詩集どうでしょう?
詩を書いて出版しました。
彼は就職活動を始めたという。彼は小説家だったが、9本もの連載を抱えてパンク寸前だった。
小説の原稿が入った赤いボストンバッグを持って僕に会いに来た。
「そのバッグに何が入ってるの?」僕はとぼけて訊いた。
「うん、着替えとか、あとは洗面用具だよ」
遠くで踏切がカンカンカンと鳴る。
「ちょっとの間、預かってもらえないかなぁ」
僕は返事をしなかった。
すると踏切の音が、どんどん近くになった。
「‥‥本当はさ、もう死んでるんだよね?」
「え?」
「電車に飛び込んだんだ? 原稿用紙抱えて」
「今どき原稿用紙に手書きしてる作家なんていないよ」
これから就職の面接があると言って、彼は行ってしまった。
バッグの中に入っていたのは、下着と、タオル、そしてどこかのスーパーのポイントカードと、汚れた紙幣の束だった。汚れは排泄物か、血だろう。両方かも知れない。
紙幣は500万円はあっただろうか。
カードは割れていた。そのカードに全額現金チャージしてくれ、とメモがある。
誰かが新しいゲームをつくった。「僕」というゲームだ。
「僕」は道を歩いたり、地下鉄に乗ったり、外食したり、店で買いものしたりする。
みんなが夢中になって「僕」で遊んだ。
僕は町でただ1人、そのゲームのルールも、終わりも何も知らされないままだった。
みんなは僕に会いに来て、僕の様子を見て、それからスマホの「僕」に目を落して、勝ってるとか負けてるとか言う。
思い出してみると、みんな変だった。帰りの飛行機の中で、誰もがキスしていた。それは「別れのキス」だというのだ。
キスをする相手がいないのは、僕だけらしい。
やがて、別れの儀式が終った。みんなが、僕のようになった。(キスの相手が消えていなくなった、ということである。)隣の座席に、紫色の花。さっきまではなかった。誰かが僕を見つめている。
それは、自動運転のバスだった。運転手の制服を着た女性は、何のためにいるのかわからない。彼女は僕たち乗客と一緒に、席に腰掛け、スナック菓子を食べている。
「食べる?」と言って、菓子の袋を持ち、僕の側に来た。
「ありがとう。でもいらない」と僕は答えた。そのとき、バスは前方で起きた事故を避けるように、脇のトンネルの中に入った。
トンネルの中は「青森」だった‥‥
男は上半身裸で、女も水着のようなものを着て、道を歩いている。それを見て
「アオモラー」と運転手は言った。「私、青森出身なの」
「こういうの、恥ずかしくて‥‥」
「だから東京に出てきたの?」と僕は訊いた。
歩いていると、前から新幹線が来て、時速300キロで、僕とすれ違った。ちょうど僕は、新幹線たちの通り道に、入ってしまったようだ。危険は感じなかったが、(感じた方がいい。)しかし僕は、うっとりと麻痺したようになって、頭の中で、すぐ脇を通り過ぎる新幹線の様子を、何度も何度も、スロー再生していた。
小さな飛行機から降りて、歩いた。荷物は何もなかった。(飛行機は僕よりも小さかったので、乗せられなかったのである。)
繁華街を抜けた。昼時だが人は少なかった。セルフサービスの食堂に着いた。ここ、と言われていた場所だ。ランチタイムの終わりかけだった。
皿にレタスを取った。(ドレッシングは最初からかけられている。)それからマグロの刺身と、パンを取った。理想の組み合わせとは言えないが、それしか残ってない。
飲み物は酒しかなかった。缶ビールと、瓶に入った日本酒。それを持って、席についた。
近くに、聞いたことのない外国語を話す人たちが固まって座っている。
ちょっと目を離した隙に、彼らの1人が、僕のビールを飲んだ。「飲んだだろ」と僕は日本語で文句を言った。「おい、飲んだだろ」通じないのはわかっていたが、口調でこちらが怒っていることは伝わるはず。
彼らは、僕のパンも齧った。「刺身はいらないのか‥‥」と僕は言った。
そこは病院のように見えるホテルだった。ホテルのように見える病院だった。よくわからない。僕は廊下を歩いている。どの部屋の扉も開けっ放しで、中が見える。
ホテルの客室のように見えるし、病院の個室のようにも見える部屋。
部屋の中には誰もいないが、廊下は人でいっぱいだ。
後ろから来た誰かが、僕を目隠しして「だーれだ?」をしてくる。ドスのきいた男の声だ。「あだち充、漫画家」僕は答える。「『タッチ』の作者」
4人で焼き肉を食べていたところ、彼は追加で40人前注文すると言った。そんなに食べ切れない、と僕たちは反対した。カネの心配はするな、と彼はズレた返答をした。この券を使えば無料だ。
店員にその無料券を渡し、「40人前」と言った。
僕たちには「もったいないから全部食べるんだぞ」
彼は権力者だ。
僕たちは黙々と食べつづけた。途中、1人が気分が悪くなり倒れた。救急車を呼ぼう、と僕たちは言った。私が呼んでくる、と権力者は言った。そうして店外に出て、通行人のおじさんを連れて来た。「この人をおぶって、病院まで運ぶんだ」と権力者はおじさんに命じた。
ありがたい。空から蜘蛛の糸が垂れてきた。違った。それは人間の指と指で編んだロープだった。爪は剥いであった。指はすべて人さし指だった。(どうして人さし指だとわかるんだろう?)
