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2007年1月31日

欲望は狭く浅く

 よく思うのだけど、人間の好奇心というのは、無限ではありえない。

 この世で、僕の知らないことはあるけど、そのすべてを知りたいとは思わない。


              .


 たとえばの話、中国語をもっと覚えたいとは思う。

 彼女が中国人だからだ。しかし中国11億の民1人ひとりの過去と現在と未来に関心はない。


              .


 狭く浅く、君のことを知りたい。

「君たち」のことなんかどうでもいい。


              .


 限られた生を生きている。

 君と僕との欲望もまた、限定的だ。


              .


 慎ましいものだ。僕たちはとても満足している。なのに「僕」は満たされない。


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プラス志向

 3.14ってやつだ。円周率は小数点以下200桁までを暗記している。


 忘れられない。


 記憶にプラスの障害のあった小学生のときに覚えた。これはいくらでも覚えられると思った。とりあえず200桁で止めたのだけど、正しい判断だった。


 1000桁も2000桁も暗記しなくて良かった。絶対に忘れられなくなっていたと思う。


              .


 一方で僕は、自分のうちの電話番号が覚えられなかった。


 自宅の住所の、何丁目何番地という数字が覚えられなかった。


 それは今でも苦手で、何かに現住所を記入するときは、わざわざ免許証を引っ張り出し、確認しながらでないと書けない。


              .


 あるいは僕は、円周率をもっともっと暗記するべきだった。


 プラス、プラス。下1億5千万桁を忘れられなくなった世界チャンピオンとして、なのに妻の誕生日も覚えられない男として、テレビで紹介されるのだ。


 映画になるのだ。きっと妻も誇らしげだ。


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2007年1月30日

「明日に架ける橋」

 電車の中で痴漢にあった。最初は自分が何をされているのか、それすらわからなかったけども、どうやら僕は、男に肩や腰の辺りを撫でられているらしい。


 念のために言っておくと、僕も男だ。もう若くはない。肉体美があるわけでもない。ただの男だ。これは何かの間違いだろうと思って、場所を移動する。でも、鼻から低いうなり声のような音を発して、僕の尻を撫でまわしているその男は、くっついたまま、離れようとしなかった。


 背は低かったが、男の肩幅は僕の2倍近くある。情けない話だけど、暴力をふるわれる危険を想像すると、嫌悪感を表明し、下手に騒ぎ立てるのも、どうなのか。僕はそれ以上逃げずに、何でもないふりで耐えていた。ナイフを持っているかも知れないのだ。刺されるかも知れないと考えれば、不快だったが、我慢できないこともない。


 その間ずっと「女性は子供を産む機械だ」という先日の政治家の失言を、僕は心の中で、繰り返していた。ならば僕も機械だ。とびきり無自覚な機械だ、むりやりにそう思い込み、スイッチを切る絵をイメージすると、我慢できるような気がしたのだった。


 僕は次の駅で降りた。目的地はずっと先だったが、しかたない。それでも男が、まだついてくるようなら、改札で言うか、交番に駆け込むつもりでいた。でもたぶん、こういう変質者は人の心が読めるのだろう。


              .


 男が鼻から出していた、うなり声のような音が、鼻歌であることに気づくまで、僕は、それでも平静を保っていた。あれは「明日に架ける橋」だと、男は「明日に架ける橋」を歌いながら僕を犯したのだと思い至り、ははは震えが止まらなくなってしまった。


 到着する電車を、何本もやり過ごさなければならなかった。今は沸き上がってくる、この思いが、恐怖なのか怒りなのか、わからない。「明日に架ける橋」だって? 引きつった笑いの発作が、止まなかった。


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2007年1月28日

ラスト・ソング

 私は歌が下手で恥ずかしいから早く引退したい、と嘯く今人気絶頂のアイドル歌手に話を聞く。


              .


 ‥‥下手だから練習して上手くなりたいとかじゃなくて?


「下手だから上手くなりたい、っていうのは変だと思う。努力するための動機がコンプレックスだなんて恥ずかしいと思う。


 あなたはどうして歌が上手くなりたいんですか、はい歌が下手だからです。はァ? そんなふうに答える人いるの? 


 いたらおかしいって。好きだからでしょう? 好きだから上手くなりたい、それで努力もするんでしょ、違うの?」


 ‥‥歌が嫌いなの?


「そう、歌が下手だから」


 ‥‥じゃなぜ歌うの?


「歌が嫌いだから。でも歌うのも、これで最後ね」


              .


