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2017年11月30日

別人

 よく知っている人によく似た全然別の人が、映画に出ているのを見た。映画の中の別人は、僕のよく知っている人と同じようなことを言って、同じようなことをしていた。別人は主人公ではなく、映画もお粗末なものだったが、僕は目を離すことができずに、その別人が笑う場面で笑い、涙を流す場面では一緒に泣いていた。

 映画の終わりに、お約束の雪が降り出した。別人の登場シーンはもうなかったので、僕は主人公たちではなく、降る雪を眺めながら、全然別の場所で、別の日に起きた、別のことを思い出していた。




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動物のレム睡眠画像を検索して眺めている夢を見た。

 眠くなった。

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囁く

 外国で記者会見をする夢を繰り返し見る。外国語が苦手な僕には通訳がついている。もう1人の僕がどこか別の場所にいて、テレビに映る自分の姿を眺めている。そんな夢だ。僕はテレビの中の自分が発している言葉がまるで理解できない。隣にいる通訳の女性が僕の耳に囁き、テレビに映る僕に向かってまた別の言葉を投げかける。繰り返して見ているうちに物語は洗練されていく。




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言うことなし

 ゴミ捨て場で拾ったプラスチックの匂いがする真新しいスーツケースをわざと少し汚して、ドールとかスミフルなんかのバナナのシールでマーキングもして、準備はすべて完璧に整った。友達の1人はラテン語で何か書いて寄越すし、毎日届くフランス語の迷惑メールも気持ちを盛り上げてくれるしで、「もう何も言うことなし!」みたいな感じだ。




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血を流す

 坂道を上ったところにある病院で心臓の手術を受ける夢を見た。手術は1時間で終わり僕は鞄を持ってすぐ家に帰った。スーツを着て自転車に乗った若い男がそんな僕を見て驚き何か怒鳴った。「ありえない」とかなんとか、僕はその男に胸のL字型の傷から流れる赤い血を見せた。

 自分の足で移動するんじゃなかったら、それはずっと同じところにいるのとおんなじ、と僕は誰かに思わされている。建物の非常階段を2階から1階へ下りて、そのあとで貨物用のエレベーターで20階まで上がる夢を見て。




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2017年11月29日

経済損失する

 

事する以外にやることがない暇人が、朝から晩まで仕事して、休みも取らないので、たまにしか仕事をしない、本当の暇人である僕は、仕事場に行きづらい。

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奇跡が起きる

 たとえどんな小さなことでも、それが起きる前に起きるとわかるなら、それは奇跡だ。というか想像もしなかったことが実現するより、想像していたことがそのまま実現してしまう方が、驚きは大きい。そうなるだろう、そうなるような気がする、という予感は、いつも大抵外れてしまうのだから。そんなわけで僕は驚いている。それが実現してしまったことに驚いているし、それを何度もなんども思い描いていた自分にも驚いている。奇跡は起こるより前に、僕のところにやって来たのだ。見てて、今から小さな奇跡が起きるよ、と予告しに。




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2017年11月24日

ケーキ

 結婚式場のバックヤードには、客が食べ残したケーキが大量に放置されていた。まったく手をつけられていないものもあった。ある程度の量になったら、まとめて捨てるのだろうか、どこに?




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2017年11月23日

映画のオールタイムベスト10

 ずっと読んでいるブログに倣って僕も映画のオールタイムベストを10作品考えてみました。タイトルと、選考理由を一言。『汚れた血』と『ボーイ・ミーツ・ガール』は僕の中では同じ1つの作品という位置づけです。映画そのものも素敵だけど、これは日本語の翻訳が本当に素晴らしい。


『ブレードランナー』はディレクターズカット最終版とかじゃない、最初の劇場公開版を想定。続編の『2049』も良かったけど、あれは普通の「主人公が人を助けようと思って助けてそしたら自分が代わりに死んでしまった」話。「殺そうとした相手をやっぱり気が変わって助けてしまった」前作には遠く及ばないのです。



『風と共に去りぬ』(アメリカ・大昔)

「タラに帰って考えましょう」


『エデンの東』(アメリカ・1950年代?)

