。
「僕は酒は飲まないんだよ」わざわざ口に出して言った。
僕は見下している誰かのために、そうしてあげたのだ。
早指しの将棋の大会で女性が優勝した。まだ10代のように見える髪の長い女性だ。総当たり式のトーナメントで、1つ勝つたびに、皿(ボウル)が1枚もらえる。女性の背丈よりも高く積み重ねられた皿。全部を持ち帰るのは無理だ。
家の中で自転車を押して寝室まで行った。真っ暗な部屋の隅に自転車を置いた。置くときにガチンと音がして、自転車の周辺がほんのり明るくなった。
昼間だったが彼女はもう寝ている。夜になったら起き出すのかどうかわからない。いちど目を覚ますくらいはするだろう。そのとき自転車を見れば僕が来ていることに気づくはず。(大きな赤い自転車だ。)
僕は寝室を出てキッチンに戻った。壁の一部が透けて外が見える。デパートが並ぶ大通りで、車道が歩行者天国になっている。色とりどりのアドバルーンが浮いている。スマホを向け写真を撮った。しかし写っていたのはただのキッチンのクリーム色のタイルの壁だった。
僕は本物の窓を探した‥‥それは彼女の眠る寝室にあることは知っていた。外へ出る扉も寝室にある。扉の前にベッドがあり、彼女は眠っている。
服を選んでいる女は、スマホで自撮りをしながら電話の向こうの彼氏に、似合うかとかどうとか訊いている。男には同情してしまうが、それは僕の思い込みで、意外と楽しんでいるのかも知れない。
僕は壁に大きなポスターがたくさん貼られている階段をゆっくりと下りた。画鋲が取れてだらんと垂れ下がっているポスターが何枚かある。何のポスターだろう。足元に画鋲が落ちているかも知れない。その2つのことを同時に考えると、それで頭はいっぱいになった。
階段を下まで下りてみると、脱ぎ捨てられたビーチサンダルが‥‥。なぜか裸足だった僕はそのサンダルを履き、階段の上の方を振り返った。
廊下に赤い絨毯が敷かれ、壁も赤かった。天井の色は覚えていない。木のドアが何枚か並んでいる。そこは「関係者」の部屋だと教えられていた。
朝の8時過ぎだった。そのドアが一斉に開き、中からスーツ姿の若い男性たちが出てきた。ワイシャツを着てネクタイを締めているが、上着は着ていない。
僕は彼らを見て、とくに根拠もなく、プロ野球関係者だと思う。選手やコーチではない、スタッフか。
ドアは開けられたまま、中が見えた。想像よりずっと狭い部屋だ、(彼らはここに住んでいるわけではない。)
刀を構えた男があまりにもオドオドしているのを見て熊は吠えるのをやめた。
熊は襲う気をなくしたようだ。それはその男の作戦でもあった。
僕が風呂に入っている間、庭ではいろんなことが起きた。
「熊にも刀を持たせてみよう」ある見物人は言った。
「おお!」「それはいい考えだ」
熊と人間の真剣勝負を見にたくさんの人が集まっていたのである。
「始まるぞ」「見に来ないのか?」
僕を呼ぶ声が聞こえる。
健康診断で体重計に乗った。出た数字を見て看護婦が驚いた。31キログラム。
そんなはずはない。「壊れてるんですよ」と僕は言った。「この体重計は」
だが、たしかめるためにその看護婦が乗ってみると59キログラムであった。まぁそんなもんだろう。
壊れてはいないようだ。
看護婦の心の声が(この28キロの差は何なの?)と。
「僕の方があなたより28センチほど背が高い」
「何てことを口に出すの」
僕は再検査を受けなければならないようだ。
2人の女の子はスマホを見ている。「時報が鳴る」と言う。「地球の裏側で」
「何時の時報が?」
「正午よ」「決まってるじゃない」
僕たちは息をひそめてその時を待つ。
プッ、プッ、プッ、ポーーーーン。
「鳴ったよ」と僕は言った。しかし彼女たちはスマホから顔を上げない。
「鳴ったよ!」もういちど僕は言う。
「そうね」と彼女たち。
「歩き出しても、いいころよね」と1人がまっすぐ前を見て言った。
「どこへ?」
何を言っているのかしら、この人は?(そういう顔をする2人。)
「歩き出す‥‥?」
僕もその表情を真似てみるのだった。
その女が逃げたから僕は追いかけた。僕が追いかけたからその女は逃げた。どちらなのかわからないが、僕がつかまえたからその女はつかまったのだ、僕に。
僕は女の手袋を脱がせた。彼女には指が1本もなかった。ドラえもんのような手をしていた。「指をどこにやった?」と僕は問いつめた。
「手袋を返しなさいよ」
「指の在処を教えろ、そうすれば‥‥」
