ピンク
買った服を部屋の鏡の前で着ているところに、電話がかかってきた。デパートの紳士服売り場からだ。
「とてもよくお似合いですよ」と言う。絶妙のタイミングだ。
「見えてるんですか?」
「もちろんです」
ところで僕は緑色の服を買ったはずだったが、鏡の中の僕はピンクを着ている。
僕は「とてもよく似合ってる」と鏡に向って言った。
その声は鏡の中に吸い込まれていった。
買った服を部屋の鏡の前で着ているところに、電話がかかってきた。デパートの紳士服売り場からだ。
「とてもよくお似合いですよ」と言う。絶妙のタイミングだ。
「見えてるんですか?」
「もちろんです」
ところで僕は緑色の服を買ったはずだったが、鏡の中の僕はピンクを着ている。
僕は「とてもよく似合ってる」と鏡に向って言った。
その声は鏡の中に吸い込まれていった。
煙突にはフタがしてあった。僕はそれを開けて、中に入った。中はとても狭かった。
煙突の中には階段があった。僕はそれを下りた。フタがしてあるところまで下りた。
そのフタを開けた。まだ階段はつづいていた。踊り場に出た。
そこで美女が僕を待っていた。
さっき港で、船の上から、僕に手を振っていた美女だ。彼女は「フミヤー」と歓声を上げながら手を振っていた。
チェッカーズの藤井郁弥だ。港にいた日本人は僕だけなので間違えたのだ。
美女はいきなり「私は26歳と言わなきゃならないのが嫌なのよ」とグチってきた。
「誰も訊いてないよ」
「それがどうしたっていうのよ」
「それに僕はフミヤじゃないよ」
「それこそ訊いてないわよ」
「26歳なの?」
「どこへ行くの?」
「どこから来たの?」
「船に乗ってきたのよ」
「僕は船に乗るんだよ」
「あんたの服は汚れてる」と美女は言った。
「君の服は黒い」と僕は言い返した。
「私の服には黒い色がついているだけよ。黒は汚くない」
左手たちが順番を待っていた。僕とジャンケンをするのだ。僕は右手1本で、彼らを負かしていく。
彼らは勝負に「いちばん大切なもの」を賭けた。それはレタスの葉っぱ1枚だったり、スマホだったり、日記だったり‥‥。僕はレタスを一口で食べてしまう。シャキッといい音がした。左手の書いた秘密の日記を読む。声に出して読む。
その花火は魚のように空中を泳いで3人の大きな女の前にやってきた。そして爆発した。綺麗だった。音はなかった。
次々と花火魚は女たちの前にやってくる。そして弾ける。その様子を許可なく撮影しようとする僕を女たちは睨んだ。
美女たちを乗せた客船が到着した。船の前をスケートボードに乗って通った。美女たちは手を振っている。僕のことを指差し「フミヤー」と叫んでいる。チェッカーズの藤井郁弥だ。港にいる日本人は僕だけなので間違えたのだ。
‥‥階段を下りている(いつの間にかスケートボードは消えている)。階段は地中の狭い穴の中にある。服が泥だらけになってしまう。
暗い踊り場に出た。美女が1人待っていた。船に乗っていた美女だ。いきなり「私は26歳と言わなきゃならないのが嫌なのよ」とケンカを売ってきた。「誰も訊いてないよ」
「それがどうしたっていうのよ」
「それに僕はフミヤじゃないよ」
「それこそ訊いてないわよ」
「26歳なの?」
「どこへ行くの?」
「どこから来たの?」
「船に乗ってきたのよ」
「僕は船に乗るんだよ」
「あんたの服は汚れてる」と美女は言った。
「君の服は黒い」と僕は言い返した。
「僕の服には土がついているだけさ。土は汚くない」
僕たちがいたのは、2階席か、3階席か、よくわからなかったけど、かなり高い位置から、ステージを見下ろしている。客の入りは、まだ半分くらい。君はもう、ステージに出てきていて、ピアノで、でたらめな曲の断片を弾いている。
だがそれは、いきなり始まった。観客は、総立ちになった。クラシックのコンサートで、こんなことがあるだろうか。夕方の影のように、異常に背の高く、手足の長い観客たち。隣にいた友達は、椅子の上に立った。僕も立ち上がったけれど、ステージはほとんど見えない。
雪が降っていた。しかし空は明るかった。雲1つない。
雪は降り積もった。待っていれば雪雲はそのうち来るのだろう。僕はもちろん待たなかったが。
夜になった。星空だった。まだ雪は降っていた。星も降っているみたいだ。
木の本棚は、よく見ると、数ミリほど、宙に浮いていた。並べられた本も、同じように浮いていた。
僕は1冊の本を手に取った。薄い本だったが、ずしりと重かった。
