嘘を言わない(コーヒーの自販機の福山雅治を見て思ったこと)
まったく嘘を言わない人の人生と、ものすごく嘘がうまい人の人生は、よく似ている。みんなが信じてしまった嘘を、「嘘」と呼ぶことはできないから。そういう理屈というか、屁理屈で。
できれば僕は、嘘をつきたくない。でもそれは不可能だから、ものすごくうまく嘘をつく。つけるよう、努力する。それは正直であろうと努力することと、たぶん似ている。そう期待しながら。
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まったく嘘を言わない人の人生と、ものすごく嘘がうまい人の人生は、よく似ている。みんなが信じてしまった嘘を、「嘘」と呼ぶことはできないから。そういう理屈というか、屁理屈で。
できれば僕は、嘘をつきたくない。でもそれは不可能だから、ものすごくうまく嘘をつく。つけるよう、努力する。それは正直であろうと努力することと、たぶん似ている。そう期待しながら。
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繰り返し見るつもりで録画した、今週の『ラブシャッフル』に、ものすごく格好良いシーンがあった。2台の携帯電話を使って、3人で会話するシーンがあった。笑えるシーンがあって、胸がキュンとなるようなシーンがあった。
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古いものは正しい。そしてその正しさ故に強い。その強さ故に古い、古臭い。
逆に小さく、弱々しくて、何となく間違っているような感じのするものの多くは、新しいものだったりする。
新しさが強さだったりする何かは、その時点のいちばんではない。
僕はそう、いちばん新しいものが好きだ。好きだった。
新しいものを好きになる心と、人を好きになる僕は、昔、似ていたと思う。
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奇跡は二度起きるからこそ奇跡なのだ。そういう言葉がある。いやないけど。
ないからつくりましたけれど(笑)
ねぇ、先生。僕の一度きりの人生は、二度ずつ起きることで満ちている。それって人生が二度あるみたいなもんじゃないか、ね、先生?
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人生で一度しか起きなかったことは、一度も起きなかったのと同じだ。そんな言葉がある。誰が言ったのか。まぁ一理あるので、二度起きた奇跡は、二度とも信じるよう、僕は心がけている。三度目からは、イカサマを疑ってみてもいいだろう。
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犬も歩けば棒にあたる、という諺がある。僕はそれを良い意味で捉えて使っていたのだけど(犬は棒が大好き、みたいな‥‥)、本当はどういう意味なのかよくわからない。
人間は棒を好きになればいいと思う。棒を好きになると歩くのが楽しくなるから。
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僕がしたかも知れないことを、どこかで誰かが気にしている。
僕も僕で、どこかの誰かがしたかも知れないこと、を気にしている。
僕がしてきたことを、気にしている人は、どこにもいない。そんな感じがする。
本当にそうだ、というわけじゃない。
そういう感じがする、ただそれだけ。
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醜い女は、棺桶だ。
その醜い肉体の中には、「美しい女」が埋葬されている。
ナボコフはそんなことを書いている。いや書いてないけど。
かなりアレンジしたけど(笑)
『おくりびと』がオスカーを獲った、というニュース。
僕が連想したのは、そんな「棺桶」だった。
いやあらすじを聞いただけで、映画は、観ていない。
美しい女は、死体だ。
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未来や希望という意味ではなくて、夜眠るときに見るやつ。その夢を買うという、頭のおかしな金持ちがいるとしたら? カポーテイーの短編小説みたいな。君は夢を売るだろうか。
最初に断っておくが、すべての夢が売れるとは限らない。大切にしていた夢が無視され、これは価値がない、そう考えていた夢に、高値がつくこともある。
無意識をコントロールするなどできないから、それを考えても無駄なのだけど、買い手の変人が、どんな価値基準で夢を判断しているのかは、わからない。しかもその基準は、毎日変わる。
僕はそういう商売をやっているんだ、と思う。毎日。自分では、つくることもできないし、意識してコントロールすることもできない「自分」を、少しでも高く売りつけようと、間違った方向に向けて、大声で呼びかけている。
その向こう側の誰かが、何を評価してくれるのかはわからない。だから努力することには意味がない。努力しないことにも意味はないけれど、意味がない、そう思っていた何かほど、高く売れる。
