2008年1月26日

いま会いに行きます

 静ちゃんに会った。静ちゃんは22歳。静ちゃんはいつ会いに行っても、バンツを脱ぐところか、パンツをはくところだ。


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2007年10月 4日

こんにちは絶望先生

「この人生、苛立つくらいなら、絶望していた方がよほどいい」


 絶望先生のマンガを読んだ。でも先生は絶望などしてなかった。ただ苛立っているように見えて、この言葉を思い出してしまった。作者もまた若くて、本人がくたびれてしまう前に、その現実をくたびれさせてしまえと説く流行りの小説の中に、この言葉を見つけた当時の僕や、それをみごと歌にしたあの2人でさえも、まだ言いたいことはあるらしい。


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2007年6月 6日

中年の星

 もし夜空に、巨人の星と、中年の星と、巨人でも中年でもないただの星があったら、どれに願いをかけるだろう。僕はどの星をより「見る」だろうか。


 ‥‥夜はいいと思った。まず見なくていいし。「巨人の夜」はないし。「中年の昼」もないけど、僕は夜がいい。星や昼よりも。


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2007年3月22日

西原理恵子さんのこと

 同年代の人間の、病死の知らせにはいつもぎくりとさせられる。夕方に外出すると、目の前がピンク色だった。夕焼け、と気づかなくて、僕は目の血管が切れたのだと思って、もう死ぬのだと思ってみっともないぐらいに狼狽していた。たぶん直前に、西原理恵子と結婚していたカメラマンが病気で亡くなったというニュースをウェブで読んだからだと思う。


 その彼のことはまるで知らない。西原理恵子のマンガが一般に受け入れられるようになったのは、僕が彼女の作品を読むのをやめた直後ぐらいからだった。朝日や読売といった、大新聞の書評で彼女のエッセイが取り上げられるのを、僕は不思議な思いで見つめていた。あのサイバラが、「家族」について書いているというのだ。絵は、少しは上手くなったのか。パチンコや、麻雀の話はどこにいったのだろう。結婚して、子供ができて離婚して、同じ人とまた復縁したのだと知ったのも、その彼の病死のニュースに触れた今日が、初めてなのである。


 学年も違うし、僕は4年間ほとんど登校しなかったのですれ違ったこともないと思うけど、マンガ家の西原理恵子とは、同じ時期に同じ学校に通っていた。『まーじゃん放浪記』は好きだった。初期の作品である。中に「美大出身なのにこんなに絵が下手くそな私」というギャグがあったが本当にすごいすごい下手だと思った。その大学で、いちばん下手なのが僕だと思っていたので、‥‥


 下には、下がいるもんだと安心して、僕はそこで、絵を描くのをやめてしまった。何だかもう、飽きてしまったというのもある。西原印の絵が、一般に受け入れられるようになるのは、僕が彼女の作品を読むのをやめた、直後だったか。朝日や読売、といった大新聞の書評で、彼女のエッセイが取り上げられるのは、見ていた。でも僕が、ふたたび彼女の本を手に取ることは、なかった。


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2006年10月 2日

たとえば「美しいもの」を見たとして

 たとえば「美しいもの」を見たとして、詩人だったら詩を書いちゃうだろうし、画家なら「絵」にしてしまうだろう


 音楽の才能がある人なら、一曲つくってしまうかも知れない


 アステアなんか踊り出すだろうし、でも僕には何の才能もなくって、だから美しいものは「ただの美しいもの」として目の前にあるんだよね


 表現しなくてもさ、ただ「ある」わけ、わざわざ別のものに置き換える必要がなくて


 それは、す ご く 幸せなことだと思う


              .


 と、昔読んだマンガで、こんなのがあった。「僕は詩人でも画家でもない、何者でもない自分、であることを、結構気に入っているよ」


 思い出す20年前のこと‥‥


              .


 逆に言えば、目の前に「何でもないもの」があったとして、ただのあなたにはただのものにしか過ぎないもので、でも本当の詩人なら


 それをこそ詩にするだろう


 画家ならばそれをモチーフに美しい嘘を描く


 音楽の天才なら、一つ名曲を捏ち上げるだろうし、だから


 つまりどっちが幸せだろう、と今は思う


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2006年7月18日

ものすごい勢いでフォー・レター・ワーズを

 古い議論で恐縮だけれども、マンガは読書か?

