チーズ
細長いチーズを食べている。もらった。それは目に見えないくらい細く、チーズの味はしない。何の味もしない。
どれだけ食べても、お腹いっぱいにならない。餓死するまで食べてていい、と言われた。女房に。
細長いチーズを食べている。もらった。それは目に見えないくらい細く、チーズの味はしない。何の味もしない。
どれだけ食べても、お腹いっぱいにならない。餓死するまで食べてていい、と言われた。女房に。
魚売りがいて、魚買いがいた。どちらも魚を持っているので、見分けがつかない。混乱する。魚市場を離れた。すると魚たちが、「色」になって、僕を追いかけてきた。何色ともつかない、曖昧な色だった。
ある友人はその「色」を見て、優しい色だと言った。冗談じゃない、と僕は思う。僕は追われているんだ。魚と、魚売りと、魚買いに。
アイドルのキタムラという男の写真を撮るため南国に来ていた。僕はキタムラにサッカーボールを渡してポーズを取るように言い、何カットか撮影した。いい写真が撮れた。
次の小道具として僕はバスケットボールを渡した。「なんスかこれ?」キラムラは言った。「本物のバスケットボールよりデカいじゃないスか」
キタムラが反抗的なのはいつものこと。いちいち気にしてはいられない。
「いいからドリブルしてみろよ」
そのボールはスーパーボールのようによく弾んだ。何回か試してコツを掴んだキタムラは、バウンドするボールに飛び乗り、宙へ舞い上がる。
お父さんはテレビの中に入るとき、テレビのスイッチを切った。暗い画面の中に、溶けるように入った。僕にはマネのできない技で‥‥。僕はテレビの中に入るとき、テレビのスイッチをつける。明るいテレビ画面の中に、やはり溶けるように、身体を馴染ませていく。
そうやって入ったテレビの中の世界で、僕はお父さんを捜す。ありとあらゆるスイッチを、オンにしていくのだが、そうすると逆に、お父さんは消えてしまう。さっきまではいた人影のようなお父さんは、僕がスイッチを入れた瞬間に、この世界から消える。
「私は、自分の家がどこにあるのかわからない」 酔った女が、僕に道を訊いた。
「僕は、君の家がどこにあるか知ってると思うよ」
「教えてくれる?」
「ここをまっすぐ行って、最初の角を左に曲がると‥‥」
「曲がると?」
「そこが君の家だよ」
「どうして知ってるの?」
「簡単な話だよ」
「私には難しい」
「まずは、とにかくまっすぐ行くことさ」
「その『まっすぐ』が難しいのよね」
「だいぶ酔ってるみたいだ‥‥」
「大丈夫ですよ」
「右と左はわかる?」
「もちろん」
「僕、たまに右と左を間違える。右足を出したつもりで左足を出しちゃって、転んでしまって‥‥」
「かなしい?」
「間違えたなぁと思って(笑)」
「(笑)」
パンを注文した。ここの住所は言わなかった。仮設のテントの中だった。テントに設置されていた電話からかけた。番号が通知されるだろう。そうすればわかるだろう。しかし待ってもパンは配達されなかった。
マーガリンだけは持っていた。しかたなく地面にマーガリンを塗った。そして地面を食べようとした。急に雨が降り出した。雨の中誰かがやってきた。
妹が猫を抱えて部屋に来た。「何しに来たの?」と僕は訊いた。
専門の業者が部屋の床を掃除している間、僕はプカプカ空中浮揚していた。
「様子を見てきて、ってお母さんに言われたの。順調みたいね?」
「うん、大丈夫。ちゃんとプカプカ」
妹は猫を置いて帰った。
「猫は困るんですけどねぇ」と業者は僕に愚痴った。
僕は自慢の白いポルシェ911で、女のコを駅まで送るところだった。駅までの道は全部上り坂だったので、アクセルを目一杯踏むことができた。
あんまりスピード出さないで、と女のコが悲鳴を上げるたびに、坂はもっときつくなり、僕はさらにアクセルを踏み込まなくてはならない‥‥
最終的に勾配は90度近くになり、車がバックし始めた時点で、僕たちは降車した。
見ると、少しも駅に近づいてなかった。
目が見えなくなった僕のもとに、身の回りの世話をしてくれる、たくさんの親切な人がやってきた。実は僕は手のひらで見ることはできたため、みんなの顔がどれだけ醜いかは知っていた。
