詩集どうでしょう?
詩を書いて出版しました。
彼女が訪ねてきたとき、僕は畳の上で寝ていた。
「こいつは目覚ましが鳴るまで起きねーよ」先に来ていた別の女は言った。その声だけは耳に入ってきた。が、まだ目覚めるところまではいかない。
「『目覚まし』って、卵じゃないの」
「おう、そうだよ。時間になるとこの卵が割れる」
「どういう仕掛けなのかしら」
「知らねー。とにかく割れた卵に驚いてこいつは目覚める」
「先に健康診断を受けてきなよ、それまで見張っててやる」
僕が寝ている横は女子の健康診断の会場になっていた。
「私が下着1枚になっているときにこの人目を覚まさないかな?」
「ありえる。こいつスケベだからな」
言い返そうと思ったが、できなかった。
「ちゃんと見張っててね」
「はいよ」とその女は答えた。
学校の教室。生徒は社会人だった。僕は自分の席を離れスーツを着た年配の男性と話をしている。
「クラスでいちばんの美女が今から登校してくる」と彼は予言した。
僕の隣の席が1つ空いている。美女はその席に座ることになるだろう。楽しみだ。
先生はまだ来ないが、始業時間はもう過ぎていて、みんな席についている。
僕も年配の男性のもとを離れ、自分の席に戻る。
男性は席で煙草を吸っている。教室は禁煙のはずだが‥‥
教室の扉が開いた。
入ってきたのはマリリン・モンローのような美女だった。遅刻してきた生徒だろうか。それとも彼女が先生なのだろうか。
僕はマリリンの美しさにみとれている。(こんな美人なのに、)クラスメートはしかし彼女を無視している。
「この席、空いてる?」マリリンは僕の隣の席を指して訊いた。
「あなたの席です!」と僕は答える。
だが彼女はその席には座らず、教室をぐるぐると何周もし始める。
煙草を吸っているあの男性の脇を通るとき、マリリンは顔をしかめた。
何かの図案、書かれた字。それは旗だったと思う。掲げられたそれの元に人々は集い、書かれた文字を声に出して読んでいる。僕には理解できない外国の言葉だった。
書かれていることとはまったく違う詩の一節を、僕が日本語で読み上げ始めると、周囲の空気は一変し、危害を加えられるのではないかと怖れたが、何も起こらなかった。
僕の近くでは「アイス」というあだ名の男がぬるい水を飲んでいる。
「よお、アイス」と彼の仲間が声をかける。
「今日はアイスを食わないのか?」
「おととい来やがれ」とアイス。
「僕のあだ名は『ほうれん草』ではないけど‥‥」と僕は口を挟んだ。
「僕はほうれん草が好きさ」
僕はカップ麺に野菜が足りないと思ってほうれん草を入れる。
そうするとアイスと彼の仲間たちは、床に唾を吐きかけ、僕に掃除を命じた。
「身元を特定するものはすべて置いていけ」との命令だった。僕はそこへ行く。そして死体となって帰ってくるだろう。
「証明書の類は帰ってきたときに返してやる」と上官は言った。
ボール紙でできた切手を台紙から切り離しながら僕は訊いた、「この切手をおでこに貼っておけば‥‥、つまり‥‥」
「そうだ。その切手を貼っておけば、貴様の体はここに返送されてくる」
「気がかりなのは‥‥、私の魂はどこへ行くのでしょう」
「魂に貼る切手は‥‥?」
上官は表情を変えなかった。僕の言葉を聞いても。
電話に出ると「痴漢だ」と女の声が言った。電車の中である。犯人は高校の同級生らしいのだが、その男のコの髪は真っ白だ。気の弱そうな男子だ。
「訴えてやる」と言われ、恐怖で白髪になってしまったのだ。
それで彼女は男のコの方に同情してしまった。ドアが開いて、男のコは逃げるように去った、と女の声は言った。
一言も喋らないまま、僕は電話を切った。
夜になると僕は死神になった。終バスに乗る疲れた様子のサラリーマンから寿命を数時間分奪った。
彼らは車内で眠りこけていて、奪われた時間が過ぎるまで決して目覚めることはない。乗り過ごして終点まで行ってしまう。
すると僕は運転手で、心は死神のままだった。目覚めることのない彼らを道端に放り出す。雪が降りそうだ。
朝になると僕は天使になった。眠そうな顔をして始発に乗る乗客たちのスマホに、昨夜サラリーマンから奪った「寿命」を送信した。
空港から電車に乗った。兄と一緒だった。ホテルのある駅の1つ先まで行って、美術館を見学してから、ホテルに向かう。チェックインにはまだ早かった。
しかし兄はホテルのある駅で降りてしまった。「おいおい」と僕は兄のシャツを後ろから掴んで、引き戻そうとした。
そんなわけで、僕は美術館には1人で行った。兄がいないと言葉がわからなくて不安だった。駅前で携帯のマップを見た。地図の通りに行ったのだが、迷ってしまった。
同じ店の前を、何度も何度も行ったり来たりした。
その店の前では、刺青の入った大柄な男たちが、プラスチックのケースに入った紙幣を数えていた。紙幣はすべて赤い色で、途轍もなく大きな数字が書かれている。
「すごいですね」と僕は英語で声をかけた。1人には通じたようだ。「道に迷ってしまったのですが‥‥」と僕は言った。
「どこまで行くんだい?」
「美術館です」
ミュージアム。その答えを聞いて、男たちは鼻で笑った。
「ここがそうだよ」と男は言った。
「つまり、そのお金は美術作品ということでしょうか」
「ははは」
「見せてもらっていいですか?」
「見るだけならな」
だが僕は手に取った。
紙幣には日本のマンガのキャラクターが描かれている。
鳥籠ではなかった。水槽の中で、鳥が飼われていた。水辺に棲む鳥なのだろうか。
水槽の中には、一脚の椅子が置いてある。鳥が僕を手招きした。「あなたにふさわしい椅子を用意したわ」と人間の言葉で言う。たぶん通りかかる人間全員に同じことを言っているのだ。
辿り着いた場所には雨が降っていた。雨粒はバスケットボールほどの大きさだった。風船のように、ふわふわと天から落ちてくる。
雨粒と雨粒の間隔は広く、落下速度も遅いので、傘をささなくても、その間を縫うように歩けば、濡れずに行くことができそうだ。
僕たちは用意された宇宙服を着た。正しく着用できたのかどうかわからない。メンバーはみんな普通の人だった。特殊な経歴を持っているわけではない。その上で何の訓練もなかった。いきなりだった。
いきなりであった。僕は体が軽くなり、宙に浮き上がったのを感じた。手足をばたばたさせると、どんどん上昇し始める。そうして、大気圏外に出た。宇宙空間には本職の宇宙飛行士たちが浮かんでいた。
彼らの宇宙服の背中には、天使の羽根がついている。(彼らはさまざまな国の言葉で僕に話しかけてきたが、その中に僕の知っている言語はなかった。)彼らの後を追いかけて、さらに高く飛んだ。
床で寝るようにと言われた。ベッドはあった。フカフカのそのベッドは、しかし他の人が使うという。
僕の部屋だった。けれど僕は着る服もなく、かける毛布の1つもなく、床に横になるのだ。
それでも眠ってしまった。寒くて、ときどき目を覚ましたが、最後には深い眠りに落ち、朝まで目覚めなかった。
僕のベッドで寝たのは、どんなやつだろう。顔を見てやろうと思って、起き上がる。
ベッドには、誰もいなかった。使われた形跡もない。
きれいに畳まれたパジャマが置いてある。