 あるいは雑誌は読書か? 子供の活字離れを懸念したのか何なのか、昔はよくもそんな、しょうもないことを言い出す大人がいたものだなと、ふと思い出した。

 僕はと言えば、活字の小説を読むときでも逆に、字面の醸す雰囲気とか、改行だったりを重視して、わりと視覚的に文章を捉え、ようするに雑誌的、マンガ的に読んできた感じだ。

 意味が通って、わかりやすいというだけでは文章の芸術としては不充分ではないか。プロにそれができるのは当たり前であって、その上でどれだけ、見て美しく、白い紙に言葉を配置できるかが才能だと思う。

 少なくとも僕にとって、文章は言葉である前に見る「イメージ」なのだ。

 音読したときに、音楽になるようそこまで計算できれば詩だ。詩は、解体され意味である以前に音として再構築された言葉である。


              ☆


 抑揚に乏しい日本語は、メロディを鳴らすのには向かない。地の文章自体はリズムやノリで弾く、ベース楽器のように使うのが正しい気がする。聞こえない主旋律は、吹き出しのセリフとしてむりやり。ジャジャーン。ガーン。ドッカーン。豊富な擬音は打楽器だ。

 また言葉の中には見えてこない絵をイラストや写真で補い‥‥

 ただそういう、マンガや雑誌に慣れてしまった人たちの、本物の音楽や、絵や絵に属する映画に出会ったときする反応は、「わからない」というナンセンスなものになりがちではある。「読めない」イコール「わからない」ということなのだろうけど、反対にマンガや、ある種の雑誌や新聞を、文章を見ること・聞くことが苦手な大人たちは、いつまでも頭の悪い意味至上主義的発想で、「読んでいる」。


              ☆


 実は僕もマンガや、ある種の雑誌を、難聴をよそおってあえて古く、「文学」的に読んできたクチだ。あの当時は、下手なブンガクより読ませるマンガがあったのだ。中でも内田善美は、あまりに好きすぎて、未だうかつに好きだとも言えないでいる、迷惑なマニアだ。

 シカゴに住んでいる、本物のアメリカ人や、本当のゲイが『リデル 星の時計』を読んだらあれは違う、と言うのかも知れないが、ポーの影響云々を言うのかも知れないが、それすら許せない。

 だって、これは最高最強で、カンに障るオタクっぽい物言いの入り込む隙はないはずで、読んだ100人が100人、同じ感想を持って作品に打ちのめされてくれなければ厭だと思う、僕こそが、熱狂的で、ひどく偏狭なオタク・ファンなのだから。


              ☆


 少女マンガって、ブックオフでは少年マンガより買い取り価格が低いんですよ。娘といってもおかしくない年頃の少女が僕に言う。

 ほら少年マンガって、女子でも読むじゃないですか。けど少女マンガを読む男子はいないでしょ?

 だから安いんです。売るとき損するから、友達にも少女マンガは買うなって言ってます。ものすごい勢いでフォー・レター・ワーズを言って泣かしてやりたくなるが。

 こらえる。彼女は、内田善美を、多田由美を、萩尾望都の全盛期を、『竜の眠る星』のころの清水玲子を、佐々木淳子の『ダークグリーン』を知って言うわけではないのだし。


              ☆


 それに、考えてみれば僕だって、原作も読まずに『ハチミツとクローバー』の映画を見に行こうと計画しているのだ。しかも、初日に、わざわざ前売りを買って。楽しみにしている。

 ハチクロ☆占いまでやってしまった。


● 野宮さんタイプのあなたは、素直な平和主義者です。明るくさっぱりとした性格で、誰からも好まれるタイプですが、同属嫌悪的な一面もたまにあり、自分と似てる人間はうひゃっと思ってしまう時も⋯。人を惹きつける笑顔と、すんなりと相手のふところに飛び込んでいく素直さがあるので、初対面でもまるで旧知の仲のように話せます。見かけで選り好みをしないため、友人の年齢層や職業も幅が広く、生涯を通して非常に多くの友人を持ちます。必要以上に人を言い負かしたり、なりふりかまわず相手に勝つということ自体が有益ではない、という考えを持ち、やさしく素直で、合理主義者。二面性がある点もあなたの魅力となっています。たまに貧乏くじを引かされる事もあるかもしれませんが、貴方のためなので頑張りましょう☆良いことが必ず貴方を待ってます。

● ぼくさんの本当の父親は、いかりや長介です!

● そんなあなたの本日の運勢はこちらです!