ところで僕はそれを伝って、天までのぼろうとしたわけではなかった。下におりようとした。高いところは苦手だ。
不採用通知の葉書の中から1つ選び「不」の文字を修正液で消した。それを持ってその会社に出勤する。ここは映画の配給会社だ。
給料はもらえるのかどうかわからなかったが、仕事はたくさんあるようだ。(みんな忙しそう。)僕もとりあえずいることにした。「同僚」の女子社員を映画に誘ってみる。それは重要な仕事だと感じる。
僕は将棋を指している。相手が誰なのかわからない。どこなのかわからない。
最初の対局は僕が勝つ。次は相手が勝つ。そうすると自分がどこにいるのかわかる。ここはライブハウスだ。
壁のポスターを見る。聞いたことのないアマチュアのロックバンドだが、ミスチルが「監修」しているようだ。最近はこれが増えた。監修。
具体的には何をするのかわからない。
それはミスチルがやり始め、多くのアーティストが後につづいた。
次の日のライブに出演するバンドを「監修」するアーティストたちも豪華だった。
ステージに沢田研二本人が登場して1曲歌だけった。
ジュリーが監修しているのはジャズのピアニストである。僕は興味を引かれてそのライブに足を運んだ。
目隠しをして歩いていたら人とぶつかった。
「すみません」と謝ったのだが「公務執行妨害だ」と手錠をかけられてしまった。目隠しを取って見てみると大柄な警官だ。
「目の不自由な人の気持ちを体験しようという研修なんです」
警官はその説明も聞かずにぐいぐいと僕を署へ引っ張っていく。繁華街で、大勢の人がこちらを見ていた。
だがその途中、手錠は外れていた。(いつの間にか僕は自由だった。)
僕は人混みの中を走って逃げた。警官は追ってこなかったが、僕は走りつづけた。
たくさんの人とぶつかり、1人ひとりに「すみません」「すみません」と謝った。
僕と友人は卓球を楽しんでいた。ラリーが長くつづいた。と、突如卓球台の上に木が生えてきた。邪魔だなぁと僕は思った。
木は人間の足のかたちをしていた。「切ってしまおう」と友達は言い、僕たちの試合を観戦していた彼のお母さんと一緒に木を切り始めた。
木は簡単に切れた。
木を手渡し、「さぁ捨ててくるんだ」
友人は突然命令口調になった。
「捨てるって、どこに?」
「自分の頭で考えるのよ」と彼の母親。
僕は人間の足のかたちをした木が他にも生えていないか探してまわった。
変わった木だが、同じような木のそばに捨てればまぁ目立たないだろうと思ったのだ。
誰かが僕の肩を掴んで、「出陣だ」
ドアのそばにダーツの的がかかっている部屋。
日本がアメリカに宣戦布告したとき、僕は軍隊にいた。
我が軍の作戦はこうだ。クローンである僕たち3200人が、繰り返し自爆攻撃を仕掛ける。同じ人間が何度でも蘇って、突撃する。
相手は気味悪がって、降伏するだろう。
「そんなに上手くいきますかね?」僕は疑問を口にした。
「たった3200人の軍隊が、大国を相手に‥‥?」
上官は僕をギロリと睨み、だが何も言わす、だらしない無限大の記号が刻まれている白い錠剤を手渡した。
「‥‥ハッピーになれるクスリですか」
仲間たちはそれを飲んで、もう戦争に勝った気でいるようだ。
背の高い女の子が、手を上げて僕を呼んだ。彼女はバレー部のエースだ。僕も帰宅部のエースとして、仲良くしている。彼女は言った、「部活とは別に、バレー愛好会をつくろうと思う」
「入会しようか?」
「ふーん」
「ふーん、って」
「入会しようか、だって。何よ」
「何が?」
校庭のグランドを、生徒が取り囲んでいた。「観客」だろうか? 入会希望者か? グランド上には僕たち2人。2人だけの、
バレー愛好会。
ステージに並んだ、3台のグランドピアノと、3台のオルガンが、クラシックのピアノ曲を、ユニゾンで奏でている。迫力だ。
そのコンサートは4時間つづき、2時間の休憩を挟んで、さらに4時間ある。「出前を注文したわ、あなたの分も」ピアニストの1人が、演奏を中断して、最前列の僕に呼びかけた。
「俺に何を注文したって?」
「カツ丼!」大声で。
彼女は、イブニングドレスを着て、リュックサックを背負っている。その中に入っていた花火を、僕に手渡し
「打ち上げるのよ、曲に合わせて」
「曲の途中でか?」
「行っけー!」
僕の目の前。
飛行機が普通に飛んだり。
そのあとで、後ろ向きに飛んだりした。最終的には、ラーメン屋の屋台になった。
翼の生えた金属製の屋台だ。
そこに、僕の席が予約してあった。「重役」と書かれた席の隣だった。
「重役」の向こうは「キムタク」
僕は1人でラーメンをすすった。
重役もキムタクも現れなかった。
後ろからしていた。女は気持ちよさそうだったが、こっちはそうでもない。少し萎えた。女がどんな表情をしているのか、見てやろうと考えた。しかし、何をしても叶わなかった。正面の大鏡にも、映ってなかった。
鏡の中には、うつ伏せになって寝ている、別の女がいる。その女のところまで移動して、振り返ってみた。顔が、見えるはずだ。けれどベッドには、誰もいなかった。
「どこへ行ったんだろう?」うつ伏せの女に訊いた。
女の背中から腰にかけての線は、メビウスの輪を思わせた。無限の繋がり。
「忘れ物を取りに行くって、言ってたよ」女は答えた。
「忘れ物?」
それ以上の答えは、返ってこなかった。忘れ物というのは、寝ぼけて言った言葉だろう。うつ伏せの女は、眠ってしまったようだ。
土の中に、大男が住んでいた。大男は、人食いだった。土の中に住む人間を捕えて、食べていた。
大男は、姉妹を見つけた。妹を食べて、姉をさらった。家に連れ帰った。目の見えない姉を、妻にしようと考えたのだ。
「妹はどこ?」姉は大男に訊いた。「向こうの部屋にいる」すぐにバレるような嘘を大男はついた。「コーラを飲んでいるぜ」
「コーラって何‥‥?」
大男の家の冷蔵庫からコーラを取って飲んでいたのは僕だった。
「これがコーラ、地上の飲み物です」僕は盲目の姉の手にコーラの缶を握らせて、
「色は赤ですよ、奥さん」と教えた。
魚が空を飛んでいる。翼があるわけではないが、自然に飛んでいる。とても大きな魚で、僕には尾ひれの部分しか見えない。頭は地平線の向こうにある。
僕はその魚よりも、少し高いところを飛んでいる。
僕は鳥ではなかった。
翼があるわけではなく、人間の姿をしていたが、飛んでいた。眼下には青い色が見えた。
上にも、前も、後ろも、青だった。僕は青色に囲まれている。それでいて僕は青くない。
水槽が3人がかりで運ばれてくる。その中に人間の女がいた。水中で、まったく息をしていない。もしかしたら生きているのかもわからないが、僕の目には死んでいるように見える。
「これですか?」運搬人の1人が、僕に訊いた。「これですよね?」
「これじゃないよ」僕は答えた。
「何だよこれ」
「ですから‥‥これ」
彼らは水槽を僕からよく見えるように、少し高い位置に置き直した。
手品でもやろうというのか、彼らは食卓の白いテーブルクロスを剥ぎ取り、その水槽を覆う。実際、手品だった。再びテーブルクロスが取られると、そこにはもう水槽も女の死体もなかった。そこにあったのは、綺麗に畳まれた白い服だった。外科医が手術のときに着るような、スモッグだ。
小学校のときの同級生から電話があった。「今私ロンドンに住んでいるの」
「ロンドンまで電車でどのくらいだっけ?」 僕はAIに質問した。
「3時間ほどでございます」
僕は元同級生に、「今から遊びに行っていい? 昼には着くと思う」
実際は2時間しかかからなかった。
.
ロンドンに着いた途端雪が降り出した。「ロンドンの天気は変わりやすいのでございます」とAIは言った。「何も訊いてないよ」と僕は言った。
彼女が教えてくれた住所まで行く。そこは貴族が住むような大豪邸だった。(どうなってるんだ、AI?)
「ここに○○さんはいますか?」住人と思われる髭の男性に訊いた。
「いません」彼のAIが日本語で答える。
「しかしせっかくいらしたのですから」と男性はお茶を出してくれた。
.