 歌が聞きたい? 頼まれて私が歌ったのは、そう、最初に歌ったとき。そして最後に歌うとき、決めてるんだ。


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2007年1月27日

申し訳ないけれど現実のあなたは、実に多くの点で、「あなたのイメージ」より劣る。

 全体としてはあまり好きじゃなかったけれども、『ノルウェイの森』という小説の中では、主人公の友達の女のコが、男ってなんであんなにオナニーばっかりするわけ? と主人公に質問しているところが、なんだか可笑しかった。


 ちゃんとした恋人がいるのに、それでもまだオナってるでしょ、変くない? みたいな(言葉は全然違います)。


 作者の村上春樹は、そこで主人公の口を借りて、男の性欲について云々するわけだけど。


 僕の見解とは少し違う。雑誌やビデオなんかで、女性の裸を見ても、僕はその裸の女の人と、セックスがしたいとは思わない。


 純粋(?)に、オナニーがしたいって思うんだな。それは目をつぶって、頭の中に想像したときでも同じで。


 その想像の女の人と、ヤりたいと思ってするわけじゃない。だから、写真や映像や、想像の中の女性が、現実に目の前にあらわれたとしても、その人とセックスしたくなるかどうかは、微妙。わからない。


 ありえねぇ、超リアルだよ! とか言って、実物を目の前にしてオナニー始めるんじゃないか。僕も含めてだけど、そういう馬鹿は意外と多いと思う。


 男が、好きな女のコを思い浮かべてオナニーすることって、だから、すごく少ないんだ。失礼とかの理由ではなく、そんなことしてたら、本番で勃たなくなっちゃうから。


 申し訳ないけれど現実のあなたは、多くの点で、「あなたのイメージ」よりも劣る。突然インポになってしまったあなたの彼氏は、あなたをオナペットにしているのかも知れない。


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2007年1月26日

不毛の地、日本

 不毛の地に、父、母、子という3人の家族が暮らしている。この年はとくに不作だった。蓄えもない。口をひとつ減らさなければ、冬を越すことができない。


 ‥‥という状況があるとする。問題。犠牲になるべきは誰か。


              .


 正解は「子供」だという。


 父と母が生き残って、春になれば、子供はまたつくることができる。体力のない女・子供が生き延びても、春からの過酷な労働に耐えることはできず、結局無駄だから、という理由だ。


 自分が真っ先に犠牲になって、最悪でも子だけは助けるべきと答えた優しいあなたは、父親失格である。生きる資格など、なくても生きられるが、厳しくなければ、人は生きていけないのである。


 社会人としての責任を放棄してもいる。それは「逃げ」だと。土地を耕せるのはあなたしかいない‥‥


              .


 理にかなっているようにも聞こえるが、その考え方には、そもそもその土地が不毛となったのはなぜか、暮らす人々に不毛な労働を強いているのはいったい誰なのかという、‥‥そんな視点が欠けている。


 僕は思うのだけど、そこを不毛の地にしたのは、子を殺して自分だけ生き延びようと考えた、当の親たちではないか。


「責任」や「公」などともっともらしい言葉を並べて、自分の行いを正当化しようとする猾い大人が、その土地から「希望」を奪ったのではないのか。


              .


 いじめ。弱者は切り捨て。今の日本を見て、ひどい状況を見て、僕が思い出すのは、この不毛の地に暮らす、親子の話である。


 この悪天候は、まだつづくだろう。また来年も不作だろう。死が絶望が、まだまだまだまだつづくだろう。


 そして最悪のシナリオでは、日本全体が、財政破綻した、北海道夕張市のようなことになるのだという。


 そこから「再生」するために僕たちは、いちばん弱くて、未熟な「子」を犠牲にする‥‥


 すべてを正当化するための理屈も、強者により、既に準備されているのだ。


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2007年1月25日

ラブしてる

 翻訳をするときには、「ビッチ!」や「アスホール!」なんて言葉を、そのまま「売女!」「けつの穴!」と訳してはいけないと、よく注意される。


 そうではなくて、ビッチや、アスホールを含む会話文全体で、強い罵りの言葉になるよう、工夫しなさい。


 人を罵るとき、「けつの穴!」と言う日本人はいないからね。


              .


 ‥‥のわりには、その同じ翻訳家の先生が平気で、「アイラブユー」を「愛してる」と訳しているのは、どうしてだろう?


 愛の告白で、「愛してる」と直球勝負の日本人はいないのにね。


 そうではなくて、「アイラブユー」を会話全体に広げ、できるだけ曖昧にぼかすよう、工夫しなさい。


 ギャグのスパイスをふりかけ、‥‥そう、ふられたときのため、保険をかけることも忘れずに。


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2007年1月24日

無力

 本当に強い人が、その強い力をもって、弱さを探し求めることは、たぶんない。


 探しあてたところで、弱さを、強者が力でものにすることは、かなわないのだ。


 逆に弱い人は、その弱さゆえに、自らの弱さを、最後まで守り通すことがない。


 弱者にも維持ができず、手放されて弱さは、強者にも消息不明のまま、消える。


 その前に見つけ出す。僕は僕自身で守れなかった、僕独自の空気みたいな弱さが、


 好きだ。


 僕は、本当に強くなってしまう前に何度も、強さでは絶対に手に入れることのできないものを、強く求めるだろう。


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2007年1月23日

海へ

 2ヵ月間車を借りて、夏の九州を旅してまわったことがある。新聞や、よく読む個人のブログ記事で、タレントのそのまんま東が宮崎の知事に当選したというニュースを目にして、ずいぶんと昔のことを、思い出してしまった。2ヵ月のうち、大半を過ごしたのが、知人の実家のある宮崎県だったのだ。