 原作を読んでしまうと行く気が萎えてしまいそうで怖い、というのが本音だけれども(野宮さんって誰だろう‥‥)。


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2006年7月13日

地上のみなさん、こんにちは

 リンドン・ジョンソン元アメリカ大統領‥‥

 ケネディが暗殺され、副大統領から繰り上がったピンチヒッター。

 お金持ちだったらしい、自家用のヘリに乗って遊説中、「地上のみなさん、こんにちは」とやって地上のみなさんからはひんしゅくを‥‥

 周囲からは失笑をかった、という逸話が残っている。

 僕はこれ以上は知らないのだけど、小ネタ系のブログが大喜びしそうなエピソードはまだまだ残っていそうな気はする。


              ☆


 映画『エデンの東』におけるジェームス・ディーン‥‥

 あるいは映画『リバー・ランズ・スルー・イット』におけるブラッド・ピットのような‥‥

 ケネデイ元大統領はアメリカ人が小説や映画の中で愛されるべき存在として誇張して繰り返し描いてきた、「弟」だった。

 ロバートという完璧な、出来すぎた兄との、残酷な対比で。アメリカでなくともこのような兄弟の物語は、悲劇で終わるのが相場なのだろうか。


              ☆


 日本で思い出すのは、あるいは大相撲の若貴兄弟なのだろうけれども、僕の世代だと、やはり『タッチ』か。

 アメリカ式(?)にあれで死ぬのが、秀才の和也ではなく、天才だった達也‥‥

 和也のサポートを受け、野球を始めた達也が、あっという間に和也を追い越し、甲子園まで後一歩、というときに持ち前の奔放な性格がわざわいし、スキャンダルか何かに巻き込まれて、野球部を辞めさせられ、しかし誤解がとけたところで最後、子供を助けようとしてトラックに轢かれて死ぬ、というストーリーだったらどうなのだろう。

 作者のあだち充には、マンガ家の兄がいた。売れない二流のギャグマンガ家だった。

 デビューは兄が先だったと聞く‥‥

 兄の影響でマンガを始めた、弟のあだち充は、兄とは比べ物にならないほどの才能に恵まれた、天才だったわけなのだが、彼は自分の才能に、何らかの負い目を抱いていた、としか思えない。

『タッチ』では弟が努力の人、逆に兄の方は自由奔放な、けれども「やればできる子」として、弟の頑張りでは決して超えることのできない生まれつきの素質を持った天才、として描かれている。

 弟を思いやるあまり、自分の才能を封印してむざむざ埋もれている兄。屈折しているがこの、才能充分の兄に負ける弟というのはあだちの実兄だ。

 心優しい兄・達也 = あだち充は、弟との直接対決を避け、同じ舞台には上ろうとしない。戦えば必ず自分が勝つと知っているから。

 少なくとも現実世界では勝ったのだから‥‥、マンガ家として。

『タッチ』の中で弟は、才能のないただの人だった弟は、物語の途中に死ぬ。ちょっとした交通事故なのだけど、ただ打ちどころが悪かった、という理由で実にあっけなく死ぬのだが、そこにはどのような心理が働いたのか。兄・弟が逆転していているのはなぜか。いくらでも意地悪な分析はできる。


              ☆


 ちなみに対決すべき実兄(弟和也)が姿を消した作品世界で、天才であるあだち充は野球部の鬼のような監督にいじめぬかれる。しごきではなくて、たんなる「いじめ」だ。

 監督は昔、地味ながらも優れた野球選手だったのが、高校球界のスターだった兄の起こしたスキャンダルを、無理矢理肩代わりされられ、野球部を追放されてしまう。

 初恋の女性までも兄に奪われてしまった‥‥

 という暗い過去を持つ、おそろしく屈折した「弟」である。


              .


 マンガの中には、僕が今も忘れられないでいるセリフがある。

 弟の遺影をベンチに飾り、弟になりきって甲子園出場を果たそうとしたあげく、自分の持ち味を失ってスランプに陥ってしまったあだち充に向かって、鬼の監督が言ったこの言葉だ。

「お前に華やかな舞台から引きずり下ろされた弟の気持ちがわかるのか? それも金輪際自分の出番はないと思い知らされた弟の気持ちが? 和也の代役を気取って打たれる姿なんか見たくないんだよ、こいつは、達也であるお前がボロボロに打たれるところを見たいんだ。俺様がいなければ甲子園なんか行けるもんか、と言いたいのさ」

 違う。お前が引きずり下ろしたくなるような弟だったら良かったんだよ‥‥


              ☆


『タッチ』で兄弟の役割が反対になっているのは、あだち充本人が「才能のある弟」だったからだろう。こんなにも力のある兄が、こんなにも優しいのは。

 普通このような物語は、「ただの人」である兄の視点で語られることが多い。裕次郎をどこか醒めた眼で見つめる、慎太郎の口から語られることが多い。

 だいたいにおいて性格的に、このような弟は早死にするものなのだ。物語を語り出す前に‥‥


              .