テレビを観ているときテレビが光った。画面ではなく黒い本体部分が「ぼわっ」と発光した。テレビを消すとその光も消えた。
テレビをもう1回つける。本体はもう発光しなかったが、おかしなことはあった。さっきまでやっていたテレビの番組がなくなっていた。そのチャンネルごと消えてしまったのだ。
昨日のことを思い出した。僕がその郵便ポストに手紙を投函すると、ポストは光ったのだ。
どういう仕掛けなのかと思った。捨てるつもりで持っていた何かのチラシを僕はポストの中に入れてみた。
僕はキムタクの家の鍵を持っている。キムタクは鍵を持ってない。
なので家に帰るとき、彼は僕に連絡をしてくる。
僕は鍵を持って家まで行き、ドアを開けてやる。「1人で住んでいるのかい?」と僕は訊く。
キムタクは言葉を濁す。
Kの家には死体がある、という噂が広まる。死んだのは同居していた彼のお兄さんか。真相を確かめるため、家に入った。
キムタクの留守中だ。
家の中には、喪服を着た中年の男性が2人いた。「お悔やみ申し上げます」と言うと「帰ってくれ」と言われた。
「亡くなったのは‥‥」
「あんたらハイエナに話すことは何もないね」
キムタクと僕は友達だ。食い下がっていると最後には男性は折れた。電話番号を書いた紙をくれた。
「後で話そう」と男性は言った。
僕の足は車輪になっていた。砂漠に敷かれた線路の上だった。線路はところどころ砂に埋もれている。
足音は砂時計の砂が落ちるときの音だった。砂が全部落ちてしまうと‥‥もうひっくり返す気力もない。
そうすると足は普通の足に戻り、僕は城のような建物の中を歩いている。階段の上から食器が触れ合う音が聞こえた。白い砂を落しながら上がっていくと
給仕頭が待っていた。
「ここでの注文の仕方は変わっているのです」とこっそり教えてくれた。
「まず『仮注文』を出してください」
「仮注文ですって?」
「しばらくすると別のウェイターがまた注文を取りにくるでしょう。そのときに‥‥」
「はい」
「今度は絶対に食べたくない料理を言ってください」
カラオケバーで女のコが、あなたに会いたいという歌を歌っていた。「あれ、本人だよ」と誰かが言った。
「アイドルの○○○○だよ、本人だよ。自分の持ち歌を歌ってる」
歌い終わると、アイドルは僕のテーブルに来て、マイクを渡し、「次はあなた」と言う。
「あなた、歌手の‥‥さんでしょ」「『青い光』を歌って。あの曲、大好きなの」
曲のイントロが流れ出し、店じゅうの照明が青くなった。
天井から青いレーザー光線がいくつも、やけにゆっくりと伸びてきて僕の体を貫く。
母親を誘拐した男を指して娘が言った。「この人悪人でしょ」
「まだ裁判で有罪が確定したわけじゃないから‥‥」と父親は言葉を濁した。
「どうして? あの男が誘拐したことは間違いないじゃないの」
「悪いとも悪くないとも言ってはいけないんだよ」
娘は父親のところを離れ僕の方へやって来て、「あなたは悪人?」
「君のお母さんを誘拐したのは僕じゃないよ」
「知ってるよそんなことは。訊いたのはあなたは悪人なのかってこと」
「うーん」
「ママはどこにいるか知ってる?」
女の子のお父さんと一緒にいる女の人は「ママ」ではないのだろうか。
ファッション・デザイナーの男性が講師として教壇に立った。
ホワイトボードに掛けられたハンガーには彼のブランドのTシャツが吊るされていた。何の変哲もない白無地のTシャツだがそれは人間の内臓の配置を考えてデザインされたものだという。
「あなたが病気になると、服も病気になります」
「このTシャツの脇腹部分に注目してほしい」と講師。
「このTシャツは病気に罹っています」
講師はTシャツを「手術」し始めた。
悪くなっていた部分を切り取った。用意していた別の白い布でツギハギして、「治った」と受講生の1人に言った。
「布施明という作家の誕生に私の力を貸しているところだ」と電話の相手は僕に言った。
「私も60になった」「私は認められたい」
「布施明?」
「布施明に‥‥」
布施明って作家だったっけと僕は思いながらも話のつづきを待った。しかしつづきはなかった。電話は切れてしまった。
男の声だった。女が低い声で喋っていたのかも知れない。そこで目が覚めた。夢だった。
しかし妙な予感がして僕は本棚をチェックした後、ネットで検索もかけてみたのである。
深夜の1時だった。ソファに寝そべってテレビの深夜番組を見ていた僕に父から電話がかかってきた。父は会社にいてまだ仕事が終わらないと言った。そこで切れてしまった。
「仕事は終わってないけど帰る」という電話なのか、「仕事が終わってないから今日は帰らない」という電話なのかわからない。
僕は歯を磨いて寝ることにした。鏡を見て気づいた。僕が手に持っているのは歯ブラシではなかった。電話機でもなかった。(僕が手に持っているのは何だろう。)
僕の着ている服が彼女には見えないという。なら裸に見えるのかと訊くとそうではないという。服が見えないというだけでその下の体が見えるわけではないのだ。
「だから平気よ」と彼女。
「何が?」と僕。
「寒くはないの?」
言われてみれば少し肌寒かったので僕は上着を羽織った。
それも彼女には見えないらしい。
「ダサい上着ね」
「やっぱり見えてるの?」
「見えてない」と彼女。
「赤ちゃん色のスーツケース」とその子が指したスーツケースの色はピンク色だ。「そう言われるとそうだ」と僕。
「そう言えば」
「ピンク?」
「中を開けると何が入っているんだろう?」と僕。
「開かないのよ」
その声は遠くから聞こえた‥‥
スーツケースの持ち主は飛行機に乗るところだ。持ち主の服はどこかの民族衣装のようだ。制服のようにも見える。
地下街で外国人に道を訊かれた。駅に行きたいのだが、と言う。それならA階段を上って地上に出た方がいい、と僕は指を組み合わせてAの字をつくった。うまく伝わったようだ。
僕は別の階段を上って宿泊していたホテルに帰った。階段はホテルの中までつづいていた。雛壇のようになったロビーでコンシェルジュの女性がお雛様のコスプレをしている。
「カロリーメイトのスティックはどこで買えるでしょうか?」と僕は彼女に訊ねた。
「コンビニを探したんですが置いてないのです」
「あれには有害なアレルギー物質が含まれているという話で」とコンシェルジュは答えた。初耳だ。
「ええ、この間ニュースでやってましたよね」
「店頭からは既に回収されてしまったでしょう」 マジか。
「えええ、ええ、‥‥そうなんですよね」と僕は知ったかぶりで答える。
「でもそうなってしまうと、無性に食べたくなるんです」
芋虫がヘルメットをかぶって震えていた。寒くて震えているわけではない。
「怖いんだ」と芋虫は訴える。
「何が怖いの?」
「食べられてしまう」「頭を守らなきゃ」
「僕は芋虫は食べないよ」と言った。
「ところでそのヘルメットは僕のだよ」
返してくれないかなと思う。バイクに乗るのに必要だ。
「やっぱり寒くなってきた」と芋虫は言った。
ちびた鉛筆が1本左斜め後ろから飛んできて前方の壁にぶちあたった。壁に穴が開いた。
