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2024年9月20日

 旋律                                                                   

 

 僕は歌っていた。ふと思いついたにしては、長い旋律を。

 

 最初から君は、五線譜に採譜していた。僕が歌い終わると、1つだけ短く質問をした。

 

「コードは?」

 

 僕が考えていた進行は、ハ長調からイ短調へ、最後にまたハ長調に戻ってくるという、単純なものだった。

 

 僕の答えを聞いて、君は笑った。「ふん、まぁいいわ」というような笑い。君が音楽的な質問をして、僕が答えると、君はよくそんなふうに笑うのだ。

 

 それから君は、ピアノに向かった。右手でハ長調のアルペジオを弾いて、左手で先程のメロディを奏でた。ペダルは、ほぼ踏みっぱなし。途中で、テンポが変わる。

 

 そうすると、鏡の世界に入ったように、ピアノの鍵盤が逆転した。左側から高音、右側から低音が聴こえ出した。

 

 ピアノだけではない。僕の心臓の鼓動も、右側に移った。

 

 鼓動があまりにも速くなった。

 

 耳が、聴こえなくなった。すると目が、耳の役目を果たし始めた。時間が、逆転し始めた。僕は、どんどんと過去に遡り、君と初めて出会ったフランスの、あの日に還った。

 

「とてもいい曲だね、あなたが書いたの?」僕が持ち込んだ楽譜を見て、君はそう言ったのだ。

 

 君は、笑っている。僕は、かけていた眼鏡を外した。演奏が、すごく近くに寄ってきた。

 

 

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