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2008年12月31日

ラブストーリーは突然に、ってか?

 僕が昼間留守にしている間に、友達が合鍵を使って部屋に入り込み、内緒で、鍋にお雑煮をつくってくれていたのだ。帰ってきて驚いた。「いつものお礼!」という、それだけの短い置き手紙に、感動して、泣いてしまった。


 彼女にはいつも、驚くことばかり。こんな可愛らしいことする人じゃないと思っていたのに。今日のことは忘れない。この先も友達のつもりでいるなら、僕はきっと、色々なことを、覚悟しておかなければならないんだろう。


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マーティ マトリックス 眉毛

 深夜にバック・トゥ・ザ・フューチャーを見ていた。僕はこの映画に関してはオタクっぽいところがある。で昨夜のは吹き替えが今ひとつだと思った。


 今回が最悪だと思いたい。でも毎回ひどくなる。僕は東京ラブストーリーの頃の織田裕二がマーティの声を担当していたバージョンがいちばん好きだ。


 ‥‥


 マトリックスの映画を見ていて、緑色に驚いた。見終わると「緑色」がどんな色だったか思い出せない。この不思議な映画には毎回驚くことがあって、そのあとで思い出せなくなってしまうことがある。


 ところで眉毛のかたちを少し変えてみたのだけど、本当にほんの少しなので、誰も気づかないと思う。


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教訓があるようでないような

 84年、とある貧しい国でプロモーション・ビデオの撮影をしていた、世界的に有名なロック・スターが、道行く老人から顔に痰を吐きかけられた。僕は、当時のゴシップ紙が報じたこの話が好きだ。


 老人は自分が痰を吐きかけた相手が、デビッド・ボウイだとは知らなかった。ただ「その男」に我慢ならなかっただけ・らしい。一方で我らが幸福の王子様は、その場面がビデオに収録されるよう、監督に念を押していたという。


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アンナ・カレーニナ

 トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭に、「幸福のかたちはどれも皆よく似ているが、不幸のかたちは人それぞれ」という意味の文章を置いている。


 信じ難いことだ。その時代のロシアではそうだったのかも知れないが、今は逆だと思う。


 理由がないという理由が、ときに最大の理由になりうる今、人それぞれに違うのは幸福の方である。


 幸福のかたちは似ていても、幸福さの度合いが違う。一方で不幸な人間が、抱える不幸のかたちは、それぞれ違っても、


 程度は一緒だ。


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2008年12月30日

三日月

 雨が降って、すぐに止んだ。そうすると夜だった。三日月が出ていたので、僕は僕の性格を使って、それを見上げた。


 僕が直接見るより、僕の性格を使って見た方が、月はより「美しい」と思えるのである。僕はこの「僕の性格」を介さずに、月を見たことがなかった。‥‥


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僕と僕の性格

 僕のものではないけれど、他の誰のものでもない。しかしそれは大切なもので、僕はそれなしでいられない。人の才能とは、そういうものだと思う。


 僕の才能は、他の誰のものでもない。それはもちろんだけど、僕は「僕の才能」の、持ち主というわけでもない。そんな気がするのだった。


 ちなみに、僕の「才能」という言葉は、普通の人が使う「性格」と同じ意味である。つまり僕は「僕の性格」の持ち主ではない、と言っている。この性格は特別に貸与されたもので、僕はそれを管理しているにすぎない。


 音楽を聴くときや、小説を読むとき、TVドラマを見るときなどに、僕の性格は使える。僕の性格を使って僕は、感動したり、笑ったりする。


 友達づき合いにも、僕の性格は使える(もちろん)。僕は僕の性格を使って、人を好きになる。人を愛する。楽しいことをするときには、必ず使うようにしている。そうすると、たぶん性格はよくなる。


 自分を自分の性格の持ち主だと思っている、傲慢な連中は、性格の使い方が雑である。昔は僕もそうだった。僕の感情は僕が選び、僕の行動は僕が決めているのだと思っていた。でも実際には違ったのである。


