ひきこもりの視点から観た、黒沢清の「回路」
「CURE」という映画を観て僕は黒沢清を知った。衝撃の認識とともに。意識した。「回路」はその黒沢監督の最新作だというので初日に劇場まで足を運んだのだ。感覚としては10年ひと昔前、のことのような気がするのだけれども。調べてみると2001年公開、とある。
テレビ・雑誌等で大々的な宣伝をしていたような記憶がある。主演は加藤晴彦だし、主題歌はcoccoの「羽根」だし。どこかとタイアップしていたのだろうか(それでも映画館の中はガラガラ、観客は僕を含めて4、5人しかいなかった。みんなどこに消えちゃったのさ? つまり映画館の中まで「回路」だったわけで、‥‥それも怖かった)。
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以下ネタバレということになるのだが、これはインターネットの中に突然謎の幽霊サイトが出来てしまい、そのサイトにアクセスして幽霊の素顔を見てしまった人間が続々と消えてしまって、最後には地上から人間がいなくなってしまう、‥‥そんな話だ。
まだそんな言葉もなかった時代、「引き篭もり」や「ニート」とも違うのだが、それを通して現代の、社会の中に生きながら葬られている人間、について語っている。
それも相当に幼稚な、お寒い言葉で。
当然のことながら観客は、「インターネット(幽霊)に魂を奪われてたまるか、オレは生きるぞ!」というイキのいい主役、加藤晴彦に自己投影して映画を観ることになる。
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この映画のすごいところは、その加藤晴彦 = 観客を、インターネットも知らなければもちろんパソコンのキーボートさえ叩いたことのない「大馬鹿」と設定し、「馬鹿にはセリフで説明しなきゃわからないんだから」とばかり、本来であれば暗示させるに留めるべき映画の大テーマを、全て口で語らせている点にある。
オマエは馬鹿だからなぁ、ここまで言わないとわかんないんだろうけどさ。
登場人物のほぼ全員がそんな調子で加藤 = 観客に人生の無意味さや「永遠の孤独」について語るのだ。
話が進むにつれ、「生きる気力を失ってはいけない」と一本調子で力説する加藤晴彦が、本物の馬鹿に見えてくるという仕掛けだ。
そして、‥‥その「馬鹿」に馬鹿と言われる馬鹿は、僕たちなのである。
観る者を突き放す、とはこのこと。とにかく観た人 = 馬鹿からは「わかりにくい」という声が出る。日本を代表する映画監督なのに客は入らない、黒沢清監督。
中で白痴でも理解できるよう撮られたこの「回路」が、実は誰をも突き放す強い皮肉になっている、という逆説。
感情移入の否定、‥‥それこそがこの監督の狙いなのだ。
思えば「CURE」もこんな映画だった。
殺人を癒しと捉えた。人にとってのいちばんの希望と安らぎは、その「希望」や「安らぎ」を殺すことにある、という「CURE」。
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生き続けることは「愚」である。
愚ゆえに我らは救われず、死に向かう。
安易な共感を拒絶し、その作品世界の中で彼は、ただ生きることにステロタイプな希望を見い出す加藤晴彦 = 僕たちを真に救いようのない愚者として描いている。
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コメント
【参考】
「回路」 (天つば↑↓CINE TALK)
ラストの役所広司がですね。
あのあと年月が経って、
加藤晴彦が年とった姿とゆー設定なのかと・・。
ああ、こうして冒頭に繋がるわけねえ と
晴彦が出てくるまでマジで思っていた自分に爆笑でした。
なるかよなあ、いくらなんでも。油っこすぎるでしょ。
これは新たに知った解釈で、面白いと思いました。
投稿: ぼく | 2006年1月29日 00:23
ぬふー、ぼくさんこんにちは。天つばのヤココです。
あけましておめでとうございます。
『回路』!!!
どう感想をつけて良いかわからぬこの映画、
自サイトに駄文かきちらしていたのですが
ぼくさんの記事で なるほどーーと思いました
この監督の映画は本作しか観ていないのですが
どうもよくわからず、件の役所ネタくらいしか・・・・
とほほほほほん。
そうですよ、あえて、だったのだ、と思えば!
なんかほんと、勇気に満ちている気がしてきました。
というわけで、今年もよろしくお願いいたします★
投稿: ヤココ | 2006年1月30日 00:34
o(--)oo(__)o ぼくWebも始まって1年に、なるんですねぇ。こちらこそ本年度も、よろしくおねがいします。
オールインワンのレスのつもりで次の次の記事を書きました。
投稿: ぼく | 2006年1月31日 00:18