帰りは彼のモーターボートに乗って運河を駆けた。「ボートで駅まで送りましょう」と彼は言うのだ。
「ただし燃料代は負担していただきますよ」
「燃料は何ですか?」と僕は訊いた。「燃料そのもので支払います」
エレベーターの扉が開くと、そこは客室の中だった。ちょうどよかった、5Fの私の部屋だ。私はバスルームの鏡でヘアスタイルをチェックしてから、部屋を出た。
一緒に降りた男性は、廊下の先を歩いている。後を追った。その男性の部屋の中に、また別のエレベーターの扉がある。そのエレベーターに乗って、さらに上に行く。男性が部屋の扉を押さえて、私を待っていてくれる。(ありがとう、と私は言う。)
B組の犬が教室の床を雑巾掛けしている。先生は猫だ。そこは美術館ならぬドラマ館。テレビドラマの世界を体感できる。連れの女のコは毎週来ているとか。僕は初めてだ。
妹が猫八先生に怒られている。妹はこんなドラマに出ていたのか。僕は驚いて「あれ、妹だよ」と言う。「何をやらかしたんだろう?」
猫八先生は言った、「老人はアイディアを持っている。しかしそれを実現する体力と気力と、人生の時間がない」
「出た、名台詞」と連れの女のコ。
「ひでぇなぁ」と僕は思う。僕も妹もそんな老人ではない。
距離が、冒涜であった。車の中は、鏡張りだった。シートも、背もたれも天井も床も、すべて鏡面仕上げ。しかしそのどこにも、私は映っていないようだった。
不思議と奥行きのない鏡の表面と、私との距離が、少しずつ離れていくような感じがする。それが「加速」の感覚だった。車はどこへ向かっているのかわからない。
私は後席に座っていて、自分を取り巻いている鏡の表面が、また少しずつ後退していくのを感じている。
車は無限に加速しつづける。何の脈絡もなく「美しい」ということを思った。(そんなことを思うとは。私はなんて悲しいんだろう。)
気づいてみれば車は停止していた。着いたのだ。
運転手が降りて後席のドアを開けた。
私は車の中で立ち上がって、歩きだした。ドアは遥か彼方にあって、そこに辿り着くために、また車に乗らなければならない。
テーブル上に窓が浮かんでいた。その窓の向こうに「景色」が見えた。
いや‥‥何が見えているんだろう。
僕たち4人は料亭にいた。隣に座った大作家が僕たちにビールを奢ってくれた。
しかし「僕は飲まないんですよ」そう言って断る者が2人。僕と、作家のマネージャーだ。
作家は彼のマネージャーを罵る。
「それに5分後に新幹線が‥‥」せっかくの料理も断る他ない。
「何のことだ?」
動き始めた「景色」を指差し、席を立つ僕。
野糞をしているところに犬を連れた男性が散歩に来たが期待どおり僕のウンコを持ち帰ってくれた。
彼はきっと空っぽの瞳をしている僕と目を合わせないように顔を伏せたまま足早に立ち去る。
シャツの裾をズボンに入れながら見送る僕のことを振り返って犬は何か言いたげである。
教室に消毒剤が撒かれたとき女生徒が2人まだ食事中だった。白い粉が空中を舞った。女生徒たちの髪とお弁当のおかずが白くなった。
彼女らは気にせず食べつづけた。髪の色はすぐに元に戻った。
廊下に待機していた僕たちは雑巾を持って教室に入った。ガラスの窓を吹き始める。
そんな中、女生徒たちは悠然と食事をしている。
冬眠前の最後の食事だ。
「その瞳の‥‥オレンジ色‥‥」
「うん?」
「生活指導の先生に何か言われない?」
「目を開けて眠るわけじゃないから」
「ははは」と僕。
彼女たちは僕の方にふっと顔を上げ
「‥‥何見てんのよ、男子」
それは僕の今年最後の記憶になる。
卵。カートにたくさん載っている。それを別のカートに移し替える。それが僕の仕事だった。今日はいつもの倍のカートが来た。新人が手伝いに来た。誰に言われて来たのだろう。正直足手まといである。
追い返した。(1人で充分である。卵の扱いは難しいのでR。)
僕は余裕を見せつけるために、服を積み替えてる人のところへ手伝いに行った。
そいつはオーストラリア旅行から帰ってきたばかりだった。古着マニアだ。オーストラリアにはリーバイスのお宝がたくさん眠っているとの話。
夢を買ってくれるという男の家につづく急な坂道にはまだ雪が残っていた。車はスリップして上がれないようだった。やはり徒歩で来て正解だった。高級SUVが停められた駐車場まで歩いた。そこから先はピラミッドのような石段を上がる。首に何台もカメラを下げた人が写真を撮っていて、「あなたも?」と僕に声をかけた。
「え‥‥?」
「あなたも写真を売りに来た?」
「いや‥‥僕はカメラを売りに来たんですよ」
僕が売りに来たのは夢だ、とは胸を張って言えなくて‥‥そう答えてしまった。夢を買い取ってくれるなんて話、そんな美味い話はあるかと、心のどこかで僕は疑っていたのだ。
入口は小さすぎて通り抜けることができない。僕は手だけを入れ向こう側がどうなっているのかを確かめようとした。そうすると扉につづく長い通路は上下に激しく動いた。通路の壁に設置されたスピーカーから人間の声が流れた。緊急放送ってやつか。しかし何を言っているのかはわからない。
入口から手を抜いたあとも声は何かを喋りつづけている。僕は「入口」を持ち上げて上下に振った。入口には重さはほとんどなかった。ふと気づくと僕の肩の上に人間の女が1人乗っていた。これもまったく重さのない女だ。「さっきから何をやっているの?」と女は訊いた。ふざけて喘ぎ声をあげてから笑った。からかっているのか。女はいつからいたんだろうと僕は思う。
意見を書く紙が4種類ある。入学式について、卒業式について、あとの2つは男の僕は答えなくていいように思えた。明らかに女に向けた質問だ。僕は入学式について短く意見を書いた。それを女に提出した。1つしかないことに、あるいはそれが短すぎることに、女は不満を抱いたかに見えた。また僕を冷笑しているようにも見えたが、よくわからない。穏やかな平日の午後だった。
穏やかな平日の午後だった。ランチタイムにはぎりぎり間に合った。メニューを眺めていると、後ろから目隠しされ「だぁーれだ」をやられた。僕は「学生定食1つ」と注文を出した。「その声は」と目隠しをしたお姉さんは言った。「その鼻から脳天に抜けるような声は、ヒロポンだね」「そうだよ」と僕は答えた。何というあだ名だ。注文は学生定食。「ところであんた誰?」
僕はもっと遠くまで行きたかったが、翼のない飛行機は高く飛べない。翼のない飛行機を撃墜するために追跡している。僕はそんなゲームの中にいるようだ。地表すれすれを飛んでいる。機銃を撃った。
デジタルの永劫の中で、そんな場面が何度も繰り返された。翼のない飛行機は左に旋回して、ふわっと浮く。人間のパイロットが操縦しているのだとわかった。こちらと同じだ。知らんけど本当は、(翼なんかなくったって)高く飛べるんじゃないのか。
自転車に乗って逃げると、ヤクザは追ってきた。逃げるのをやめると、もう追ってこなかった。そうなのか、そういうことなのか。書店の前を通りかかった。中に入った。入口のところに店主がいて、「うちにエロ本はないよ」と言った。
「今日から置くのやめたんだ」
たしかに雑誌のコーナーにはNHKのラジオ講座のテキストしかなかった。これはエロくない。ヨーロッパの風景を撮った写真集が目に留まった。その隣に自動車の写真集があった。村上春樹が表紙だった。僕と同じ青いウインドブレーカーを着て、自転車にまたがっている。背景はスイスの山々だ。
春樹はマニュアル車の魅力について寄稿していた。