 ジェームス・ディーンの野生動物的な演技


『ディーバ』(フランス・1980年頃)

 主人公が娼婦を買うシーン



『汚れた血』(フランス・1980年代)

『ボーイ・ミーツ・ガール』(フランス・1980年代)

 若さと蒸し暑さの感覚


『機動戦士ガンダムI、 II、 III』(日本・1980年頃)

 ラストシーン


『ブレードランナー』(アメリカ・1980年代)

 殺すつもりだったけど土壇場で気が変わって助けてしまった


『吠える犬は噛まない』(韓国・2000年頃)

 女房にキレてトイレットペーパー転がすシーン


『恋する惑星』香港・1990年代

 好きな人から告白されたけど気が変わった


『真夜中の五分前』(中国・日本2010年代)

 原作とかけ離れた設定、まったく同じ世界観


『ベルリン 天使の詩』(ドイツ?1980年代)

 コロンボ刑事が天使だった件

 映画が面白いのは、駄作、イコール観る価値のない作品、にはならないところです。例えば僕の場合だと、まぁ二度と観る気にはならないけれど、『稲村ジェーン』はやっぱり観て良かったと思っています。反対にタルコフスキーの映画なんて、傑作なのかも知れないけど、別に観ても観なくてもどっちでも良かったと思うし。




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オレンジ

 フランスで、日本で、捨てられていたオレンジを拾って食べた。僕が待っていると、またオレンジが捨てられて、僕は拾って食べた。僕は再度待つだろう。




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2017年11月22日

動機

 答えなら初めから知っているのに、僕は自分になんでそんな質問をしたのだろう。なぜそうしたいのか、という自分の動機を、自分にさえ説明できないことが多い。僕はフランス語がもっと話せるようになりたい。なぜ? と訊かれても説明できないのがもどかしい。自分にさえ説明できないのがもどかしい。恐らくはその動機を知るために、僕はフランス語の学習をつづけている。質問を知るために、答えつづけているような節がある。

 行動は、動機の遥か前にある。行動しつづけることで、やっとその動機が見えてくる。やりたいことを説明することが、僕にはできない。だって僕には、自分がなぜそれをやりたいのか、わからないから。ただ僕は知っている。やりつづけることで、自分がなぜ、どうしてそれをやりたかったのかがわかると。今やっていることを、やりつづけること。心の中の時間は、現実の時間とは逆の方向に流れて、僕にいつかその秘密を教えてくれるから。




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2049

 帰国して、しばらく経って、ネタバレ解説的なサイトをいくつも見てみて、やっとあの映画のストーリーが理解できたところ。で、どうなの? とあのときの自分が、問いかけてくる。

 僕はフランスの映画館でブレードランナー2049を観た。仏語の字幕で観たんだぜ、とあのときの自分が、今の自分に自慢してくる。

 2049(ドゥ・ミル・カホント・ナフ)、ちゃんと通じたよ。アジア人の客は僕1人という劇場で、キップ売り場のお姉さんから、頑張って3Dの眼鏡を買ってさ。

 終わったのは深夜。真夜中の5分前か後か。古いヨーロッパの暗い町並みが、劇中の風景にだぶって見え、5分ほど歩いて部屋に戻る間も、映画の夢が覚めることはなかった。

 アパルトマンのエントランスの、ロックを解除する4桁のコード、まだ覚えている。捨てられていたオレンジを拾って食べた。1か月前の自分が羨ましい。




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感情

 心の目で見ただけの夢を覚えているのは難しい。

 僕は体の外へ外へ出て行こうとするイメージを追いかけている。最初僕は、僕の体の外側にも、僕の感情はあると信じていた。行き着いたその場所で、僕は何を思うだろうと、暢気に考えている。ところが、そのイメージが僕を導いたその場所に、感情はないのだ。「唖然とするような」などという感情すら存在しない場所に僕はやってきて、どうしようもなくなって、元いたところへ戻ろうとする。しかしその、僕が元々いたところに置いてきた、僕の感情は、変化している。そもそも、僕が本当に覚えていた、僕の感情って、どんなものだったろう? 君の音楽を聴くときに、僕が感じているのは、そういうことだ。