「指なんかないわ」
そこで僕の同僚が追いつき、女に手錠をかけた。「指を返してやれ」と彼は言った。
「これは指じゃない、手袋だ」
同僚は「‥‥削減」という言葉を口にしたかも知れない。しなかったかも知れない。
「いいから返すんだ」
手袋はいつの間にか真っ赤に染まっている。
研究所に彼らがやって来て爆弾をあちこちに仕掛けていくのを、何もせず僕たちは見守っている。それは「演習」だった。
彼らが引き上げたあとで爆弾の撤去に取りかかった。仕掛けられた爆弾はリンゴのかたちをしていて、それを僕たちは1つずつ透明なビニール袋に入れ持ち寄った。
ビニールに入れるのは爆発したあとで飛び散らないようにするためだ。
「本当に爆発するんですか?」若い研究員の1人は馬鹿馬鹿しくて仕方がないといった様子である。
「というかマジで爆発するんだとしたら、ビニールで飛び散りが防げるわけがないでしょうに」
「お前はあれだ、コロナのときも、マスクで感染が防げるのかと嘲笑っていたクチだな、隠謀論者か」
「あぁわかりました‥‥わかりました、やりますよ」
それからはもう誰も何も言わない。やがて箱いっぱいになったリンゴを先程とは別の「彼ら」が来て回収していくまでは。だが予定されていた時刻はとうに過ぎてしまった。
広い部屋に狭いベッドが何台も並んでいてそこに寝ているのは全員が大人の男だ。女子供はいない。あとになってから僕は野戦病院みたいだと思うが、僕たちはみな病気や怪我で寝ているわけではない。ただ眠たいのである。
1人だけ眠れないでいる男がとなりに横になっていて、僕も目を覚ましているのに気づくと話しかけてきた。
「‥‥とするとあなたはジャック・ロンドンの著作には価値がないとおっしゃる?」
僕はいったいいつこの男に文学の話などしたのだろう。初対面のはずだが‥‥
「そんなこと言いましたっけ? 僕はジャック・ロンドン好きですよ。太く短く生きる人生の儚さというのかな、初期のヘミングウェイに与えた影響も無視できないと思いますし‥‥」
そう答えると彼は大きく頷いて、「心の友よ」と僕を呼び、自分のベッドに入ってくるよう誘った。
「私は医者なんですよ」と彼は言った。やや小声で、
「そして大金持ちだ。残念ながらあなたは貧乏人ですな」
「どうして知ってるんですか?」
「見ればわかりますよ」
僕は彼のベッドに入っていった。と言っても、ただ眠るために。彼のベッドはキングサイズで寝心地もよさそうだ。金持ちというのは嘘ではなさそうだ。
「私はこの間葬式に行って」と彼は話しつづけている。「百万円の香典を出した。金持ちだからです‥‥」
近くに寄ると彼の息は煙草と酒の匂いがして不快だったが、ベッドは最高ですぐに眠くなった。彼はこんなベッドでどうして不眠になどなっているのかわからない‥‥
夢の中で本の頁をめくっていた。それは脚本のようだ。台詞はところどころ滲んで読めなくなっている。頁をめくるたびに読めない台詞は増えていく。そのうち白紙になってしまった。
最初の頁に戻ってもういちど読み直そうとしたがそこも既に白紙だった。本を閉じた。表紙にも何も書かれていない。ならノートとして使おうか。しかしそれはただの1枚の板だ。開くことができない。
古い公会堂で行われた映画鑑賞会だった。入口で靴を脱ぎスリッパに履き替えた。映画を撮影したカメラマンがゲストとして登壇した。だが彼女の話の途中でほとんどの客は帰ってしまった。この近くで同じ映画が上映され、そちらには主演女優が来ているからだ。
最後まで残っていた僕も席を立つ。その直後にカメラマンの話は中途半端なところで終わった。僕はスリッパを履いたまま、靴を手に持って主演女優が来ている会場へ向かった。そこには友達がいて僕の席を取っておいてくれていた。
椅子‥‥ではなかった。会場に椅子はなかった。長いテーブルが用意されていて観客はその上に座る。さらに遅れてもう1人の友人がやってきた。彼はお土産だと言って何人もの観客にサンドイッチと豆腐を配ったが、僕には何もくれなかった。
「この豆腐は、もしかして僕の分?」
「どうしてそう思うんだ? お前が日本人だからか?」
注文した料理がなかなか来ないので厨房を覗いてみると料理人の1人が倒れていた。病気か。仕方ないので自分の分は自分でつくろうと思ったがオーダーは溜まっている。
他の2人の料理人は新米のようで僕が仕切るしかないようだ。「安心して休んでください」と僕は倒れた料理人に声をかけた。「厨房は僕が守ります」