 農家である彼の実家では、昼に畑仕事を手伝っていた。帰省中の知人は自由に、いろいろと繰り出して遊んでいるようだった。週の半分は僕もお休みをもらい、初めは知人の案内で、観光の名所的なところを、見てまわっていた。


 予想よりだいぶ早く、しかし名所にも飽きてきたよという丁度のタイミングで喧嘩になり、知人は怒って、東京へ帰ってしまった。喧嘩の原因は、毎晩対戦していたファミコンの野球ゲームだった。自他共に認めるゲーム音痴の僕と、オタクっぽいマニアである彼とで、まともな勝負ができるはずもない。


 僕は全員がホームランバッターであるような大リーグ選抜のチームを、彼は、もっとも弱いとされるパ・リーグの球団を選択して、ピッチャーには変化球の投球と、塁に出たランナーには盗塁を禁止してもらうという縛りの下で戦ってもらったのに、僕は勝てなかった。目をつぶって打ってもらう以外に、つけ加えるハンディもなくなり、喧嘩になったのだ。


 彼の実家にもいられなくなって、「観光」は終わったのだけど、それで良かったのだと思う。見るべきは「海」だった。ハワイとも沖縄とも違うブルーの。「名所」に向かう途中で、視界に、目にしたことのないブルーが入ると、それが海だった。見下ろす丘に、車をとめる。あまりの美しさに、僕はそれ以上運転ができなくなるのだ。


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2007年1月22日

ワインディング・ロード

 曲がりくねった、山道を下る途中で、車のハンドルが、きかなくなってしまったことがある。間の悪いことに、ブレーキも壊れてしまった。それで僕は、時速30km程度の、非常にゆっくりとした速度でガードレールを乗り越え、崖を80mも転落したのである。どうしようもなかったのである。


 死ぬのだ、とそのときは考えなかった。恐怖もなかった。ただ嫌悪感だけがあり、崖下に、叩きつけられるまでの数秒間、僕は、死とまったく別のことを考え、鬱になった。やっかいなことになったなぁ、と。下りの峠道でハンドルとブレーキが同時に故障しただなんて、誰に話しても、絶対に信じてもらえないだろう。


 免許を取ったばかりの若者が、親に買ってもらったスポーツカーで、調子に乗り飛ばし過ぎて、とそんな話は聞く。この若さでは何を話しても無駄なのだ。この派手な車では諦めるしかない。貧乏な警官に、どれだけ嫌味を言われようとも。


              ☆


 墜落の衝撃で、車はぺしゃんこになったが、かすり傷ひとつ負わなかった。どこも痛くなかった。歪んだドアを開けるのに、苦労して、ちょっと筋肉痛になったぐらいだ。家に帰って、風呂に入るまで、胃の下にできたハート型のアザにも、僕は気づかないでいた。まったくそれは、アザに見えなかった。ハートの入れ墨みたいに見えた。


 アンビリーバボーには、もうこりごりだ、って思った。医者に行こうにも、なんと説明すればいいのか。


 ハートで何を証明できるわけでもない。あの高さから落ちると、人間は大概死ぬらしかった。少なくとも、怪我ぐらいはする。警察では言われた。いくら飽きたからといって、車を崖下に捨てると犯罪だよ。つまり不法投棄、というわけだ。事故だとは思われず、アザのことを心配してくれる人もなく。


 目撃者がいたならば、自殺にも見えたことだろうに。自殺。そう考えると、すべてがしっくりいくことに気づく。もしかしたら、僕は今も、あの崖を落ちている、その途中だ。のろのろと死んでいくところなのだ。


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2007年1月21日

『ハイペリオン』を読む

 君が好きなわけではない。君と、一緒に時間を潰すのが僕は好きなのだという台詞があって、あれは相当に格好良かった。真似して言ってみたことがあったけど、「潰す」というのは、さすがにハードボイルド過ぎて、しっくりこなかった。


 本が好きなわけではない。僕はただ、本を読んで時間を潰すのが好きなのだ。なんて僕が言うと、格好つけ過ぎになってしまう。本が僕の時間を奪って、僕は書かれた時間を得る。これでどうだろうか。潰しあうのではなく、お互いの時間を「交換する」感じでは。


『ハイペリオン』という小説がある。大好きなSFだ。物語は忘れてしまったけど、感動だけは残っている。10数年も昔、夢中になって読んだハードカバーが、上下巻に分かれ文庫本になっているのを、古本屋で見つけて、思わず買ってしまった。


 この場合僕は、『ハイペリオン』を買ったわけではない。『ハイペリオン』を読んで、潰れたあのときの時間を買い戻したのだ。昔大好きで、聴いてきた曲の中には、観てきたいくつもの映画の、印象的ないくつかのシーンには、読んできた本の頁の隙間には、それと交換になった僕の時間が、いっぱいに詰まっている。


