パロダイ
どちらも経験がないので、テキトーなことを書いてしまうが、もっとも惨めな夫婦生活の悲劇は、もっとも幸せな彼氏彼女の生活のパロディより、少しだけマシなのだろう。テレビドラマのあとでバラエティ番組を見ていると、そんな気になった。
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どちらも経験がないので、テキトーなことを書いてしまうが、もっとも惨めな夫婦生活の悲劇は、もっとも幸せな彼氏彼女の生活のパロディより、少しだけマシなのだろう。テレビドラマのあとでバラエティ番組を見ていると、そんな気になった。
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僕は毎日、少しずつ、未来を思い出している。「おかえり」と未来が言う。そういう日記を最初に書く。それから一日を始める。そういうふうに始める。
「今日はいい日だった」と最初に書く。そしてそのとおりに一日を過ごす。そういう一日の中に帰っていく。伝書鳩みたいに、まぁ、プログラムされているんだと思う。
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僕の場合、友達との別れは、友達が死ぬことより悲しい。会えなくなるのならいっそ死んでくれ、と、相手の幸せではなく、死を願ってしまうような別れを、何度か経験した。
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ああいう原因があったから、こういう結果がある。こういう過去があったから、ああいう未来があるという考え方は好きだけど、そのつながりの先に僕はいない。真実は逆なのだ。
最初に未来がある。結果はもう出ていて、その原因である「僕」は変えられない。そう感じる。僕は毎日、少しずつ、未来を思い出していく。
伝統的なSFの中で、時間旅行者は、歴史に干渉してはならない、とされる。僕もまぁ、そうなんだろうと思う。僕も旅をしているんだと思う。時の流れの中を。それで何も変えられないんだ、と思う。歴史を。今を。
自分を。その無力を。あなたは閉じ込められていて、でも私はそうじゃない、と誰に言える? 誰が言えるものか。
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沈黙が近くまでやって来た。僕は急いで話題を思いつこうとした、という日記を初めに書いてしまう。日記から先に書いてしまい、そのあとで僕はどのような行動をとればいいのか迷う。
未来にある日記帳。手を伸ばして書きつけようとしている僕、何を思いつけるというのか。
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記憶力はいい方なのに、聞いても忘れてしまう。知りたいと思ったこともないのだが、僕は両親の過去を知らない。誕生日すら知らない。どういう人間なのかわからないというだけでなく、自分の親に興味が持てない。
僕は関心のないものに対して、まったく興味が持てない。そんなところがある。昔からそうだった。それは異常なことなのではないかという気がして、今初めて少し怖くなってきた。
結婚しない、子供はつくらないということを決めたのは、正確には何歳のときだったか。僕はいつ気づいたのか。妻や子は当然の権利として、僕のことをより深く知ろうとする。吃りながら僕は下手な嘘をつくか、あるいは死を選ぶかするだろう。
怖くてたまらない。
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死と滅びは違う。生きているものが死ぬ。生きているものたちがつくり出したものが滅びる。そこにオタクっぽい美学はある、滅びの美学。滅んでいくものは美しいけど、あまりエロくはない。
僕は生きている。僕は滅びない、ってか? 僕は滅びる僕の「美しさ」をきっちりと支払って死んでいく。
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「夢」とは違って、出所が気に入らないからといって、返却することができないのが「勇気」だった。そういう個人や団体から、勇気を献金してもらったことは、過去に何度もあって、僕がいちばん耐え難かったのは勇気そのものではなくて、そこだった。
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日本各地にいる、お気に入りのウェブサイトやブログの書き手さんたちを訪ねて、昼食か夕食をご一緒するだけの旅をしてみたいと思った日に、大好きな鷹という漢字を長時間見つめていたら、贋という字に見えてきてしまった。もう区別がつかない。取り返しのつかないことをしてしまった。
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僕に与えられてきた時間は、一度に一日だけだった。真夜中までは今日、夜が明ければまた今日で、それが真夜中までつづく。明日という日は知らなかった。とヘミングウェイは書いている。
どう生きるかではなかった。どう生きられるか。生きることは可能性ではなかった。それは選択の問題だった。僕はつねに選択を強いられてきたのだった。
そう生きるように、と。
僕の人生は、と言えば、それは僕の記憶だった。ものすごく記憶力のある僕が、未来のどこかにいて、僕の現実を、現実の僕を思い出している、それが「今」だった。
「今」がいつになるか、それは未来の僕がいつの日を思い出すか、というだけのことであった。それだけのリアル。
昨日を思い出すか、一年前を思い出すかは知らないが、彼が思い出した日が今日となり、僕に昨日という日の記憶はなかった。ナボコフである。ナボコフは裏返ったヘミングウェイなのだ。
ところで僕の未来にいて、「僕の今」を思い出しているのは、僕を知らない僕だ。それが問題なのだった。しかもそれは「僕の」問題ではないのだ。
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レストランで遅めの昼食をとる。「昼休みのさらりーまん」風の男たちがまだ何組か残っている。テーブルの上に開いた携帯電話。ワンセグで野球の試合を見ているようす。
延長10回の裏、日本の勝利が決まった瞬間、歓声をあげる男性客、丸いめがねをかけたウェイトレスのコが声をかけてまわる。
勝ちましたね勝ちましたね勝ちましたね。なぜに男しかいないレストラン。
彼女は僕のテーブルにも来る。「?」僕はカレーを食べている。「ううん、私、もう勤務時間終わってるんです」と言って笑う。