何となく元の場所に返すのはためらわれた。手に持っていることにした。
するとその本の重さで、僕は少しずつ沈み始めた。本棚には風船が置いてあった。クマのキャラクターが描かれている風船だ。僕はその風船を手に取った。
クマの風船は、しかし、信じられないくらいの重さだった。それを抱えた僕は、急速に沈み出した。
朝刊を全部読み終える前に夕刊が届けられた。僕は夕刊を先に読んでしまうことにした。
夕刊は朝刊の半分のサイズしかなかった。すぐに読み終えてしまった。
まだ午前中だった。僕は読みかけの朝刊に戻った。しかしそこで報じられているのは、100年も前に起きた出来事だった。テレビ欄もなくなっていた。
僕は野球選手だった。左打席に立った。初球をフルスイングした。内野ゴロだったがヒットになった。僕は足が速いのだ。
敵チームは僕の盗塁を警戒して、たくさんの二塁ベースをフィールド上に撒いた。どれが本物の二塁ベースなのかわからない。守備側も審判もわからなくなってしまったようだ‥‥
一塁のすぐ近くにもそれ(二塁ベース)はある。もちろん罠だろうが‥‥
イタリアンレストラン朝の8時。たくさんの人がいて注文した料理が出てくるのを待っている。前の晩の8時から待っているのだ。
僕のテーブルにやっと料理が運ばれてきた。何かのスープだった。スープは赤い色をしている。炊きあがったばかりの白いご飯もついてきた。
僕はそのご飯をスープの中に入れた。すっかり韓国料理の流儀が染みついてしまった。
その様子を隣のテーブルの人が見て何か言った。
ロッカーの中に、バケツみたいに大きなワイングラスが入っている。僕のだ。縁が欠けている。
それを見て「社長」は即興で和歌を詠んだ。
僕はなんだか間違ったようなお世辞を言った。「結構な御手前で‥‥」
出勤してきた社員たちは各自のワイングラスを磨き始める。いいのか。僕には磨くための布もない。
その王国にはプンキュルタという名前の姫がいた。その名は「ブス」の語源である。
「プンキュルタ姫」と僕は呼びかけた。「姫のお名前は日本人のワタクシには発音しづらいので‥‥」
「うん?」
「ブスと呼んでもいいですか?」
「バス?」
「ブスです」
「ヨロシイわかった。認める」
プンキュルタ姫は自分の新しい呼び名を叫びながら母の元へ走った。
「ジパングの下僕が私にカワイイあだ名をつけてくれたの」
母の名前はテンキュルタ女王。
「私にも何か日本風の呼び名を‥‥」
「デブ」
夜の10時から、会社で健康診断がある。その前に酒を飲むのは、まずいんじゃないか。僕がそう言うと、友人は、伝説が欲しいのだと言い返した。武勇伝、ってやつです。僕の武勇伝を、広めてください。そう言って、何杯も飲んだ。結局、健康診断には行かなかった。オフィスに戻るのが面倒になり、そのまま飲みつづけた。
バーの中に、ゲームセンターがあった。ゲームをするためのコインを、僕らは買った。僕と、年下の友人。両替機に、紙幣を入れた。コインは、出てこなかった。もっとカネを下さい、と両替機は喋った。
明るい部屋で、女が眠っている。寝相が悪い。
僕は彼女のベッドの周りをぐるぐる歩いて回る。1周するたびに、女は1歳若くなる。彼女の依頼どおり、20周した。すると彼女は赤ん坊になった。元々若い、ハタチの娘だったのだ。追加でもう1周した。彼女は消えてなくなりはしなかった。完全に目を覚まし、僕を見た。欲張りな娘。僕は彼女の名前を呼んだ。
「アナタ様は在宅のまま起訴されました」と声をかけられた。「何でいきなり?」「録音物再生義務違反です」
「何ですかそれ?」
レコードやCDをずっと再生しないでいると爆発する。ただ「ずっと」というのが具体的にどれくらいの期間なのか不明だ。爆発の規模もどのくらいのものになるのかわからない。
「爆破共謀罪にも問われています」
「共謀って誰と?」
「ヘンデル様、ブルックナー様と、アナタ様との共謀です」
「はぁ」
「『今どきヘンデルなんか誰が聴くんだよ』と思われましたね」
「いや、わかりました、わかりましたよ、ヘンデル聴きましょう、それからブルックナーも聴きます、それでいいでしょ?」
「ヨロシイ」
僕はその見知らぬ役人のオッサンの監視の元ブルックナーの交響曲を全曲聴いた。(何でこんなレコードを買ってしまったんだろう‥‥)
ヘンデルに関してはユーチューブに上がっている動画すべてにいいねをつけることを求められた。
イイネ!