 ‥‥


 僕は僕に貸し与えられた、この「僕の性格」を使わなければ、楽しむことも、悲しむこともできない。起きて寝るだけの生活を、倦むこともできない。


 ‥‥


 それは僕のものではない。他の誰のものでもないが、とても大切なもので、僕はそれなしでいられない。そういうものがある。誰にでもあると思う。


 僕にとってそれは「性格」だが、それを「僕のもの」だと思ってしまった瞬間に、僕そのものは失われてしまう。長い間、僕は失われていた。僕は「僕の性格」の中に失われていたのだった。


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僕の性格

 僕のものではないけれど、他の誰のものでもない。しかしそれは大切なもので、僕はそれなしでいられない。人の才能とは、そういうものだと思う。


 僕の才能は、他の誰のものでもない。それはもちろんだけど、僕は「僕の才能」の、持ち主というわけでもない。そんな気がするのだった。


 ちなみに、僕の「才能」という言葉は、普通の人が使う「性格」と同じ意味である。つまり僕は「僕の性格」の持ち主ではない、と言っている。この性格は特別に貸与されたもので、僕はそれを管理しているにすぎない。


 音楽を聴くときや、小説を読むとき、TVドラマを見るときなどに、僕の性格は使える。僕の性格を使って僕は、感動したり、笑ったりする。


 友達づき合いにも、僕の性格は使える(もちろん)。僕は僕の性格を使って、人を好きになる。人を愛する。楽しいことをするときには、必ず使うようにしている。そうすると、たぶん性格は良くなる。


 僕の性格は、決して僕のものではない。性格は大切なもので、僕はそれを貸与され、管理している。だから僕は僕の性格を使って、僕以外の人を憎むような真似をしてはならない、と考えている。


 性格を使わなければ、僕は悲しむこともできないが、僕は「僕の性格」を、そのようなことに使ってはならない。性格を使って怒ったり、性格を使って泣いたり、そんなことばかりしていると、きっと性格は悪くなる。繰り返すがこれは、とても大切なものであり、しかも、僕のものではない。


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2008年12月29日

今から

 数日前からうちに泊まりに来ていた友人が家に帰った。帰って今から年賀状を書くらしい。僕は何をしよう。掃除か。


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ギブミー·81

 朝は眠い。眠くて寒い。


 昼間は暖かくて眠い。


 81をくれ。逆さになった18じゃなくて(夢)


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2008年12月25日

朝は死者を悼む

 イーガンも書いていたけど、一日の内で、「希望」や「期待」が一番よく似合うのは、夜の七時ごろだと思う。何かが始まる、という感じ。それが朝でなくなってしまったのは、いつからだろう。


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2008年12月24日

エア千秋

 僕の中にある、僕の記憶とは無関係な一部分が、ドラマの録画を見ながら、エアタクトを振っている。僕はエア千秋。とか言ってみる。彼女はエアのだめ。指揮者はみんなエアーだ。女のコはみんなエアーだ。


 ‥‥


(のだめカンタービレの再放送は、本当に面白い。再放送がこんなに面白いのは、東京ラブストーリー以来。ドラマが完璧すぎて、原作のマンガを読む気になれないところも一緒。)


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そういう行事

 自分を定点観測すること。たとえばクリスマスにはツリーを飾って女のコとケーキを食べるとか、大晦日には紅白を見て除夜の鐘を聴くとか、年が明けたら決まった神社に初詣に行くとか、毎年同じ日に、同じことをすることで見えてくる自分、に少し興味が出てきた。ずっと馬鹿にしてた、そういう行事の意味。


 ‥‥


 ところで週末からうちに来て泊まると言う彼女には、コタツで寝てもらう。コタツで生活してもらう。


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2008年12月23日

リモコンを中心

 そのあとで彼女は、この部屋に泊まるつもりだ。年明けまでずっと。未明にメールがきた。


 風呂とトイレと、テレビのリモコンを中心に、僕は掃除した。それは何というか、彼女のため、部屋で気持ちよく過ごしてもらうため、ではなくて、自分のプライドのためだった。


 ‥‥


「時代」というものがあるとして、僕は早くそれが終わればいいと思った。「世界」より先に、「時代」が終わればいいと思った。


 ‥‥


 僕の役目ではなくて、他の誰の役目でもない、そのような役目はやはり、僕の役目かも知れない。彼女を見ていると思う。僕たちは友達だった。


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ラスト・クリスマス

 明日は友達が来るので、一緒に料理したり、買ってきたケーキを食べたりして、「クリスマス・イブ」ということにするつもり。去年はどうしたんだったかな? 


