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2006年11月 6日

許しは癒し

 ウェブ上の、とあるところで、とある人が「私は許されたい」と語っているのを見た。


 具体的に誰に、「何に」というわけではなく、とりまく世界すべてに、すべてから許されたいというニュアンスであって、共感するところがあった。


 漠然とすべてを許したい、許されたいという気持ちは僕にも強くある。


 この場合の許しとは、怒りや憎しみ、また間違いをなかったことにして、忘れてしまいたいという逃げではない、癒しという言葉に近いのかも知れない。


 憎悪や、過失から癒されたいという感情である。


 つまり僕とって癒しとは、どうやら「愛」ではないらしいのだ。


 それは愛と正反対の何かを忘れず「許す」という気持ちらしい。


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コメント

『許されたい』は『癒されたい』に近い?!
とても共感します。
人間長く生きていると自覚無しに疲れてるのね。
その疲労の密度は年齢の長さではなくて、一日、一分、一秒の中身の濃さによるけれど・・・^_^;
きっと誰かに『もうそんなに頑張らなくてもいいよ。
そんなに我慢しなくてもいいよ。』と言われたら、
余り泣くことのない私でも、きっと涙があふれてくると思うな(^.^)

投稿: ロックフリーク | 2006年11月 8日 18:31

 ぼくは、間違ってばかりの間違った人間です。愛の持ち合わせもない。

 だからでしょう、いちばんひどい間違いや、憎しみからこそ許されたい、と思ってしまうのは。

 間違いや憎しみから許されようと考えるなら、忘れて、なかったことにしてしまうのではなくて、自分や他人の中にも、すすんでそれを認めることが必要になってくる、はずですよね。

 それが「許し」、ぼくの今考えている「癒し」です。


投稿: ぼく | 2006年11月 8日 20:16

そう「解放」ですよ。愛も憎しみもなにかに縛られているのですから。もがけば縄が食い込み、狭い鉄の箱の中でたんこぶを作ることになるのです。でも、もがかないと水に浸かった小さな牢獄は、どんどん沈んでいってしまいます。

しかし、解放されたら今度はなににも縛られることはありません。それどころか、なににもしがみつくことができなくなります。「許すもなにも無関係」になってしまいます。

さぁ、溺れながら少しずつ進むのか、溺れずに流されるのか。どっちもイヤですか?

投稿: えまな | 2006年11月 9日 05:30

 イヤとかではなくて、「許し」ということで、ぼくは解放されてあることに値する人間なのか、それとも縛られているのが相応しいのか、どうかということを考えます。


投稿: ぼく | 2006年11月 9日 22:41

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