自分の分は後回しにしてオーダーを捌いていった。僕の調理法は簡単で「味の素」で味を整えるだけだ。最後に残った女性の1人客のテーブルに僕は自分でパスタを持っていった。その女性は「とてもおいしい」と言って泣いたが、泣いたのは料理のせいではないだろう。
閉店したあとに僕はやっと自分の料理をつくることができた。大盛りにしたが許してもらえると思う。そのときにはもう食欲がなくなっていたが、レストランのいちばんいい窓際の席に座って時間をかけて食べた。窓からは夜の港が見えてロマンチックだった。
ピアノを弾く僕の前に、もう1台ピアノがあった。そのピアノの向こうに、またもう1台のピアノがあり、世界的巨匠が弾いていた。その向こうは客席だった。
巨匠の演奏が終わった。そのあとも、僕は少し弾いた。
今、僕とその巨匠は、テーブルを挟んで向かい合っている。
テーブルの上には、外された紫色のマスクが1つ、(誰のマスクだろう?)そしてヨーグルトが1つある。
ヨーグルトも紫色だった。ブルーベリーのソースがかけられている。僕は巨匠の目の前でそれを食べる。巨匠の目の色もヨーグルトの色だ。
少女は「夢」と言い、ヒロスエは「有名」と言う。
眼鏡が似合う少女が僕に話しかけてくる隣で、ヒロスエも僕に話をしている。聞いてあげなければならないが、2人同時に話しているので難しい。
いま話題は、眼鏡のことだ。
ヒロスエを無視して、「とてもよく似合うね」と少女を褒める。
「ブス」
「すごいブス」とヒロスエは言った、僕に向かって。少女に対してではない。少女は聞いてない。
少女は「有名」と言い、ヒロスエも「有名」と言う。
ヒロスエは、バッグの中から眼鏡を取り出してかけた。
「似合うね」と僕は言った。
「英語、教えます」と書かれた紙を持った少女が夜の街角に立っている。
「へへっ‥‥一発いくらなの?」サラリーマンふうの酔っ払いが声をかける。
「三千円」と少女。
「いいねぇ。ここで?」
「前金で払ってちょうだい」
「犬って英語で何て言うの?」
「ドッグ」
その金槌は金属製ではない。使い物にならない。僕は金属製のやつを借りにいく。
「その金槌は金属製ですよね?」
「兄ちゃん、変なこと訊くねぇ」
「鋏も、ペンチも?」
借りてきた。鋏はとても切れ味がよい。
それを僕は研ぐ。
気づかないで助手席のドアを開けてしまった。俳優の江口洋介の隣には彼のお兄さんが乗っていた。僕は後席に乗るのだ。
あまりにもそっとドアを閉めたせいで半ドアになってしまう。
「構わないさ」と江口洋介。
そのままアクセル全開で走り出す。
彼と僕は映画に出演していた。彼が主役で、僕は限りなくエキストラに近い脇役だったが。
なぜか江口洋介は今日の食事に僕を誘った。本当にどうしてだろう。僕は彼のお兄さんが来ることも知らなかった。
広場には、囲碁や、将棋を楽しむ多くの人たちがいた。僕は、見るだけだった。
この広場にバスが来ると聞いて、待っている。
しかし、どうも違う。ここでバスを待っている人など誰もいないことに気づいた。僕は何を聞いてきたのだろう。
広場の向こうに舗装された道があり、そこにバス停らしきものもある。待っている人もいる。ここにバスは来ますか? 僕が訊ねると、来ないと言う。
バスはあの広場に来るんだよ。
老人が囲碁をやってるだろう、あの、ど真ん中にさ‥‥
でっかいバスが来て、何もかもめちゃめちゃにしていく。
エレベーターが来ない。待ち合わせに遅れてしまう。
ホテルのエレベーターホールには、僕と同じように、イライラした様子の宿泊客が、多数いた。
「バックスペースに、従業員用のエレベーターがある」
誰かが言った。移動することにした。
非常階段もあったが、そちらは、積み上げられた段ボールの箱で塞がっている。
ロビー脇のカフェで、友人が待っているはずだ。
若い女性2人を紹介してくれるという。
早く行きたい。
あぁ、向こうからやって来た。
階段を上ってくる。
段ボールの山をかきわけ、若い女性が2人‥‥
ショーウインドーの前にバスタブがあり、中年の男性が浸かっていた。
夏の午後僕は大通りを歩いてきた‥‥ブリーフ1枚で歩いていた。
全部脱いで、湯に浸かった。
脱いだブリーフは、信号機にひっかけておく。
信号が青になるのを待っている人々は、信号ではなく、僕のブリーフを見ることになった。
(ちなみに僕のブリーフは見られて恥ずかしい類の下着ではない、念のため。)