壁の向こうは宇宙空間だった。宇宙戦艦が浮かんでいて戦闘中。そのうちの一隻が僕たちの宇宙船に近づいてきた。
壁の穴から宇宙服を着た兵士が乗り込んでくる。
指揮官らしき男が「お前らは皆殺しだ」と言った。
「皆殺しだ」と兵士たちは復唱した。
「皆殺しだ」
「皆殺しだ」
「はやくやれ」と指揮官は命じた。
博士は僕と彼女に手袋を渡して言った。「これは空飛ぶ手袋だ」と。
「手袋をはめた手のひらを上に向けると上昇する」「降りるときは下に向ける」
「充分上昇してから手のひらを前に向けるんだ、そうすると前進する」
僕たちは橋の上にいた。博士は手袋をはめ手のひらを上にしたまま川に飛び込んだ。ドブン。
「えっ!?」
「‥‥」
かなり経ってから博士は上昇し始めた。「ワシにつづけ」と博士は言った。
(あれは嫌だなぁ)と僕たちは思う。
蟹とデートをした。蟹は大阪に行きたいと言った。あの有名な蟹料理店の前に、僕たちは手をつないで立った。そうすると蟹は人間の女の子になった。
「悪い魔法使いにかけられていた呪いが解けたのです」と蟹は言った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
僕たちはしばらく無言で見つめ合った。
「蟹、食べる?」と僕は訊いた。
「もちろん食べません‥‥」
「僕は食べたことあるよ」と僕は正直に告白した。
「私、スカートがはきたいです」と蟹は言った。
「私は女の子なのにスカートをはいたことがないのです」
「今はいてるのは何?」と僕は訊いた。気まずい空気は消えない。
それはスカートに見える。
何とかさんを殺してしまった。何という愚かなことをしてしまったのだろう。この世で何とかさんに恨みを持っている人間は僕しかいない。僕がやったのだとバレバレではないか。
僕は仕方なく、何とかさんが勤めている会社の人を全員殺した。犯人は何とかさん個人にではなく、その会社に恨みを持っているのだと、擬装するために。
そして僕はサングラスをかけた。ヒゲを生やして、ふだん着ない派手な色の服を着た。白やグレーの服を着た真面目そうな人たちの間で、僕は目立った。
警官は地味な服を着た人たちを1つずつどこかに連れて行った。最後に僕1人が残った。僕が連れて行かれることはなかった。連れて行かれた人たちは、帰ってこなかった。誰もいない場所で、僕は待った。
帰宅してみるとランチタイムだった。天井裏につづく梯子は格納されている。僕はその食堂の天井裏に住んでいる。部屋に上がりたかった。客のテーブルの上にあがって、天井から梯子を引っ張りだした。
それを見て食事中の客は文句は言わなかった。ただコンプレックスを感じると言った。
「コンプレックス? 劣等感?」と僕は聞き返す。
「どういうことですか?」
「私は何にでもコンプレックスを感じてしまうんだよ」「例えばトンカツの衣にね」「この皿の白さにもね」
「そして今私は梯子に強烈な‥‥劣等感を感じた」
「梯子に劣等感を感じるとどうなるんですか?」僕は梯子を上るのを一時中断した。
「梯子を上れなくなる」
雨は上がったが、道はまだ濡れている。立って歩くことができない僕は困った。蛇のように這って駅まで行く。お気に入りのシャツが水を吸い込んで重い。横断歩道の真ん中でついに動けなくなった。信号が変わる。
「立て、立てよ!」と道の向こう側で誰かが叫んでいた。ベビーカーに乗った赤ん坊だ。「お前に言われたくないし」という気持ちが立ち上がる原動力になった。
僕はまっすぐその赤ん坊のところへ向かった。
「ずいぶん濡れてるな」とその赤ん坊は僕の傘を指差して言った。
「傘が濡れているのは雨が降ったからだよ」と僕は答えた。
「電車の中では畳んだ方がよろしいのではないですか?」
急に言葉遣いが変わったと思ってみると喋っているのは若いお母さんである。
「私が畳んでさしあげましょうか?」
言葉は丁寧だが表情は険しい。
カレーの味を訊かれた。カレーはまずかった。相手がそう言ってほしくないのはわかってた。なので僕は冗談を答えようとしたが、うまい冗談を思いつかなかった。それで正直に「まずかった」と答えた。「うんこみたいな味がした」
「うんこ食べたことあんの?」
ここでも僕は迷った。僕は冗談で答えようと思った。僕はいつも冗談で答えようとする。しかし何も思いつかないのである。
正直に「あるよ」と答えた。
すると意外にも相手は笑ってくれた。
「お掃除」は終わったけれど、「そこ」が綺麗になったようには思えない。むしろ僕のせいで前より散らかってしまったのではないか。
とにかく僕は「呼ばれた」のだ。「もう終わったよ」とその人は言う。
「帰ろう」
エレベーターの前だった。上に向かう2台のエレベーター。扉は同時に開いた。
左のエレベーターに乗り込んだ「その人」は、右のエレベーターに乗ろうとする僕に「こっちに乗らないの?」と訊いた。
「いや、僕んちはこっちだからさ‥‥」と断った。
「本当にこっちに乗らなくていいの?」
僕が乗り込んだエレベーターの中にはガラスの窓があった。開けることのできない窓だ。窓の向こうに緑生い茂る庭が見えた。庭の物干しには洗濯物が干されている。
今日こそ取り込まなくてはならない。あれは僕のシャツだ。ずっと何日も干しっぱなしなのだ。
それは何でもくっくつ磁石でした。金属以外のものもひっつく。僕はバナナを磁石にくっつけました。するとバナナは金属のように固く、重くなってしまいました。
そして磁石がバナナのようになったのです。
磁石を食べられるわけではないのですから、ちょっと損したと思います。
プーチンがステージで歌っている。そっくりさんではなく本人かも知れない。ヘタクソな歌だ。プーチン本人である可能性を考えてみると、笑ってはいけない。絶対に・笑っては・いけない。観客はみんなそう思ったようで、盛大な拍手が送られた。
1曲歌い終わると、プーチンは客席におりてきた。客席にある熊の檻の中に入って、服を脱ぎ始めたのである。裸になったプーチンは、またステージに戻った。
いや、靴下だけは履いていた。あとは全裸だった。プーチンは眩く光り始めた。自身が発光しているのだ。僕たち観客は、どういう反応を示せばいいのかわからない。檻の中の熊を見てみた。熊はプーチンが着ていた赤いスーツを着ている。それは伸縮性のある素材でつくられていた。
ユニットバスのシャワーカーテンは、赤い色をしていた。それは外れなのか、当たりなのか。ホテルの僕の部屋のトイレを、業者の人も利用する。赤いシャワーカーテンが目印だと、ホテルの人は言っていた。
蛇口をひねってもお湯はでてこない。その代わりに排水口から溢れでてくる液体がある。下水ではないようだがわからない。結果的にバスタブにお湯(のようなもの)が溜まりつつある。
いったいどういうことだろう、白人の指揮者の顔に黒いマジックで「中国の隠謀だ」と書かれているのは。
曲はラフマニノフの交響曲だった。聴いたこともない斬新なアレンジが施されていてまるで別の曲のようだ。
観客席はステージの正面ではなく左右にあった。向かって左の客席からステージ上に大根が投げ入れられる。
それに対抗して右からは小松菜の束が投げられた。左の大根に対しては「違法栽培されたものだ」「恥を知れ」などと罵声が飛ぶ。