それはそんなに価値のあるものだったのか、と大慌てで買い戻そうとする。けどできない。人生はそういうものであり、というか僕の人生を、「そういうもの」にしてきたのは、そういう夢だった。
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僕は10歳で死ぬとわかっている9歳の子供だった。僕。有名な占い師が昔僕にいいかげんな予言をした。
どんな歌でもある。どこかにある。
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ギャンブルが好きなハタチの知人がこんなことを言っていた。幸せは金で買える。幸せになるチャンスも金で買える。
最初から幸せを買ってしまってもいい。けど僕は「チャンス」を買ってそれを試してみるのが好きなんです。
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鏡を見た。少し老けた、と思う。父親に似てきた。ずっと僕は、誰にも似てなかったのに。
40を過ぎたら男は自分の顔に責任を持て、と言う。その言葉は僕を動揺させる。僕の顔に責任があるのは僕の父親だと思う。
僕の顔を見て、ハンサムだと言う人が少しいる。多くの人は僕のことを「若い」と言う。誰にも似てなかったころの僕は、何も言われなかった。
僕は父親のことについて嘘を言う。父は死んだとか父と母は離婚したとか言う。
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これは夢日記ではなくて本当の話な。ナイキのリュックサックにメルセデス・ベンツのマークがついているのを見た。というよりベンツのリュックを見た。アディダスの車を見た。
家に帰ると、丸井の通販のカタログが届いていた。今回は欲しいと思う服がなかった。
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そうだった。僕にはその手があった。まごつきながら進む、という手があった。
本当はその手しかなかったんだけど。進むことではなく、いつか堂々とまごつくことができればいい。
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戦いが終わるのは、戦いに勝ったときではない。負けたときでもない。戦いが終わるのは、戦うのをやめたときである。
戦いでいちばん大事なのは、勝つことではない。戦うことだ。人生はそんな戦いだと思う、と彼女は言った。そう思う。今日は飲んだ。
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僕にはパリで画家として暮らしていた過去がなかったような気がする。
昨日読んだ料理の本に「うどんを千切りにしてオリーブオイルで‥‥」
という記述がなかったような気がする。
あったことは何ひとつ思い出せない。
なかった(ような気がする)ことばかり記憶に残っている。
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水色の柔らかいジャンボ機が飛ぶ夢を見た。
僕は水色の柔らかいリムジンに乗っていた。その柔らかさではなく水色に驚いたのだった。
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僕はアニメが趣味だ、ゲームが好きだという人間に対して偏見を持っている。この偏見はファミコンを買ってもらえなかった十代のころ形成された。ゲームソフトの代わりに、僕は偏見を持つことにしたのである。
自分で金を出してゲームを買う気にはなれなかった。あれは買うものではない。親に買ってもらうか、盗むかするものだ、という偏見である。そして「アニメ」はゲームに使われる絵だった。
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記憶することによってその記憶がなかったときの記憶がなくなるという。
ある種の男たちが大事そうに守っている「イノセンス」ってやつな、僕はそれと同じ戯言だと思っている。
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必死になって探しても、必死にならないで探したときと、同じものしか見つからない。というときに僕は、何を心がければいいのだろう。
必死にならないことか? それとも探さないことを? 生きるとはそういう選択だ。人生はそんな宝探しだと思う。
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胎盤をつけたままの赤ちゃんが、道端に捨てられていた、というニュースを見た。赤ちゃんは死んでいて、死んだから捨てられたのか、捨てられたから死んだのか、まだわからない。
夢に出てくる水洗トイレは、女性器を象徴している、という話を読んだことがある。現実の水洗トイレは、何を象徴しているのか。死んだからトイレに流しちゃう、という人もいるんだろうな(?)と思ったのである。半ば未来回想的に。