「9段トランスミッション、9回のギアチェンジ」というタイトル。いや、まったくのフィクションにしても何のことなのかわからない。
遅れて先ほどのヤクザが店に入ってきたが、店主は「うちにエロ本はないよ」とは言わなかった。
「背泳ぎ奏法」という、ピアノの裏技的な演奏テクニックがあるらしい。ショパンが極めた奥義なのだとか。少女はその「背泳ぎ」の使い手だった。彼女がバラードの4番を弾くのを聴いた。
ピアノからは、楽譜の上を甲虫が歩くときのような、不快で、かつエロチックな、カサカサという音がした。虫が、耳の穴に入った。音楽は、ピアノ以外のところから聴こえてきて、僕の頭の中だけに響いた。
帰宅すると猫の機嫌が悪かった。「私の日記を読まなかったでしょ」と言うのだ。
「うん、そうだよ、日記なんか読まないよ」
「それだからあなたには猫の心がわからないのよ」
「ごめん、じゃ今から読む」
「人の日記を勝手に読むなんて!」
「あうあう‥‥どうしたらいいだろう」
猫は本当に日記なんかつけているんだろうか。
「自分の頭で考えなさい。そのために猿から進化したんでしょ」
「えっと、熱があるのかな? やっぱり‥‥熱いね」
そう言いながら僕は猫の背中を撫でた。火傷しそうだった。背中には取っ手がついている。
仕事を終え、従業員用の出口から外に出ると、そこは山の中腹だった。歩いて下山するか、(それとも頂上まで登って、ロープウェーで下りる手もある。)僕はそのまま下山することにした。山道脇に、50円玉や、10円玉などの硬貨がたくさん落ちているのを見たからだ。
あとから退勤してきて、それに気づいた社員が、僕を追い越し、硬貨を独り占めしようとする。まぁ、1人で全部は拾えないだろう、それはいい。許せなかったのは、彼が500円硬貨にまで手を出そうとしたからだ。
「500円は、だめだ、虫の魂に捧げられたものだ」
「ここに虫の墓があるのが、わからないのか」と僕は言った。「この、バチあたりの異教徒め」
僕たちは後ろ向きに歩いた。すると、そこに着いた。音楽がかかっていて、人々がダンスしている。僕たちも、しばらく踊った。それから、また歩き始めた。(後ろ向きに。)すると、着いた。崩れかけた壁があって、エイズの予防接種のポスターが貼ってあった。音楽はなかったが、カメラが回っていた。ついに辿り着いたのだ。
左の手のひらにスマホが埋め込まれていた。(もう手は洗えないのか。)僕は地図アプリを起動して、オリンピック会場までの道を調べた。歩いていく。
町は浸水していた。水は膝の上まで。「温かい」と言う誰かの声が、僕の耳に届く。そう、温水だ。どこから涌き出ているのか。
途中、ホラー映画のポスターを見た。手のひらをかざすと、あらすじが知れた。ロケ地になったのが、ここだということもわかった。
病院の待合室にいた。健康診断を受ける。裸足だった。スボンも脱がされていた。
白いカーテンの向こうで、名前が呼ばれた。戸惑っていると、カーテンが開き、ナースがもういちど僕を呼んだ。
「バナナがあるの、大好物でしょ」
問診をする医者の横で、ナースがバナナを持っている。
「焼いたバナナもあるのよ」、その声に僕は立ち上がった。
ホテルの従業員は先生、宿泊客は生徒だった。彼らは生徒を呼び捨てにした。「工藤、工藤!」と必ず2回呼んだ。(僕の名前ではない。)
客室は学校の教室に似せてあった。
従業員たちが窓から部屋に入ってきた。客室は7階だったので驚いた。僕には目もくれずドアを蹴破り出て行く。廊下の先に1人うずくまっている若い男が、工藤と呼ばれてこちらを見た。
便器と思っていたのは、ただの椅子だった。しかし、もう間に合わなかった。座面に置いてあるクッションに放尿した。(染み込ませるようにした。)
僕の小便は緑色をしていて、クッションもその色に染まった。
用を足し終え、勉強部屋に戻った僕は、椅子のクッションがなくなっているのに気づいた。あれは、そうだったのだ。さきほどのクッション‥‥すっかり色が変わってしまった。
椅子は、もともとなかった。ステージにかぶりつくようにして、僕たちは立っていた。青い帽子に、背中の大きく開いたドレス。ピアニストはあらわれた。
僕が声をかける前に、こちらに気づいた。「ハワユー?」向こうから挨拶してきた。
近づいてきた。
それからは、ずっと日本語だった。いつの間に覚えたのだろう。「勉強してたんだね」
「勉強してたのよ」
ステージ上にピアノはなかった。
「今日は演奏しないの?」と僕は訊いた。「しないよ」とピアニストは答え、後ろを向いた。背中に3本の太い毛が生えているのが見えた。
男はドアをノックしたりチャイムを鳴らしたりする代わりに歌を歌った。バリトンの美声だった。その歌声をいつまでも聴いていたくて僕はドアを開けなかったのである‥‥
「僕のために歌ってくれているの?」違うのか。違う‥‥
1曲歌い終わると男は帰った。最後までチャイムは鳴らなかった。そのあとで僕はドアを開けた。そこにはまだ別の男の人が残っていた。彼は僕に割り箸を1本渡してから、去っていった。
窓に貼られた大きなポスターに向かって僕は話しかけている。ポスターはラジオのパーソナリティの声で返事をする。
「辞めちゃうって聞いたよ、どうして?」
「番組が終わるのよ‥‥」
ポスターは雪の中で行われるマラソン大会のものだ。いや、もう行われたのだ。ラジオのパーソナリティの女性も参加した。滑って転んだ僕。それはだいぶ前のことだ。
そこはラブホテルだった。僕たち3人はホテルの廊下で歌った。自分たちで作詞作曲した歌だ。すると部屋の中から1人出てきた。制服を着た警官だったのでひびった。
「いい歌だね」と彼はしかし言った。
「そうですか? ありがとうございます」
「ところですごく困ったことが起きているんだよ」と警官は言った。
「女がクスリを飲んでしまってね」
「何のクスリですか?」
「わからない。ただメモがあった」
それは遺書のように見えたが、遺書じゃないようにも見える。
わたし 電話して 狂うと小さいから
「どういう意味ですか、狂うと小さいって?」
「わからない」
「普段はもっと大きいんですかね?」
「何が?」
「いや、その狂った女」
「ふざけないでくれ、私は勤務中なんだ」
急に雨が降り出した。傘を持ってきたのは僕も含めて3人だった。僕の傘は破れていたが、持っていたことには変わりない。持ってなかった3人は逃げ出した。「つかまえてこい」と先生は命じた。
「何で逃げたんだろう?」広げた傘をどうしようか迷う。雨を遮る役には立たない。
「どこへ逃げたのか知ってるぜ」と傘をさしている仲間の1人は言う。何で知ってるんだろう。とにかく彼について行った。逃げた3人はいなかった。
僕の体のところに、1本の腕が出勤してきた。ちょうどそのとき、電話が鳴った。「仕事だ」と僕は腕に言った。
腕は電話を取って、話を始めた。
もう1本の腕が、遅れて出勤してきた。「仕事だ」と僕は言った。腕は紙に、電話の内容をメモした。僕の今日の仕事は終わった。
大きな埃はなかなか吸い取れない。部屋の前の廊下に掃除機をかけていた。しかしよく見ると埃と思っていたのはブロッコリーだった。吸い取れなくて当たり前だ。ブロッコリーなんだから。自分ちに持ち帰って食べよう。汚くなんかない。軽く洗えば汚れは落ちるだろう。
念のため掃除機のゴミパックをチェックした。そこにもブロッコリーが入っていた。タダで手に入れることができてよかった。最近ブロッコリーは高いのだ。(ところでこの部屋は誰の部屋なんだろうか。僕の家の僕の部屋だ。最初からそうだ。廊下だけが違う。誰んちの廊下だ?)