 クリスマス・イブの記憶と、クリスマス・イブは、別のものだ。今年も去年と同じことをして、それを確認しようと思う。ってのは嘘だけど。


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2008年12月22日

セカイ系・ジダイ系

 僕は「世界」に属していて、「時代」とは無関係に、「世界」をつくっている。「時代」には属していない(つもり)。だから乗り切れる。


 今日は友達といて、たくさん笑った。楽しかった。僕たちは楽しい世界にいた。楽しい時代にいたわけではなかった。


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2008年12月21日

いい曲。

 友達が、一万数千円と、身分証の類とカードを入れていた財布を落とした。現金は返ってこなかった。けど、カードや財布そのものは無事だった。無事に戻ってきたので良かった。良かったねと言った。


 ‥‥


 知らないことばかり。朝起きて、何の考えもなしにテレビをつけると、20年前のニュースが流れていた。1988年12月21日のニュースが。そんな夢だった。僕は未来を憶えていて、未来が懐かしかった。


 ‥‥


 パフュームの新曲を聴いた。新曲だったと思う。パフュームだったと思う。


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2008年12月18日

飲み会

 友達数人と飲んでいた。深夜にタクシーで帰宅した。帰宅して最初にしたのは、のだめカンタービレの再放送がきちんと録画できていたかどうか、チェックすることだった。気になっていたことは言えなかった。


 非正規雇用の人たちがどんな気持ちでいるのか、何を考えているのか僕にはわからない。次々と解雇される、労働者のニュースを見ていて思ったのも、そういうことだった。


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2008年12月17日

お行儀

 その年に読んだ本や、印象に残ったウェブサイトのテキストで1年を振り返る、そのようなテーマで文章を書くとき困るのは、僕に秘密があることだった。


 それを読んだことは、内緒にしておきたい、誰とも共有したくないそんな読書体験が、山ほどあるのだった。


 不適切な喩えかも知れないけど、恋人の女性を、世界中の男たちと「共有」したいと思う男は、あまりいないだろう。


 お行儀の悪い僕が、良い文章と、いつまでも良いお友達の関係でいることは、難しかった。


 そういうことだ。


 かと言って、人前で、良い文章と僕とで、お行儀の悪いことをできるほどではない。


 僕の「お行儀」は、そこまで悪くないのだった。


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2008年12月16日

よころびのうた

 幸せと、幸せの記憶は別のものだが、僕はひとつにするのだ。


 音楽を通じて、ベートーベンがやりたかったのは、そういうことなんだろう、と思う。


 幸せより幸せなものとして、幸せを記憶することを、すっと簡単にしてしまう僕らに向けて。


「おお、友よ、この調べではなく、さらに快い、歓喜に満ちた調べをともに歌おう」


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明と明

 僕と、僕の中にいるもうひとりの僕は、明と明にわかれた。


 明と明と明と明と明と明と明と。僕は見た。


 もうひとりの僕は、僕の幸せな過去に帰って、良かった、という記憶をリコンファームするのだった。


(昨日から、のだめカンタービレの再放送が始まった。最高!)


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損とか得とか

 僕の場合、それをすると損か得か、という価値基準では、何を選んでも、結局損してしまうのだった。


 損しなければ、損はないはずなのに、損してしまう、ということもある。


 僕は損したことになってしまう。


 楽しまなければ損、という考えでは、楽しんでも、僕は損してしまうのだった。


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2008年12月15日

不自然

 古い人間関係を捨てるには、新しい人間関係を築くことだ。なのにまだ僕は、新しいそれを築けていない。


 着信拒否にしているあの人から、また電話がかかってきた。7年間、僕は無視しつづけているのに彼らは、どうにかして彼らは、僕と連絡がとりたいらしい。何の用があるのだろう。どうしてわかってくれないのか。