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盗塁する

 一塁から二塁へ盗塁する夢を見た。僕の左足は伸縮自在、最大10mまで伸ばすことができるので、リードする必要がない。盗塁するのに便利だ。

 時間はたくさんあるようでない。夜明けまで1時間、赤や青の、点滅する信号機以外、すべての明かりが消えた町を歩いた。

 町の写真を撮る夢を見た。町のカフェで画像を見返していると、撮ったはずの写真が消えていた。行った覚えのない町に僕は行き、撮った覚えのない写真を僕は撮っていた。見た覚えのない夢を僕は見た。




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2017年11月18日

BJ気取りのヤブ医者に

 女友達のまだ幼い子供が病気で入院した。実は僕も赤ん坊の頃、同じ病気に罹ったことがある。それをその友達も知っていて、真っ先に僕に連絡をくれた。後に『ブラック・ジャック』にも登場することになる原因不明の奇病で、根治は不可能、僕は死ぬと言われたものだ。



「とりあえず寝かせておきましょう。運が良ければそれで治ります。運が悪ければ死にます」と言う医者に、両親が「この糞ヤブ医者、お前が死ねよ」とキレたのかどうかは知らない。しかし当時は寝かせておくしかなかったのだ。その病気の原因は50年経った現在でも未だわからず、従って根本的な治療法もないのだが、今はその病気で死ぬということはほとんどないらしい。症状を軽くする薬もできた。



 医学の進歩とはそんな対症療法の進歩なのだと思う。病気を治すのに魔女に頼っていた時代と、何が違うのかわからない。



 確かに、たしかに人の死は遠くなった。僕は強くなり、君は滅多なことでは死ななくなった。それでも、この21世紀では矢鱈にはないことだが、僕たちは死ぬ。そう明日にでも、簡単に。寝てる間に。医者の言うとおりに、僕たちは超ものすごく運が悪ければ死ぬのだ。




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デパート

 閉店後のデパートに勝手に入り込んでパーティーをする人たちの夢を見た。催事場で劇が始まった。仮面をつけた若者と、マネキンが会話する。

 夜、ぼぉっと光る湖の夢を見た。短い夢。目覚める直前に見た。手摺にもたれてその不思議な光を見ていた。

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2017年11月16日

真理教

 気づいてしまった。毎晩見る夢はきっと、どこまで行っても、僕は僕であることから逃げられない、ということを暗示している。アンにシメしている。それは、真理なのかも知れない。が僕はそのことに、異議申し立てをするつもりだ。知ったことか、ふざけるなと言い捨てて、行けるところまで、どこまでも逃げて行く。いろんなものを残したまま、ものすごく遠いところまで行って、二度と戻りたくないのだ。




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2017年11月15日

10点満点!

 大昔に夢日記をつけていたことがあるけれど、自分はワンパターンの夢しか見ないとわかって、すぐにやめてしまった。その当時と比べれば、今見る夢は、遥かにバリエーション豊かにはなった。ただそれも、ストーリーとして豊かになった、というだけで、その舞台装置は相変わらずのような気がする。昨日と違うことが同じ場所で起きるのを見るのは、同じことを繰り返しているのと違わないのではないか、と思ってしまう。それはきっと、僕は僕であることから逃げられない、という夢なのだ。

 スーツケースを転がしながら外国の町を歩く夢を見た。巨大なクレーンの下まで来た。警察に停止を命じられた車の中から、女の人が出てきた。床運動をする体操選手のように、クルクル回転しながら出てきた。




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知能は高いが意識は低い

「意識は高いが知能は低い」と書いてみて、それは自分のことかも知れないとふと思う。あるいは逆に、「知能は高いが意識は低い」なのか、自分ではわからないけど。エレベーターの中とかでよく流れているイージーリスニングの曲、甘ったるいBGM、あれを何時間も聴かされて、鬱病になりそうなのだ。




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泳ごうとする

 水泳の授業を受ける夢を見た。校舎の前にあるプールで泳ごうとするのだが、水草や藻に邪魔されるのだ。綺麗な場所を探して、僕はプールサイドをぐるぐる歩いて。

 家の2階の、普段は使ってない寝室に、喧嘩ばかりしているカップルが泊まりにくる夢を見た。おじさんと、娘ほどに歳の離れた少女で、僕は警察に通報しようかどうしようか迷う。