左は僕たちの小松菜を評して「6点だ」「百点満点の6だぞ!」などと叫んだ。
船に人間の乗客はいない。全員が鳥だった。「早く出せ」と鳥たちは人間の言葉で要求する。その後にやかましい鳥の言葉がつづいた。何を言っているのかわからない。
「まだだ」と僕は一蹴した。「鳥籠を持った人がお見えになる」
「なんだと?」
「鳥籠を持った人が、もうすぐお見えになる」
「それは人間なのか?」「鳥籠だと?」
大騒ぎだ。
「差別主義者め」
「鳥籠は1つだ」と僕。
「1つだと? この船にいったい何羽の鳥が乗っていると思っているんだ!」
僕は返事をしない‥‥それ以降ずっと。
髪の毛は白髪、というよりアニメでよく見る銀髪だ。長さは1センチくらい。非常に薄くて地肌が透けて見えるが、ハゲているわけではない。僕は手に持った櫛でその柔らかい毛髪を梳いた。
髪は伸びた。1回櫛を入れるたびに何センチか伸びるようだ。そして黒く、豊かになっていく。アゴの下まで伸びたところで僕は櫛を入れるのをやめ、「出来上がりました」と言った。
「鏡をご覧になりますか?」
返事はない。
カレーは不味かったので正直に不味いと言った。眠った。
すると枕元に村上龍が立って、話しかけてきた。「本棚を見たぞ、俺の本が何冊かあった」
僕は金縛りにあって、動くことも話すこともできなかった。怖かった。
「感想を言ってみろ」と村上龍は迫った。
あのカレーをつくったのは村上龍だったのか‥‥
僕が答えられずにいると、新たに、別の何人かが枕元に立った。
彼ら(全員男だ)は『限りなく透明に近いブルー』を絶賛し始め‥‥
何者なんだ、彼らは‥‥
龍の苛々した様子が伝わってきた。
龍は彼らに訊いているのではない。
船上で葬式があったとき、僕は「船上結婚式」なんてものを思い浮かべて、また回想、海草、海葬という連想でひとり笑っていたのだけれど、僕だけが不謹慎というワケでもなかった。
遺体の収められた棺桶は海に流される。しばらくの間は浮いているのだがそれを見て苦笑している参列者もいた。
しかるべき時がくると、棺桶は沈む。海中にはダイバーが待ち構えていると聞いた。海に遺体を遺棄するのは犯罪なので、ダイバーに回収させるのだ、棺桶ごと。
遺体は最終的には火葬にまわされるらしい。何でそんな面倒なことをするかな、と思う。
眠っている女の胸に耳を押し当てると、意外なほど速い心音が聞こえた。目を覚ましていたのだ。
「私、動物になる」そう言って彼女は身を起こした。
「何の動物になるの?」と僕は訊いた。
彼女は何も答えずに、服を脱いで、バスルームへ向かった。
すると入れ替わりに、バスルームから、背の高い、痩せた少年が出てきた。ここはホテルの一室だ。少年は財布や時計、メガネやメガネケースがたくさん入った引き出しを開けて、中を見ている。
「どれが俺のだっけ‥‥? 何でこんなたくさんあるの?」
「まず服を着ろよ、フルチン」と僕は声をかけた。
「あんたの服、貸してくれる?」
「いいよ」
僕は自分の服を脱いで、下着まで全部彼に渡した。それからシャワーを浴びようと、バスルームに入った。
さっきまで一緒にいた女はいなくなっていた。
バスルームは扉の向こうで隣の部屋と繋がっていて、別の女がソファで雑誌を読んでいるのだ。彼女は僕の裸をジロジロ見てから、「入ってくるなら言ってよ」と笑った。
すべての内壁が取り払われていた。その校舎には机も椅子も、ロッカーも何もない。僕たちは、廊下ではないところをまっすぐ歩いて、また元の場所に引き返す。
階段はあった。けれど2階や、3階といった階層はなくなっていた。天井はある。ほとんど空と同じ高さに天井は見えた。階段はそこまでつづいていたから、屋上に出ることができれば、そこは天国に感じられるだろう。
弁護士はたいへんな美青年だった。そのせいで僕はからかわれているような気持ちになった。どうしてこんなハンサムが、ハタチそこそこで弁護士になれるというのだろう。ドッキリか何かに決まってる。
僕は隠しカメラを探した。どこで撮影しているのか。だが彼はハタチではなかった。50を越えていた。二枚目ふうの前髪をかきあげながら「見た目で誤解されてしまうことが多いのですが‥‥」と言う。
「卑怯者?」
「えっ?」
「えっ? あぁ聞き間違えました。言い間違えたのかな‥‥」
「弁護士を雇った覚えはありませんが」と僕。
「弁護士ですって?」
「えっ?」
「えっ? それにしても本当ですか‥‥?」
法学部の学生たちが司法試験に落ちた。試験問題と回答は事前に教えてやった。それでも全員が落ちたのである。
死んだ蝶がヒラヒラと舞っていた。それは蝶のゾンビだった。蝶は花にとまり蜜を吸った。そうするとその花もゾンビになった。
蜂がゾンビ花の蜜を集めにやってきた。花に触れた途端蜂はゾンビになったが、自分がゾンビ蜂になったことには気づかない。
ゾンビ花の花びらが風に吹かれて舞っている。僕はそれをキャッチしようとしたが逃げられた。ゾンビのくせに逃げるのか。ゾンビはゾンビではない者を追いかけてくるのではなかったのか。
ヨーロッパによくある、安いホテルだった。シャワーを浴びようとすると、ベッドルームまで水浸しになってしまう。水(お湯)をあまり使わせないよう、わざとそういう設計にしてあるとしか思えない。
僕はその国を訪れたのは、友達に会うためだったが、インスタを見てみると、彼は日本を旅行中であった。何なんだよ、と少し腹が立った。嫌味のつもりで、彼の投稿にいいねしてから、ホテルを周辺をうろついた。
1時間の内に、何度か日が上り、日が落ちた。日が落ちたあとも、暗くはならなかったが、町にはあやしい雰囲気が漂い始めるので、夜なのだとわかる。その「夜」も、あっという間に昼にかわる。
腹が減って、何か食べたかった。インド料理の店があって、うまそうだったけど、ディナーは高い。ランチがお得なのだろう。夜が終わるのを、店の前で10分ほど待った。
僕の初恋の人と、僕の女房と、僕と、3人で船に乗っていた。
初恋の人が昔僕に書いた手紙を、なぜか女房が持っていて、声に出して読み始めた。それは彼女が結局出せなかった手紙で、「あなたのことは、本当は好きではないの」という内容であった。
僕の初恋の人も、手紙を持っていた。僕が結婚前、女房に出そうとして、出さなかった別れの手紙だが、それを今から読むと言う。
彼はずいぶんと太った、足の短い体操選手だ。「若い人には負けない」と言っているところをみると、若くはないのだろう。僕は彼の演技を見た。いや見事なものである。それが彼自身の容姿の醜さをいっそう引き立てているのだ。僕はその残酷さに目を奪われた。むしろ失敗してくれればよかったのに、と思った。
彼の名前は落合といった。その名前を聞いて、なぜか観客たちは笑った。腹を抱えて大笑いしている者もいる。僕は笑えはしなかったが、そこに不思議と「安心した」のだった。
明日、テストを受ける必要がある。テストの内容をこっそり教えてもらった。鏡文字を書かされるらしい。
左右に反転した文字だけではなく、上下にひっくり返った文字も書かされるとか。
そこに、深層心理のようなものが‥‥出る(?)