人間だけではなく、犬や猫も集まった。耳や目が半分なくなった、ぞっとするような皮膚病の犬猫ばかりだ。醜い人たちは、その犬猫たちを保護したが、決して病院に連れていこうとはしなかった。みんな‥‥障害者だった。身体だけではなく、精神にも少なからぬ問題はあった。僕はそんなすべてが、見えないふりをしなければならなかった。
目を閉じるようにして、拳を握りしめていた。
タクシーに乗った。運転手は知り合いだった。「昨日、聞こえた?」と彼は訊いてきた。何のことかわからなかった。
どう答えればいいのか、それもわからない。
途中でもう1人乗ってきた。知り合いだった。「聞こえた?」彼女は訊いた。「昨日のこと?」僕は問い返す。ミラーの中で、運転手が僕に微笑みかけた。
本を開くと指があらわれた。作者の人差し指だ。指はその本の要点だけを指差し、おかげで僕は概要をつかむことができた。慣れない韓国語で書かれた本だったのだ。
そのあとで指は僕を海岸に導いた。突然巨大化した指が、僕を乗せてロケットのように飛んだ。本の舞台になった海岸だった。午前中だったけど午後みたいだった。指はまた元の大きさに戻って、砂にハングル文字を書いた。
新しい腕時計の革のバンドを、馴染ませようとして撫でまわしていたら、ボロボロになってしまった。失敗した、と思ったが、やめられなくなった。さらに撫でまわしていると、注文した人がやって来た。黒い革ジャンを着た、セクシーな風俗嬢だ。彼女の新品のように見える革ジャンは、体に馴染んでなかった。それではいけない、と思った僕が、脂ぎった手でベタベタと撫でまわしている間、彼女は「アンタ、ビョーキじゃ」と言い、嫌悪感からか、呼吸と心臓の鼓動を止めていた。
顔の右半分がなくなってしまった。医者によると実際はあるんだという。見えなくなってしまっただけなのだ。美しい人には僕の右半分の顔が見える。僕は人々に顔の醜い左側を隠す。
そのうち美人がやってくる。僕の右の頬にキスしに。あなたは美人だから僕の顔が見えるんですね、と僕は言う。その様子がネットで配信されると、病室に次々と美人がやってきた。
夕日が眩しい。空は曇っている。それでも夕日が眩しい。いや違った。雲が発光しているのだ。
君は湖に来た。僕は君についていった。そうするとやっぱり湖に来た。湖面を歩くことができた。シートが敷いてあるところまで歩いた。
もう一組のカップルがいた。ソファに座っている。「場所を交替しよう」と男の方は言う。
カップルはシートに腰を下ろした。君と僕がソファに移ると、ソファは湖に沈んだ。
玄関にできていた水溜り。小便をすると、水が‥‥自然に流れた。どういう仕掛けなのかはわからない。いつのまにか玄関がトイレになっている。
工事の人が来た‥‥電話で呼んだのだ。頭頂部を剃り上げ、サムライのような髷を結っている。彼は告げた、「私の職人としての社会的信用と能力と地位は、この髪型と、今から歌う歌でおわかりいただけると‥‥思います」
「歌‥‥ですって?」
彼は歌い出した。歌は下手だったので、僕は‥‥工事がどうなるのか心配になった‥‥
蜜蜂の巣箱は宇宙空間にあった。地球を回る衛星軌道上に。「太陽の黄金(きん)の蜜」を集めるため、働き蜂たちは太陽まで飛んだ。
僕は宇宙服を着て、外に出た。巣箱のところまで行き、蜜を取った。そのとき、フレアが来た。黒い宇宙空間が、オーロラのように輝いた。
巣箱を開けちゃだめだ、と同僚が言った。しかし、遅かった。オーロラにやられた蜂たちは、狂ったように大気圏内を目指した。
重力にとらわれ、大気との摩擦で燃え尽きた彼らが、地表に降り注ぐ様は、流れ星と区別がつかなかった。
会食の席、ロシア人たちはロシア語を話していた。イタリア人たちは日本語を話していた。僕はイタリア人たちのグループに加わった。「僕はパスタとピザが好きです」と自己紹介すると、彼らは「繰り返してください」と言った。
「僕はパスタとピザが好きです」
「もういちど繰り返してください」「もっともっと」「お願いします」などと彼らは言った。
僕はそれ以上何も言わなかった。
