本当に
本当にあったから、「あった」と言う。でも「本当にあった」とは言わない。僕はそれだけ。
本当になかったから、「なかった」と言う。でも「本当になかった」とは言わない。
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本当にあったから、「あった」と言う。でも「本当にあった」とは言わない。僕はそれだけ。
本当になかったから、「なかった」と言う。でも「本当になかった」とは言わない。
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筋トレをした直後に上半身裸で鏡の前に立ち、ダビデ像のポーズでキメてから風呂に入って寝た。年齢や性別、職業を偽ってウェブで日記を書くことは、社会に出る前の若者にとって、教育的に優れた体験になるのではないか、という気がしてきて少し笑った。たぶん「ぼく」を装おうことはできない。
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近所のホームセンターで、外国のカブトムシが売られていた。びっくりしてしまった。30分ぐらいずっと眺めていた。昭和が遠くなった。忘れていたことを思い出し忘れた。
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好きな人が好きで、嫌いな人のことは嫌いだけど、僕は人を嫌いになることは、それほど嫌いではない。人を嫌いになることを、嬉々としてやっている自分に気づいた。
・
まず殴った。それから質問した。猪木と同じだ。7日は僕の誕生日だったけど、そのことは口にしなかった。ハッピーなんとか、なんて展開が、安直すぎた。ラッキーなんとか、僕は、その方が好きだった。
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長く走りつづけるには、疲れない速度で、楽しみながら走ると良い、などと言う。
この「走る」には文字どおりの意味の他に、「働く」や「生きる」の意味があるんだろう。
僕は疲れることが嫌いではない。
好きとまでは言わないが、疲れない程度の速度で長く走りつづけて、何が楽しいのかな、とは思う。
退屈じゃないのかなと思う。
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自分の周りに、好きな人が何人かいて、そして嫌いな人がいて、という人間関係が、不自然だった。
僕の周りには、それほど多くの人が、いるわけではない。
だから同じひとりの人間を、時間帯によって好きになったり、嫌いになったり、
そうする方が、自然だったのだ。
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猫は9つの命を持つというが
なぜだろう?
マイケルジャクソンにそっくりな女の人が
死んだふりをしている画像を
ネットで見た
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生きている間に誰か1人
他人を殺さなければならない
そんな法律が施行された
近未来の日本
という夢を見た
殺人経験のない
大人は「童貞」って
呼ばれてた
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時間を大事にしなさい。その昔、10代のころ、尊敬する年上の女性からこんなことを言われた。
キミに持つことができるのは、思い出だけなんだよ。
それは本当にそうだった。僕が持っていられたのは、過去だけだった。
時間はお金ではない。時間を使うことはできない。
時間を持つことはできる。キミは「持つ」ことしかできないの。ずっと大事に持っていなさい。
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生花という字を遠くから見た。「生活」に見えた。店では生活を束にして250円で売っていて、安いな、と僕は思った。その日のランチは、700円だった。
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午前中、雨が強く降った。午後になると雨は、とても弱いとは言えない、そんな降り方をした。ふざけているのかと思った。
比喩子にメールした。雨雲が雨雲のように見えた、と。少し違うものに見えるべきなんじゃないか。比喩子のやつ。
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泉に鉄の斧を落とした。血相を変えて泉の精はあらわれた。
「どうしたんすか、そんなに慌てて?」
と僕はトボけて訊いた。どうやらマズいことになった。
「泉に斧が落とされたのです‥‥」
ここは私の大事な泉です。とても・大事な・泉です。
「そうすか、‥‥ところで落ちてきたのは金の斧すか?」
「いいえ違います」
「銀の斧っすか?」
「材質の問題ではないのです」