 古い持ちものを捨てるには、新しく何かを得ることだ。でももう僕には持てない。どれだけ手に入れたらいいんだろう。これ以上なんて無理。


 失う。形あるものが壊れる。熱が冷める。それは自然なことなのに。その自然なことをするために僕は、不自然を重ねるのだ。


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逆立ち

 満月が逆さまに出ていた。兎が逆立ちしていた。


 女のコのニキビに萌える自分に気づいた。「萌える」という言い方はまだ大丈夫だろうか? 変わり者だった。


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2008年12月13日

結露

 夕方の5時に眠ったら、1時に目が覚めてしまった。いやというほど沢山の夢を見て、そのほとんどを覚えていた。


 寝室の北向きの窓には、今朝もひどい結露。を拭いた。


 最後まで市電に乗っていたのは、髪が短くて、眉毛の濃い女だった。男のコのように見えた。


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2008年12月12日

心を入れかえる

「心を入れかえる」って表現があるけど、本当に心が入れかわったら、どんな気持ちがするんだろうな。


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2008年12月10日

おしゃべり ベジタリアン

 森口博子の夢を見た。僕は森口博子が好きなので良い夢だった。森口博子が嫌いだったら悪夢になっていたところ。でも僕はおしゃべりな女が好きなのだった。


 女のおしゃべりを嫌いになるということは、自分の沈黙を嫌いになるということであり、つまり絶対にありえない。おしゃべり万歳だった。


 ‥‥


 買い物に行った。買い物は2回に分けて行った。1回目でティッシュを、2回目で米を買った。僕は自転車のことを考えた。


 ‥‥


 非喫煙者がもっと増えて、煙草を吸わないというだけでは、クールさをアピールしきれない、そんな時代が来たら、僕は肉食をやめるつもりだ。


 アメリカではもうすでに、そんな状況だろうと思う。違うかな。違うかも知れない。


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2008年12月 9日

時間がない

 学生時代は○○が趣味だった、でも最近は時間がなくてね、という人がいる。違うと思う。それはその人が今はもう趣味を優先する生活をしていない、というだけのこと。


 僕にだって時間はない。限られた時間の中、何を優先して生活していくのか、それを考える時間すらないというなら、それはひどい生活だな、と僕は思う。


 ‥‥


 真理をひとつ見つけた。それは「どんなものでも、どこかにある」ということで、とにかく僕は、そう信じているのだった。


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牡蠣の味

 今日は牡蠣を食べた。牡蠣が好きなわけじゃない。でもシーズンになると、食べなければという気持ちになる。勿体ない、という気持ちになり、一時的に牡蠣の味を忘れてしまう。そして食べてみれば後悔する。あまり美味しくはないのだった。


 ‥‥


 夢に見そうだ。1万円札にDHCの広告が印刷されていくところを想像している。1万円札にリープ21の広告が印刷されていくところを想像している。


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僕の21世紀、ギブスンの小説で見かけたような気がする君

1万円札にアコムの広告が印刷されていくところを想像している。


イッツ・ア・ソニーと書かれた千円札を想像している。


その金で手にする、中国製のイミテーション(すでに現実)。


紙幣に広告のスペースを設けたハイパーインフレ国家、牛耳る多国籍企業。


といったものを想像している。


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都合の悪いこと

 おれたちは、都合の悪いことを忘れたことにして生きている。


 みんなそうだ。おまえの言う通り。認めるよ。でもな。忘れたことにして生きることと、忘れてしまうことは違う。


 おまえはどうなんだ? 忘れてしまったんじゃないか?「都合の悪いことを忘れたことにして生きてきたこと」を忘れてしまったんじゃないのか?