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現在を未来のある時点で思い出す、というかたちで見ること。それがナボコフの言う「未来回想」だ。現在はリアルではない。なぜならば僕は未来にいるから。リアルとは「よりリアルな僕」の記憶にすぎない。
僕たちは異なった未来にいる。同じ「今」を思い出している。
目の前にある、触れ合うことのできる、この現実はリアルではない。「記憶」なのだ。
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建物の構造からして、考えられない場所が雨で濡れていた。夜の間、そんな変な風が吹いた。
必要かどうか、という視点で考えてみれば、女性からチョコレートをもらう必要のある男はいない(たぶん)。
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濡れたかったので、傘を持たずに出かけた。夕方から雨になることは知っていた。だから顔をしかめてみせたのは、ポーズだ。柔らかいコートの、そこだけ固い襟を立てて、ゆっくり歩いた。あたたかい。こんな雨の日に恋人もいないのに、傘をさしているなんて、もったいない。
‥‥
みんなせかせかして少し、少しだけ機嫌が悪いみたい。そんなニュースを見た。悲しいニュースなのにね、伝える人は怒っていた。
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頭がよくて、力のある人たちの、人を嘲笑うことで、人から共感を得ようとしている態度がむかつく。天才はそんなことはしない。僕は天才だ。何の天才かはまだわからないけれど、天才には違いない。できれば生きている間に、自分が何の天才なのか知りたいと思う。
バイオリンの天才、マンガの天才、ボクシングの天才、チェスの天才。天才にも色々あるけど、僕はそのどれとも違う。僕が天才の天才だったらいい。
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音楽がすべての僕が本気でロックを聴き始めたときには、パンクはもうほとんど終わっていた。
ポストパンク、つまり何も変わらない、そう思うところから始めなくちゃならなかった、ってことだ。
「ロック」が静かで退屈な音楽だった時代がある。そのころのことを考える。出だしがどうだったか、ということを、最近はよく考える。
ポストなんとか、なんて情けない出だしだったわりには、僕はまずまず、上手くやってきたじゃないかって。
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僕が自分で、嬉しいと思ったり、楽しいと思ったりすることは、全部自分のものになる。だからものにする、ってのは簡単なことだった。ものにしないことも簡単だった。
でもいちばん簡単だったのは、ものにしないことをものにすることだった。ポストなんとかってやつ? 今はヴァーチャルっていうのかな? とにかく頭のいい人間は、僕もそうだけどそんなふうにして腐っていったんだ。
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日本がオーストラリアと戦ったサッカーのゲームを、テレビで見た。「サッカーは得点が少ないからつまらない」と言いたくなる試合だった。決定力不足、もうずいぶん前から指摘されつづけている代表チームの欠点だけれど、それが解消されないのは、そしてこの先もされそうにないのは、どうしてだろうと思う。
サッカーに詳しい人たちの間では、決定力のあるフォワードなんて世界中さがしたってほんの数人しかいないんだよ、ということになっている。ほんの数人しかいないんだよ、説明終わり、みたいなことになっていて、すごくわかりづらい。
アメリカ式のスポーツを、言葉にするのは易しい。たとえば野球が下手くそな選手に、どうすれば上達するのか、指導するのは簡単そうだ。それは言葉だけでもできるような気がする。筋肉増強剤を渡して、YES WE CAN とでも言っておけばいいような気がする。
でもサッカーの場合は、そうはいかないんだろう。アメリカ式は通用しないんだろう。
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想像力にしか、完成できない世界がある。彼はそういう動物で、絶頂期のミッキー·ロークの手は、手というよりは、「前足」だった。それが最大の魅力だった。僕はそんな手をした男を見たことがなかった。
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ひとりでできることを、ひとりでしていても、個人は豊かになれない。社会も豊かにならない。
贅沢は、自分ひとりでもできるそれを、みんなと一緒にやる、ということだ。そう定義すると、僕にとって、もっとも贅沢な経験は「学校」だった。
あるいは「会社」か。
勉強や仕事なら、ひとりでもできた。それを人と、一緒にしていたのだ。豊かな人間にしかできない、とても贅沢なやり方だったけど、そういう経験を僕は無駄にしてきたのかも知れない。