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2007年1月19日

夏の日

 僕は青を見た。本物の青を見た。すると空は、青の秘密を守るため、世界中の青の上に、青を降らせた。本当は、何も見えない、僕の目から、青を隠そうとした。


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春は遠し

冬枯れの銀杏並木に、
黄色い雪が積る。


通りは、
まるで落葉の季節だった。


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2007年1月18日

無限の想像力という嘘

 ありのままの君、というのは幻想に過ぎない。結局のところ、人は、人を見たいように見る。


 何を言いたかったのか、何を見せたかったのか。あなたがどんな天才だとしても、あらかじめ僕の心の中にないあなたを、僕に見せることは、できない。


 想像力に、限りはないというのは嘘である。大嘘である。


 心には、限りがある。ここまでが「自分」 / ここからが「あなた」。‥‥アイデンティティ。


 心とは、成長するに従い、僕と世界との間に、境界を設ける意識だ。本質的に自由、かつ無限である世界を想像力で区切って、心ある僕は、限りある僕になるのだ。あなたを見失うのだ。


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部屋探し

 彼女がうちの近所に越してくるつもりでいる、らしい。家賃のだいたいの相場を調べてメールしてほしいと言う。


 希望する条件だと、いちばん安い部屋で1万8千円というものもあったが、相場は3万円代の半ばで、車を持っている彼女には、さらに8000円の駐車場代も必要になる。


 本気だろうか。それでも一緒に暮らそう、という話にはならないのである。結婚することは、たぶんない。子供でもできてしまえば別だが。


 勢いで何度か、その後は惰性で、何度「そういうこと」になっても、彼女が妊娠することはなかった。不妊の原因は、どちらにあるのかわからない。どちらかが不妊症だとして、治療する気もない。


 お互いにラッキーと思って、楽しむだけだ。妊娠しないのは、本当に運が良かっただけなのかも知れないが、最近では避妊をすることもなくなってしまった。僕は、潜在意識の奥では、結婚したがっているのかも知れない。


 しかし、お忍びで産婦人科に行き、中絶手術を受ける彼女の姿を想像するのは容易い。彼女のウェディングドレス姿よりも、ハンドバックの中のピルを想像するほうがずっと易しい。


 なんという僕だろう‥‥。つき合って5年になるが、その間に僕たちは何度も「別れた」。喧嘩をしたわけではなかった。ふたりの間には、今や言い争う話題さえない。ただ突然、メールに返事が来なくなる。電話が通じなくなる。


 それが数週間つづく。会わない期間が、ちょうど十月十日になったこともある。再会後の彼女は、普段ははかない、おばさんのような下着をはき、やけに肉付きが良かった、そんなこともある。


 実は僕には、私立進学や、留学を希望し、やたらと金のかかるところだけ母親と似た、美しい娘がいるのだ。そんなふうに考える、ひとりぼっちの夜に、鏡に映した顔は、とても老けて見える。


 小便やうんこや、電気カミソリからはいつの間にかおじさんの匂いが立ち上る。自分と、想像力のあまりの醜さに、驚き怯む。


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2007年1月17日

何とかの日

 今日はビデオで映画を見る日、カフェで読書をする日、など、それを前日の夕方までに決めてしまう。


 僕は休日を「何とかの日」と定め、一日中それだけをしてひとりで過ごすことが非常に多いことに気づいた。


 ポケットティッシュの日、「武富士」のポケットティッシュは、フィットネスクラブでもらった。フィットネスクラブのポケットティッシュは、駅前でもらった。


 駅前ではその他にも、タダで教えてくれるという英会話教室のちらしをもらう。僕の日の僕は、帰宅してゴミ箱に捨てる、ポケットの中身だった。


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防犯対策

 空き巣被害を防ぐために玄関のドアの取っ手を床すれすれの低い位置に付け替えた。


Door


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2007年1月15日

ゲームの名は?

 名字がラッキーという人と、名前がラッキーという人では、どちらがより「ラッキー」だろうか。

 つまり幸田ラッキーと、幸子ラッキーとでは、どちらが。


              .


 仕事で、偶然に「ラッキー」という名前の人に会った。

 luckyは、幸運の意味だ。変わった名前だ。

 仕事とは、将来性はゼロのくせに、責任だけはそれなりにあるという、最高にやる気の出る仕事である。

 ミセス・ラッキーは、自動車メーカーの、下請け工場で、油まみれになって働いている。

 将来性の少なさ、責任の不自然な重さという点では、僕の仕事と、どっこいどっこいだろうか。


              .


 ラッキーさんは、中国人だ。5〜6年前に、日本に来た。

 日本人の男と結婚した。来日して僅か1週間後のことだ。

 ラッキーさんと結婚した男は、ラッキーさんと知り合う直前まで、ラッキーさんの妹と同棲していた。


              .


