ゴミ屋敷と母の思い出
近ごろは北海道にもそれはいるらしいが、もう何年もゴキブリを見ていない。ハエも。近未来SF的な環境で暮らしているとか、そういうわけでもないのに。
気づいてみれば絶滅危惧種か。
とすればゴミ屋敷、各地で増殖するそれは保護センターか。ゴキブリたちの駆け込み寺か。僕は何を書いているのか。母は歳をとるごとに潔癖になっていった。しまいには絨毯に落ちた髪の毛の一本が許せなくなっていたようだ。床に這いつくばり、ため息をつきながら、それを手で一本一本拾い集めている姿を思い出す。
記憶の中の最も哀しい光景のひとつだ。
僕に最終的に、家を出ることを決意させたのは、だらしないアル中の父親ではなかった。反比例するがごとく日毎、病的に綺麗好きになっていく母だった。

今、家の掃除をするときは、意識的に一部をやり残す。
トイレは三日後にしよう、フロはあと五日ぐらい持つ。
流しは明日、きちんとすればいい。
その僕のこだわりを、意味のないへんてこなジンクスを、見て見ぬふりで許容してくれた優しい母はもういない。捨てず残した、ガラクタのコレクションでゴミ屋敷と化した実家には二度と帰らない。
☆
函館出身の母は、ハタチまでゴキブリを知らなかった。
上京して初めて、追いつめられた彼らが空を飛ぶのを見たという。
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コメント
写真はジョージ・ダニエルという人のもの。写っているのはこれはどこだろう? 自転車があるからアジアで、フランスっぽいからベトナム? とか。つまりぼくが、何かを見て、それを「アジア的」「アメリカ的」「ヨーロッパ的」と判断するとき、その根拠となっているのは、なんなんだろうと今は考えています。
投稿: ぼく | 2005年12月 5日 21:12