女房は早起きして、新しく雇った家政婦に卵焼きの作り方を教えている‥‥。料理もできないのだ。ちなみに家政婦と言っても男だ。何人かいる(スーツを着てるのは家政婦派遣会社の社長だろう)。いったい何人雇ったんだ? 数えているうちに突然うんこがしたくなった。トイレに入ったが扉が閉まらなかった。家政婦に直させよう‥‥
父はもう起きていた。ステテコとランニングシャツという格好で寛いでいた。僕は朝食の席についた。
皿に盛られていたのはステテコだった。これに着替えなさいと母。僕が無視していると母は父と言い合いを始めた。
席についたが、誰も来なかった。ハングルで「日本人」と書いてある席についた。テーブルに、5〜6人分の食事が用意されていた。イカの刺身と、カレーライスである。僕は1人で食べ始めた。
僕が食べ終わるころに、みんなは現れた。刺身とカレーは下げられ、新たに寿司が出された。僕はそれも食べた。
7時を過ぎても明るくならない。まだ夜は明けない。ホテルでは眠る以外にすることはなかった。何十時間寝ているのだろう。ときどき目を覚まして小便をした。部屋にはトイレがなかった。廊下の先にそれはあった。
小便をしに来るたびにトイレ周辺の様子は変わっていた。もともとは英語を話す体格のいい男たちがいるサウナの一角だった。従業員用のトイレを借りるのに、彼らと何か話したような気もする。何を話したのか覚えてない。今そこは児童図書館になっている。
同じことを何回もやる。ただ繰り返すのではなく、変身してやるのだ。アンパンマンやドラゴンボールのキャラクター、仮面ライダー、ウルトラマンなどに変身できる。ただ‥‥何をやらされるのだろう? どのぐらいの期間? 他の人たちは変身に夢中で気にしていないようだが、僕は気になる。そのせいで完全には我を忘れられないのだった。
宣伝の写真を撮るのにそのデパートに売っているものは何でも身につけてよかった。僕は着替えるのが面倒だったので普段着に持ち物だけは高級品、というスタイルでいくことにした。ブランドのロゴが入ったバッグや帽子である。
1人の太った女のコは全身有名ブランドで固めることにしたようだ。もう1人のモデルの女のコはおもちゃ売り場から人形やぬいぐるみを持ってきた。
スナイパーの男が、藁人形から藁を1本引き抜く。それで風向きを確認している。
「藁人形なんて古風ですね」、僕の言葉に嘲笑うような響きがあったかも知れない。
スナイパーは拳銃を取り出し、藁人形を何発も撃った。
それから狙撃用のライフルを構え、標的を撃った。
私には家があった。平屋で、広い部屋がいくつもあったが、入ったことはなかった。部屋と部屋をつなぐ廊下で、私は寝ていた。木の床に、身を横たえた。
その夜は、ソフトクリームの夢を見た。綿飴のようなソフトクリームだ。それを食べながら、私はもう1つの家に帰る。廊下で、立ったまま全部食べる。
橋を歩くと、ギシギシ、変な音がした。危ない。橋が落ちてしまう。
端を歩けばいいんじゃないか、と思った。手すりにつかまって、ゆっくり歩いた。
手すりは金(きん)でできていた。いただいて行こう。手すりをもぎ取った。
すると僕の頭は落ちた。両手は塞がっている。こんなときに頭を落してしまった。どうしよう。
君は手帖を買うと言い出す。僕も一緒に見て回る。土産物屋である。どれも高価なものばかりなのだろう。モノはガラスケースの中に入れられていて触れることができない。
店に入るときは靴を脱がなければならなかった。脱ぐのに時間がかかった。ドクターマーチンのブーツを履いていたから。
店の隣が食堂だった。「社長」がごちそうしてくれた。イカの刺身が出てきた。ナンの形に切ってある。カレーに浸して食べるのだ。
僕たちが全部食べ終わったころ、「社員」たちがやってきた。彼らには寿司がふるまわれた。カレーとともに。ここでは何にでもカレーなのだ。
3人の友達の内1人が、突然老婆になっていたが、奇妙なことに、僕以外の誰も、そのことを気に留めてなかった。
「アタシはおばあちゃんだから、助手席に乗るワ」と彼女は言って、運転を僕らに任せた。
「アタシはアタシだから、アタシが運転するね」と友達の1人は言った。
「ボクもボクだから、後席に乗るよ」もう1人は言った。
「シートベルトがある」と一緒に後席に乗り込んだ僕が言うと、3人は急に無言になった。