 妹は、男のことが嫌いだった。ずっと以前から別れ話が出ていた。

 出てはいたのだが、「お前を失うぐらいなら僕は死んだほうがましだ」と、男が泣き叫ぶので、なかなか、別れられずにいたのである。

 そのうちに男は、バスルームでハラを切ったらしい。

 しかも救急車は前もって自分で呼んであったらしい。

 それで完全に冷めた妹は、自分とそっくりの姉を中国から呼び寄せ、男にあてがったのだ。


             .


「私とは合わなかったけど、彼はイケメンだし、背も高いし、お姉ちゃんそういうの好きだし」

「お姉ちゃんとは、合うかも知れないな、と思ったの」


              .


 妹はそのとき、ハラキリさんとは別の、そこまでハンサムでもない日本人の男と、急速に関係を深めつつあった。

「あいつ馬鹿だから、私たちが入れ替わったことにも、気づかないのよ」

「悪い妹だな」と新しく恋人になった背の低い男は思った。その評価は変化することがなかったが、ハラキリ男についての判断は、今もって、保留している。


              .


 ちなみに彼女の新しい、お利口さんの恋人というのは、僕だ。


              .


 一方でラッキーさんも、すぐに男を嫌うようになった。

 嫌うようになったのは、男がハラを切るからではない。

 今も男が妹のことを好きでいるからだ、と彼女は言う。

「でも知ってる? 中国では、姉妹はとても仲がいいの」


              .


 名前を聞いた。それで姉妹だと知ったのだ。ラッキーさんの本名は、「大切にする」という意味の中国語だった。

 対して妹は、姉には幸せになってほしいと平然と口にする僕の中国人の恋人だが、「理解する」という意味の名を持つ。

 より正確には「理解したもの」か。僕は本当のことを少し打ち明けて、ラッキーさんにキスした。

 けど話すまでもなかった。彼女は、最初から全部知っていたみたいだった。


              .


 いつの間にか、問い自体が変わってしまう中で、つねに同じ答を出しつづけよという、ゲームがある。

 そこには、同じひとつの問いかけに対し、無限に変化をつけた答えを出すプレイヤーがいて、勝ちつづけている。

 ゲームの名は?


              .


 また無敵のプレイヤーは誰か、答えよ。

「理解したもの」になり姉は、唐突なキスと、僕の真実や嘘に、驚かない。

「あなたは、さびしくないの?」

 短い時間、抱き合いさえした。


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「わからないから」の先には何があるのかな

 私に詩のことはわからないから‥‥


 油絵ってわからないから‥‥、という言い方をする人がたまにいるけど、「わからないから」の先には何があるのかな。


 曖昧な日本語で、語尾を濁すのはやめて、断言してみると、わかることもあるんじゃないか、と。


              .


 優れた表現は、「‥‥」の形をした、すべてのもやもやした気持ちに、光をあてるものだ。僕たちがそれを断言できるように手助けしてくれるだろう。


 と同時に、それまで自明だと、信じて疑わなかった「自分」や、「現実」の類の存在基盤を揺るがし、疑問符の形に変える。


 わからなくしてくれるんだ。それをこそ抱え込めばいい。


 つまり「詩」ではなくて、自分を。「油絵」そのものではなくて現実を。


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2007年1月13日

世界が終わるまで、

世界が終わるまで、君と踊りつづけたいとか、


世界が終わるまで、君を思いつづけるという歌。


その他世界が終わるまで、走りつづけたり、


夢見つづけたり、


‥‥いろいろと忙しい君。


              .


でも僕の生きている間にも、


世界は、何度か終わったみたい。


              .


そう僕が世界を終わらせるまでもなく、


世界は、「世界が終わるまで」の人が、


勝手にどんどん終わらせてくれるのだった。


              .


それで僕は、世界が終わるまで、


‥‥何もすることがないのだった。


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ラッキー

 名字がラッキーという人と、名前がラッキーという人では、どちらがより「ラッキー」だろうか。


 つまり幸田ラッキーと、幸子ラッキーとでは、どちらが。


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ジョンの魂

 ノドが痛くて、タンがあとからあとからからむ。


 カゼをひいた。


 アダルト女優の、口の中に痰を吐き、ジョンの苦しみを味わえってむりやりそれを飲ませていた変な男優がいたよな、と思い出しながら13時間連続で眠ったのに、眠ったのに、ちっとも良くならない。


 真夜中に1回だけ目が覚めた。


 朝の電車の中では、突然、小学生の持つ防犯ベルが誤作動して鳴り出す。


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2007年1月11日

「人類」と

 買い物の帰りに、神社へ、初詣に行った。


 黄色いメルセデス・ベンツC180コンプレッサー・ワゴンが手に入りますように。


 それか、黄色いアクセラ、トランスミッションはもちろんマニュアルがいいです。


 ‥‥使い切れなかった小銭を、お賽銭として放出する。


              ☆


 小銭は山ほどあったので、人類のためにも祈ることにした。


 中国人の彼女と、美しい双子の姉妹のために。


              .