僕の何をテストしたいのだろう。
テストの内容を教えてくれた女性は、僕の名字の鏡文字を書いた。
彼女はなぜか僕の住所を知っていて、それも鏡文字にしてみせた。
朝食を食べてから家を出るまで余裕を持って30分。その30分のほとんどをネクタイを締めるのに費やした。ブレザーの上着を着て、その上にハーフコートを羽織るか悩んだが、それはもう少し寒くなってからにしようと思う。
歩いて5分のところにあるバス停には長蛇の列ができていた。このへんでは見慣れない外国人たちだったが観光客とも思えない。サラリーマンのようだ。どこに勤めているのだろう。
僕は最後尾に並んだ。すると「バス停が前方に動き出して」、僕との距離を取った。空いた隙間にあとから来た外国人が割り込んでいく。そのようにして列はどんどん長くなった。
『何でも鑑定団』という番組があったはずだ。我が家の家宝を鑑定してもらうため、テレビ局の中を歩いていた。家宝というのは木刀である。それを持って受付を訪ねた。
受付嬢は「社長」と呼ばれている人物と話をしていたので、僕は少し待った。
さて僕の順番が来た。「この木刀なんですが‥‥」と僕が始めると
「鑑定のご依頼ですね」さすが話が早い。
「この専用の袋に入れて○○番にお持ちください」
「袋は、有料ですか?」
「いえ、もちろん無料です。私がお入れしますね」
その袋の中には、本榧の囲碁盤と碁石が一緒に入っていて、非常に重かった。片手で持てるようなものではない。
僕は突然、「そこ」に出現した。半屋内・半野外といった感じの商業スペースで、人々が2つのグループに分かれて、何か議論をしていた。「こいつに訊いてみよう」と誰かが言う。誰だろう。「こいつ」というのはもちろん、突然あらわれた僕のことだ。
ワケがわからぬまま、僕は片方のグループの主張を支持した。本当によくわからないのだが、それが決定打になったらしい。もう一方のグループは、負けをみとめて、すごすごと退散した。マンホールの蓋を開け、地下におりていく。
僕は「勝った」グループのあとをついて、上りのエスカレーターに乗った。すると上の方から、さっきのグループの一員と思われる(ファッションや髪型でそれと知れるのだ)、金属バットを持った若者たちが、すごい勢いで逆走してきた。
僕たちは熊を追うハンターだった。猟犬とともに山を駆け巡った。獲物は見つからなかった。さらに奥深くに分け入った。
すると雑草ではなく、刻んだネギが敷き詰められた斜面に出た。(食べられるのではないだろうか。)その斜面を滑り下りると、ブランコのある児童公園だった。
何かがおかしい。そう気づいたが遅かった。熊が・目の前に・あらわれた。そのとき2匹の猟犬は夢中でネギを食べていた。
大人の女性が2人倒れた。毒を盛られたようで1人は亡くなっていた。もう1人はまだ息があった。麓の病院まで運ぶのに車を貸してほしいとお願いした。僕はまだ中学生だったから「運転できるのか?」と大人たちは訊いた。
僕が免許を取ったのは遥か40年以上昔だ。
2人の女性を乗せて僕は走り出した。道には砂利の代わりに百円硬貨が敷き詰められていて、帰りに拾おうと考えた。このような経緯で僕は大金持ちになったのである。
電車の窓から水田が見えた。青緑色の宇宙服を着た人が1人で苗を植え付けていた。ヘルメットをかぶって月面を飛び跳ねるように歩く姿はまるで本当の宇宙飛行士のようだ。
気づいたのだが宇宙服は青緑色なのではなく鏡面で周囲の色を映しているのだった。水田の向こうには大きな山が見えた。高くも険しくもなくただただ「大きい」
僕は窓から身を乗りだし宇宙服の農作業員に手を振ってあいさつをした。(いや敬礼すべきだったのかも知れないとあとから思った。)
‥‥電車はゆるやかなカーブを曲がり水田から離れていく。
駅の自動券売機にお金を投入したら詰まった。
スケルトンの券売機だった。詰まっている箇所が見える。カバーを開け、自力で直した。
周囲の人たちが驚嘆の目をこちらに向ける。
いやいや、たいしたことじゃあないだろう。
名乗るほどの者ではございません。
人として当たり前のことをしただけですよ(棒)
あたらめてお金を入れ直した。
すると切符の代わりに五百円玉が大量に出てきた。
すべてポケットに入れた。
「仕事は何?」と訊かれて嘘を答えた。「職人」と。
あぁ職人という嘘を答えるのは初めてだ。
「職人? 何の職人?」
「鑑定士さ」
「カンテイ? 何を鑑定するの?」
「抽象的に言えば『技』を」
「どうやって?」
そこで、あぁ、僕の周囲に「鑑定会場」が‥‥つくりあげられた。
広い倉庫のような会場。
展示された品々を鑑定して回る。
真夜中にトイレに起き出してみると居間ではテレビがついていた。この音だったのか。なんかうるさいなぁと思っていた。
「ちょっと音量を下げてくれないかな」と僕は耳栓をしたままお願いしてみた。
ソファに寝転がっている女のコは返事をしたのかも知れないが聞こえなかった。
聞こえなかったとしたらそれは耳栓のせいだろう。
トイレから女性が出てきた。入れ替わりに僕が入ろうとするとタオルを渡してきた。濡れたタオルだ。「これ、まだ乾いてないよ」と僕は言った。彼女も返事をしなかった。
あるいはしたのかも知れないが、耳栓をしているせいで聞き取れなかった。
兄と、双子の姉と、私の3人で食事をした。6人掛けのテーブルに、出てきた料理も6人前。私たちは2人前ずつ食べる。
「イカの唐揚げ、2人前はきついね」と姉は言った。
「揚げたてはいけるんだけど、冷めてしまうと‥‥」
お茶で流し込もう、と姉は言って、ペットボトルを持ってきた。
「気づいたけどあんた、今日は一言も喋ってないじゃない」と姉。
「食べるのに忙しいんだ」
「てゆうかこれ、全部食べる必要あるのかしら」
姉は珍しく眼鏡をかけている。
「あんた、何観察してるのよ」
「観察‥‥?」
「見るひまがあるなら口を動かしなさいって」
「そうだね‥‥(もぐもぐ)」
兄は仕事の話をしている。東南アジアに出張したときのことだ。現地でペヤングソースヤキソバを食べた。
「よくヤキソバの話なんかしながら違うもの食べれるね」と姉。
「あたしは無理」
「ミミズ・フェルジナンドのコスプレをしてあげる」とその子は言って、僕の髪の毛をいじった。
ヘアメイクはすぐに終わった。僕は仕上がりを確認したくなって顔を映すものを探した。
反射するものであればなんでもよかったのだが‥‥
学校の授業だった。コスプレをして教室の窓から身を乗り出すという課題だ。
落ちないように二人一組でやる。僕は本当は身を乗り出した相方を支える役だった。
「やっぱり長髪は映えるわね」としかし、その子は褒めた。そう言われると悪い気はしない。
僕の好きな背の高い女の子は首に包帯を巻いて「ろくろ首」のコスプレをしている。
「寝違えたのがやっと治ったのよ」
首が長いとそういうとき苦労するのだろう。
「ミミズ・フェルジナンドのコスプレ素敵」とそのろくろ首の女の子も僕の髪型を褒めた。
電車に乗っているとき、雨が降ってきた。僕は傘を持っていた。傘を持っているのは、僕1人だった。
雨は、ますますひどくなった。
しかし途中の駅から乗ってきた乗客も、誰1人傘を持ってない。
それは、環状線だった。1時間ほど乗っていると、最初に乗った駅に着く。僕はその駅で降りた。
改札を出ようとすると、駅員に注意された。「その傘を持ち出すことはできませんよ」
「なぜですか? これは僕の傘ですよ。外はひどい雨なのに‥‥」
とにかくだめなのだ。傘は駅で預かるという。次に乗車するとき、返してもらえる。
「本当にどうしてなの? 乗車するときに返してもらったところで、電車の中で傘は必要ないでしょう」
「必要ないのなら、駅でずーっと預かっていることもできます」
その自転車に鍵がかけられてないのを見て、僕は盗んだ。目撃者は大勢いた。「借りるだけだ」と彼らの前で言った。
100メートルほど走って、また別の、鍵のかかっていない自転車を見つけた。それに乗り換え、また100メートル走る。すると、オートバイがあった。
