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2006年5月23日

「ベストの答などない」という答がベストの答になる人・ならない人

「週刊こどもニュース」という番組がNHKにある。国内外のさまざまなニュース、トピックスを、小学生のこどもでもわかるように簡単な言葉で解説してくれる。もちろん僕のような頭の悪い大人が見てもいい。地方によって放送される時間帯が異なるのかも知れないが、僕の住んでいる地域では、土曜日の夕方6時15分から放送している。「録画して必ず」というほどのものでもないのだけど、その時間に家にいるときは僕は見るようにしている。とてもためになる。そろそろ週刊こどもニュースの時間だな、と身体は無意識に覚えていて、普段は抜いたままのTVのコンセントを入れるのだ。先週のメインテーマは尊厳死について、だった。まず尊厳死とは何か、説明がある。ふむふむ。尊厳死と安楽死の違いも知らずにいた僕は、そこでググググっと引きこまれる。


 僕にも、このぐらいのこどもがいてもおかしくないな、といつも思ってしまう、番組には、こども代表として男女3人の小学生がいる。劇団ひまわり、とかそんな感じの、子役のタレントだろう。長男、長女、次男という設定になっていて、お父さんとお母さん役のキャスターがいる。尊厳死については、わかったかな? うん、どう思う? 事故や病気で自分がそういう状態になってしまったら、君たちは尊厳死を選ぶかな? お父さんがこどもたちに訊く。3人は、もう死んでいるのも同じ状態になって、機械の力でむりやり生きつづけるなんて嫌だ、そんなふうに答えた。


 僕もまったくの同感、であった。死んでるみたいに生きたくなんかない。当たり前のことであった。何年か前のアンケートでも、7割の人が尊厳死を肯定していることが示される。尊厳ある死をむかえたい、と健康な今から家族を説得しつづけている男性の話が紹介される。無意味な延命治療などしてほしくない、そう言っているのに、こどもはまだ小さくて、わかってくれないんですよ、ははは、親はいつか死ぬんです、下の子は甘えん坊でしてね、その現実を受け止められないのでしょう、とそんなニュアンスだった。


 基本的に番組はこのこどもたちの視点で見る。だからだろうか、男性の「大人になればわかることだ」と言わんばかりの態度には、不快なものを感じた。彼の言っていることは正しいだけに、なおさらである。なおさらの反発なのである。ところ、次に尊厳死に反対する人が出てきた。車椅子に乗った若い男性だ。筋萎縮症、という難病におかされている。全身の筋肉が衰えてしまい、今では自力で呼吸することもできない。喉にチューブを入れ、機械に呼吸を助けてもらって生きている。


 彼は言う。人が、僕のような状態になって、絶対に治る見込みもない、ということになって、そういう人は尊厳死を選ぶのが当たり前、って合意ができてしまったら? 怖いんです、そういう社会では、僕のような人間が生を選びづらくなってしまうのではないか。社会的には何の役にも立たないし、むしろ生きつづけることで家族には迷惑をかける、尊厳死を安易に認めてしまったら、そういう人が、ますます生きづらい世の中になってしまいます。


 人間は生きるべきだと僕は思います。能力のあるなしにかかわらずです。役に立つ・立たないは関係ありません。役に立たなくなったら、それで終わりですか。「尊厳」っていったい何でしょうか。人はただ「生きている」というそれ自体で尊重されるものではないのですか。


 頭をガツンと殴られたような衝撃だった。そうなのだ。そのとおりなのだ。さんざそれと同じことを僕もブログに書いてきたはずなのに。なぜ気づけなかった? あの糞生意気なオヤジに、なぜ言ってやれなかった? こどもたちもこどもたちで相当なショックを受け、混乱したようで「私が事故にあって、意識がなくなって、寝たきりになって、もう絶対に治らないってみんなに言われて、でもお父さんお母さんは、それでも私の顔を見ていたいって思うかもしれない、どんなことになっても生きていてほしいって、思うのかも知れない」「そうだよ、もしお父さんがそんなことになったとして、良くなる見込みはもうなくて、でも僕はお父さんに人工呼吸器を外してほしくない、生きていてほしいよ」


 そうだね、それに、そのお医者さんの診断が間違っている、ということもあるかも知れないよね。お父さんキャスターはそんなふうに締めくくっていた。お父さんにも、尊厳死が良いのか悪いのか、わかりません。賛成の人、反対の人、それぞれにそれぞれの意見があって、どっちも正しいんです。


              ☆


 どっちも正しい、というのは、それは、どちらも正しくないということの裏返しだと思う。尊厳死、のような重大で、正しいやりかた、正しい答が必要とされる問題に、決まってベストの答がみつからないのはなぜだろう。答はおそらく無限にあって、どんな立派な答でも、問いかける人の、状況の、ほんの少しの変化で無効になってしまうのだ。


 正解などない、という真理を、自分の出した答の不完全さの言い訳にして、考えることをやめてしまう人を僕はこれまで批判してきた。でもそれは、とても実際的で、合理的なやりかたでもある。考えられるところまで考え、できるところまでやる。取れるものをとりあえず取って、行けるところまで行く。偉い。潔い。格好いい。それで僕は、ならば僕は、できるだけたくさんの答を出そう、ベストなどないのだから、ひとつでも多く考えよう、と思ったのだ。1の不完全さより、無限大の矛盾を取ることにする、決めたのだ。


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受信: 2006年5月19日 20:25

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