 友達の中でも外国に行くA子さんのことは、人類と切り離して、特に念入りに祈った。何しろ電気もインターネットもない辺境に行くのだ。


 たいして好きでもないその他大勢の知り合いは、「人類」とひとまとめにして祈った。


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「心」を受け入れたとき

 愛とは何だろう。それは宗教の、偉いお坊さんが言うような、ただ惜しみなく与えるだけのものではない気がする。容赦なく奪うようなイメージもある。


 とすれば僕は、愛で何を与えられ、愛に何を奪われたのだろう。


              .


 思うに、愛で与えられた僕は、完璧な存在だった。どこまでも自由で、可能性は無限にあった。


 愛はそういう「永遠」を奪ったのだ‥‥。愛に奪われ、「心」を受け入れたとき、僕は、不自由で不完全で、限定的なお約束になった。


 つまり僕は、僕になった。君や愛を憎むようになったのだ。


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2007年1月10日

新しい職業を要求するすべての服を警戒せよ

 また明日の夜は、喧嘩になりそうな予感がする。


 彼女が、彼女の友達を連れて部屋にやってくるのだ。


 よく掃除をしておいてね、と彼女は言う。


 服装も、家の中だからといって、あんまりだらしないのはだめ。


 スーツにネクタイという格好がいいんだろうか、冗談で僕が返すと、それは考慮に値する提案だと言わんばかりに、彼女は頷く。


 とてもきちんとした人で、身だしなみには特に厳しくて、それで私は、彼女のことを尊敬できるの。


              ☆


「彼女の価値観が一夜のうちに変わったりすることは‥‥」


「あの人の価値観が変わることはないの」


「彼女は、人を好きになったり、恋をしたりすることがないんだね?」


「何言ってるの? そんなことあるわけないでしょう」


「人を好きになることが、人の価値観に影響しないってわけ?」


 それこそありえないだろ?


              .


 あの人は影響を与えるの、誰かを好きになることも価値観の中に組み込まれていて、誰にも影響なんかされない。


「彼女は強くて、美しい、ただそれだけよ。ひがみっぽい皮肉はよして」


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安全な僕

 父は、風呂に入るときも眼鏡をかけていた。同じく近視だった僕にも、そうするようにすすめた。ひどく目が悪いから、というのが理由だったが、文字どおり、僕は無視していた。


 熱や、湿気でフレームやレンズがおかしくなり、毎年のように、買い替えていた。父は、眼鏡店の上得意客だった。僕は、父のように、四六時中、何でもかんでもを見ていたいとは思わなかった。


 僕の目が悪くなり始めたのは、中学1年生のころからだが、高校を卒業するまでは、眼鏡もコンタクトもなしで過ごした。ドアでもない、ガラスの壁にぶつかり、道に開いた穴に足をとられ怪我をするのが、日常だった。


 常時、目にコンタクト・レンズを入れるようになったのは、視力が0.01にまで落ちた、20代の後半からだ。見えない、ということは不便で、ときに危険でもあるのだけれども、その状態に、それまでの僕は、奇妙な安心感をおぼえ、特に対人関係において、リラックスしていられた。


 今では、いろんな情報が、100倍もクリアに、目に飛び込んでくる。人的な、あるいは物的な危険を避けたり、先のことを予想したりするには、絶対に有利なはずなのに、安全な僕は、常に緊張していて、帰宅してコンタクトを外すまで、安心することがない。


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今年は先っぽにお正月の飾りをつけた自動車を1台も見かけなかった。

 道端で、雑種の老犬がひなたぼっこをしていた。ずいぶんと長い鎖に繋がれているみたいで、家の、陽当たりの悪い庭にある犬小屋から、公道上にまで出て来ていた。


 屈んで、頭を撫でてやる間中、一生懸命に、僕の匂いを嗅ごうとしている。落ち着け、いいんだ、もっとリラックスしろよと声をかけると、ため息のように聞こえる鳴き声で漏らした。


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兄妹バラバラ殺人事件

 この間、夢見がちの妹が死んだ。僕が殺したら、思いもかけず、死んでしまった。


 ノコギリや、包丁を使って、妹をバラバラに分解したら死んだけど、小さくなって消え去るということはなく、単純に、数を増やしたようだ。


 今では世界中の人間が妹になったみたいで、僕に対し、「夢がない」とうるさい。


              ☆


 思うのだが、他人を批判したいような気持ちが起きた場合は、新聞ではなく、文学を読むといんじゃないのか? 


 あれは偉大なる先人たちが発した、罵り声の記録だからだ。参考になる。


 ミシマ、ダザイ、アクタガワ、それから、えっと、リュウ・ムラカミ‥‥


              .