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僕はいつも、わからないことを考える。考えてもわからなかったことは沢山あるが、
考えているうちにわからなくなってきた、なんて、ふざけたことは言わない。考えているうちに混乱してきた、なんて絶対に言わない。
でも村上春樹の小説の主人公は言う。
そして、その「考えているうちにわからなくなってしまった僕たち」を癒す。を肯定してくれる。
彼の小説を読むと、僕は「肯定された僕たち」のような気持ちになってしまうが、
本当は否定されたのかも知れない。
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プライスレスの悲しみを、僕は悲しめないように思う。
僕の悲しみには、お金がかかっている。
悲しいと感じる僕は、1つ損をしたわけではない。
でも、そんな気持ちになってしまう。
悲しいときには、お金を損したみたいな気分になる。
金を出して、また悲しみを買ってしまったような(気分)。
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僕の中で、「悲しい」という気持ちは、いつもたやすく「悔しい」という気持ちとすりかわってしまうのだけど、今回はとっておこうと思う。彼がいなくなってしまって悔しい、とそんなふうには思わないこと。「悲しい」という気持ちを「悲しい」という気持ちのままで、しばらくの間おいておこう。
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生き方ってなんだろう。生きる方法、スタイル。でも生きるやり方は1つしかないような気がする。
やり方は1つだと思いこんでいる人と、いくつかあると思いこんでいる人とでは、どっちがどうなんだろう。
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ギブミ・ユアハンドか。ボウイ様。そういうのもいいけど、僕は僕で、右手にお箸、左手にお茶碗を持っているのも、悪くないと思う。手はまだつなげない。
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僕の考えでは、とくに正しくはないけど、別に間違ってもいない、そういうものごとは大抵の場合、残酷である。
例えば、‥‥って具体例を挙げるまでもないとおもうけど。
いい人ではないけど、わるい人でもない、そういう人はみんな、残酷な人だ。
普通の人は、というか人間は普通、残酷だと思う。
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書店で村上春樹の新作を読んでいた。立ち読み。上巻の半分過ぎぐらいまで読んだ。これは村上版『高い城の男』だ、という第一印象にまだ変化はない。
私は嘘つきだと言う嘘つきは、しかし本当のことを言っているわけではない。「正しい情報だろうか。それともニセの記憶(ディック)か。あるいは未来回想(ナボコフ)かと考えているうちに夏は過ぎていく」。
登場人物にはほとんど感情移入ができない。昔のキャラクターは可愛かった。羊男とか羊博士とか特に。
それから‥‥またフランフランでお買い物。家の中がどんどんカラフルになっていく。家では『スカイ・クロラ』のラストシーンだけをまた読む。
「いわゆる」と「さわら」を漢字で書いてから寝る。
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平和の小道を歩いた。それから文化の小道を歩いた。順番はどっちでも良かったんだけど、たまたまそういう順番になった。
赤いクッションを買った。それから青いシーツを買った。これもたまたまこういう順番になった。
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あまりにも美しくないものを見ると、僕は悲しくなってくる。ないしは寂しくなってくる。
あまりにも美しくないもの、例えば床屋の鏡、パチンコ屋、郊外の中古車展示場、オレンジレンジなど。
そういう美しくないものを見て、寂しさではなく怒りを感じる人もいる。村上龍もそうかも知れない。
美しくないものを見て怒りを感じる人々は、本当に美しいものを見ると、悲しくなったりするようだ。
「あなたはなんて美しいんだろう。私はなんで悲しいんだろう」
ちなみに僕は、本当に美しいものを目の当たりにすると、焦りに似た感情をおぼえる。
完璧な美を見て、「美しい」「楽しい」と思える人は、その人自身美しいのだろう。
僕は今完全ではないものを手にして、それにハマって、けっこう楽しんでしまっている。
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確実性、というのは守る側の人間が必要とする機能だと思う。僕はもう若くないけどまだ攻める側、奪う側にいる人間で、確実に全部奪えなくてもいいと思っている。それでも勝てる。
何に?