 しかし兄弟で同じ目標を持ち、同じ夢をめざすという状況には、現実にどんな確執が生まれるのか、考えると怖い。あるいは物語以上か。

 幸いにして(?)、僕には兄も弟もいないので、若も貴もないので、そのあたりの事情は実感しにくいが。

 きっと僕は、憧れをもって、つくりものの映画でも見るように、地上から「弟」を見上げる兄だ。

「同じ道に進む」というのは、弟に挑むというのはありえないことのように思える。


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2006年7月 2日

江川達也が同人誌化した新世紀エヴァンゲリオンが見たい

『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメがあった。普段僕はそういうの見ないんだけど、これは僕と同姓同名の男の子が主人公なのだ‥‥

 からかわれたりもして、さすがに気になって周辺の情報を集め始めた。周辺というのはああいうオタクものは、オタクではない男にとってはなかなか敷居が高いから。ビデオをレンタルしようと思っても、主人公と僕は同姓同名である。カードには「シンジ」とその名前がはっきり記入してあるのだ。

 エロビデオを遥かに超える、高いハードル。レジに持っていくのは勇気がいる。誇りと、恥と魂と正気、何か大切なものを捨てなければならないだろう。

 昔はたまに、原付きバイクで乗りつけ、真っ黒いスモーク貼ったフルフェースのヘルメットをかぶったままでエロ本を購入する恥ずかしがり屋さんがいたが、気持ちはわかるというものだ。


              ・


 それで見てないのだけど、ストーリーはだいたい知っている。

 多段ロケット式に、加速する物語、広げた大風呂敷を、最後たたみきれなくなって逃げたラストがさまざまな媒体で話題になったように思う。見てもいないくせに、サブカルの人が書いた批評本や、謎解き本は何冊か読んだ。


              ☆


 それを読んで『BE FREE!』の江川達也を連想したのは僕だけのようだった。

 たぶんそのものを見ず、周辺情報だけで判断するからそういう的外れな連想をするのだと思う。江川達也が同人誌化した『新世紀エヴァンゲリオン』が見たい。馬鹿なことを思うのだ。

 同人誌ならエロや、『BE FREE!』的めちゃくちゃなストーリー展開も、オチつけられなくなったラストも自然に許されるはずだというのは、偏見だろうか。江川氏はそれを、商業誌で堂々とやっているが偉い。


              ・


 キャラクターのひとり、綾波レイなどは何十万円もする等身大の人形までつくられ、オタクの萌え・アイコンになった。しかし、所詮、狭いマニアだけの世界だ。江川達也が描いたアヤナミなら、オタク以外の青少年の下半身にも、がつんがつんとアピールするだろう。

 映画化は実写で、『キャシャーン』の宇多田ヒカルの旦那さんに監督してもらいたい。活字の原作は村上龍。龍なら買える。


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2006年4月10日

チャーリー・ブラウンが人を癒せなくなった時代

 転生なき輪廻、死なき生のループ。日常‥‥決して変わることなく無限につづいていく日々。それはあきらめとウィズで希望を失った現代人を癒すためのシステムだった。チャーリー・ブラウンはチャーリー・ブラウンでありつづけることで世界中のチャーリー・ブラウンたちを安心させてきた。幸福は心踊るような毎日とは無縁で、それを求めて必死に生きてきたはずの「平和」とはこんなにも退屈な日常の繰り返しの中にあり、僕たちは迷っている‥‥変革を希求する心に軽々しく「希望」などという明るい名を与えてもいいものなのかどうか。


 のび太がヒーローになれるのは映画という特別な舞台においてのみであった。


              .


 血みどろの闘いと、変革が希望だった時代を、変わらない日常が希望である現代と比べ、どちらがより幸福であるかと問うことは無意味、のはずだった。


 なぜ毎日学校に行かなければならないの?


 勉強していい大学に入って、‥‥いい会社に?


 やはり、就職はしなければだめ?


 結婚して子供を持たなければならないのはどうして?


 余計なことを考えずに、自分たちがしてきたことを繰り返していればそれで幸せになれるのだと、今、自信を持って子供たちに断言できる大人は少ないと思う。自分でありつづけるためには自分を変えていかなければならないというこの時代、それでも、まだ、僕たちは迷っているのだ。果たして変革を希求する心に「希望」などという名前を与えてしまってもいいものなのかどうか。


              .