中年の男性は僕と入れ替わりに上がった。
バスタブの縁に手をやると垢がこびりついていた。あのおじさんの皮膚組織だろう。僕は手のひらでそれをこすり落した。
綺麗になったバスタブの中におばあさんが入ってきた。
僕は礼儀正しくおばあさんの体を見ないようにしているが、おばあさんは僕に顔を向けて話しかけてくる。
さて、どうすればいいだろう。おばあさんは観たばかりの映画の話をしている。
僕は通りの向こうの時計台を眺めながら、その話を聞いている。
もう4時半になる。仕事に行く時間だった。
僕は失礼して風呂を上がった。信号機にかけておいたブリーフを穿いて出発した。
まっすぐ歩くと仕事場だった。小松菜が1つ入った箱がある。
僕はその箱から小松菜を取り、手に持ったまま仕事が終わるのを待った。
それが今日の稼ぎ(日給)というわけだ。
周囲には僕よりもっといいものが入った箱を手にした同僚もいるが、比べても仕方ない。
年配のクライマーと、山を登る。1000メートルほどの低山だったが、トレーニングが必要だと言われた。何をすればいいのか。結局、何もしなかった。
だがいろいろあって、予定はキャンセルされた。
山は「船山」と言った。トレーニングの代わりに、僕は下調べをたくさんした。船山の歴史、山に伝わる伝承。
僕は1人で、船山ではない、近所の、もっと低い山の麓に来た。山頂を見上げた。
空は灰色だった。曇っているわけではなく、地の色がその色だった。
青くはないのだ。
トイレの鏡で自分の姿を見る。僕は帽子をかぶっている。小さな帽子だ。風に飛ばされないよう、紐をアゴの下にかける。
そこは清潔だがとても暗いトイレだ。外に出た。外も暗い。夜なのだ。(夜は暗いのだ。)
トイレの中で僕はなぜ風のことを心配したのだろう‥‥
おそらく、風は不潔なのだ。帽子も不潔。不潔な風が、不潔な帽子を吹き飛ばす。僕は手を洗う。
僕は清潔になった。
金髪の女子テニス選手が、橋を渡ってくる。後ろ向きに歩いている、テーブルと椅子を引き摺って。世界ランキング上位の、有名な選手だ。
コマーシャルの撮影だろうか、と僕は思う。
いや、違うのだろうか。
僕は彼女のところへ行き、テーブルの引き摺りを手伝う。「引き摺ってくれてありがとう」とお礼を言われる。
「明日、イベントがあるのよ」
「それで今日のうちから準備するんですか?」
彼女はチラシをまとめて何十枚もくれる。僕はそれを丸めて、輪ゴムで留める。
あぁ‥‥昼休みが終ってしまう。
午後は体育の授業がある。もう着替えなければ。
「体育でテニスはやる?」と彼女は訊く。
「テニスはやんないです。なんか‥‥校庭を走らされたりとか」
山道を下っていく。前を走るオートバイが倒木にぶつかって倒れた。たいした事故ではないと思ったがライダーは死んでいて、さてどうしようかと思った。
幸いにして目撃者は誰もいない。僕は事故死したライダーを放置して、先を急いだ。急いでいたわけではないが、行き先はあった。標高がどんどん低くなる。麓の町は蒸し暑かった。
同じお面をかぶった2人組の強盗を見て僕は双子だと思った。
「馬鹿か」
「早く‥‥を出せ」
その声も同じだった。見分けがつかない。
「そっくりだね」と僕。
「んなことは、いいんだよ」
「さっさと出しやがれ」
強盗は拳銃を突きつけた。
「僕にも双子の妹たちがいる」
「はぁ?」
「はあああぁ?」
「そっくりだけど見分けはつくよ」
「これはお面だ」と強盗。
「お面がもう1種類ほしい?」と僕は訊いた。
僕の心臓から流れ出た青い血は、指先に届くころには赤くなった。その途中の過程は見えない。単純に想像すれば紫なんじゃないかと思うが、白や緑でも驚きはしない。
サッカーの試合を見ていた。と思ったら違った。野球だった。9回の裏、ダブルプレーで試合終了のはずだったが、ショートがエラーをした。(送球が逸れたのは指先の怪我が原因だと僕は知っている。)
‥‥指先を切ってから血が出るまで少しの間があく。
1両だけの電車は駅ではないところに停車した。そこにもう1両の電車が来た。そちらに乗り換える必要がある。僕ら乗客は全員下車した。
夜行列車だった。すでに消灯していた。しかしみんな起きていた。(暗闇の中で、目が光っている。)
僕は空いている席を探した。どこにもない。元々の車両にいた乗客より、多くが乗っているようだった。
