僕にとっての問題は、何をやるかではなくて、いつやるか。それをいつやるのかという、タイミングの問題だった気がする。
もっと言えば、僕が何をやるのかは決まっていた。決められていたのではなくて、知っていたというか、僕には、未来の記憶があった。
時の流れの中で、僕は肉体的には老いてきたが、記憶の面では、若返っていると思う。老人として生まれてきた主人公が若返っていく(肉体的に)という、ブラッド・ピットの映画の、バージョン違いである。
憶えているとおりに僕は行動してきた。そしてたいていのことは、上手くやってきた。しかし遠い未来のことになればなるほど、記憶は曖昧になっていく。
50歳代、60歳代の自分が何をしているのか、僕はもう思い出せない。何をやればいいのか思い出せなくなったときに、やるべきことはあるのか。どうだろう。
数年前から僕には、やりたいということがなかった。正確に言えば、行動の記憶がなかった。さらには、意志がなかった。感情がなかった。あるのは感情の記憶だけだった。未来の感情の記憶を頼りに、その記憶にそった行動を僕はしてきたのだった。
「僕はこう思ったのだから、僕はこう行動したのだろう?」しかし40歳代、記憶力の一層の衰えとともに、鶏と卵の関係は、逆転しようとしている。
遠くまで見えていた僕。ずっと先のことまで憶えていられた僕。けれど見えなくなることで、見えてくるものはあった。
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