いやわからないけど、わからなくても。
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経験から僕が学んだ中で、いちばん重要だと思えることを書く。それはすべては変わるということだ。
変わるだろうと思っていたことが変わるのはもちろん。変わらないと思っていたことも変わる。
間違ったことは変わる。悪いことは変わる。もっと悪くなる。もっと間違ったものになったりもする。
そして正しいことも変わる。良いことも変わる。その「正しさ」や「良さ」が失われてしまったりする。
いちばんの肝はそこだと思っている。正しいことが、それ以上正しくなるように変わらないのは、実はとても正しいことなのだ。
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映画の中で僕の名前が、女の声で、繰り返し呼ばれた。僕は主人公と同じ名前だった。「僕が僕でなくなってしまうことを願うと、また誰か、違う人が泣いた」。
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酔っ払いの口喧嘩。お互いに
「ファック・ユー」「ファック・ユー」
と怒鳴っているのが、どうしても僕には、
「吐けよ」「吐けよ」
「お前吐けよ」にしか聞こえない。
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「夜遅くに、友達が車で、家に遊びに来た。ダイニングのテーブルで、彼女と僕、いつものように、バックギャモンを何ゲームか。守れる約束を、いくつかして、全部破った」。
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少し離れたところに、言葉はあった。そこは、「内側」なんかじゃなかった。声は、そこから聞こえてきた。
モナリザになったつもりで、鏡の前に立った。あのポーズと、微笑みでキメた。それから寝た。
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僕は車を持っていた。家にはクーラーと、カラーテレビも2台ずつ。ここはいつも6月だった。永遠みたいなかんじ。
あと5千年ぐらいぐらいすれば、すべてが変わるとか、でもそういうのは希望じゃない。「目標」みたいなかんじ。実際変わるだろうし。イヤってほど変わるし。
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自分は幸せだと思っている人間が、本当に全員幸せということはない。けれど自分は不幸だと思っている人間は、本当に不幸だと思う。全員不幸。そう思うことで良くなることなど、まったく何もないから。それは断言できる。
良い知らせと悪い知らせがある。どちらもある。どちらが重要ということはない。重要なのは順番だと思う。「どういう順番で直面するか」「さて?」
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僕と誰かと、2人の人間がいて、そこに穴があった。穴は何で埋めても良かった。真実で埋めても、作り話で埋めても良かった。でも僕は埋めなかった。「誰の手伝いもしなかった」。
サクランボのピンク、リンゴの木の白。音楽を聞きながら小説を読んでいた。飽きてくると寝た。わりとすぐ飽きたので、たくさん寝た。
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エアロスミスのギタリストのこと。愛車のフェラーリから降りようとして頭を打ち、病院に運ばれたギタリストのこと。
「この世にあるクルマのすべては、僕の馬鹿さ加減を計測するためにあるんじゃないか、と思うときがある。クルマには関わらないようにしている」。
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『朗読者』が映画化された。好きな小説で、ケイトの裸も見たいけど、映画を見に行くかどうかは、まだわからない。順番は重要で、僕は逆のパターンが好きなのだ。映画を見て、原作を発見するのが好きなのだ。
「大きく変わるものは、少しずつ変わるのかな。もしかしたら
人は人を、愛さなきゃいけないのか。僕は何となく
そうは思えなくなってきた。とりあえず憎んでなきゃ
まぁ、それぐらいで、いいじゃないかって。」
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マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『ラヴレス』というアルバムを大音量で聞きながら、昼間はずっと小説を読んでいた。飽きてくるとダイニングの真っ赤なテーブルに、片足をのせた。ゴーヤの入ったカレーを食べて、友達にメールした。
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僕は、ひとり暮らしで、女とも動物とも結婚していないが、食器はペアで持っている。箸、マグカップ、茶碗、あらゆる種類の皿。どうしてだろう。食卓の椅子は2つある。僕が座る椅子は、いつも決まっている。座らない方の椅子には、洋服がかけてある。「ダブルベッドには、枕が2つある。僕はいつも、左側で眠る」。
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あるところへ行けば、僕は非常に幸運な男だ、そのはずだ。でもその「あるところ」が、どこにあるのかわからない。僕は僕の幸運を、どこで掴み取ればいいんだろう。
宝くじ売り場は、僕が幸運を掴むのに、相応しい場所ではないと思う。競輪場とか、そういうところは絶対に違う。
ある時間が来れば、僕は幸運な男になると思う。またある時間が来れば、僕は不運な男になる。
普段はすごく普通だ。
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慣れることに関して、僕は選り好みしなかった。
嬉しいことにも、辛いことにも、最後には慣れてしまう。
それで辛くなくなるわけではないが、そういうことは繰り返しやってきて、
僕はなんだか、何かの訓練をしているような気分になる。
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ギターを抱えた年齢不詳の男が、道端でRCサクセションの昔の曲を歌っていた。
スローな曲はよりスローに、テンポの速い曲はオリジナルよりもっと速く。
へぇ、と思って聴いていた。
悲しい曲はより悲しく、楽しい曲はより楽しく?
