水とコップ
これは右のコップを主人公とした教訓である。
「同じ量の水が入ったコップがこのようにあると考えてください」

「さて、これら3つのコップの中で、どのコップに入った水が一番いいと思いますか?」
「では、この水をみなさんが実際に飲むということを考えてみてください。たとえ量がおんなじでもそのコップにめいっぱい水が入っている方が、飲む側の立場になってみると、気持ちがいいとおもいませんか?」
「これらのコップそれぞれを人間であり、同時に“その人自身が持っている力”だと考えてください。そして、コップの中に入っている水は、“その人がどれだけの力を使っているか”だと考えてください」
「すると、左のコップや真ん中のコップは、持っている力に対して本来あるはずの力をぜんぜん使っていないことになりますよね。つまり2つのコップを人にたとえた場合、その2人は“もっと力が出せるのに出していない人”ということになります」
「先生はそんな人よりも右のコップのように“持っている力が小さくともめいっぱい力を出している人”が好きです」
「みなさんも、右のコップのような人間になってください」
Nanda♪毎日が思い出じゃん!!
「第23話 右のコップ」から引用。
☆
左端のコップを主役にすると、また別の話ができる。左のコップは、右のコップと同じだけの仕事をしているのに、見せかたというか演出、自己アピールが下手で、損をしている不器用な人に喩えられる。
右のコップは実はほんの少ししか働いていないのに、演出によって目一杯の仕事をしているかのように見せているだけの、要領が良い人だ。
「社会では、右のコップのような人はどんどん出世して、左のコップのような人は、同じことをしていても、駄目人間の烙印を押されてしまいます。でも先生は、左のコップのような不器用な人が好きです。左のコップはね、別に楽をしているわけではありません。頑張っているのに楽をしているように見えてしまう、それだけなんです」
「不器用な人が、要領の良いだけの人に虐げられて、片隅に追いやられてしまう、そんな世の中は間違っていると思うんですよ。大人の社会はね、厳しい競争社会です。本当に厳しく、実力だけで、正確な「水の量」だけで評価してくれるなら、それも構わないでしょう。けど世の中は不公正なのです。持って生まれたコップの見た目で水を量るような、そんな理不尽なことが平気で行われています」
「そんなのはおかしいと思います」
「みなさんはそれぞれ、いろんな形と大きさを持ったコップを持って生まれてきます。ああ、もっと小さくて持ちやすいコップだったらな、かっこいいデザインのコップが良かったよ、さまざまな人と出会って、そう思うこともあるでしょう。誰よりも大きなコップを持って生まれてきたために、努力しても報われないという人もいるでしょう。しかしその大きなコップを必要としている人は、世の中にきっといます。あなたのコップでなきゃすくえない、そんな水がどこかにあるはずです」
.
左右どちらが正しくて、どちらが間違っているとか、そんな話ではない。ただの教訓だ。教訓を必要としているのは真ん中のコップである。それは真ん中のコップを主人公として有効に機能する物語が今この世の中にないからだと思う。
| 固定リンク


コメント