 ところがだ、今の君は、理由もなく死んだ妹を褒め讃えたい気分で一杯なのに、言うべき言葉がないのだ。


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2007年1月 9日

ベンツとBMWとカローラ

 たんにクルマという話だけではなく、「人間」の創り出したすべてのものを、この3つの中のどれかに分けてもいい。


 ベンツ、BMW、そしてカローラ。


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 具体的にはベンツは190というモデルで、89〜90年ごろの新車だった。のちに、後継車種であるCクラスに代替わりした際、「最善か無か」という頑固一徹のものづくりのポリシーを捨て、まるで日本車のような合理主義を取り入れたベンツ車の品質は大幅に低下したと聞くが、事実だろう。正確という意味で電子時計のように、良し悪しをはかるのに今でも充分に通用する「ものさし」であり、参照するのにもっとも信頼のおける、辞書のような、そんな車だった。


 面白みはないけれども、正確。


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 ベンツが「辞書」ならば、こちらは「小説」である。BMWは、同時期の318だ。趣味のいい、走り屋のためのスポーティな車、というイメージがあるBMWだが、あのとき僕の乗った318は、最悪だった。全然速くなかった。出足が遅くて、重い車、という印象しかない。壊れているんじゃないかと思った。


 でもBMWには、不思議な魅力があった。この世の中には、どこかに「完璧なBMW」があって、それはすごい車なんだろう、とドライバーに思い込ませる力が。


 今は知らない。それは「小説」というよりも「神話」に近い。同じくどこかで、合理主義に堕したのかも知れない。でもあのころ、すべてのBMWは、どこかで「完璧なBMW」とつながっていた。それは、信じる者を救う宗教だった。ユーザーは高いお布施を払って、「完璧なBMW」を神とする、この教団に入信したものだ。


              ☆


 カローラというのも、「ノンフィクション」に属する不完全な車だった。カローラが正直だったのは、自らの不完全さに対してである。少なくともそもそもの始まりでは、正直であろうと努力していた。どこかに「完璧なカローラ」があるとは誰にも言わなかった。今ここにある車は、完全ではないけれど、すべてであり、すべてである以上、それ以外いらなかった。92年ごろのモデルである。


 完璧さへと駆け抜ける夢を、まるで本当のことのように信じさせてくれたBMWとは対照的に、カローラは、「完璧なものなどないという嘘」を、僕たちに信じ込ませようと進化してきた。


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 そうもちろん、それは嘘なのだ。80点主義という嘘だ。かつて世の中には100点満点の何かがあった。文字も数字もない不正確な神話の時代の話だが、この世には確かに、神様がいたのだ。


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 現代のカローラは、その事実を隠蔽する。まるで歴史を語る人のように、完璧さを最初からなかったもののように扱うことで、自らの不完全さを隠す。


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2007年1月 8日

悲しみよ、こんにちは

 2007から20を引くと1987になるという計算がうまくできない。

 1987年はつい昨日のことのように思える。


 1987年、「マイ・レボリューション」が流行った年だと聞かされても、さらに混乱してしまう。

 僕が渡辺美里を知ったのは昨日のことだからだ。


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 1987年に、飼っていた犬が死んだとき、僕は悲しくなかった。

 1987年、好きだった女のコにふられたとき、悲しくなかった。


 その年の暮れに、友達がバイクの事故で死んだときも、僕はやっぱり、悲しくなかった。

 チェッカーズみたいに、ジムとジェーンの伝説を歌ったりはしなかった。


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 1987年の、僕には悲しいという感情がなかった。


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 憎悪、と言ってしまうと大袈裟だけれど、そのとき僕が感じていたのは、嫌悪感だった。

 渡辺美里に感じたのと同じ、いらだちだった。


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2007年1月 7日

自分に嘘をつくことはできないという嘘について

 自分に嘘をつくことはできない、という嘘について考えている。


 と、言う人は多い。自分の気持ちは誰よりも自分がよく知っていて、それをごまかすことはできない、という意味なのだろう、小説やマンガに書いてあったり、テレビドラマでは主人公の友達が言っていたり、歌にも繰り返し歌われてはいるが、でも、嘘だ。これは今まで聞かされてきた中でも、いちばんのひどい嘘である、と僕は思う、憤りさえ感じる。


 他人を騙すことはできる。でも、自分に嘘をつけるのは、結局のところ、自分だけなのだ。


 自分の気持ちを、ごまかしてしまえる人がいる。たったひとり、いる。それは自分だ。僕だけが、僕に嘘をつく。それを、なかったことにしてしまえる。


 僕は嘘つきだと言う嘘つきでも、これだけは、知っておく必要がある。この気持ちは、思う僕しだいで、あったり、なかったり。だろ? 僕たちが本当のことを言ってやらなければ、誰が僕たちに、真実を告げるのだ?