 それで「イノセンス」とか言えるのか? 無垢ってか? おまえに思い出してほしいのはそこなんだよ。忘れてしまったことを忘れてしまった、ということだ。


 何も「都合の悪いこと」そのものを忘れるな、って言っているわけじゃないんだ。


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2008年12月 8日

『TAP』を買った

 グレッグ・イーガンの新しい短編集『TAP』を買った。


 まだ読んでないけどすごい。


 絶対にすごいはず、僕にとっての世界最高だからこれは。


 読んだ後、万が一にもイーガンを「世界最高」と思えないようだったら、僕は狂ってしまったということだ。


 僕は感情的な人間だけど、イーガンに関しては、そんなふうに意図して狂うことさえする。


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2008年12月 7日

フォースを使えば何でもできる

TKの付き人をしていたころの僕は、
経済力を、
霊的なフォースのようなものだと考えていた。


いや嘘だ。
TKと関わったことはない。
経済力をフォースに似た何かだと
考えていたこともない。


全部今考えた。


僕が「今」考えるには不適当な考えだったので、
それに相応しい、
元「チームTK」というキャリアを
でっち上げてみたまでである。


するとTKに関わっていた人々は、
フォースを使えば何でもできる
と考えていた・に・違いない、
そんな気がしてきたのだ。


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いい男という場面

 英語のアイニージューやアイウォンチューを、おまえが必要なんだ、おまえが欲しいんだと訳すのは、間違ったことかも知れない。おれにはおまえが足らないんだ。じゃなけりゃこんな情けない声で歌ったりなんかしないよ、という歌を僕は聴いてきたように思う。僕も歌を求めていたわけではなかった。


 歌が僕の心に、心より大きな穴を開けてしまうので、それを埋めていたのである。


 ‥‥


 TVのコマーシャルで、福山雅治を見た。どこまでも美しくて、いつまでも美しい場所へ、連れていってくれないか、と彼は歌っていた。美しい場面だった。場所ではなくて、僕に興味があるのは場面だった。


 いい女が場所であるとするなら、いい男は場面だ。いい場面は場所を選ばなくてもいい。場所について歌う福山雅治には、そんな場面の要素があった。


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踊り屋稼業

 僕の歩き方には特徴があって、50m先からでもわかるという。歩いているんじゃなくて、僕は踊っているように見えるという。きっと何か、嬉しいことがあったのに違いない。それを教えてもらいたくて彼女は、息を弾ませて、いつも小走りで、僕のところまでやってきて、声をかけてくれた。ダンスというあだ名は、彼女がつけてくれた。


 本当はその前から、僕はダンスと名乗っていて、なぜダンスなんだ、と訊いてくる連中には、村上春樹の話をしていた。踊ってないじゃないか、と文句をつけてくるやつらには、バックギャモンの話をしていたのだけど。


 ‥‥


 世界のゲンジツを知ることが、現実のセカイを知ることにつながるとは、とても思えない。美しいものや、かけがえのないものについて知ることで、僕は、この世界の現実とつながっていたい。愛を知ることで、別世界の夢を見たいとは思わない。


 ‥‥


 いつの間にか僕は、死んだ芸術の天才に向かって、「与えてくれ」と要求することをやめていた。自分が今持っているものの中で、人に与えられるものは何か、を考えるようになっていた。


 それを与えてしまった後、自分に残ったものを材料にして、僕はつくるのだ。きっと僕のつくり方には、特徴があって、「わかる」だろう。


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2008年12月 6日

サドとあまのじゃくはどう違うのか

 マゾとあまのじゃくはどう違うのか訊かれたんだけど、うまく答えられなかった。違わないかも知れない。


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2008年12月 5日

腐れ縁

 あの人と僕には、いくつかの未来がある。結婚して一緒に暮らすという未来。結婚しないで一緒に暮らす未来。結婚して一緒に暮らさないという未来。結婚しないで一緒にも暮らさない未来。


 そのどれを選ぶのか、さて僕は自分でもわからない。確率が高い低いという言い方すらできないが、僕たちは、すべての未来を経験するようにも思う。


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2008年12月 4日

誰かを知ること

 種から芽が出る。やがて花が咲き、実がなる。自分の気持ちを、そういうふうに育てていければいいと思う。ゆっくりと大きく。けれど難しい。僕の気持ちは、短期間で成熟し、気づいたときには死んでいる、実験用のラットみたいだ。いつも何かを試している、何かから試されているような気がする。インプットとアウトプットを繰り返し、ものすごく短い時間で、僕は誰かを知ろうとしている。誰かに知られようとしている。


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2008年12月 3日

間違いでつながる

 目に見える世界がある。そして目に見えない世界がある。目に見えない世界のことはもちろん、目に見える世界についても、僕は語れるほど多くを知らないので、ここでは、ただ「ある」というだけにしておく。


 目に見える世界と、目に見えない世界に、「間違い」はない。間違いは、間にある。2つの世界をつなぐ「間」にある、不備というか、不全というか、不良というか、それをつまり「間違い」といった。