 なぜ、命は大切なのか。


 人を殺してはどうしていけないのか。


 そんな問いかけに対しても命が大事なのは「当たり前」だと、僕たちはもう言うことができない。なぜならば、人を殺してはいけない、自殺せずに生きていかなければならない、絶対の理由など今の世にはないのだから‥‥。「個人の時代」ということが言われるようになって久しいがそれは、このように、ひと昔前ならば自明とされてきた根源的な問いかけに対しても、個別の、前例を自明としない、そこからの引用抜きで考えた自分独自の答えを、しかも日毎に新しく見つけなければ生きていくことさえできない、という時代なのである。生命や人生が大切なのは決して当たり前のことではないのだ。


              ☆


 変わらない日常を、変わりつづけることでしか生き抜けない個人は、寂しい。繰り返しの違法コピーをやめ、そこまでして「自分」でありつづけることが、人間にとって本当に必要なことなのかはわからないけれど、変わらないチャーリー・ブラウンや、のび太は確かに‥‥いつまでも僕たちの心の友でありつづけることにいい加減うんざりしているように思う。僕はそう思う。


      Charliebrown


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2006年4月 5日

左ききのイザン

 今日はコンタクトレンズを左右逆に入れてしまったような気がする。遠近感が狂う。何でもない段差に躓く。僕は左右で視力がかなり違う。


 0.01あるかないか、という右目と比べるとだが、左の方はわりと良く見える。


Ep0405
Eyeworks Photography


 10歳前後まで僕は両手が使えた。同じく両手ききだった母の影響だろう。左右どちらの手でも字が書けたし箸を持てた。絵を描くときなど、むしろ左手を主に使っていたくらいだ。


 今でも、例えば右きき用の缶切りが異常に使いづらかったり、ミカンやバナナの皮は左じゃないと剥けなかったりと、ところどころに左ききが残っていて驚くこともあるけれど、基本は右だ。何らかの理由があったのか、どうなのかはわからないが、いつの間にか、足まで含めて僕は完全な右ききになってしまった。


 目も、左右を逆に入れてしまったコンタクトレンズで気づいたのだが、矯正しているときの僕は、右をきき目にしている。しかし裸眼で過ごすときのきき目は、どうも逆になっているらしい。無意識のうちにも良い方の目を使おうとしているのだと思う。


 それにつられてか、裸眼のときの僕は「昔取った杵柄」的に左ききの傾向が強く出るようなのだ‥‥。今は裸眼でいる。不思議と言えば不思議なのだが30年前と同じように左手で字が書ける、箸が使える!


              ☆


 もしかしたら本来の僕は左ききなのかも知れない、そう思ってしまう、それで右手で書いた字はこんなにも下手クソなのか、と。どんなに時間をかけても僕が上手い字を書けないのは、目を矯正し、むりやり右利きになったからだろうか? 


 10歳を境にして、急激に僕の視力は落ちた。それを矯正したことによって僕は右ききになった。今、僕はひとつ開放されたような気分でいる。見えないことで見えてくるものは、本当にあったのか、と。視力を矯正し続けることは、さまざまな可能性を持っていたはずの未来を、右寄りに固定し、混沌の中で自分自身を保つことでもあったようだ。


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2006年3月24日

夢オチはなぜいけないのか(江川達也の場合)

 夢は、夜寝ている間に見る「夢」だが、あれはバラバラの瞬間瞬間の体験を、ひとつの経験として脳がまとめあげる際に見るものだという。


 人の脳は、体験を、リアルな瞬間の体験そのものとして写真のように記憶することができないのだ。


 少しずつずらして撮影された写真をパラパラとめくると流れる時のように。「瞬間」には、脳の中で、必ず物語として整合性をもった「時間」が与えられる。そのとき初めて体験は経験になり、記憶される。


 リアルな瞬間と、少しずれた嘘のストーリーを持つ時間の間で常に引き裂かれているのが僕ら、人間なのだと言える。


              ☆


 主人公が「実は」永遠の生命を持った火の鳥的な自由の象徴として描かれ終わる『BE FREE!』や、結局夢オチに終わった『東京大学物語』にしてもそうだが、そのような物語至上主義に凝り固まった読者や、編集者、もしかしたら作者本人の心の内にも、「瞬間」は「時間」の中に組み込まれなければならない、という強迫観念があるのだろう。


 彼らは、描く本人でさえ、不条理かつ非合理な瞬間と、時間の合理的物語の間で引き裂かれている。そこを強引に結ぶ「夢オチ」はだからいつまでもなくならず、そして、悲劇なのだ。


BEFREE


 指摘されて気づいたのだが、確かにこの人、江川達也の場合は『BE FREE!』の時代から、ストーリーの合理性の中には回収不能な、いきあたりばったりの、それゆえにスピード感のあるシークエンスの各々を、だから整合性をもって「積み重ねる」のではなくただ無関係に並べるような、不条理マンガにも似た狂気が持ち味の作家で、バイクの疾走感覚でそれを描いた、『BE FREE!』は傑作だった。


              .


 そして傑作は、終盤、虚構のリアルが整合性の嘘に飲み込まれていく中で閉じて、死んだ。


              .