仕方なく床に寝転がった。電車は動かない。結局、朝になってもそのままだった。僕たち乗客は線路に下り、元いた電車に戻った。そちらには、僕の席はあった。
探偵は娘の学園祭に行き、合唱を聴いた。プログラムを後からもらって、そこに娘の名前を探した。けれどなかった。娘は裏方だったのだ。少しがっかりした。
意外な発見もあった。合唱のメンバーの名前には、みんな「青」の字が入っていた。名前に青がない子でも、名字が青山だっりした。
この世代の流行なのだろうか‥‥
と、彼の娘がやってきた。青リンゴを持って。「はい」と手渡す。「これは?」「食べないと死ぬよ」と娘。何かのジョークだろうがわからなかった。
ベッドの上で、ハードカバーの小説を読んでいる、その僕の前を、いろんな人が通り過ぎる。
1人目は、洗濯物を抱えた女。ふっとこちらを見て、
「その枕‥‥」と独り言のように言う。
枕カバーには、長い髪の毛がたくさんついている。「僕の髪の毛ですよ」と僕は答えるも、女は聞いてない。
洗濯日和だ。
僕は枕についた髪の毛を床に捨てる。
2人目は、スーツを着た若い女。上司と思われる男性に、必死で何か訴えかけているが、彼は素っ気ない。
彼らは「人員削減」の話をしているようだ。
3人目は、酒の入ったグラスを持っている女。見ていると、そのグラスはどんどん大きくなっていく。
巨大な樽のようになった。
それを両手に抱えて女は行く。
彼女のテーブルの周りに円く僕たちは集まった。ファンの差し出す色紙に彼女は順番にサインしていく。最後に僕の番が来た。
僕が差し出したのは色紙ではなく、3つの詩が印刷された1枚の紙だった。
「私の大好きな詩よ」と彼女は喜んだ。
テーブルの下から彼女は1枚の紙を出し僕に見せた。そこには僕の好きな詩が印刷されていた。
「すごい、これは‥‥」
「サインはこっちの紙にするね」と彼女は言った。
握手をしてもらおうと思って出した僕の手にも彼女は何か書いた。詩の文句のようである。
僕は目を開けそれを読んだ。確認した。それからもういちど目を閉じ、夢の中に戻った。
それをよく見せてくれたのは電卓のようなスマホを使っている男だった。電卓に限らなかった。どんなものでも彼が手にするとスマホに変わった。どういうタネや仕掛けがあるのだろう。
僕の買い物カゴの中にある小松菜の葉っぱを1枚彼が手に取ると、それはもうスマホである。彼はそのスマホを使って僕の分の支払いを済ませてくれた。とびきりのサプライズだった。
若い女たちが列をなして、そのマンションに駆け込んでいく、最後尾に、僕たちはいた。
いや、ホテルだった。マンションではなかった。部屋のドアに、数字が書いてあった。7000円、とあるドア。1泊7000円なのか、だとしたら安い。僕たちは3人だ。部屋は和室で、充分な広さがあった。
「ここにしよう」と1人が言った。
「もっといい部屋があるかも知れない」もう1人が言った。
女客ばかりのホテル、数少ない男たちが、その部屋の前に集まって、トランプのゲームをしている。僕たちも参加して、僕が勝った。賞品に、ロープをもらった。そのロープを使って、僕はホテルから出た。
山頂にいた。どうやってそこまで登ってきたのか。記憶はない。気づくと痩せて背の高い男と一緒に、景色を眺めていた。脇にオープンカーが1台、停まっていた。
しばらくして男は乗り込み、エンジンをかけた。空気が汚れる。空気が・汚れる。口には出さなかったが、顔には出た。僕はその顔をしたまま、隣に乗った。別の顔は、置いてきてしまった。おそらく、来る途中のどこかに。彼にしても、同じだ。僕たちはそのもう1つの顔を探しながら、ゆっくりと、山道を下った。
色と形は椎茸に似ている。
香りはない。
小銭入れから生えてきたキノコは食べられるのか。
札入れには生えてない。このキノコは何を養分にして育ったのだろう。
小銭たちが養分になり減ってしまったのだろうか。数えてみたが、元からいくら入っていたのかなど覚えていない。
白人の同僚たちが、チェックなしで入れる、その施設に出入りするのに、検査が必要だと言われたのは、黒人の私に対する、嫌がらせか。
桟橋の先まで歩いて、飛び込めと言われた。
「飛び込めって、どこに?」
「決まってんだろ、海に」
「なぜ?」
「海水で消毒するのさ」
ははははは、と笑い声。
私は飛び込んで、‥‥上がった。
「よし」と彼らは言って、今度は私の濡れたスーツに、白い粉を吹きかける。
これも消毒というわけですか?