たくさんの人。男も女もいたが、女の方が多かった。そこは僕の家だったが、彼女らはなんでいるんだろう、ダイニングに、居間に、寝室の僕のベッドで鼾をかいているやつもいる。風呂に入っているのもいる。
僕は海外旅行へ出かけるところだった。スーツケーツに、必要なものを詰めていく。バスルームに入っていいだろうか。「だめに決まってるでしょ」と声がした。「歯ブラシを取りたいんだけど?」
何とか荷造りは終えた。出発だ。すると玄関の扉の向こうから、歌が聴こえてきた。外を見た。タキシードの男の人がいて歌っている。
「僕のために歌ってくれているの?」違うのか。違う‥‥。
「あなたにこれを」と彼は僕に割り箸をくれた。
金持ちの家に招待され、夕食をごちそうになった。召使いが皿に盛りつけられた肉を運んできた。何の味つけもされてなかったが、おいしかった。僕が全部食べ終えたあとで、その金持ちの老人は言った。「それはうちで飼っていた猫の肉だよ」げろげーろ「でも猫ってこんなにおいしいんですね、また食べたいです」「いやいや、本当は豆腐だよ、猫じゃないよ」と金持ちは言った。「白かっただろ?」うーん「色は覚えてません」「もう忘れたのか」
美大の4年生の授業、午前は実技、午後は学科だったが、卒業の単位をすべて取得していた僕は、午後になってもアトリエにいた。バイトはする気になれなかった。そういう学生が何人かいて、みんなで絵を描いていた。卒業制作とは関係のない、作品ではない、テーマのない、ただの絵を。描くことに特化した、北側にしか窓のないアトリエでは、外が晴れているのか雨なのかもわからない。時間は何となく過ぎていき、突然隣のやつの爪が3センチも伸びていることに気づいて、僕は驚く。
タバコを吸いに外に出ていた1人が、カメを抱えて戻ってきた。甲羅にてんとう虫の模様が描いてある。てんとう虫なのかも知れない。「これ1匹じゃないぞ」とそいつは言う。(ははは。僕は何かおかしくて、何がおかしいのかわからなったが、ずっと自分の描きかけの絵を見ながら笑ってた。)
最初から変な話だった。西日本から北海道へ行く途中であなたの住んでいる東京に寄る。そのときにお会いしましょうと女は言った。北海道までは飛行機で行くんじゃなかったのだろうか。待ち合わせ場所は彼女が指定してきた。聞いたこともないホテルのプールだった。そこには若い女性しかいなかった。そのほとんどが白人で、モデルのようなスタイルをしていた。「やはり豊胸手術をしているんですか?」心の声が実際に口に出てしまいそうだった。(声は届いてしまったのかわからない。ひときわ美しい女が僕の前にやって来て‥‥)
男性の僕がこんなところに入っていいのかと思う。彼女は遅れてやってきて、泳がないんですか? と訊いた。言い終わらないうちに水色のエナメルのシューズを脱いでいる。それからワンピースを脱いだ。その下は淡い色のビキニだった。透けて見えそうなほどだった。水面が太陽の光を反射する。まるで幾万のフラッシュが焚かれたかのようだ。
時計はいつ何度見ても16:08だった。車が迎えに来た。「お迎えにあがりました」と運転手は言う。僕は頷くが、どこへ行くことになっているのかは知らない。
16:08のまま動かない時計は車の中にもあった。僕は目を閉じてゆっくりと60数えた。「着きました」僕がしかし数え終わる前に運転手は言うのだ。
隣家で奥さんと話しこんでいるとき、雷は頭上に来た。「雷がちょうど上にいる」奥さんは怯えたように言った。「あぁ‥‥」「バレたのよ」「何が?」「私たちの関係‥‥」
そうなのかも知れない。落雷が何度もあった。僕は自分ちに帰ることにした。玄関から玄関まで、5秒もかからないが、奥さんは僕に傘をさすように言った。
純金のたらいを用意して、子供が生まれてくるのを待っていた。このたらいで産湯だ、僕は縁起を担ぐ。けれど生まれてきた子供は、超未熟児だった。小魚のような姿をしている。いや、魚ですらない。精子のようだ。「たらいはもう少し小さくてもよかったな」と僕は思う。そこにいた誰もがそう思ったに違いない。
自分も騙せないような嘘は他人を傷つけることがあると君は言った。その言葉に私は傷ついた。その言葉が嘘だったからではない。(君は自分は嘘つきだという嘘をつく正直者なのだ。私は知っている。)
そのせいで私が騙されていないことには気づけないようだったが、君は最後まで自分のことだけは上手く騙せていて。あぁ、私の君への愛は、誤解に始まり、このような理解で終わったのだ。
長い列車が、トンネルを抜けると1両だけになっていた。その後ろの車両は、トルネルの中から出てこなかった。今も出てこない。そんなニュースがあった。
トンネルの中の様子は? わからない。
現場からの中継は、終わった。
テレビは消えた。テレビそれ自体が、消えてなくなった。僕は座っている。ここも列車の中。そのうちトンネルを抜けた。いや、朝になったのだ。
それは「サンパティック」とかいうパン屋で、僕がパンを買おうとすると、親切な店員が代わりに金を払ってくれた。なんといういい店だ。まるで夢のようだ。
パンは3個。ずしりと重い、緑色のブリオッシュを2個、君の尻と同じ色をしたのを1個。緑色は抹茶だろう、と恋人に言った。そんなことはいいのよ、と君は答えた。怒ることはないのに。