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2007年1月 6日

アルゼンチンの方

 思いがけないところで知り合いと出くわし、たぶん今年最後の「あけましておめでとう」を聞いた。明日はもう成人の日なのに。だから昔の感覚で言えば今日は14日だ。照れくさくて「おめでとう」と返せない。
 顔を下に向け、じっとアルゼンチンの方を見てしまった。


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2007年1月 5日

砂糖と塩

 トイレットペーパーの上に、卵を乗せて、それを鉛筆デッサンしたことがある人って、いるかな。材質の違う、白い静物をいかに描きわけるか、その練習なんだけど、トイレットペーパーの上の卵、というモチーフが、当時の、僕の定番だった。


 デッサン力をつけるために、夜、家に帰ってからスケッチブックを広げていた。そのうち、エスカートし始めて、砂糖と塩、台所から持ち出してさ。小麦粉と覚醒剤とか、それは嘘だけど、僕が美大を受験するために、専門の予備校に通っていたころの話。


 年号はまだ昭和で、僕も10代で、トイレットペーパーの上の卵に向けていた、あの集中力に、別の方向性を与えることができていたら、今ごろは、もっとすごい馬鹿になっていた。大芸術家になっていたかも知れない。


 あのころは、みんなそうやって、それぞれのトイレットペーパーに、自分だけの卵を乗せて、情熱と冷静を見当違いのところで浪費して、ハタチ過ぎるころ、ただの人になったという。


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 砂糖と塩ってわけじゃないんだぜ、なのに何がトイレットペーパーで、どれが卵なのか、今じゃ、区別もつかないのさ。


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2007年1月 4日

黒い文字

 なんで、僕は書くんだろう。言葉ってなんだろう。


 ウェブと現実の生活の、2つの世界で、それぞれにきっかけがあって、考えた。


 考えは、きっかけとなった本人にも伝えた。書くことで伝えたいのは、僕の存在ではなく、不在だと。


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 認められたい、ということもあると思うが、いつも確認したいのは、「自分」ではなく、自分という「欠落」だった。


 あるいは欠落という自分。目の前には穴が開いていて、僕にはそれが、白紙の形で見えるのだ。


 いない僕は、その欠落した部分を、自分の形をした、黒い文字で埋めていく。


 もし穴が、白いキャンバスの形をして見えていたら、僕は不可視の画家になって、見えないほどに黒い絵を描いただろう。


 それが「無音」として、聞こえない耳の中に聞こえていたなら‥‥


             ☆


 何より確かなのは、君の中に僕はいない、ということで、それが嫌で僕は、その不在を、僕の形をした言葉で埋める。


 君の、底なしの白い穴が、僕の形に欠けているのを見たのだ。


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話す夢

 人に話してしまうと、夢は叶わないで済むらしい。君は、君を手に入れるまでの夢だ、と、僕は思った。夢を見ている。


 飽きるまで君を夢見たあとで、やっと、僕は君を手に入れるのだが、そのときには、夢は失われている、諦めたような顔をして、君はここにいる。そうだ。昔話によると、もう、手おくれなのだ。


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ポテトチップスで食育

 朝食に、メーカーが推奨する賞味期限を8時間過ぎたいつものパンと、遺伝子組み替えではない、安全な国産のじゃがいもを使ったカルビーのポテトチップスを食べながら考えた。


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 株式会社カルビーには契約農家と一緒になってポテトチップスにもっとも適したイモについて考える心強いイモの専門家がついているらしいのだ。


 袋の裏側に書いてあった。


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 ポテトチップスには、逆に、土や雨や風に一切触れず育ったポテト、を遺伝子組み換えした、そのまたクローン、を収穫して、加工した中国製のイミテーションぐらいがちょうど良い、と僕は思う。


 それは、「殺して食べる」ということの本質であるらしい。食後に、満足とともに罪悪感を感じ、許しを求めて祈るのが本当の食事なら、食育に最適なのは、昔ながらのスローフードよりも、ジャンクフードの方だ。


 僕ちゃんは悪いことをした。いけないものを食べた。どうか死にませんように。と食べたあとで、これほど後悔する食べ物も、他にないだろう。


 ポテトチップスとして加工するポテトや、牛丼として提供する牛を、スローフードのような顔をしてそこまで安全につくらせる、日本は、罪なのだ。


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2007年1月 2日

 人の長所というのは、でっぱりのようなものだと思う。


 美しさや、強さ、頭の良さなど、ときに鋭く尖って、僕を傷つける。


 ‥‥アメリカのようなオマエの出っ張り。


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 他方で人には、穴が開いている。


 僕は僕の形をしたでっぱり。人の短所の中に入り込む出っ張りである。


 醜さ、弱さ、愚かさなどアナタの、ちょうどぴったりに僕の形をした、エロチックな欠落。


 僕のぶんだけアナタは欠けていて、入って来いよ、とまるで誘うみたいなのだ。


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2007年1月 1日

元日のカラス、にゃーと鳴く

 今年は「おめでとうございます」と叫びながら傘の上で物を回す老人をテレビで見なかった。元日の朝は、カラスの鳴き声で目覚めた。にゃーにゃーと鳴き声がするのでネコかと思ったらカラスだった。


 カーテンを開けると、テラスには黒い鳥がいてにゃーと鳴いた。空はまだ暗く、初日の出もなかった。寝ていればよかった。窓の外にはカラスが1羽いて、僕の顔を見るとにゃーと鳴く。


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