そうだよ、寄生虫がいるかも知れないからね。
通りに面した広いワンルームは、元は店舗だったのだろう、シャッターが下ろせるようになっている、昔パリでこんな物件に住んだことがある。
シングルのベッドが2台、その間にテレビが置いてあり、『ガンダム』が放映されている。僕たちは、しばらく無言でアムロとシャアの戦いを観た。
それから、部屋の前の道路に、2人で座り込んで、話した。彼は就活中の東大生だ。
「いや、自分の就活は、どうでもいいんだ」と言い、タバコを吹かす。
町は灰皿じゃないぞ、と何かの標語を思い出した。
「他人の妨害をするのが楽しいんだよ」
「ふーん」と僕。
トイレに行列ができていた。女だけでなく男も並んでいるのを、珍しいなと思い横目に通り過ぎた。しかしそのあとで、僕もトイレに行きたくなった。
引き返してみると、行列は消えていた。そこはトイレではなくジャズ・バーだった。「トイレの中でジャズが聴けるんですか?」と訊ねる僕を、従業員が馬鹿にしたような目で見た。
案内された席にはパンが2つあった。ペットボトルに入った白ワインがあり、ワイングラスではないグラスが用意されている。僕は酒は飲まない。パンもよく見ると一口だけ齧ってあった。僕はそのパンを皿ごと後ろのテーブルに下げた。
その席に若いカップルが案内されてきた。カップルは食べかけのパンにかぶりつき、ワインをがぶ飲みした。そうして金も払わずに出て行く。請求書は僕のところに回ってきた。
そのおっさんには可愛らしい女のコのような名前がつけられていた。名前だけではない。外見も可愛かった。まるで女のコのようで、おっさんには見えなかった。胸もふくらんでいた。トランスジェンダーというやつかも知れない。
「君は本当におっさんなの?」と僕は訊ねた。
「私はおっさんよ」
「証拠を見せてくれよん」
「くれよんって何よ」
「証拠を」
「私がおっさんである証拠が見たいと言うの?」
「そうだよ」
「女のコである証拠を見せろと言う人は多いけれど‥‥」
「まずおっさんであることの証明が先さ」
迷うおっさん。
おっさんは僕に好意をよせていた。僕もおっさんに興味があった。
「私を抱きしめて。そうすれば私が何であるかわかるわ‥‥」
言われたとおりに抱きしめた。するとおっさんの鼻息は荒くなった。
コンサートは生演奏ではなかった。モニターの向こうでピアニストが演奏して、僕たちは遠く離れたところからそれを観た。ほとんど何も聴こえなかったのは、沈黙が奏でられたのだ。
演奏が終わった。ピアニストが直接挨拶に出てくるという話が聞こえ、観客はサインをもらおうとモニターの方へ近づいていった。行列ができていた。やっと僕の番がきた。ピアニストはモニターの画面の中から手を伸ばし、僕の手を握った。やけに長い手だった。そして言った。「あなたもこっちに来なさいよ」
橋を渡って向こう側へ行こうとしている。けれど行けない。まっすぐ歩いているのに元に戻ってしまう。
これで何回目だろう‥‥
橋のちょうど真ん中に女の子がいる。彼女と手を繋ぐ。そのまままっすぐ行くが、また出発点に戻っている。
何も言わず去っていく少女に、「こっちでいいの?」と僕は訊く。
返事はない。僕はもういちど橋を渡ろうとする。中間地点には、別の女の子が待っている。
友人と自転車で走っている。彼の家に行くのにだいぶ大回りして走った。「ここから入れば近道だよ」と僕は指摘した。「たいして変わらないさ」と彼は譲らなかった。
「800メートルくらいは違うかな」
「たった800メートルだろ」
「まいいか」
彼の家に着いた。まず庭の水まきを手伝ってくれと言われた。白いバラの庭園だった。バラと一緒にキャベツを栽培している。彼はバラの生け垣に近づき、白い花をむしって食べ始めた。
僕の履いていたオレンジ色のスニーカーを見て友人が「いいな」と言った。
「サイズはいくつ?」
「23.5cm」
「小さくね?」
「まぁ、伸びるから」
「伸びるつってもよ」