パンを買うのに、店の中で並んだ。並ぶとき、「立っていてはいけない」という決まりがあった。僕と彼女は、しゃがんで、膝を抱えた。そのまま、じりじりと、カウンターの方へ進んだ。やっと順番が来ると、サーチライトのような強い光を、目が溶けてしまいそうなほどの光線を、店員は僕たちに浴びせた。
「えっと、左のパンと、あっ、その横のを‥‥3つください」目が眩んだまま、注文を出した。
僕と彼女は、これから、僕の母の家に行く。泊まりになることは、伝えてあった。パンは、朝食にするつもりで買った。僕のとても若い恋人は、10代だが、僕と結婚するつもりでいる。(彼女は不思議な生き物だ。)まだ早すぎる、と母が諫めてくれることを、僕は期待していた。
彼は白人で、僕は名誉白人だった。バスの中だった。白人の座る席と、黒人の座る席が分かれている。その黒人の少女は、白と黒のギリギリ境に座った。境目とは言え、そこも黒人の席だった。白人の彼は、少女の隣に座った。そうして、黒人のモノマネを始めた。白人の乗客はみんな笑った。少女は悲しそうな顔をしていた。この国に来たばかりだった。僕にはまだ英語がよく聞き取れず、何がおもしろいのかも理解できなかったが、ワケもわからないまま、白人たちと一緒になって笑った。
突然女房は、結婚すると言った。若い、ハンサムな男と。そいつを、家に連れてきた。すると、亡くなっていたはずの、女房の両親が、生き返った。家の中が、賑やかになった。
「あいつとは、もうヤったのか?」女房を問いつめた。女房は、何も答えなかった。女房の鼻が白くなり、少しだけ長く伸びた。おそらく、ヤったのだろう。
天ぷらの中に安全ピンが混入していた。仲間の1人がクレームの電話を入れたが、それはおおげさだと感じた。僕はいっさい気にしてなかった。天ぷらはおいしかった。
芝生の上で、僕たちはガムを噛み、プーっと、風船のように膨らませるのに夢中。水道の蛇口をひねると、光る緑色の水が出てきた。その横で、天ぷらを揚げた料理人のおじいさんが、小言を言われている。僕は、おじいさんをかばった。
長い列車が、トンネルを抜けると1両だけになっていた。その後ろの車両は、トルネルの中から出てこなかった。今も出てこない。そんなニュースがあった。トンネルの中の様子は、わからない。現場からの中継は終った。
さて朝になった。全人類が眠りから目覚めた。かわりに僕が眠らなければ。これから何年間も、全人類のかわりに。
空のショッピングバッグが散乱した部屋に足の踏み場はなかった。中身はどこにあるんだろうと別の部屋を探した。廊下の先に、廊下がつづいていた。入ったことのない部屋がいくつもあった。いつも鍵がかかっていたドアは、今は開けることができた。
座席上の網棚に僕の衣装ケースがある。ちょうどこの車両には誰も乗っていない。着替えようと思ったところで、中国人観光客の団体が乗ってきた。
慌てて席に座った。窓の外を見た。駅のホーム。高校の演劇部がシェークスピアをやるらしい。顧問の先生が列車の乗客に主演の女優を紹介している。おもしろそうだ。遅れて主演の男優も挨拶にあらわれた。車内は混んできた。僕はその駅で下車し、劇を観に行くことに決めた。
英語を話す仲間たちと映画を観た。映画が終った。いい映画だった。僕たちが感想を語り合っているところに、インディ・ジョーンズのコスプレをした白人が2人やってきた。彼らにも感想を訊ねた。
しかし彼らは、インディー・ジョーンズの話しかしなかった。隣のスクリーンで、これからインディー・ジョーンズが始まる。パート2のリバイバル上映だった。テーマ音楽が奥から聴こえてくると、彼らは叫び声をあげ突入した。
その男性と僕はエレベーターに乗った。地階まで下りるつもりだったが下りなかった。僕たちは途中の10階で下りた。
エレベーター前のロビーにソファがあった。僕たちは離れて腰掛けた。ロビーに肌の黒い男性がいた。僕の連れは英語で話しかけた。「ここに、日本人向けに味をマイルドにしたインド料理店はないだろうか?」
肌の黒い男性は、僕の連れではなく、離れたところにいる僕を見つめた。そして「ない」と日本語で答えた。
そんなはずはない。
冷蔵庫に大量に買い置きしてたヨーグルトの期限が切れていた。すべて4年前のものだった。4年ということはありえない。4年も気づかなかったわけがない。日付の印刷ミスだろう。僕は構わず食べた。そのあとですぐに出かけた。駅で君と待ち合わせだった。君はカードで切符を買った。僕は販売機に小銭を入れた。しかし機械はその硬貨を受け取ろうとしなかった。
「コインは全部紐で縛って、投入するときバラけないようにしなきゃだめなのよ」君が教えてくれたとおりにしたが、僕は失敗しつづけた。
荒野を1人で歩いていると、後ろから車がやって来た。どこまで行くんだ? 乗せてやるよ、と声をかけられた。僕は断った。
「どうしてだい? 親切に言ってるのに」 相手は少し気分を害したようだった。
「人間は1日千マイル以上走ったら死ぬんだ」と僕は説明した。
僕はこの日もう950マイル以上走ってしまった。仕方なく車は捨てて歩いている。
その車、どこで拾ったんだ? 今あんたが乗っている車。
「こいつは俺様の愛車だよ」とその人は答えた。
そうかい?