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小田和正が「さよならは言わない」と歌っている歌を聴いていたら逆に、未来の僕が過去の僕に向かって、手を振っている映像が浮かんできた。
オフコースが嫌いだったことは書いておこう。若いときにしかできない失敗がある。今の僕はそれも「なかったこと」にしようとしているのだ。
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人間の価値を人間が決めるのは無理かと。だからパンダに判断していただく、というのはとてもいい考えだと思った。そんなパンダ世界の王になった。
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おいしいものを食べたい、と思うことと、僕はおいしいものを食べるのに相応しい人間だ、と思うことは少し違う。どこかにいるんだろうな。このサーモンの刺身に相応しい人間が。素晴らしい人が。
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ま何でもいいんだけど。あの人は僕の人生を狂わせた。でも別のあの人は僕の心を狂わせた。
喩えてみればこうだ。龍は僕の人生を狂わせた。春樹は僕の心を狂わせた。僕をより深く狂わせたのはどちらか、ということだ。
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違うことをやっても、同じようにやってしまう。
同じことを、違うやり方でするのは難しい。
もっと年を取れば、それはもっと難しくなると思う。
‥‥
逆に年を取れば、「違うこと」をするのは、簡単になるんだろうな。
もっと「同じように」やれるようになるだろうから。
いずれは、
喜ぶときのやり方で、悲しむようになるとか。
まるで楽しむようにして、苦しみを感じるとか。
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窓の外は、背の低いビルでできた町だった。『コインロッカー・ベイビーズ』の表紙を思い出した。けどあのように不穏な感じはしない。
黄砂で、遠くの海が霞む。そんなこともない、闇は何も隠さない。でも光も明らかにしない。
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サボテンには知性があるのだろうか。というか植物に知性があったとしても、人間はそれが認識できるだろうか。僕はそれを認識できるほどに知的だろうか。
身長1キロメートルの人間と愛を交わそうとしても、うまくいかないと思う。どうして毎度毎度僕はそういうことを思うんだろう。
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僕の記憶しているままの姿で、彼女が夢に現れることは少ない。ある夜には彼女は花子だった。こんなに献身的で、こんなに料理が上手くて、こんなに歌い踊れる花子は他にいない、そう思えるほどの完璧な花子だった。そして美しい花子。しかし違ったのだ。
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冬は好きだけど、12月も1月も2月も嫌い。カレンダーの中では、僕は5月が好きだ。月は5月のままで、季節だけが移り変わればいいと思った。ときどき雪が降ったり、桜が咲いたりしてくれれば、誰もが5月を、誇りに思うだろう。
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館の前を通って家に帰った。館の前を通ったことは、何度かあった。でもそこを通って家に帰るのは初めてだった。こういう帰り道があった。
僕には歩ける足があって、時間がある。用事はない。帰り道だけがある。行き道はない。
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最近の僕は毎朝、シコを踏んでいる。右足と左足で1回ずつ。スリ足で歩いたりもしている。これは半年くらい前からの、新しい習慣である。今朝も踏んだ。
何かをしようとして、それを忘れてしまう。また何かをしようとして、忘れてしまう。その繰り返しで24時間は過ぎてしまったような気がする。
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今日は見えるはずのないものが見えた。僕は風を見た。風の強い日には、ときどき風が見えるものだ。
離れ組 hanaregumi というロックバンドがいたような気がした。その音を聞いた気が。どうしてそんな気がしたんだろう。
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驚くことと、怖がることの違いは何だろう。僕はもう、ただ怖がってばかりで、本当に驚くことがなくなってしまったような気がする。
誰か僕を、驚かせて、少しも怖がらせることなく。
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眠らない人間に、起きて活動するだけの価値はない。いや逆か。でも睡眠学習、というのは今も僕の夢だ。変わらぬ永遠の夢だ。寝ている間に何かを学べたらいいな、と思う。
つまり来世、生まれ変わり、そういうことが本当にあるのだとしたら。魂にも起きて活動している期間と、寝ている期間があるとしたら。
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真夜中にガムをきらしたので、コンビニに買いに行った。
真夜中にガムをきらすって変だな。まだちょっと雨が降っていたけど、傘はささなかった。
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好きな人をリスペクトすることは誰でもできる。簡単すぎる。もう少し難易度を上げてみてもいいんじゃないかな、と思った。
嫌いな人をリスペクトすることは難しい。でも不可能ではない。そう感じる。なので目標にしてみようと思う。
「みんな大好き」という人がいる。僕はその人を尊敬している。先生と呼んでいる。先生の真似をしようとしてきた。
でも僕には、嫌いな人がいる。嫌いな人を好きになることはできない。
そこで妥協してみたのである。
嫌いな人をリスペクトすること。それは徳ではない。術である。
その技術を身につけることができれば、嫌いな人に、嫌な思いをさせられることは、なくなると思って。
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あなたのしたことに反対する人が誰もいないのだとしたら、あなたは何もしていないのと一緒なの。どうしてだかわかる?
