僕のものではないけれど、他の誰のものでもない。しかしそれは大切なもので、僕はそれなしでいられない。人の才能とは、そういうものだと思う。
僕の才能は、他の誰のものでもない。それはもちろんだけど、僕は「僕の才能」の、持ち主というわけでもない。そんな気がするのだった。
ちなみに、僕の「才能」という言葉は、普通の人が使う「性格」と同じ意味である。つまり僕は「僕の性格」の持ち主ではない、と言っている。この性格は特別に貸与されたもので、僕はそれを管理しているにすぎない。
音楽を聴くときや、小説を読むとき、TVドラマを見るときなどに、僕の性格は使える。僕の性格を使って僕は、感動したり、笑ったりする。
友達づき合いにも、僕の性格は使える(もちろん)。僕は僕の性格を使って、人を好きになる。人を愛する。楽しいことをするときには、必ず使うようにしている。そうすると、たぶん性格はよくなる。
自分を自分の性格の持ち主だと思っている、傲慢な連中は、性格の使い方が雑である。昔は僕もそうだった。僕の感情は僕が選び、僕の行動は僕が決めているのだと思っていた。でも実際には違ったのである。
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僕は僕に貸し与えられた、この「僕の性格」を使わなければ、楽しむことも、悲しむこともできない。起きて寝るだけの生活を、倦むこともできない。
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それは僕のものではない。他の誰のものでもないが、とても大切なもので、僕はそれなしでいられない。そういうものがある。誰にでもあると思う。
僕にとってそれは「性格」だが、それを「僕のもの」だと思ってしまった瞬間に、僕そのものは失われてしまう。長い間、僕は失われていた。僕は「僕の性格」の中に失われていたのだった。
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