 その死は主人公の永遠の生命の中に記憶された。


              ☆


「写真」は、真を写すと書く。だから真実はどちらにあるのだろう、と僕は思う。続く永遠は死の同義語であり、その死は脳内であからさまな嘘として記憶されるのだからして、生活を、世界を生き生きと本当に満たしているのはパラパラとめくる物語の嘘の中に回収できずに残り、忘れ去られていく「瞬間」の方ではないか、と。


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2006年3月23日

夢オチはなぜいけないのか

 というかいけないとは知りつつなぜみんなやってしまうのか。最近では江川達也の『東京大学物語』がある。あれはひどい。例えばフィリップ・K・ディックの諸作品のように、『オープン・ユア・アイズ』や、そのリメイクである『バニラ・スカイ』のように現実と虚構が密接にからみ合う中話が進み、最後目が覚めたら悪夢より悪夢チックな現実が待っていた、という「夢オチ」はありだと思うが。


 まぁ、漱石の『夢十夜』のようにこれは全部夢です、とネタバレで話を始める手もある。それでも何が悲しくて他人の夢の話など聞かなねばならないのか。ネタバレで始めた物語で、オチまで読者を引っ張りきるのはどんな天才にとっても難しいはずだ。


 書くことについて書く、語ることについて語るメタフィクションがあまり面白くないのも、「これは全部夢です」と冒頭で断って語る人の夢の話がまったく面白くないのと、理由は良く似ている。つまり、彼らの多くはメタ(夢)を言い訳に、未熟さゆえのフィクションの非合理性を、都合良く合理化しているに過ぎないのである。


 それは読者に対する詐欺にもひとしい行為だ。


              ☆


 しかし、虚構をお約束で、最後まで読者に現実だと思わせておいて、意外な展開の連続で引っ張るだけ引っ張ってから、「今までのことは一から十まで全部夢でした‥‥」という形で見てきたことを否定されたら? これは頭にくるだろう。だから本格ミステリーのトリックが超能力だったら? 頭にくるさ。別に宙ぶらりんのままで話が終わっても、不条理・非合理、もっと言えば「狂気」のような、作者の心の中にあるイメージを、本当に気が狂う一歩手前の究極まで突き詰めてくれるなら、イメージは夢のように不条理なイメージのまま、現実はとことん合理的な現実のままで、両者を「オチ」で結ぶ必要など実はないのだが、そのような了解は世紀が替わった今でも、話者・読者の結びつきの中で、必ずしも共有されているとは言えない。夢オチはなくならない。


『新世紀エヴァンゲリオン』の悲劇は、現実にそれでも合理的な謎解きを求める不条理な観客に対し、だからこれは全部オレの夢なんだよ、お前ら馬鹿クソ気持ち悪いんだよ、と逆ギレの夢オチでしか広げた大風呂敷を畳めなかった作り手の悲劇でもある。


              .


 狂気のイメージを喚起する力において優れたシークエンスの各々が、物語の合理主義の中に回収され「終わる」必要はないのに。


              .


beautifuldreamer


 だが、「それは夢だ」の鶴の一声で、非合理が変わらない日常に組み込まれる悲劇で世界が終わっているのにそれでも素晴らしい、という夢のような夢もある。村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や、押井守『ビューティフルドリーマー』がそうだ。こういうのはまずない。無いからこその夢か。NHKで放送していた『ブルー、もしくはブルー』の最後はどうなったのだろうか。これは民放だが、好きで毎週チェックしていた『神はサイコロを振らない』にしても、録画することは録画したのだけれど、最終回は結局見ていない。


 402便の中で、「奇跡」は起きたのか。


 夢オチの、それもかなりセンチメンタルに傾いた奇跡で過去未来、夢現、語り手聞き手が結ばれそうな嫌な予感がして僕は見ることができなかったのだが。


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2006年2月 8日

現実の日記(リーバイス517、バレンタインデー、美大受験生)

 ジーンズを買った。お馴染みのリーバイス、飽きもせずに517だけれどもこれは定番だから。店員からはやたらと凝った、ダメージと洗いの加工をかけてある流行りのモデルを薦められたけど。定番は普段通り「定番」の顔をしている方がらしくていいのだ。「穿いて帰ります」と片岡義男流に値札も取らず真新しいジーンズで、本日は日本経済にルンルン貢献する日とばかりハンズ他、いろんな店に寄り道をして無駄遣いをしまくった。コンビニエンス・ストアまで通常の姿に、バレンタインの装いをプラスしたエクストラオーディナリーな2色使い、お買い物が楽しい。


catd


 昔「伝染るんです」が連載されていたときには良く読んでいた、『スピリッツ』というマンガの週刊誌がある。いつもならそんなものは読まないんだけど「気分」で魔がさしたというか。心惹かれる何かがあって、つい手が出た。巻頭の、カラー読み切りの作品、内容はというと何とまぁ僕好みの「美大浪人生」のお話だ。父母とも画家、というある意味理想の環境のもと育てられた3人兄妹。でも英才教育を受けた兄と姉は絵を描くことをやめてしまう。