「そうさ。まぁ、せいぜい長生きしなよ」と吐き捨てて、その人は去った。
切符を手の甲に乗せ、女の駅員さんに差し出す。切符を受け取った駅員さんは鋏を入れ、僕の手の甲にそっと返した。「落さないようにね」と言った。
僕は中指の爪先に怪我をしていて、手の甲には絆創膏も乗っていた。「これが見える?」と駅員さんに僕は訊いた。
「絆創膏を貼ってもらいたかった?」
「うん」
「私がタイムマシンに乗って、君が怪我をする前に時を遡り‥‥
‥‥怪我をする前の指に予め絆創膏を貼っておいてあげるのはどうかしら?」
「いいね。すごくいい考えだと思う!」と僕は答えた。
最高だ。
「怪我をしたのはいつ?」と駅員さんは訊いた。笑うところだと気づいたが、もう遅かった。
今日、韓国に来た。誰もいなかった。空港鉄道の駅に行った。列車は動いていたが、人はいなかった。誰も乗ってないバスが、自動で動いている、リムジンバスの乗り場に戻った。どうすればいいのか、わからなくなった。
タクシーがやって来た。運転手のいるタクシーだ。乗り込んで行き先を告げると「途中で寄り道しますけど、いいですかね?」
この際かまわない。
タクシーは途中で、何人かの無口な客を拾ったが、どこでどう寄り道したのかはわからない。市内の僕のアパートの近くの公園で、全員が降ろされた。料金は請求されなかったので、おかしいと思っていると、そこはまだ空港のタクシー乗り場だった。
地下鉄のホームに下りる階段はパチンコ屋の中にあった。店内にほとんど客はいなかった。音もなく、たばこの煙もない、清潔な店だった。チカチカと何かが光った。誰かの台で、当たりが出たのだろう。
電車は音もなく到着して、音もなく去った。停車時間はたったの5秒だったが、乗る人も、降りる人もいない。22秒後に、また次の電車は来た。その22秒間、僕は息を止めていた。
扉が音もなく開いた瞬間、僕は空気を大きく吸い込んで、27秒目だった。息を吐こうとすると、5秒ではなく、5年が過ぎていたのだ。
究極の選択だった。怪物に変身させられるか、殺されるか。僕は天を見上げた。そこには怪物の姿になった「英国」があった。英国は空から落ちてきて、バラバラになった。そのジクソーパズルのピースのようなかけらの1つひとつを、僕は拾い集め、正しい英国のかたちに組み直した。
港で、船が待っていた。遅れて新幹線もやって来た。緑色の車体に、オレンジのラインが入った新幹線だ。ちょっと違うんじゃないかな、と思って、僕は乗らなかった。
結局、バイクで送ってもらうことになった。ハンドルより前に、乗る場所が設けられている。僕がそこに座ったら、ライダーの視界の妨げになると思った。
ふと見ると、足元に猫がいた。僕が屈んで背中を撫でている間に、バイクは去った。「お前のせいだぞ」と猫は猫の言葉で言った。
遅刻だ。船も、新幹線も、もうない。
その女の人の服には穴が開いていてそこから乳首が見えた。わざと見せているかどうかわからなかった。彼女は何か話をしていたが、まったく耳に入ってこなかった。僕は目が悪いのだ、仕方ない。そう言い訳して顔を乳首に近づけた。近くで見るだけ見ると、吸いたくなってきた。しかしそこで彼女の話は終った。
彼女は席を立ち、ゴルフのパターを持って帰ってきた。まだ乳首は出したままだった。彼女は僕をゴルフ場に連れていき、そこで僕たちはかわりばんこにボールを叩いた。
その裁判は3年間中断していて、僕が久しぶりに出廷すると何もかも変わっていた。まず裁判所のある場所がデパートになっていた。僕は買い物客にじろじろ見られながら判決を受けた。どんな判決だったかはわからない。裁判官の言葉は難しすぎて理解できなかったから。
とにかくこれで終ったのだ。僕は何人かの囚人たちと一緒に連れて行かれた。がらんとした広い部屋だった。部屋の隅っこに空になった僕の衣装ケースがあった。部屋の反対側には僕の服が畳んであり、さぁ、始めようと囚人たちは言った。
芸術を専門に教える小学校に僕たち10人は赴任してきた。教室に全員がいる。美術と音楽の教師だった。給食を食べ終えた生徒たちが集まり始めた。
「今日の給食はなんだったの?」新任教師の1人が訊いた。「納豆だよ」とある生徒は答えた。「納豆ではなかったよ」後から来た別の生徒は答えた。
生徒の数は教師より少なかった。彼らの前で自己紹介をすることになって、同僚たちは絵画作品のスライドを見せたり、歌を歌ったりした。その横で僕はスマホに保存してある写真を生徒たちに見せた。作品と呼べるものはそれしかなかった。
スタジオでライブがあった。水着を着た若い女が、若い男2人と一緒に歌っていた。水着は黒いビキニだった。歌っている途中で、女の体に変化が起きた。女は男になってしまった。これは何のライブなのだろう、と思った。僕は帰ることにした。
だが途中で帰る者は、紙に名前を書いていかなければならない。性別、生年月日、住所も、電話番号も、勤務先も。僕は自分の住所しか思い出せない、と話した。「帰るところはあんだね」と相手は言った。
ロープウェーに乗せられた女性の囚人に、僕は刀を渡した。
「向こうからもロープウェーが来る。そこにも刀を持った囚人がいるから、2人でチャンバラをやるんだよ」と命じた。
「私たちは2人とも死刑なんですか?」
「そうだよ。台本のとおりに、相打ちになってね」
だが2人はお互いに手加減したため、死ぬほどの怪我は負わなかった。腕を切られた囚人は、痛い痛いと泣いた。僕は医者を呼んだ。すぐに来てくれと言ったのだが、医者はタクシーではなく、バスに乗って、のんびりのんびりやってきた。
十字架に磔にされているその男は、中世の鎧を身にまとっていた。その上から槍で突かれる。死刑だった。心臓を貫かれたあとでも、男はまだ生きていた。頼みをきいてくれ、最後に電話をかけたいという。日本にいる妻と話したいというのだ。男のいう番号を僕はプッシュして、電話機を渡した。彼らの日本語の会話が聞こえてきたが、電波の状態が悪くなったとかで、通話は途中で切れた。
高校のとき同じクラスだった何人かと数十年ぶりに集まることになった。検索してみると会場の飲食店は自転車で約1時間のところにある。「自転車で来るの?」幹事役の女性からメッセージがあった。メッセージはびっくり顔の絵文字と一緒に送られてきたが、何を驚いているのだろう。僕は「行くよ」と簡潔に返信した‥‥
飲食店のある繁華街に着いた。そのときになって携帯を忘れてきたことに気づき焦った。携帯のメッセージを見ないと待ち合わせの飲食店の名前が出てこないのだ。まだ約束の1時間前だった。繁華街をうろつき何という店だったか思い出そうとした。けど駄目だった。(今から1時間かけて携帯を家に取りに戻るしかない。)
ガッツリ落ち込んでいる僕に花束を持った見知らぬおばさんが馴れ馴れしく話しかけてきた。元気だしなさいよ、とか何とか。この女性、僕の昔の同級生なのだろうか? 花束を持っているということはもしかして? 僕は自分の名前を名乗った。そして携帯を家に忘れてきたと言った。しかし彼女はそれには何も応えず、独り言のように、自分で自分を鼓舞しつづけたのである。
路上で開かれた絵画教室に参加しようとやって来ると、ネットの知り合いのAさんがいて、もう絵を仕上げたところだった。自画像である。「スカートのプリーツのところが変になっちゃった」と言うが、そんなことはない。うまく描けている。「違うのよ、ずっと座って描いていたから、こっちがね」と聞いて、絵の話ではないのだとわかった。ずっとスカートのお尻の部分をさわっているのを、「見ないで」と可愛らしくむくれた。
