不眠
広い部屋に狭いベッドが何台も並んでいてそこに寝ているのは全員が大人の男だ。女子供はいない。あとになってから僕は野戦病院みたいだと思うが、僕たちはみな病気や怪我で寝ているわけではない。ただ眠たいのである。
1人だけ眠れないでいる男がとなりに横になっていて、僕も目を覚ましているのに気づくと話しかけてきた。
「‥‥とするとあなたはジャック・ロンドンの著作には価値がないとおっしゃる?」
僕はいったいいつこの男に文学の話などしたのだろう。初対面のはずだが‥‥
「そんなこと言いましたっけ? 僕はジャック・ロンドン好きですよ。太く短く生きる人生の儚さというのかな、初期のヘミングウェイに与えた影響も無視できないと思いますし‥‥」
そう答えると彼は大きく頷いて、「心の友よ」と僕を呼び、自分のベッドに入ってくるよう誘った。
「私は医者なんですよ」と彼は言った。やや小声で、
「そして大金持ちだ。残念ながらあなたは貧乏人ですな」
「どうして知ってるんですか?」
「見ればわかりますよ」
僕は彼のベッドに入っていった。と言っても、ただ眠るために。彼のベッドはキングサイズで寝心地もよさそうだ。金持ちというのは嘘ではなさそうだ。
「私はこの間葬式に行って」と彼は話しつづけている。「百万円の香典を出した。金持ちだからです‥‥」
近くに寄ると彼の息は煙草と酒の匂いがして不快だったが、ベッドは最高ですぐに眠くなった。彼はこんなベッドでどうして不眠になどなっているのかわからない‥‥
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