「まぁねぇ」
彼は同じものをネットで注文したがサイズは33cmしかなかった。
さすがにデカいと言いながら新聞紙を詰めて履いている。
僕たちは靴を脱いで大きさを比べ合った。
車窓に、砂の壁が見える。電車はゆっくり走っている、砂のトンネルの中を。
窓を開け手を伸ばすと砂に触れた。僕はその砂に指で文字を書いた。ひらがなで、1文字ずつ。意味の通る落書きをしたかったけれど、電車はスピードを上げた。やがて砂のトンネルを抜ける。緑の草原に出た。そのタイミングで窓を閉めたが、思い直して、もういちど開けた。
終点の1つ前の駅で多くの乗客が下車した電車の中はそれでもまだ混んでいる。
「イギリス人」という名札をつけた綺麗な女の人が座席に座っているのを除けば、全員が日本人で、日本人は座ったりしない。
終点についた。みんな改札を目指して走りだす。
僕も走らなければならない、という気持ちになったが、
「イギリス人」はまだ電車の中で座ったままだ。
私の不倫相手が亡くなったことを夫は知っていて、その日、私たちは黒い服を着た。ファミレスに行き、お通夜のようなことをした。
ずっと以前から私たちの間には会話がなかった。しかしその日だけは話が弾んだ。昔に戻ったようだった。
私は離婚届を書いていて、「お通夜」の終わりに夫に渡した。夫は黙って判を押し、私に返した。
すべては終わったんだなと思う。
帰宅すると、いつものように夫は私を殴った。私はとうの昔に、痛みも悲しみも怒りも、何も感じなくなっていたのだが、その夜だけは違った。
それに気づいた夫は、いつも以上に執拗に、強い力で私を殴る。それは私が望んでいたことでもあった。
タクシーの運転手が私を待っている。
彼の体毛は濃い。私は卑猥な想像を止められない。
私は全然違う場所で違うものを待っている。
暑い日だった。
駐車場に戻る。運転手はまだ私を待っていた。
「お弁当を買ってきたよ」と私。
タクシーの中で私たちは食べる。
インド料理のサモサの中にキムチが入っている。
「うまいな」
「意外に」
タクシーの屋根につけられた扇風機が回っている‥‥
「食べたら出発しよう」と運転手。
「あ、でもまだちょっと待って」と私はお願いした。
絵の具と、絵筆を置いてきてしまったのだ、どこかに。
ロボットの処刑だった。多くの見物人が集まった。中には小さな子供もいた。
「あまりに残虐なのではないか」「ロボットは痛みを感じないし、血を流すわけでもない」「それはそうだが」そんな声が聞かれた。
身長2メートルほどのロボット。死刑だなんて、何をやらかしたのだ。刑場の真ん中に突っ立っている。
動けないのは、ネジを何本か抜かれているせいだろう。拘束はされていない。
巨大な斧を持った、裸の死刑執行人があらわれる。
彼は一撃で真っ二つにするのだ、ロボットの鋼鉄の体を。
マジックミラーの向こうに標的がいた。全部で6人。自分たちがどこから狙われているのかわからずパニックになっているようだ。1人ずつしとめていったが2人逃げられた。
暗殺の指令を出した上司にそのことを報告した。誰を取り逃がしたのかと上司は訊いた。
「1人は女ですよ」と僕は言った。地味なスーツを着た刑事だった。もう1人は男で、制服を着た警官だ。
☆
彼が僕に見せた千円札のナンバーは66666…だった。
「お前の命は俺がもらう、という意味だ」
「ほぉ、すごいですね」と僕は相手にせず写真を撮った。
「それはどういうつもりだ?」
「いえ、記念に」
「俺がこの千円を使ったときお前は死ぬ」
「じゃ今日は僕が奢ります」と僕は言った。
安い居酒屋だった。
報酬がもらえる。報酬はコインだ。
「なら、いらない」と僕は言う。
「なぜだ。もらうべきだ」
彼は犬だ。犬にコインが何の役に立つ。
「そのとおり。しかしお前は人間だろう」
そうだった‥‥
お前は
「お前は執念深い人間だな」
「人間というのはそういうものなのさ」と僕は答えたが
執念深いって何のことだ?