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スタジアムは面白い

 サッカーを語る人にはいわゆる意識高い系の人が多いように思えるのは気のせいだろうか。サッカーに限らずだが、僕などはひねくれているので、そういう人が応援しているチームが負ければいいなぁと思って見てしまう。

 野球は筋書きのないドラマだとか言われるが、筋書きのないドラマほど面白くないドラマはない。僕は筋書きのないスポーツは見ない。筋書きのあるスポーツもその筋書きがくだらなすぎるので見ない。

 意識は高いが知能は低い親に育てられた子供が、スポーツ選手としてオリンピックで大活躍するストーリーなんて‥‥(オリンピックは特にひどい)。



 スポーツ観戦に興味を失って久しい。無観客試合とか、本番前のリハーサルとか、あえて生で観戦するとすればそういうのが楽しいんじゃないかなと今は思う。野球の試合だったら、試合ではなく、スタジアムを見に行くとか。実際、スタジアムはそこで行われる試合より面白い。建築物はスポーツより美しい。




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2017年11月10日

武蔵

 海戦の夢を見た。僕は上空から俯瞰する視線だった。大和とか武蔵みたいな戦艦が、眼下で次々と沈んでいった。

 ゴミ捨て場でスーツケースを拾った。中が異様に香水臭い。匂いが抜けるまでしばらくかかるだろうが、問題なく使えるので使う。ちょうどいいタイミングだった。今まで使っていたやつがかなりボロくなってきて、違うものが欲しいと思っていたところで。考えてみれば僕はスーツケースを買ったことがいちどもない。欲しいなと思っていると、綺麗なのが必ずどこかに落ちているので買う必要がないのだ。不思議。今回はハードケースなので、ステッカーをベタベタ貼れるのが楽しみである。




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ページをめくる

 本に喩えるとこんな感じだ。捲る頁はもう残っていない。でも物語にはまだつづきがある。僕は自分が何度でも行かなくてはならない場所に辿り着いたことがわかった。

 ピアノを弾く夢を見た。君の隣で。連弾、とは言っても、僕はCやFのコードをおそるおそる押さえるだけだったが。

 僕にはつまらないことを面白がる才能がある。その一方で本当に面白いことを充分に面白がるのは苦手なのではないか、と思うこともある。だから楽しみだけど不安でもある。これからものすごく面白いことが始まるのに。僕には面白がれないぐらい面白いことが。




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パトレイバー2

 パトレイバーの映画を見た。おじさんとおばさんが主人公の第2作目だ。僕は途中から自分が3000歳だと思って見ていた。どうしてそう思ったのかはわからない。

 そこだよ、そこ、とみんなが僕に何かを教えてくれる夢を見た。そこで何なのかはわからない。



 男女3人ずつのグループで遊びに行く夢を見た。その計画を立てる夢だ。僕たちはみんな高校生だった。懐かし過ぎて気が狂いそうになった。

 透明人間になった。友達を見かけて声をかける夢を見た。その友達はそれが僕の声だと気づかずに行ってしまった。夢の中の僕は声だけの存在で、しかもその声は、変わってしまって。




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2017年11月 3日

愛嬌

 飛行機の前の席に中国人の赤ん坊がいて、後ろに座った僕たちのことが、気になって仕方がないみたい。座席の隙間から振り返って、僕と、僕の隣の若いカップルに、愛嬌を振り撒いていた。愛嬌なんて、世界中にばらまいても、まだ余るくらい持っているんだ。フランスに向かう飛行機の中では、みんな、顔で笑って、心でも笑って、何もかも上手くいっているという感じしかなかったし、実際に、何もかも上手くいった。あなたは輝く光だという君の言葉も、素直に受け入れられる。僕は帰ってからもまだ、顔と心と、それ以外のすべてで、笑っている。




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2017年11月 2日

空港で

 戦争が始まる夢を見た。核爆弾が落ちてキノコ雲が2つ上がる瞬間の映像が、モニターに繰り返し流れた。これは戦争が本当に始まる、という大袈裟な悲しい夢ではなくて、僕は空港でぼんやりテレビを見ていました、という普通のつまらない夢である。僕は空港で、わりと無感動に、居合わせたみんなと一緒にその映像を眺めていたのだから。