キーはついてなかったが、跨がると、動き始めた。エンジンはかかっていない。なのに、すごいスピードだ。
夕日に向かって、僕は走った。しばらく走った。あまりにも眩しかったので、Uターンした。すると、僕の正面に、朝日があった。
今度はその朝日に向かって、走った。眩しさが我慢できなくなるまで、走りつづけた。
王様と話す機会が与えられたのに誰も話しかけようとしない。僕は床に落ちていた挽肉を拾い集め王様のところに持っていった。そしてカレーの話をした。王様もカレーが好きなんだそうだ。
付き人がやってきて僕の挽肉を下げた。それと同時に厨房から挽肉のカレーが運ばれてきた。僕の挽肉が使われたわけではないことはわかった。しかし王様と一緒に食べるカレーはおいしくて、僕は与えられた機会を最大限に活かすことができたとわかった。
部屋のドアの前に扇風機が置いてあった。ためしにつけてみる。するとクーラーのような冷風が出た。暑くなったら使おうと思う。(それにしてもどういう仕組みになっているのだろう。)
もう昼過ぎだ。今から学校に行かなければならない。僕は卒業した高校にまたもういちど通っている。今日は大幅に遅刻だ。
今度進路指導の面談がある。
けれど先生たちは僕をどう扱っていいのかわからないでいる。
1階の居間には母がいた。「今日は学校はどうしたの?」
「今から行くよ。ってかそれ何?」
「韓国産フルーツの盛り合わせよ。これを今から送るの」
「送るって、どこに? それ、もらったんじゃなかったの?」
「これを韓国に送るのよ、そうすると抽選で葉書がもらえるの」
「えっ、葉書?」
「あんた、韓国に友達いるでしょ。そこに送るから、住所教えなさい」
「葉書もらってどうするの?」
「あのね、抽選だから必ずもらえるってわけじゃないのよ」
病院の待合室には大勢の人がいた。予約のない僕が診てもらえるかわからなかったが、いちおう整理券を引いた。(キャンセル待ちということになるのか。)腰掛けて待つことにした。
窓の側の席だった。外は曇りで、雨が降りそうに見える。「1人なの?」とおばあさんが馴れ馴れしく話しかけてきた。
「え? ええ。ええと、保険証も持ってないし、帰ろうかな」
「やっぱり、1人なのね」おばあさんは僕のとなりに腰掛け、腕を取り、体をぐいぐいと密着させてきた。
エレベーターはまっすぐではなく、渦巻き状に回りながら上昇した。
まっすぐ行く普通のエレベーターは2時間停止したままだった。いつ動き出すのかわからないというので「渦巻き」に乗ったのだが後悔した。
「渦巻き」は最上階まで行く。途中の階では止まらない。
僕は途中の階に用事がある。階のボタンはある。「これを押せばいいんですよね」と僕は言う。
エレベーターは加速する。
「17を押せば17階に止まるんですよね。そうですよね?」
と僕は言ってボタンを押す。全部の階のボタンを押す。
通路の突き当たりに案内所があってスーツを着た男女がパイプ椅子に座っている。歩いてくる僕を彼らが見ているのはわかっていたが、僕は彼らには目を向けないようにしていた。
話しかけられるのは億劫だ。わかっているよ、
と左の壁にあるドアを開けた。
そこは空の上だった。どういう仕掛けなのか1枚の細長い板が空中に浮いていて、その向こうに「客車」がある。
「板の上を歩くのです」
後ろから女が声をかけてきた。
「あいにく高所恐怖症なんでね」
僕は振り向かずに答えた。
「あちらに渡ればソファがありますよ」
「いいんだ、やめとくよ」
そこで男の方が立ち上がって近づいてきた。
「私の勤務時間はまだあるのですが、そういうことでしたら‥‥」
と言って板の上を歩いて客車に行ってしまった。
‥‥女は恨めしそうに
「あなた、もしかして女性という可能性は?」
「ないよ」
「これから女性の連れが来られるんですよね?」
「どうかな。ところで僕はまだ勤務時間前だったね」
と断って歩いてきた通路を引き返した。
「明暗が分かれるというでしょう」
「『明と明』、または『暗と暗』に分かれることって、あるのかしらね」
「明と明だったら、どこが境目なのかわからないんじゃないでしょうか」
「暗と暗でもね」
「あなたは明よね、私も明だわ」
「同じ明るさ」
「私たち、分かれることはないのよ」
「ずっと一緒にはいられなくても、同じ明るさでいる限りは」
飛行機の客室はまるで高級ホテルのスイートルームのように贅沢だった。乗客は僕ともう1人だけで、僕らの何倍の数の客室乗務員がいた。
そのもう1人の乗客というのは大統領の奥さんだ。仕切りの向こうの、おそらく僕のいる部屋よりももっと豪華な客室に乗っている。僕は挨拶に行った。
彼女は占い師を思わせる格好をしてテーブルの向こうに座っていた。客室は赤い敷物とカーテンに覆われていて暗い。「ずいぶん遠いところからいらっしゃったのね」と彼女は言った。僕のことを知っているようだった。
「そして遠いところまで行くのよね」
「ええ、まぁ、奥様と同じところまで」
「私は降りないのよ、この飛行機からは」
僕は実は来月もまた○○国を訪れるのにこの飛行機に乗ると言った。
「降りて、また乗る」
「そうですね」
1人で飲んでいると、知り合いの男がやって来て誘ってくれた。
「向こうのテーブルに来ないか、ドイツから○○が、フランスから××が来日してるんだ」
「知ってるよ、実は彼らとはここで待ち合わせていたんだけど‥‥」
「そうだったのか? あいつら、お前抜きで飲んでるぞ(笑)」
男と一緒に彼らのテーブルに行くと、2人はもうだいぶできあがっていた。
「遅かったじゃない」とフランス人の女は言った。
「うん、場所わかんなくて」
「俺たちは、お前に会いにきたんだぞぉぉぉ」とドイツ人の男は言った。
そして鼻からビールを吹き出した。「クジラ」という、彼が昔から得意としている一発芸だ。
どこからかミサイルが飛んで来た。標的が何だったのかはわからないが、とにかくそれに命中して、それは爆発した。その爆風に乗って、僕はジャンプした。空高く舞い上がった。
空には、サーフボードのような細長い板が1枚浮いていた。僕はボードに飛び乗り、雲の海を滑った。眼下に、ひどく小さい富士山が見えた。
僕は1人で登山をした。連れの女性は「寝てないから」と言って断った。登山と言っても大した山ではない。人工的につくられた山で、登山道もよく整備されている。
山の中腹にテーマパークが建設中だった。サンリオのキャラクターとつくりかけの城が見えた。建設作業員はみんなアイドルのような美少年、美少女で、登山中の僕に笑顔で手を振ってくれた。
もしかしたらこの山自体がテーマパークの一部なのかも知れない。登山というのもアトラクションで‥‥
山頂に着いた。そこは海抜ゼロメートルで、海岸と港があった。砂浜に老夫婦が座っていた。奥さんがご主人に、「お父さん、来てよかったですねぇ」と何度も繰り返している。
海岸にはやたら長いバゲットが置いてあった。何十メートルあるのだろう。食べられるのかどうかわからない。僕は記念に写真を撮った。
二足歩行する白い象が、黒い傘をさし、降りしきる雪の中を歩いている。象の背丈は僕と同じくらいだったが、子象というわけではなさそうだ。どこへ行くのだろう。
というか、ここはどこなのだろう。都会の真ん中のはずだが、あるはずのものが何もない。地平線の果てまで見渡しても‥‥
象を追いかけた。
それと不思議なのは雪に足あとが残らないことだ。象の足あとも、僕の足あとも。傘の黒だけが目印だった。
いつの間にか雪はやみ、象は黒い傘を畳んだ。そうすると白い雪に、象の白い体が紛れて見えなくなった。
友達が部屋に持ってきたCDを聴く、立ったまま、抱えた頭を揺らして。「とても斬新な聴き方だ」と彼は褒めてくれたので、僕は彼の音楽の好みを「センスがいい」と褒めた。そうしてさらに強く頭を抱え、大きく揺らした。
熱い音でできたプールの中に頭を突っ込んで限界まで呼吸を止める。顔を上げて、激しく息を吸い込む。そうすると音楽が肺の中に入ってくる。ずうっと目は瞑ったままだ。ちなみに僕は泳げない。