でもそれは、そいつには無理みたいだった。
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20代から、30代になったときとは違った。「変わった」というのではなくて「終わった」。40代は、30代の延長ではなかった。ポジティブに考えれば、「第2の人生」といったところだ。そして僕はもう、ポジティブに考えるしかなかった。
選択肢はそれしかない、という事実を、どうポジティブ·シンキングすればいいのか、まだよくわからないけど、それ以外になかった。
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今日は曇り。鳥が人になる話を考えていたら、腕が3本ある人を見た。3番目の腕は、骨折しているみたいで、白い包帯を巻かれ、くの字に固定されていた。胸を隠していた。
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そう言えば僕のまわりに、死を怖れている人はいない。死に怯えながら生きている人を、僕は見たことがない。生きることを怖れている人はいると思う。僕も死ぬことは怖くない。
死ぬのは絶対に嫌だけれど、でも怖くはない。生きていく方が、ずっと怖いと思う。もちろん生きていたいけど、でも怖いか怖くないかで言えば怖い。
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小説『空気さなぎ』を世に送りだしたことにより
天悟は出版業界を追放になる
『空気さなぎ』も発禁になるが
アンダーグラウンドで人々の話題になる
ところで『空気さなぎ』には
明らかに青豆をモデルにした
としか思えない
登場人物がいた
青豆は天悟を探し出し
2人は『空気さなぎ』の作者に会いに
「高い城」へ行く
作者は
『空気さなぎ』は自分で考えた物語ではなく
とある占い・易・予言の結果を
そのまま書き写したにすぎない
と告げる。その「予言」によれば
『空気さなぎ』こそが現実であり
青豆や天悟が生きているこの世界は
現実ではない
いずれ覚める夢のようなもの
だが青豆と天悟は
違和感だけを残して
消えていく自分たち
の過去に殉じて
生きていく(死ぬ?)決意をする
「
おれたちはイモ虫だ
葉を食い荒らす害虫だ
『さなぎ』のラストシーンは
ウォンチュー
書き直してくれ
」
以上あらすじ予想
外れますように‥‥
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『高い城の男』は、第二次世界対戦で、ナチスドイツや日本が連合国側に勝利した、もしもの世界の話だ。
その物語の中で、人々は、「もしもアメリカが日本に勝っていたら?」という設定で書かれた奇妙な小説に、心惹かれていく。
だがそれは、真実の物語なのだ、それを僕たちは知っている、世界は‥‥?
まだ冒頭の二章を読んだだけなのだが、村上春樹の『1Q84』と重なる。
『空気さなぎ』ってのが『イナゴ身』の役割を果たすのだろう、と僕は予想しているけど、
それだとある程度先が読めてしまう、まだ始まったばかりなのに!
この予想は外れて欲しい。
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どこでもドアが現実のものになって、自動車が要らなくなった世界で、それでも自動車に乗る人がいたとして、その人はプリウスに乗るだろうか。インサイトに乗るだろうか。
みんなが超能力者になって、テレパシーが普通に使えて、他人の心が読める、言葉なんか要らない、そんな未来が来たとして、それでも手紙を書く人は、何を伝えるだろう。
真実を書くだろうか。
書かないと思う。嘘を書くと思う。
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丸井の通販のカタログが送られてきた。僕はTシャツを1枚買おうと思って、いろいろ見ていたんだけど、決められなくて、そのうち寝てしまった。
僕にとって「決める」ことは、結局いつも「眠くなる」ことなのだ。何も決まらないうちに、寝てしまうことなのだ。
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悟りを開くこと、僕にできる中でいちばん頭を使わずに済むことが、それだった。悟りを開くときには、頭が僕を使った。僕は時間をつくって、毎日、頭に自分を使わせてやる。頭は変な宗教の儀式のように、「何も欲しがらない自分」を、僕にイメージさせようとする。そうすると瞑想状態になって、「僕たち」は眠くなるのだった。
僕にとって悟りとは、目覚めることではなかった。天国への上昇ではなかった。逆だった。それは深い眠りに落ち、決して目覚めないことだった。
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僕は自分の感情を表現する必要はないと思う。感情表現を必要とする人生、そういう人生はあると思うけど、それは僕の人生ではない。
ときに怒ったり笑ったりして、感情を表現することもあるけど、それは必要に迫られてやっていることではない。言ってみれば趣味だ。僕が悲しんだり喜んだりするのは、僕の趣味だ。
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僕は自分で望んで生まれてきたわけではない。とりあえず命、人生というものを与えられ、与えられてみて後からその面白さに気づいたわけだけど、本当に面白いもの、大切なものって、「そういうもの」なんじゃないか。
僕はすでに、それを与えられている。望んで手にしたわけではないけど、持っている。すごい。そういうふうに考えてみると、面白い。気づくのは、もう少し後でもいいんだ。
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