「もっと真剣にやってください」とオッサンは言った。
駐機しているジェット機に向って彼女はスイングしたが、ゴルフクラブは変な角度でボールを叩き、ボールは大きく左へスライスした。
「つまり、こういうことなのよ」と彼女は言った。
そして拳銃を取り出し僕に向って構える。
「私はここで引き金を引く。どうなるかわかるわね?」
「弾は左にスライスする。僕には当たらない」
その答えを聞き彼女は僕を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。躊躇なく引き金を引いたのだった。
左手で11個の鍵盤を同時に押さえながら、右手でメロディを弾かなければならない。そんな出鱈目な和音があるものか、と思う。だがピアノの先生の示してくれたお手本は完璧で、「すごいですね」とその音の重なりの美しさを僕は認めざるをえない。
「壊れかけた橋」と題された絵がある。橋はどこにも描かれていない。シュールな絵だ。それは「壊れかけた橋」というピアノ曲にインスパイアされたものなのだ。楽譜を見てみた。どんな曲なのだろう。
左隣の人がラーメンを食っている。汁が撥ねて僕のタキシードにつく。その染みが光り出した。最優秀助演男優賞だ。僕は受賞したのだ。
また別の候補者がラーメンを食う男の右隣に座る。その人には汁は撥ねない。(もう間違いない、僕の勝利だ。)
星は丸かったが、光は四角だった。その星の四角い光は、すべての丸いものを四角くした。四角く、整えた。
光に照らされて、夜の町にもう丸いものはなかった。
女の乳房は四角いサイコロだった。僕はそれを転がした。僕の手の中で、同じ数字が出つづけた。
車のタイヤは四角だった。タイヤは回転をやめ、車は動かなくなった。その車の中で、僕たちは朝を待った。
当選。当たる。僕は当たったものを人にやる。人、というかあるグループに。22333人に。1人ひとり手渡す。「手が痛い」と言って受け取らない人がいる。僕はそいつの頬をつねる。そいつと僕の目は覚める。
僕は前の扉から入った。すでに席に着いていた観客たちは驚く。その扉から入ってくる僕を予想していなかったらしい。
最前列の椅子に座る。隣の人が話している、夏休みの予定を。今は1月だ。でも暑くなってきた。僕は座ったまま苦労してコートを脱ぐ。演奏は始まっている。拍手もなかった。
僕の昔の愛人が、娘を連れて、僕の昔住んでいたマンションの部屋を訪ねてきた。その部屋には、今は誰も住んでいない。ずっと空き部屋なのだ。元愛人は、持っていた合鍵で中に入る。部屋には何もなく、ガランとしている。元愛人は娘と一緒に、そこで暮らすことにした。
その話を聞いて、僕も合流した。
娘と僕は、仕事もせず、学校にも行かず、昼間ずっと部屋にいた。その間、話もしなかった。元愛人が夜に帰宅すると、娘は気を利かせて、どこかに出かけた。朝まで、帰って来なかった。
こんな夢だ。彼女は何にもまして彼が好きだ。だが彼にはもう会えないだろう。彼女以外の誰かが、そのことを彼に伝えなければならない。みんなが僕に、その役を押しつけた。
停車していた列車が、ひとりでに動き出した、乗客を乗せずに。僕は彼に会った。立ったまま、何時間も話した。最後まで、その話題は出なかった。時間が来て、彼は駅に向った。
「いる場所にいなさい」という声が聞こえた。神の声か?
でも何のこと?