「あんたも同じくらい執念深い犬だよ」
僕たちは崖をよじ登っている。
崖の上で報酬が待っている。
僕にはコイン。
天文台の壁に落書きがされた。壁は白くて薄かったのでそれは内部から透けて見えた。まだ小さな娘が興味を示したが、何が書いてあるのか説明することは憚られた。できることなら見せたくもなかった。
しかしそれはアートでもあった。生命の真理であった。老人であった。彼はさらに老いて植物になった。その植物と私は結合する。そしてお前が生まれたのだ、と私は娘に説明した。
その後で落書きを消した。
娘は私を手伝わなかったが、私は何も言わなかった。
その動物を風呂に入れ洗った。茶色だと思っていた毛皮は赤かった。
「ありがとうございます」と動物は言った。「おかげで綺麗になりました」
「実はこれからボーイフレンドと会うのです」
「えっ、あああ、君、女の子だったの?」
やば‥‥変なとこ触っちゃったな。
召使いと一緒にボーイフレンドがやって来た。(金持ちなのだろう。)
彼も召使いも茶色かった。
真っ赤に変身したガールフレンドを見て満足げな様子。
「照明を、もっと!」 召使いが僕に言った。
「恥ずかしい」とガールフレンドは照れた。
僕が台所に立ち料理をしている間、家族は居間のテレビで野球中継を見ている。みんな試合に夢中だ。居間に大きな赤い鳥がやって来たことにも気づかない。
「みなさまのリーダーにお話があるのですが」と鳥は言った。
僕は自分の分だけをつくって1人で食べている。鳥はこちらに顔を向け
「あなたさまが?」
「は?」ついゲップが出てしまった。
「おぉ! わたくし、ゲップというものを初めて聞きました」
「いや、失礼」
「いえいえ、ご存知のように、鳥はゲップをしないのです」
鳥は近づいてくる‥‥
机の上の機械に本をセットした。頁をめくってくれる便利な機械だ。
「何を読んでいるのですか?」と機械は訊いた。僕が読んでいるのは『失われた時を求めて』の翻訳本だ。
「とても長い本ですね」と機械は言った。
僕が返事をしないでいると、もう喋らなかった。
その博物館で展示されている本の中に入った。
年に何回かそういう体験ができるのだ。
案内役の職員に導かれて、暗い廊下を進む。
職員は魔界と言っていたが、VRの仮想空間だろう。
途中、おみくじのようなものを引かされた。
大吉だった。
「よかったですね、これで現実世界に戻れますよ」
「いや、よかったって、まだ何も見てないじゃないですか」
「ふつうは何年も彷徨いつづけるんです」
「はぁ、‥‥じゃ帰るとしますか」
正直期待外れだったが。
ぱっと仮想空間が消える。
リアルの僕は、服を全部脱がされた状態で独房に監禁されていた。
先程の案内係の職員が、僕の服を持ってあらわれた。
「いいですか、シャツを足に履いてください。それから、ズボンに腕を通して」
僕は言われたとおりにした。
そして靴を手に履いた。
それを探していた。それは見つかった。それはいたるところにあった。家の中にあった。クローゼットの中にあった。「見つけた」と思った。それはそのままにしておいた。
外に出た。外にもあった。ズボンのポケットに手を突っ込むと、そこにもあった。ポケットの中でそれを握りしめながら、どんどん歩いた。するとまた見つけた。それ。僕は近づいていく。それは、一歩ごとに新しくなっていった。
姉が家に遊びに来るというので駅まで車で迎えに行った。姉の機嫌は非常に悪かった。なぜかは知らない。
直接会うのは何十年ぶりかである。小さいころ、姉は体が弱かった。蒼白い顔をして、いつも家で寝ていた。けれど久々に再会した姉に病弱な少女の面影はなかった。「すごく元気そうだね」と僕は声をかけた。
車の助手席に乗りこんだ姉は言った、「何なの、この車」
僕の愛車はポルシェの911である。
「子供っぽい趣味」
そこで僕は「すごく元気そうだね」と声をかけたのだ。皮肉が伝わったのかどうかわからない。
眼鏡をかけた若い女が、髭を生やした男に質問をしている、その言葉が僕の耳に届いた。その質問の答えを知っていると思った。
2人に近づき、答えを話そうとした。しかし、女は行ってしまった。
「何と返答したんだ?」と髭の男性に僕は訊いた。
「知らないって言ったよ」彼は答えた。
「僕は答えを知っていた」
「そうかい」
「彼女、名前は何ていうの?」
「何ていうんだろうな」
それからすぐに亡くなった。
その子は僕に「飛行機に乗りたい」と言った。
亡くなるまでずっと言っていた。
「今乗ってるよ」僕はいつもそう答えていた。
「今飛行機の中だよ」
「うそお」
「ほんとさ」
「私ね、飛行機に乗りたいのよ」
今乗ってる。
「飛行機の中で飛行機に乗ってるのさ」
「えー」
「飛行機の中で飛行機に乗ってるから、乗ってることがわかんないんだよ」
眠りの中で眠ったら、眠ってることがわからないだろ。
それと似てるかもな。
寝ていると、枕元に誰か立って、車を買えと言う。「そんな金ないぞ」と答えて、目を開けた。朝だった。
食堂には初めて見る顔が2つあって、1人は武田、もう1人は北澤と名乗った。
僕は自分の名前を忘れてしまったと言って詫びた。
「俺はあなたの名前を知ってますよ」と武田が言った。
「俺は知らないな」と北澤。
「教えてやろうか?」
「いや、いい」と北澤。
「ところでしばらく連絡ができなくなるんだ」と武田は僕に言った。
「連絡?」
「事情があってな。それで困ったことがあったら‥‥」
何を言ってるんだ、この人は。
テーブルの上に食事が出ていた。3皿とも僕の分だろう。しかしすべての料理はデザートに見えた。