鏡の前に座り、僕も描き始めた。そこに講師がやってきて「だめじゃないか」と指摘する。「男性にはヌードになってもらうよ、それが決まりだ」「えっ、脱ぐんですか?」そう、自分で自分の裸を描かなければならない。僕も長いこと絵をやってきたが、自分の裸だけは描いたことがなかった。
その男の子が鞄の中に本を何冊も何冊も放り込んでいくのを、図書館の職員も利用者も見てるだけで何も言わない。「盗むのさ!」男の子は大きな声で叫んだ。「僕は泥棒をしてるところなんだ!」
そこでやっと職員は動き出した。「盗んだ本をどうするの?」優しそうな女の人が訊く。「アマゾンで売る!」と男の子が答えたところで、男性の職員がやってきた。少年は何発か殴られ、「取調室」へ連行される。女性職員も同行した。取り調べの様子は外から見ることができた。彼女は「この子の罪をお許しください」と神に祈っている。
そろそろ行こうか、と友人が僕を誘った。映画の時間だ。懐かしの『ET』がリバイバル上映される。僕たちは図書館を出て、映画館へ向かう。
ガラス張りの売り場に、紙ゴミと再生可能なプラスチックゴミの袋が、山積みになっている。それは、僕が仕入れた。綺麗で、匂いもない。通行人が、ウィンドー越しに眺めている。入り口はどこなのか、探しているようだが、僕が照明を落すと、諦めて帰った。
映画に出た。演技経験はなかったが、主演の女優の相手役に抜擢された。マラソン選手の話だ。とくに演技というものはなく、ひたすら走る。走っているうちに、若返る。若返った僕を見て、女優もマラソンを走り始める。しかし彼女は、急速に年老いてしまう。昭和54年、20歳だった。
まだ新しい、黒い革靴、誰かが脱いで、そのままになっている。ためしに履いてみると、ぴったりだ。
10メートルほど歩いて、戻った。そこで脱いだはずの、僕の古い靴はなかった。消えていた。代わりに、別の黒い革靴が、何足かあった。
家は散らかっていた。丸められた紙屑が、そこら中に落ちている。ただ隅っこの方に蹴飛ばし、拾うことはしない。
誕生日の24時を過ぎても、妻は帰ってこなかった。クラッカーを手に、一晩中待った。結局彼女が帰ってきたのは、朝だ。車の音がして、外に出た。
僕はクラッカーを鳴らした。エンジンが切れたところでパーン、ドアが開いたところでパーン。
僕は圧をかけられて、その、仕事一筋といった感じの、生真面目そうな若い女性と、結婚することになった。
新居は、雑居ビルの、空きテナントだった。風呂はなく、トイレはビルのトイレを使う。家具といえるものは、木の、大きなテーブル1つ。
僕たちは立ったまま食事をした、服を着たまま、そのテーブルの上で寝る。
彼女の体は、横たわると、詰め物を抜かれたぬいぐるみのようだ。
彼女がカフェから出てくる。僕は入ろうとしている。ドアのところで声をかけた。しかし彼女は無視して行ってしまった。(仕事があるのだ。)
そこは、彼女の母親が経営しているカフェだ。コーヒーと、コロッケ(のような揚げ物)を1つ注文した。コロッケは2つ出てきた。デザートのアイスクリームも無料で。彼女の母親は、何人かいた客を、閉店だと言って追い出した。
駅から、こちらに向けて、黒いLPレコードが投げられた。円盤投げのように
「なんですか?」
「ラインを送信した。手投げで送信した」
投げたのは駅員だ。
「ラインだよ、届かなかったけど」
道に落ちたレコードを拾って、駅員に返した。駅員は、それをまた投げた。
スーツを着てネクタイを締めたサラリーマン風の男が、スキーを履いてゲレンデを登っていくのを、僕は神の視点で眺めている。奇跡を起こしてやるぞ。僕は男を手のひらに乗せ、山のてっぺんまで運びあげる。そのあとで、彼のすべての記憶を消した。
男は、スキーを楽しむ。雪が、激しく降る。スキー場には、誰もいない。
竜巻が発生した。空が急に暗くなって、雲が紫色に光り出す。僕は家の庭に出て、大きく口を開けた。舌を出し、近づいてくる竜巻に向けた。蛇のような長い舌、まだ何百メートルも向こうにある竜巻に届き、それが砂埃の味であることを知る。
椅子に座ったままの父は、鼻を象のように長くこちらに伸ばし、僕の口の匂いを嗅いで‥‥「臭いぞ」とは言わなかったけど、口臭防止効果のあるガムを勧めた。そして、やはり椅子に座ったまま、ぴょこぴょこ跳ねて、家を飛び出す。外は、強風が吹き荒れている。母は「予言のとおりになったわ」と言った。いったい、何が気に入らなかったのだろう。
迷っている間に、扉は閉まり、列車は動き出しました。それを見て僕はその列車に本当に乗りたいという気持ちが沸いてきたのです。
飛び乗った! 幸いなことに扉は手で開けることができました。デッキに立つ年老いた乗客たちが驚いた顔で僕を見ます。
客車に入って、見まわすと席はいくらでも空いていました。老人たちはなぜ座らないのでしょう。身なりを見ると裕福そうです。(切符が買えなかったわけでもあるまいに‥‥)
車内にはグランドピアノがあって、女性がラフマニノフを弾いていました。見事な演奏。
しかし演奏が終っても、拍手をする者は誰もいない‥‥「何で拍手をしないんだ?」と僕は言いました。何人かが拍手しました。それでも全員ではありません。僕は‥‥怒っている。
するとピアニストがこちらを振り返りました。
そして「リクエストはある?」と訊きました。僕は鞄の中から、楽譜を取り出しました。書き溜めた自作曲です。
その中から「鍋に触ったら熱かった」というタイトルの曲を彼女は選んで演奏しました。楽しい曲ね、と笑って。笑って。
2分後に12時になる。だがその2分間は、非常にのろのろと過ぎた。2時間待っても、12時にはならなかった。結局、僕は待つのをやめた。寝てしまった。2人の女と一緒に。1つのベッドで。
だが起きると、女は1人だった。それは女房だった。ベッドは2台になっていて、僕たちは別々に寝ていた。町は寝静まっていた。彼女を起こさなかった。まだ12時になってなかった。
その人は有名な画家だったが、僕は知らなかった。その作品に、僕は加筆した。画家の目の前で「ほら、こうすればよくなりますよ」
画家は怒らなかった。むしろおもしろがって、何枚かの作品に、加筆してくれるよう、僕に依頼した。
「ひどい絵ですねぇ」と僕は言った。
さっそく仕事を始めた。だがさっきまでの魔法は消えた。ビギナーズ・ラックだったのかも知れない。僕が筆を加えれば加えるほど、絵はひどくなっていく。
画家がアトリエに途中経過を見に来た。絵に対しては、「ひどい出来だな」と吐き捨てた。「しかし君の度胸は賞賛に値する」
「作業はまだ完了してませんよ」と僕は応じた。
「いつ終わるのかね?」と画家は訊いた。「夏が終わるのとどっちが先かな?」
「一夏、いいセンいってますよ」
「ふ‥‥」
「ちなみにあなた有名な画家なんですってね」
ベッド脇の小テーブルに、1冊の本がある。作者の名前は、僕と同じ。ありえそうにないことだが、同姓同名の別人なのだろう。裏表紙に、作者の写真があった。
しかし顔は全然似てないので、安心した。
写真の中の彼は、車椅子に乗っている。手に、漫画本を持って。「紹介してやろうか」と話しかけてきた。「‥‥!」言葉も出ないほど、驚いた。
「紹介‥‥?」
「この漫画家。好きなんだろ?」
「ベッドの下、覗いてみろよ」彼は言う。そこに、漫画家がいる。