僕の言ったことに反対する人が誰もいないのだとしたら、僕は何も言っていないのと一緒なんだよ。
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愛があれば、僕は愛を忘れてしまえる。なければ思い出す。というわけで永遠の愛について。
永遠の愛なんてない。そう考えている人はきっと、「永遠」を長く見積もりすぎているのだろう。もしくは「愛」を綺麗に考えすぎているのか。
人間は神様とは違う。愛はそんな人間の感情であって、それがそんなに美しいものであるわけがない。
愛があれば、僕は愛を忘れてしまえる。でも「永遠の愛」があれば、と思う。僕は「愛」ではなく、「永遠」の方を忘れてしまうことができる。
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彼女は「なりゆき」がミニスカートをはいて踊っているような女性だ、というセリフを思いついた。セリフから先に思いついてしまう、という僕の悪い癖が出たかたちである。もちろん今日、そのような女性との出会いはなかった。
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家はアダムス·ファミリーに出てくるお屋敷の小さい版みたいな家。僕はどこで眠る。
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空気とは距離のことで、それは読むものではなくて、見るものだ。空気を見ることはできない。
それは距離になおすことで、目に見えるものになる。目に見えるものは重要だ。
2人の間の空気ではなくて、2人の間の距離。彼女の言葉はまるで、空気みたいだった。
僕の言葉はものさしだ。長い長いものさし。そこまでの距離を計っていた。
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自分のことを、能力が落ちてきた予言者のように感じる。最近では永遠というと、本当に永遠のことみたいだ。何かわからないことが、ずっとずっとつづくみたいだ。
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誰かさんの孤独。愛が人を救うことはないと思う。
ただ愛があれば、僕は「そのこと」を忘れられる。忘れてしまうことができる。それは僕にとって、ものすごく重要なことだと思った。
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本当はあなたのことが好きなのというサインを、遠いところから僕は、何度も見てきた。
実は僕も、‥‥という返事は、もっと遠いところから出す。好きだという気持ちを、どこまで曖昧なものにして、相手に届けることができるか、という半ば妄想のゲームをしていた。負けず嫌いな二人。
そんなふうにして僕たちは、離れていったのだ。一度も近づくことなく。競い合うようにしてわざと微妙なものにしていた気持ちも、ついに消えてしまった。
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僕はこう考えていた。お金の問題なんてずっと無視していれば、そのうち心の問題か時間の問題になって、そして消えてくれるはずだと。でもそうではなかった。
僕は○○歳。とりあえず今はまだいけるが、僕にはお金がない。それは心の問題でも時間の問題でもなくて、いつか健康の問題になるだろう。
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『ラブシャッフル』のアイアイが妹に似ていることに気づいた。むむ。誰かに似ているとは思っていたけど。世間一般で美人とされている女性が妹に似ていると気づいたときは、本当にがっくりくる。
妹に似ていないこと、それが「僕の」美人の条件だ。でもそれはけっこう厳しい基準なのだ。モンゴル出身のお相撲さんに似ていないブスを探すのと同じくらい、難しいことなのだ。
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夢の中で、僕は朝食をつくっていた。スパゲテイを茹でながら、レタスを千切っていた。広いダイニング、かなり広いテーブル。きっと家も広いのだろう。妹たちも含めて、たくさんの髪の長い女が、かわりばんこに席について、一口だけ料理を食べていく。
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僕はいつも「あの人には気をつけた方がいい」と言っているけど、正しくは「あの人には気をつける方がいい」なのかも知れない。どっちなんだろうな。今日はわりに細かいことが気になる。
お金は誰かひとりのものではない。みんなのものだ。みんなのお金は僕のお金。僕のお金はみんなのお金。経済学はそういうことを言っている。いや言ってないけど。もしかしてさ。
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「朝起きたら、考えてみること、バラ色とはどんな色なのか」