曲が終わった。僕は疲労している。「もう休もう」と友達は言って、トイレに立った。彼は部屋に泊まっていくつもりだ。僕が床に布団を敷いていると、戻ってきた彼も手伝い始めた。
「トイレで父に会ったかい?」と僕は訊ねた。
「いや、トイレには誰もいなかったよ」
「そうか、父はいつもトイレにいるんだがな」
「男親ってのは‥‥そんなもんだよな」
僕が冗談を言ったのだと思って友達はそんなことを言う。
社員食堂のようなところに集まっていた僕らの首にロープがかけられた。処刑がまさかこんな食堂で執行されるとは思わなかった。あっけないものだ。
次の瞬間僕は床に倒れていた。首のロープは外されている。意識はあった。死んではいない。「彼ら」が僕たちを見て言う、
「まだ足がピクピクしてるぜ」「キモチわりー」
ここは死んだふりをしていた方がよさそうだ。目を閉じたまま考えた。周りの死体は足をピクピクさせているらしい。僕もマネてみる。
そのうちに「彼ら」はどこかへ行ってしまった。
僕は目を開けて周囲を見た。みんな生きていて足をピクピクさせている。生きているのだ。全身をワザとらしくピクピクさせている者もいて、それはたしかに‥‥気持ち悪い。
冷蔵庫の扉を開けると中に僕がいた。僕は冷蔵庫の中にビールの缶を積み上げている。声をかけようか迷った。
その缶ビールは僕が買ってきたものだが、僕は酒は飲まない。「僕は酒は飲まないんだよ‥‥」結局声をかけた。
だが彼は振り向かなかった。
冷蔵庫の中にはビール以外に何の食材もない。僕は憐れむような気持ちで冷蔵庫の扉を静かに閉めた。そして今見たことを忘れようとした。
僕は何となく、憐れむような気持ちで、冷蔵庫の中に、ビールの缶を積み上げている。
冷蔵庫の中にはビール以外に何の食材もなかった。
その缶ビールは僕が買ってきたものだが、僕は酒は飲まない。
「僕は酒は飲まないんだよ」わざわざ口に出して言った。
僕は見下している誰かのために、そうしてあげたのだ。
早指しの将棋の大会で女性が優勝した。まだ10代のように見える髪の長い女性だ。総当たり式のトーナメントで、1つ勝つたびに、皿(ボウル)が1枚もらえる。女性の背丈よりも高く積み重ねられた皿。全部を持ち帰るのは無理だ。
家の中で自転車を押して寝室まで行った。真っ暗な部屋の隅に自転車を置いた。置くときにガチンと音がして、自転車の周辺がほんのり明るくなった。
昼間だったが彼女はもう寝ている。夜になったら起き出すのかどうかわからない。いちど目を覚ますくらいはするだろう。そのとき自転車を見れば僕が来ていることに気づくはず。(大きな赤い自転車だ。)
僕は寝室を出てキッチンに戻った。壁の一部が透けて外が見える。デパートが並ぶ大通りで、車道が歩行者天国になっている。色とりどりのアドバルーンが浮いている。スマホを向け写真を撮った。しかし写っていたのはただのキッチンのクリーム色のタイルの壁だった。
僕は本物の窓を探した‥‥それは彼女の眠る寝室にあることは知っていた。外へ出る扉も寝室にある。扉の前にベッドがあり、彼女は眠っている。
服を選んでいる女は、スマホで自撮りをしながら電話の向こうの彼氏に、似合うかとかどうとか訊いている。男には同情してしまうが、それは僕の思い込みで、意外と楽しんでいるのかも知れない。
僕は壁に大きなポスターがたくさん貼られている階段をゆっくりと下りた。画鋲が取れてだらんと垂れ下がっているポスターが何枚かある。何のポスターだろう。足元に画鋲が落ちているかも知れない。その2つのことを同時に考えると、それで頭はいっぱいになった。
階段を下まで下りてみると、脱ぎ捨てられたビーチサンダルが‥‥。なぜか裸足だった僕はそのサンダルを履き、階段の上の方を振り返った。
廊下に赤い絨毯が敷かれ、壁も赤かった。天井の色は覚えていない。木のドアが何枚か並んでいる。そこは「関係者」の部屋だと教えられていた。
朝の8時過ぎだった。そのドアが一斉に開き、中からスーツ姿の若い男性たちが出てきた。ワイシャツを着てネクタイを締めているが、上着は着ていない。
僕は彼らを見て、とくに根拠もなく、プロ野球関係者だと思う。選手やコーチではない、スタッフか。
ドアは開けられたまま、中が見えた。想像よりずっと狭い部屋だ、(彼らはここに住んでいるわけではない。)
刀を構えた男があまりにもオドオドしているのを見て熊は吠えるのをやめた。
熊は襲う気をなくしたようだ。それはその男の作戦でもあった。
僕が風呂に入っている間、庭ではいろんなことが起きた。
「熊にも刀を持たせてみよう」ある見物人は言った。
「おお!」「それはいい考えだ」
熊と人間の真剣勝負を見にたくさんの人が集まっていたのである。
「始まるぞ」「見に来ないのか?」
僕を呼ぶ声が聞こえる。
健康診断で体重計に乗った。出た数字を見て看護婦が驚いた。31キログラム。
そんなはずはない。「壊れてるんですよ」と僕は言った。「この体重計は」
だが、たしかめるためにその看護婦が乗ってみると59キログラムであった。まぁそんなもんだろう。
壊れてはいないようだ。
看護婦の心の声が(この28キロの差は何なの?)と。
「僕の方があなたより28センチほど背が高い」
「何てことを口に出すの」
僕は再検査を受けなければならないようだ。
2人の女の子はスマホを見ている。「時報が鳴る」と言う。「地球の裏側で」
「何時の時報が?」
「正午よ」「決まってるじゃない」
僕たちは息をひそめてその時を待つ。
プッ、プッ、プッ、ポーーーーン。
「鳴ったよ」と僕は言った。しかし彼女たちはスマホから顔を上げない。
「鳴ったよ!」もういちど僕は言う。
「そうね」と彼女たち。
「歩き出しても、いいころよね」と1人がまっすぐ前を見て言った。
「どこへ?」
何を言っているのかしら、この人は?(そういう顔をする2人。)
「歩き出す‥‥?」
僕もその表情を真似てみるのだった。
その女が逃げたから僕は追いかけた。僕が追いかけたからその女は逃げた。どちらなのかわからないが、僕がつかまえたからその女はつかまったのだ、僕に。
僕は女の手袋を脱がせた。彼女には指が1本もなかった。ドラえもんのような手をしていた。「指をどこにやった?」と僕は問いつめた。
「手袋を返しなさいよ」
「指の在処を教えろ、そうすれば‥‥」
「指なんかないわ」
そこで僕の同僚が追いつき、女に手錠をかけた。「指を返してやれ」と彼は言った。
「これは指じゃない、手袋だ」
同僚は「‥‥削減」という言葉を口にしたかも知れない。しなかったかも知れない。
「いいから返すんだ」
手袋はいつの間にか真っ赤に染まっている。
研究所に彼らがやって来て爆弾をあちこちに仕掛けていくのを、何もせず僕たちは見守っている。それは「演習」だった。
彼らが引き上げたあとで爆弾の撤去に取りかかった。仕掛けられた爆弾はリンゴのかたちをしていて、それを僕たちは1つずつ透明なビニール袋に入れ持ち寄った。
ビニールに入れるのは爆発したあとで飛び散らないようにするためだ。
「本当に爆発するんですか?」若い研究員の1人は馬鹿馬鹿しくて仕方がないといった様子である。
「というかマジで爆発するんだとしたら、ビニールで飛び散りが防げるわけがないでしょうに」
「お前はあれだ、コロナのときも、マスクで感染が防げるのかと嘲笑っていたクチだな、隠謀論者か」
「あぁわかりました‥‥わかりました、やりますよ」
それからはもう誰も何も言わない。やがて箱いっぱいになったリンゴを先程とは別の「彼ら」が来て回収していくまでは。だが予定されていた時刻はとうに過ぎてしまった。
広い部屋に狭いベッドが何台も並んでいてそこに寝ているのは全員が大人の男だ。女子供はいない。あとになってから僕は野戦病院みたいだと思うが、僕たちはみな病気や怪我で寝ているわけではない。ただ眠たいのである。
1人だけ眠れないでいる男がとなりに横になっていて、僕も目を覚ましているのに気づくと話しかけてきた。
「‥‥とするとあなたはジャック・ロンドンの著作には価値がないとおっしゃる?」