 マンガは今も描きつづける末の妹の、淡い恋をからめた成長物語なんだけど、何より細部のリアルなことリアルなこと。木炭デッサンでハーフトーンを作るのに、刷毛の代わりに紙ヤスリを使うやり方とか、‥‥うわぁ、懐かしい。よっぽど丁寧な取材をしたのか、あるいは作者自身の実体験か、絵を描く主人公の心の変化は目に見えぬほど小さく、どうってことのない話なんだけどね、でも逆よりずっといい。


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2006年2月 7日

黒いクラゲを見るとホリエモンを思い出す

 昔『銀河鉄道999』という、アニメがあった。主人公の少年は永遠の生命を求めて、「母」という名の謎の女性とともに、星間超特急に乗り込む。先々で彼らと出会う登場人物たちは、皆、今とは違う暮らしを望んでいるのだけれど、運命に逆らうことはできない。

 それを横目に見ながら、ホリエモンはお金と旅を続ける。


me-tell
「鉄郎、999に乗りなさい」 by 鼠絵画廊さん


              .


 ブラクラという言葉を使って所で諫言いただいたが、ブラクラという言葉の意味がわからず、悲しくなってしまった。思うにこれは、パソコン・インターネット関連の用語で、検索すれば一発なのだろうけど、僕は人の発想を奪う、検索が嫌いだ。

 何かの略だろうと、自分で考えてみる。ブラッククラゲ、転じて闇夜のカラスと、100%違うと思うが、どこをどう転じるのか知らないが、要するに「見えづらい」という、文脈上の意味には、無理矢理こじつけた。


              ☆


 また所では、「お金は人を幸せにするのか」というテーマで盛り上がっていると聞く。ホリエモン、だろうか。唾棄すべき、べきべき、とことん最後までこの男は話題を奪う。

 お金は極論、どんなお金も「ゲームのお金」だ。ゲームに勝つともらえるが、ゲームの中でしか使えない。旅の途中で、人は、そのルールとフェアネスを学ぶことはできる。が学んだところで銀河鉄道はいつまでも同じ駅に停車していてはくれない。今と違う暮らしを望んでいても、自分に逆らうことはできないと、この人生について、そのような暗い確信がある。


              .


 メーテルの怖いお母さんのような全能の神としてイメージすることはできる。君が泣くのを見ると、僕は君の友達を殺したくなる。幸せはそのようにして訪れると。あまりにも容赦なく、君に。


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2006年1月20日

恋する二人的『きまぐれオレンジロード』

 使われている言葉はシンプルだ。意味は取れる。
 でもどうしても日本語にならない、というのがこの歌。
 言ってみれば『きまぐれオレンジロード』の世界なんだけど、知らねー。もはや誰も知らねー。
 勝ち気なきまぐれヒロイン、に振り回されるだけ振り回される「おあずけ」ステイタス・クォーの優柔不断男、‥‥。
 今現在35〜45歳の、日本人の男の恋愛原風景にはこの『きまぐれオレンジロード』があるはず、なんだけどいちばんのキーフレーズである、タイトルの“Cruel to be kind”からして訳せないんだから、これはもう、どうしようもない。


              ↓


Oh, I can't take another heartache,
Though you say you're my friend, I'm at my wits' end!
You say you're love is bona fide,
But that don't coincide with the things that you do
And when I ask you to be nice, you say

You've gotta be
Cruel to be kind in the right measure,
Cruel to be kind it's a very good sign,
Cruel to be kind means that I love you,
Baby, you've gotta be cruel to be kind.

Well I do my best to understand dear,
But you still mystify, and I want to know why.
I pick myself up off the ground
To have you knock me back down again and again!
And when I ask you to explain, you say

(Nick Lowe “Cruel To Be Kind”)


              ↓


 この曲が日本の30代40代にやたらとウケがいいのは、未だ『きまぐれオレンジロード』の精神的影響下にある彼らが、恋愛を究極にはこのようなステイタス・クォーだと考えているからだ(断言してしまった‥‥死語まで使って)。
 それは、「寸止め」や「おあずけ」と表現されるモラトリアムのステイタス・クォーである。
 自身の優柔不断によって、あとほんの少しのところで叶わなかった夢だ。