 間にある違いだから、間違い。


 ここで「世界」は、「人」と言い換えてみても通じると気づく。人の中に、間違いはない。間違いは、人と人の間にある。人とつながろうとした人の、その間にあるいくつかの不備。そう考えると、間違いって、必ず「ある」ものなんだ、ということが理解できた。するものではなく、「ある」ものとして、肯定することができた。


 人は人と、間違いでつながる、ということを、そこから発展させて、考えてみた。間違いのない世界の、間違いのない人と、間違いでつながる、つながっていくというイメージ。それ自体完結した、「僕」というシステムと、「あなた」というシステムの間にある、ロマンチックな不備。


 恋愛においては、よく短所が人を惹きつける(必ずしも長所ではなくて)っていうけど、それもそういうことなのかも知れない。すべては、その間にあったものなのだ。


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ついでに

 小さな悲しみを繰り返し何度も経験するより、大きな悲しみをまとめていちどに経験する方が、心のダメージは少ないような気がする。これは危険な考えだろうか。友達が死ぬ日には、ついでに人類も滅亡してくれたらいい。


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若いと言われること

 ハゲなかったかわりに、僕が白髪になるのは早かった。髪を染めるのをやめたら、今の僕のことを、「若い」と言ってくれる人は、誰もいなくなるはずである。


 プライドは心の弱い人間のものだが、そうなった僕は、さらに安っぽいプライドを必要とするだろう。


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幸運は僕だった

 叶えられた祈りと、叶えられなかった祈りの間にある、違いを理解することは、僕にできなかった。


 違いはないのかも知れないが、それだと僕が、幸運を必要としているのではなく、幸運を祈る気持ちだけが必要なのだと、認めることはできない。


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三日月

 僕は我慢しない。僕は変える。などと軽く決意を、言葉にしてみた夜に、三日月を見た。僕は三日月が好きだった。その前は新月が好きだった。満月が好きだった日もある。その日は、ちょうど満月で、僕は激しくラッキーだった。


 どうにもできないことと、どうにかできるかも知れないことは、今の僕の中で、ともに肯定されている。


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2008年12月 2日

期待することにも期待しないでいることにも

 若いころは車を持っていて、行き先を持ってなかった。そんな歌があったような気がする。何を懐かしく思い出すのだろう。強いストレスと強い開放感を、車には同時に感じていた。


 いつだって中間的な場所にいて、「それ」をすることにもしないことにも、飽きていた。


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何も期待しないで、ずっと起きている、なんてできない

 近所の居酒屋が昼も営業していることを知り、定食を食べに行った。ごはんと、味噌汁と、3種類のおかず。古いジャズが流れる店内。夜には確か、同じくらい昔の歌謡曲がかかっていたと思う。白い味噌汁には音楽と同様のこだわりを感じた。


 ‥‥


 僕が今ここにいて、「そんなこと」をしているのは、目を閉じている間に僕がそう望んだから。何も期待しないで、ずっと起きている、なんてできない。不都合な真実と嘘を自分の意識が受け入れることについて、携帯電話を片手に、あまり具体的じゃない思考をしていた。


 ワインが飲みたくなった。今すぐってわけじゃなく。今すぐに飲みたいのは水だった。いつものように、それは目の前にあった。


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嘘つきだと言う嘘つきは、嘘を言っているのだから、つまり正直者で、

 それでも僕は、自分に必要なのは、自分に正直になることではなくて、自分に嘘をつくことだろうと思った。大丈夫、別にたいしたことじゃない、全然へいき、そう自分で自分に言えることだと思った。


 自分で自分に言うセリフなら、嘘も本当も同じ。騙される者が誰もいないなら同じ。自分は大丈夫だ、と自分で自分に言い聞かせる僕は、自分は嘘つきだ、と自分で言う嘘つきに似ていた。


 ‥‥


 首振りあうも多少のユンソナ、というフレーズで朝を始めた。竹内まりあの歌声、ドラマで何が起きているのかは知らない。


 ‥‥


 ミクシーでお会いしまいしたか? というメールをもらったが、僕のふりをしている僕が、ミクシーについて知っているのは、誰も「僕」をミクシーに招待しようとはしない、ということだけだ。


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