そもそも僕のいる場所はどんなところだろう? 僕はその場所から少し離れた。すると稲妻が光った。はっと振り返った。僕のさっきまでいたところに雷が落ちた。
僕のさっきまでいたところには赤いビキニを着た女の人が立っていた。彼女は雷に打たれ、ビキニのまま天に召された。彼女はいい人だった。
車が赤信号で止まる度に運転手は車から降りた。そして簡単な体操をして、深呼吸をする、信号が青になるとまた運転席に戻る。その繰り返しだった。
皆がそんなことをするので、道は渋滞していた。
次に運転手が車から降りたら、僕が運転をしようと決めた。
決めた。車を奪おう。
不健康な僕らのため。
1人が僕の顔を見て言った。「乗らないの?」青い半袖半ズボン。エレベーターから降りてくる人がみんな同じ服を着ていた。同じ顔だった。しかし同じ人ではないということはわかった。年齢がまちまちだったから。
僕らの飛行機の下に、もう1機の別の飛行機が飛んできた。「ここで乗り継ぐのよ」とスチュワーデスさんは言った。非常用の扉が開かれた。「わかった」とそのスーツの男は答えた。そしてスカイダイビングの要領で両手両足を広げ、外に飛び出す。空を滑るようにして、下の飛行機に乗り移った。パラシュートはつけてなかった。
爪が長いわけではなかった。指の第一関節が異常に長いのだ。その指が笑った。まるで蜘蛛のように笑った、と僕は言う。蜘蛛は笑わないよ、と君は言う。指も笑わないよ。僕は反論する。見たんだ。クスクス笑うのを。僕を笑わなかったのは爪だけだ。
酒が飲み放題だった。僕はあまり味のしないビールを飲んでいる。コドモ用に水で薄めたものだ。
僕たちのテーブルの周りを人が囲んでいる。立ったまま、身動きしない。不気味な感じ。でも悪意はない。彼らはこのテーブルが空くのを待っているだけだ。
大人たちは本物の酒を飲みながら「次の戦争」の話をした。次の戦争は中国でもう始まっていた。深刻な表情で「誰が行かされるんだろう?」「噂では‥‥」「いやまさか‥‥」
何を馬鹿なことを言ってるんだろう。僕は漢字で名前を書いた。知ってるんだ。「あのね、この人と、この人、それとこの人が行くことになるよ」
周囲に立った人たちが、僕の手元を覗き込んだ。そして名前を確認すると、消えた。テーブルの周りには誰もいなくなった。僕は急に眠たくなってきた。
彼は常に鼻声だった。そのせいで彼の発言はふざけているように感じられた。
彼はビートルズの解散の本当の理由を知っていると言って、それからビートルズの歌を何曲か歌った。鼻歌だった。結局解散の理由については何も喋らなかったのだが、それは何となく伝わってきた。
たくさんの水槽がある。いろんな魚がいる。学園祭は「魚」一色である。
とても危険だという大きな魚の横で、男が解説をしている。
「このエラを見て下さい」と男は言い、エラの中に手を入れた。「エラは安全です」
魚を見ながら、興奮状態になっている人がいた。エラに入れたがっているのだな、と僕は思う。
ためしに鏡の前でピンク色の服を着てみると、僕にはよく似合っている。僕はどうしてしまったのだろう。いつの間にピンクが似合うようになってしまったのだ?
しかたなく鼻歌を歌ってみた。僕は鼻歌が似合うオペラ歌手だ。イタリアに留学した。みんな旅行だと思っているが「留学」だった。鼻歌ではなく声楽を学んだ。
帰国してロックバンドを組んだ。すぐにメジャーデビューが決まった。マネージャーがついた。マネージャーはビートルズの解散の本当の理由を知っていると言った。
「ジョンもポールも高い声が出なくなったんだ」
彼は常に鼻声だった。そのせいで彼の発言はふざけているように感じられた。
トイレに行って、戻ってくると、彼女は持っていた傘を僕に渡した。それは僕の傘ではなかったし、彼女の傘でもなかった。雨も降ってなかった。
「この傘は何?」と僕は訊いた。
「アメリカの傘よ」と彼女は答えた。
「アメリカ?」
「デートの途中で雨が降ったら、この傘をさして帰ってきなさいって」
「あぁ、お父さんが?」
「雨が降ったら、デートは中断して、私は家に帰らなきゃならないのよ」
「そうなんだ」
「その前にさっさとホテルに行きたいとか思ってるでしょ」
「え? 思ってないよ。でも今言われて、思ったかな」
「私はその前にワープロを買いたいのよ」
「ワープロ?」
「パソコンがあるじゃないか、とか思ったでしょ」
「うん‥‥」
「でもワープロがいいのよ」
「お父さんにプレゼントするの?」
「そんなこと思ったのね、驚いた」
「僕もトイレに行っていいかな?」
「行けば」
「ちょっとこれ持ってて」僕はアメリカの傘を彼女に渡した。
買ったときは緑色だった服が、家に帰って見るとピンクになっていた。不思議には思ったが、なぜか納得していた。それは、そういうものなのだ。その色は、僕によく似合っている。
絶妙のタイミングで、電話がかかってきた。デパートの、紳士服売り場からだ。僕はそこに、何か忘れ物をしてきたらしい。