自分で自分に向けたメッセージを見つけた夜。そしてずきずきする頭を抱えて、僕は目を覚ました。枕の脇には充電が切れた携帯電話と、寝る直前まで読んでいた、サラ・パレツキーの探偵小説が転がっていた。
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雨を見た。僕はそんなことを書いていいのか迷う。僕は雨を見たことがあるのか。
雨に濡れたことはある。僕は雨音を聞いたこともあるけど、雨を見たことはないと思う。それで雨が見えてきて、僕はどうすればいいのか迷う。
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それから僕は「今日のイマジン」をした。今日のイマジンは、僕が今日おもしろいと思っていることが、今日はまだよくわからない理由で、明日もつづくとしたら? というものだった。
わからない。明日は明日のイマジンが。
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おもしろいと思ったことを、ただ「おもしろかった」と言うだけでは、あまりおもしろくない、という病に罹った。3月。みんなそういう病気だったんだな、と思った。
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でも僕は笑えなかった。そのあとで僕の性格が僕を眠らせた。みんなは他のどこかに落ちていった。追い越し禁止、Uターン禁止、落ちるときまで規則に従って。それがおかしかった。
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最近は「背水の陣」の効果を疑っている。がけっぷちに立つことで自分にできるようになることは、ないと思っている。反対にできなくなるだろう。落ち着きを失って、いろんなことが。
「明日のエコでは間に合わない」とか、「百年に一度の経済危機」だとか、みんなどれだけ背水の陣を敷けば気が済むんだろう、と思う。「馬鹿力」なんて力はないのだから、「火事場」には近づかない方がいい。
「火事」を演出することも無意味だ。
麻生がけっぷち政権か。でも僕の印象では、がけっぷちに立った時点でその人はもう終わっている。本当のがけっぷちは、がけっぷちの少し手前にあるような気がする。そして僕は今そこに立っている。
終わり。
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アストラム、という高架の新交通システムがある。俺様は雨の日のアストラムに乗るのが好きだ。できれば初夏がよい。車窓がすばらしい。
クエスチョン・マークの形をした路線沿いに、東南アジアや、懐かしい中国を撮った映画で見たような景色がつづく。
高架の程よい上から目線で、終点まで行って、また市内中心部まで戻ってくる、それだけの旅をする。
この地に永遠に留まることになっても、またいつか離れることになっても、この景色は憶えておこう、と今は決めている。
‥‥
東京の人が東京タワーに行かない、というのと同じか、いや少し違うのか。俺様は宮島にも平和公園にも、市民球場にも、それぞれ一度ずつしか行ったことがない。
へろしまに来た当初は、ここを起点にして西日本をいろいろ見てまわろう、と計画していた。四国や九州にも足をのばそう。
日々は過ぎていく景色で、何もかも記憶しておこう、しておかねば。俺様はそう吟遊詩人か何かのつもりで、長い旅をしているつもりだったから。
終わり。
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それから僕は、りえとりえママのことを考えた。なぜ思考がそっちの方に跳んだのか、よくわからない。
僕は僕の性格が幸せになれることをすればいいし、僕の性格が僕本体に望んでいるのも、そういう行動だった。
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ブログを閲覧するようにして、僕はいつも、4、5册の小説を同時に読んでいる。ほとんどが再読、中に1冊だけ、未読のものをまぜておくようにしていて、家中のいたるところに、あらゆるコートのポケットに、バッグに、読みかけのそれらがある。
たとえばシャワーを浴びようとして風呂場に行くと、そこには湿気でぼろぼろになった『南回帰線』がある、という具合に。ハードカバーの本は、風呂にいる時間が長い。またフランス人が書いた小説は、ベッドにいる時間が長い。
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頭痛がして、そのあとで今良くなってきているのか、良くなったあとで、また頭が痛くなってきたのか、自分が時間的に、どの段階にいるのか、わからない。
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彼女以外の誰も傷つくことのない言葉で、僕は彼女を守らなければならない。それが僕の決めた唯一のルールだ。
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