「きちんとシートベルトをしようかな」と僕は言って、実際にそうする。カチッという音が車内に響いた。
マフラーの先っちょの、ピロピロしている部分を切った。しかし、切りすぎた。プレゼントしてもらった大事なマフラーだ。君は怒るだろうか。鏡の前で巻いてみる。
5階から乗り込んだエレベーターの中、「7」のボタンと「1」のボタンが同時に押された。顔を見合わせる2人。一瞬迷って、エレベーターは上昇を始めた。
僕は敗者になった。無言で壁の方を向いた。勝者も俯き、自分の靴を見ていた。
人とぶつかり、服にコーヒーがかかった。「すみません」とその人は言った。「いいんです」と僕は答えた。「これ、僕の服じゃないんです」
よく見ると、その人も僕と同じシャツを着ていた。周囲の人々も、全員同じシャツだ。
僕は、その、コーヒーの染みのついたシャツを洗わなかった。そのまま次の日も着た。
すると、みんなのシャツにも、同じような染みがあるのに気づいた。
友達がやってきた。挨拶した。近くのカフェに入った。飲み物だけ注文した。
彼は錠剤を何種類か持っていた。1錠飲むとお腹いっぱいになるやつだ。
どの味がいい? と訊いてくる。でも飲ませてはくれない。
彼は家が全自動洗濯機だった。洗濯機の中に住んでいる。最近はあまり外出をしなくなった。
外を出歩いているのは家が洗濯機じゃない連中だ。そうだろ、と彼は言う。そうだな、僕は頷く。
黒板の前に立っている先生に直接現金を持っていった。授業料だ。すると黒板がパカッと開いて、事務員のような人が顔を出した。「お金はこちらにいただきます」と言う。信用できるのだろうか。先生もびっくりしているが。
「白身や黄身に感情移入してはいけない」その料理人は言った。
「感情移入ですって?」何を言ってるんだろ。
見知らぬ女が突然家にやって来て、関係を迫った。僕が応じて手を出そうとすると、「何でいきなりそんなことするの?」と声を上げた。「じゃあ帰ってください」と僕は言った。
「やるまで帰らない」と女。吐息が熱い。
ところがよく見ると女だと思っていたのは水色のカゴの中に多数入れられていたドライヤーだった。熱風を吹き出している。誰が運んできたんだろう。カゴは重い。
猛スピードでバックしてくる車が僕を跳ねた。全身を激しく打った。すると時間の進み方が突然ゆっくりになった。頭の中を過去の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
その記憶は、実際に体験したものばかりではなかった。夢のような空想も多く混じっていた。現実より空想の方が多かったかも知れない。
ある空想の中では、僕は美女と結婚したことになっていた。
現実には存在しない、空想の結婚相手に向って、僕は即興で考えた空想の言語で語りかけた。「○△×○△」
空想の愛の言葉だ。空想の相手には伝わらなかったが、僕は何回も何回も言った。僕は死ぬのだと悟った。
告白罪ができた。男が女に愛の告白をすると、逮捕されてしまう。人生詰む。女から男への告白はいいのか。いいらしい。僕は待った。僕はハンサムだから。知らないたくさんの女がやってきた。彼女らは僕の知らない外国の言葉で、一言か二言何か告白し、去った。
僕は町(ちょう)から来た。そこは小さな村(そん)だった。村長が僕を出迎えた。
広場にロケットが用意されていた。僕はロケットでちょうに帰される。宇宙服に着替えて乗り込むと、すぐにカウントダウンが始まった。カウントダウンはいきなり「2」から開始されたので、僕は焦った。
みんなで1枚の大きな紙に絵を描いている。もう遅いからと言って2人が家に帰る。1人で好きなように描きたい僕は最後まで残ることにするが、絵の具は既に青と黄色しか残っていない。
後ろを振り返る。半開きになったままのドアの向こうから入りこんできた熱い風に吹かれる。風は絵のところへ行く。それは絵を乾かそうとしているのだ。
ラジオをつける。待っていたかのようにDJが喋りだす。「○○君においらの先生を紹介するよ‥‥」どうして僕の名前を知っているのだろう。
「先生はすごいんだ‥‥」
「先生はバレーボールの選手だった‥‥」
僕の背後に背の高い女性が出現する。彼女は僕の隣にやってくる。11時になった。DJはお喋りをやめる。