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2017年11月 1日

ドアをノックする

 記憶があまりにもリアルだったら、その記憶を思い出している僕は、今目の前にある現実に、別の現実が重なっているように感じるのではないか。リアルな幻覚を見ているような気がするのに違いない。

 確かに初めてのはずなのに、ここは前に来たことがある、と思うのは、わりによくあることだけれど、ピンスポット的にではなく、町全体にその既視感を感じたのは初めてだったので、帰国して何日も経つのに、僕はまだ驚いたままだ。

 閃きだとか昨日見た夢とか、無意識の直感を信じて行動してしまいがちなところが、僕にはある。しかしもちろん、僕は予知能力者ではなくて、第一印象的な予感は、大抵外れる。第二印象、第三印象、かすりもしない。

 けど今回の既視感は、そんな未来の予感とは違った、過去の、リアルな記憶のような感じなのだ。僕は本当は未来にいて、現在をど忘れした過去として捉えて、思い出そうとしている、という感じなのだ。今ここで起きていることを正に今、この場で、思い出そうとしているみたいなのだ。

 とにかく君とのつき合いがつづく限り、あの町を訪れる理由など無数につくれるはずなので、何回でも訪問して、町中を歩き回って、ドアというドアをすべて開けてみて、その後で自分に何が起こるか、見てみようと思う。




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500日

 1年が500日ある国へ旅行する夢を見た。空港の近くにあるホテルの従業員は日本語ができた。チェックアウトが午後遅くになってしまった僕が、追加料金を払おうとすると、1年のうち470日は暇だから、いいのよと言ってくれた。褐色の肌の女性だった。

 見る夢には何かの意味があるように思う。気の向いたときにいろいろ考えてみたところ、その夢でとった行動より、どこにいたのか、場所が重要みたいなので、その点を意識して、記録するようにする。物語的な要素は、おまけみたいなものだ。



「部屋」の夢を見た。目を覚ますと僕は「部屋」にいた。「部屋」の中には今まで過ごしたことのある部屋が全部重なっていた。オレンジ色の柔らかい光を放つ不思議なクッションがあって、それも何かと重なっていた。




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『真夜中の五分前』と『ブレードランナー2049』

何年か前、映画化された『真夜中の五分前』を観て感動した。

中国語のセリフ、英語の字幕。

どっか外国で観た。

 

この間『ブレードランナー2049』(英語のセリフ、仏語の字幕)を観て、

『真夜中の五分前』の感動を、なぜか思い出したのである。

原作とはまったく違う舞台(上海・モーリシャス)と、

まったく違うキャラクター(映画女優・プロデューサー・時計職人)を設定しておきながら、

原作の世界観は忠実に再現しているという奇跡の傑作。

『ブレードランナー2049』でもあれぐらいできなかったのかなぁ、

無理か。


「好きな男(映画プロデューサー)も、憧れの職業(女優・モデル)も、そっくりな妹は私から奪っていった。

奪われるたびに、私は私でなくなっていく」

そんな姉と孤独な青年が恋に落ちる。

やっと「今」を生きる「自分」を取り戻した双子の姉。

が、悲劇は起きる。

姉妹で出かけた旅先で事故に合い、姉は命を落とす。

そのショックで妹は「時間」と「自分」を見失ってしまう。

誰もが疑う。

生き残ったのは双子の姉ではないのか?

姉が妹になりすまして、女優という職業とかつて愛した男を

奪い返したのではないか? 

幼い頃から何度も入れ替わり、お互いの人生を交換してきた瓜二つの双子の姉妹。

生き残ったのはどちらなのか、本人にももうわからない。

それを判断できるのは、姉を姉として愛した、孤独なあの青年だけ。

彼が私を私として愛してくれるなら、他の誰でもない私に私はなれる(だろう・はずさ)。


というところで物語は終わる。

結局どうなったんだろうな。

原作では彼は「私」を「私」として見た、そして(だからこそ)愛せなかった、

というところで終わるのだが‥‥


『2049』より面白いので、期待し過ぎたあれで消化不良を起こした人は観るべし。




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