僕はいったいいつこの男に文学の話などしたのだろう。初対面のはずだが‥‥
「そんなこと言いましたっけ? 僕はジャック・ロンドン好きですよ。太く短く生きる人生の儚さというのかな、初期のヘミングウェイに与えた影響も無視できないと思いますし‥‥」
そう答えると彼は大きく頷いて、「心の友よ」と僕を呼び、自分のベッドに入ってくるよう誘った。
「私は医者なんですよ」と彼は言った。やや小声で、
「そして大金持ちだ。残念ながらあなたは貧乏人ですな」
「どうして知ってるんですか?」
「見ればわかりますよ」
僕は彼のベッドに入っていった。と言っても、ただ眠るために。彼のベッドはキングサイズで寝心地もよさそうだ。金持ちというのは嘘ではなさそうだ。
「私はこの間葬式に行って」と彼は話しつづけている。「百万円の香典を出した。金持ちだからです‥‥」
近くに寄ると彼の息は煙草と酒の匂いがして不快だったが、ベッドは最高ですぐに眠くなった。彼はこんなベッドでどうして不眠になどなっているのかわからない‥‥
夢の中で本の頁をめくっていた。それは脚本のようだ。台詞はところどころ滲んで読めなくなっている。頁をめくるたびに読めない台詞は増えていく。そのうち白紙になってしまった。
最初の頁に戻ってもういちど読み直そうとしたがそこも既に白紙だった。本を閉じた。表紙にも何も書かれていない。ならノートとして使おうか。しかしそれはただの1枚の板だ。開くことができない。
古い公会堂で行われた映画鑑賞会だった。入口で靴を脱ぎスリッパに履き替えた。映画を撮影したカメラマンがゲストとして登壇した。だが彼女の話の途中でほとんどの客は帰ってしまった。この近くで同じ映画が上映され、そちらには主演女優が来ているからだ。
最後まで残っていた僕も席を立つ。その直後にカメラマンの話は中途半端なところで終わった。僕はスリッパを履いたまま、靴を手に持って主演女優が来ている会場へ向かった。そこには友達がいて僕の席を取っておいてくれていた。
椅子‥‥ではなかった。会場に椅子はなかった。長いテーブルが用意されていて観客はその上に座る。さらに遅れてもう1人の友人がやってきた。彼はお土産だと言って何人もの観客にサンドイッチと豆腐を配ったが、僕には何もくれなかった。
「この豆腐は、もしかして僕の分?」
「どうしてそう思うんだ? お前が日本人だからか?」
注文した料理がなかなか来ないので厨房を覗いてみると料理人の1人が倒れていた。病気か。仕方ないので自分の分は自分でつくろうと思ったがオーダーは溜まっている。
他の2人の料理人は新米のようで僕が仕切るしかないようだ。「安心して休んでください」と僕は倒れた料理人に声をかけた。「厨房は僕が守ります」
自分の分は後回しにしてオーダーを捌いていった。僕の調理法は簡単で「味の素」で味を整えるだけだ。最後に残った女性の1人客のテーブルに僕は自分でパスタを持っていった。その女性は「とてもおいしい」と言って泣いたが、泣いたのは料理のせいではないだろう。
閉店したあとに僕はやっと自分の料理をつくることができた。大盛りにしたが許してもらえると思う。そのときにはもう食欲がなくなっていたが、レストランのいちばんいい窓際の席に座って時間をかけて食べた。窓からは夜の港が見えてロマンチックだった。
ピアノを弾く僕の前に、もう1台ピアノがあった。そのピアノの向こうに、またもう1台のピアノがあり、世界的巨匠が弾いていた。その向こうは客席だった。
巨匠の演奏が終わった。そのあとも、僕は少し弾いた。
今、僕とその巨匠は、テーブルを挟んで向かい合っている。
テーブルの上には、外された紫色のマスクが1つ、(誰のマスクだろう?)そしてヨーグルトが1つある。
ヨーグルトも紫色だった。ブルーベリーのソースがかけられている。僕は巨匠の目の前でそれを食べる。巨匠の目の色もヨーグルトの色だ。
少女は「夢」と言い、ヒロスエは「有名」と言う。
眼鏡が似合う少女が僕に話しかけてくる隣で、ヒロスエも僕に話をしている。聞いてあげなければならないが、2人同時に話しているので難しい。
いま話題は、眼鏡のことだ。
ヒロスエを無視して、「とてもよく似合うね」と少女を褒める。
「ブス」
「すごいブス」とヒロスエは言った、僕に向かって。少女に対してではない。少女は聞いてない。
少女は「有名」と言い、ヒロスエも「有名」と言う。
ヒロスエは、バッグの中から眼鏡を取り出してかけた。
「似合うね」と僕は言った。
「英語、教えます」と書かれた紙を持った少女が夜の街角に立っている。
「へへっ‥‥一発いくらなの?」サラリーマンふうの酔っ払いが声をかける。
「三千円」と少女。
「いいねぇ。ここで?」
「前金で払ってちょうだい」
「犬って英語で何て言うの?」
「ドッグ」
その金槌は金属製ではない。使い物にならない。僕は金属製のやつを借りにいく。
「その金槌は金属製ですよね?」
「兄ちゃん、変なこと訊くねぇ」
「鋏も、ペンチも?」
借りてきた。鋏はとても切れ味がよい。
それを僕は研ぐ。
気づかないで助手席のドアを開けてしまった。俳優の江口洋介の隣には彼のお兄さんが乗っていた。僕は後席に乗るのだ。
あまりにもそっとドアを閉めたせいで半ドアになってしまう。
「構わないさ」と江口洋介。
そのままアクセル全開で走り出す。
彼と僕は映画に出演していた。彼が主役で、僕は限りなくエキストラに近い脇役だったが。
なぜか江口洋介は今日の食事に僕を誘った。本当にどうしてだろう。僕は彼のお兄さんが来ることも知らなかった。
広場には、囲碁や、将棋を楽しむ多くの人たちがいた。僕は、見るだけだった。
この広場にバスが来ると聞いて、待っている。
しかし、どうも違う。ここでバスを待っている人など誰もいないことに気づいた。僕は何を聞いてきたのだろう。
広場の向こうに舗装された道があり、そこにバス停らしきものもある。待っている人もいる。ここにバスは来ますか? 僕が訊ねると、来ないと言う。
バスはあの広場に来るんだよ。
老人が囲碁をやってるだろう、あの、ど真ん中にさ‥‥
でっかいバスが来て、何もかもめちゃめちゃにしていく。
エレベーターが来ない。待ち合わせに遅れてしまう。
ホテルのエレベーターホールには、僕と同じように、イライラした様子の宿泊客が、多数いた。
「バックスペースに、従業員用のエレベーターがある」
誰かが言った。移動することにした。
非常階段もあったが、そちらは、積み上げられた段ボールの箱で塞がっている。
ロビー脇のカフェで、友人が待っているはずだ。
若い女性2人を紹介してくれるという。
早く行きたい。
あぁ、向こうからやって来た。
階段を上ってくる。
段ボールの山をかきわけ、若い女性が2人‥‥
ショーウインドーの前にバスタブがあり、中年の男性が浸かっていた。
夏の午後僕は大通りを歩いてきた‥‥ブリーフ1枚で歩いていた。
全部脱いで、湯に浸かった。
脱いだブリーフは、信号機にひっかけておく。
信号が青になるのを待っている人々は、信号ではなく、僕のブリーフを見ることになった。
(ちなみに僕のブリーフは見られて恥ずかしい類の下着ではない、念のため。)
中年の男性は僕と入れ替わりに上がった。
バスタブの縁に手をやると垢がこびりついていた。あのおじさんの皮膚組織だろう。僕は手のひらでそれをこすり落した。
綺麗になったバスタブの中におばあさんが入ってきた。
僕は礼儀正しくおばあさんの体を見ないようにしているが、おばあさんは僕に顔を向けて話しかけてくる。
さて、どうすればいいだろう。おばあさんは観たばかりの映画の話をしている。
僕は通りの向こうの時計台を眺めながら、その話を聞いている。
もう4時半になる。仕事に行く時間だった。
僕は失礼して風呂を上がった。信号機にかけておいたブリーフを穿いて出発した。
まっすぐ歩くと仕事場だった。小松菜が1つ入った箱がある。
僕はその箱から小松菜を取り、手に持ったまま仕事が終わるのを待った。
それが今日の稼ぎ(日給)というわけだ。
周囲には僕よりもっといいものが入った箱を手にした同僚もいるが、比べても仕方ない。