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時間を無駄にすることはできない。時間に無益も有益もない。時間は時間だろう。
無駄に「まだ1時間」を過ごす女と、1時間を「あと1時間」と意識して過ごす男、そのどちらでもない僕がいるだけだ。
僕の1時間は常に1時間先にあり、僕に過ごされることを拒んでいる。それを僕は知っている。
僕は諦めてきた。
もう時間だ。僕の墓碑名には、そう刻んでもらうべきかも知れない。
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贅沢は、自分ひとりでもできるそれを、みんなと一緒にやる、ということだ。
自分にはできない何かを、みんなと協力してやる、のは普通のこと。
みんなにはできないそれを、自分ひとりだけでやる、ということを僕はもう、贅沢と呼ばない。
誰でもできること、それなのにしようとしないことを、自分だけでやろうとして、西欧的な個は、豊かさを失ってきた。
僕ひとりで何ができるか、考えてみよう。
そのできることを、みんなでやろう。
規模は小さいながらも、このネットで、匿名の僕が目指しているのは、そういう種類の表現であり、豊かさだ。
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雲が黒くなってきた。ラブシャッフルに出ている男たちの中で、誰がいちばん格好いいかという話を、友人としていたら半日が過ぎていた。とても祝日感のある火曜日だったけど、本当の祝日は明日だ。
☆
何十足もコンバースを履きつぶしてきてわかった。いわゆる「定番」の、何にでも似合う靴や、誰にでも似合う服、というのは嘘だと思う。全員が服に「自分」を合わせているだけなのだ。
リーバイスが僕に似合うわけじゃない。みんなと同じようにリーバイスに合わせることのできる自分、がいるだけだ。
だからリーバイスを気に入っているわけじゃない。40を過ぎてもリーバイスに合わせることができる自分、を僕は気に入っているのだろう。みんなと同じように。とても。
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僕の印象は逆かも。何にでも合わせられる靴、というのは嘘なのだ。色んな服と仲良し。そういう靴は、洋服の方に合わせてもらっている。
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細ウネのコーデュロイの上着だ、遠くから見ると別のものに思えた。極点にカメラを持って行く必要はない、赤道直下にはいるかも知れない、しかし北極点や南極点に、美少女はいない。美少年もいない。
エベレスト山頂にもいない。彼ら彼女らはそういう場所を目指したりもしないが、麓にはいるかも知れない、と思った。
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夜の黒い空と、黒い大地が、寂しい町の明りを挟んで、ペチャンコにしていた。
地平線じゃないところに、地平線みたいなのが見えた。
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思い出は宝物、という宝物は思い出なので、何が書いてあるのか、わからなくなってしまう。僕は文章を読むことができない。僕は文章を書くことができない。
‥‥
風呂でのぼせた。心臓がどもっているみたいだった。心臓が失語症になったみたいだった。心臓がイタリア語を喋っているみたいだった。
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ずっと前から、こんなふうに思っていた。新しい知識や、新しい経験は、僕の世界を広げる。
でも広がった世界と接するときの、僕の態度は、前と変わらない。
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悲しいことの後に楽しいことがあれば、僕は喜ぶ。それはもちろんだけど、楽しいことの後に悲しいことがあっても、僕は喜んでしまうのではないか。そんな気がする。僕は馬鹿だから。
悲しいことの後に悲しいことがあった日は、楽しいことの後に楽しいことがあった日のことを、考えてみる。
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本当の僕を知っている人が、今よりもっと増えたら、僕は今よりもっと人から好かれるだろうか。あるいは反対に、嫌われてしまうだろうか。
どっちでもいい、とだけは思わないようにしよう。
そんなことは、わからない。それは事実だから、そう思うのはいい。本当の自分なんていない、そう思ってもかまわないけれど、どちらでも同じだ、とは思わないようにしよう。それは同じではないから。
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「アメリカ」という魔法
『ゴールド·コースト』(上下) キム·スタンリー·ロビンスン著 ハヤカワ文庫
自分に欠けているのは何か、リストアップしそれを外部に求めていくやり方を改め、自分に今残っているものの中で、何が使えるのかを新しい視点から考えてみよう、というアナウンスがなされているのを、僕は様々な場所で目にした。
「エコ」と、折からの不景気の影響だと思う。
進化より深化、という言い方もまたよく聞く。これはバブル崩壊後の、1990年代初頭から言われてきたことだが、自身の肉体的成長期の終わりと、バブル崩壊を重ね合わせて見ていた、当時の自分を思い出してしまう。
が量を質に変化させるやり方でしか、僕は成長を知らない。凡人にはそれしかなかったのである。そして成長すること、イコール進化することだと信じてきた僕に、深化という考え方は「逃げ」に思えた。
自分が今持っている、ひとつひとつの要素を、より深めていくこと。それよりも僕は、新しい引き出しが欲しかった。底が浅くてもかまわない、と思った。思春期に僕は、量を一瞬にして質に変える魔法を見てきたのだ。
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風呂に入っている。腐るより溶けろ、という格言があったような気がしてくる。ないけど。でもそういう気がしてくる。
人に考えるのをやめさせることはできない。思うのをやめさせることはできる、と思う。いや考える。考える僕は「何も思っていない自分」に気づく。
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カレー味のウンコか、ウンコ味のカレーかという選択を迫られ、ウンコ味のカレーを食べてきた僕に、差し出された糞。それがロックだった。それがSFだった。僕は糞の味を知っていた。知っていると思った。
‥‥
『Y』 佐藤正午著 ハルキ文庫
彼は男ではない。「第一の性」だ。
彼女は「第二の性」ではない。女だ。
「第一の性」と女が交わるとき、本物のすれ違いが生まれるのである。
男と「第二の性」が交わる青春恋愛小説を、僕はずいぶん読んできたように思う。
そう、だがこれは、「第一の性」と女の物語である。
タイムトラベルの仕掛けなどなくてもすれ違ったであろう彼らの。
‥‥
『クローム襲撃』(短編集) ウィリアム・ギブスン著 ハヤカワ文庫
小説はかつてイベントだった。決してコンテンツではなかった。ギブスンの『ニューロマンサー』とこの第一短編集は、全世界的なイベントとなった。
サイバーパンク、というイベントである。コンテンツの発表会はつづいているが、イベントそのものは終わってしまった。音楽は終わった。
小説は死んだ。しかし僕は今でも、踊りつづけている。
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『スチール·ビーチ』(上下) ジョン·ヴァーリイ著 ハヤカワ文庫
ヴァーリイの小説には、「ディズニーランド」を舞台にしたものが多い。非日常的空間としてのそれではなく、帰るところのない、「日常としてのディズニーランド」である。しかもその「日常」は永遠ですらない。
非日常的体験を日常的にするようになった未来の人類。終わらない非日常。そこにやってくる苦い認識。
「僕は神に似た力をもって弱さをさがし求めていた‥‥」という登場人物がこの上なく哀しい。
‥‥
『世界の終りとハードボイルド·ワンダーランド』(上下) 村上春樹著 新潮文庫
このころの日本の小説家には2種類いる。『構造と力』を読んだ者。読んだけど読まなかったふりをしていた者。村上春樹は後者の代表格。
ちなみにこれ以後の日本の小説家は、同業者としての村上春樹を読んだ者、読んだけど読まなかったふりをしている者、に分かれることになった。
‥‥
『祈りの海』(短編集) グレッグ·イーガン著 ハヤカワ文庫
イーガンに限った話ではないが、優れた物語の登場人物は、何かをさがしている。と同時に、別の何かからは追われている。
彼らが最終的に見つけるのは、さがしてきたものではない。「自分」だ。ずっと何かから追われていた自分、さがされていたのは自分、という事実、を発見するのだ。
自分さがしの旅の末、見つけたのは「さがされていた」自分だった。「アイデンティティの物語」などと乱暴に要約されることの多いイーガンである。
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ハトは食物連鎖の中でどのぐらいの位置にいるんだろう。意外とホームレスより上じゃないか、という気がしてきた。駅前のハトはホームレスを食べているんじゃないのか。ハトより下にはいきたくない。
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父の代から35年間使いつづけたブラウンの電気剃刀が、今朝ついに壊れた。父が10年、毎日じゃないけど僕が25年ほど使った。
‥‥
歯磨き粉(チューブ)が整髪料の代わりになると気づいた。今日、偶然発見した。前髪を立たせたいけどワックスがない、というときにはこの手でいこうかと思う、これからは。
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