 ラブソングは、そして、もちろん「夢」である。


              ↓


きらめく海 Tシャツのまま 
君は跳んだね キスをよけるように
濡れたスカートの 白い花びら
青い水面に 広がってゆくよ
片目閉じて 僕のものに
「なってあげる」と言ったのに

テル・ミー、テル・ミー きまぐれだね
テル・ミー、テル・ミー 夏の天使
テル・ミー、テル・ミー 恋をしてる
テル・ミー、テル・ミー 君はミステリー


              ↓ 


 これを『きまぐれ〜』ふうに、無理矢理意訳すればこうなるのかな‥‥(「あのさぁ、これって照美の歌じゃん。『きまぐれオレンジロード』のテーマソングじゃん」「てか記憶、滅茶苦茶曖昧」「何が『意訳』だよ。ったく」「あのオープニングの、セル画のかわりに砂を動かして使ったアニメは衝撃的なまでに美しかった」「‥‥80年代は良かったみたいな話はもうやめようぜ」)。


 んでも何もかも諦めて機械に訳してもらうと。


              ↓


オハイオ州、私は別の心痛を取ることができない
あなたが言うけれどもあなたは私のウィットの端に私の友人、私あるである!
あなたが愛であるbona のfide であることをあなたは言う
しかしそれは事と一致しないあなたが
そして私があなたに素晴らしいように頼むときあなたは言う

あなたはgotta をあってもらう
残酷 右の測定で親切があるため,
残酷それ親切であることは非常によい印である
私があなたを愛すること残酷種類の平均があるため
赤ん坊すなわちあなたは親切であるためにgotta を残酷でもらう

貴重理解するために井戸は私最もよくする
しかしあなたはまだ mystify, 私はなぜ知りたい
私は地面を離れての上の選ぶ
あなたに私をたたいてもらうため幾度も!
そして私があなたに説明するように頼むときあなたは言う


              ↓


“well”が「井戸」になったりするぐらいはまぁお約束かなと思うけど、まさか“oh”が「オハイオ州」になるとは(ありえねー)。わざとやっているとしか思えない、‥‥しょっぱな、ウケ狙いで。


              ↓


 ニック・ロウと言えばもしかしたら一般には、エルビス・コステロのプロデューサーとしての顔のほうが有名なのかも知れない。1949年生まれのイギリスのロック・ミュージシャン。公式ホームページはこちら。トラディショナルなロック・ポップスとアメリカのカントリー・ミュージックとを融合させたような渋い作風で知られる。知られている?
Nick_Lowe


「Cruel To Be Kind〜恋する二人」は彼のベストソングだと思うし、カントリー色がまだ薄かった70年代の彼は最高なんだけど、僕は渋いところで「子供・大人」(1984年。本人は否定しているが、これはカルチャークラブのボーイ・ジョージを皮肉った歌と言われた)や「L.A.F.S.」(同じく84年。Love at first sightの略です)が好き。


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2006年1月10日

碇シンジ

 僕の名前は碇シンジという。


              .


 そう、あの碇シンジだ。『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジだ。


              .


 何かあったら怖い。「ネタか」との含みは持たす。イカリはイカリでも僕は「猪狩」かも知れない。あるいは「いかりや」であり長介であって、シンジではなくケンジの可能性もある。実際に僕は去年まで、碇ケンジのペンネームで仕事をしていた。雑誌に文章を書いていた。名前から勘違いした編集はサブカル・オタク関連の記事を僕に依頼する。エヴァンゲリオンという現象について、マスコミからインタビューを受けることもあり、僕は見当違いの答を繰り返していてそのうちに社会的信用も失った。
 
 というわけで僕は「ぼく」になったのだ。今その名は捨てた。本名で世に出るとあまりにも多くの人が僕に『エヴァンゲリオン』を語る。しつこいくらい。エヴァを特集した雑誌のバックナンバーをくれたりしてウザい。


              ☆


 考えてみてほしい。もしもあなたの名前が「古代ススム」だったら。『さらば宇宙戦艦ヤマト』を見るだろうか。

「星野テツロウ」さんはどうだろう。『さよなら銀河鉄道999』を、見るだろうか。


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 それは作品の質というよりまぁ本人の性格の問題だろう。正確に言えば漢字が読めるかどうか。『エヴァ』抜きで碇という字は普通読めない。読んでもらえない。だからか碇という名の人間は皆屈折している。子供のころからチョウだのテイだのと名前を間違えられて、性格が歪んでいる。あいうえお順に並んだ名簿で飯田の次にヨドと呼ばれ続け、怒りで人格が崩壊してしまったのだ。

 碇くんはエヴァが嫌い。

 碇くんはエヴァを決して見ない。

 ばかりか碇くんはエヴァを許さない。

 ‥‥のだがしかし。この名前を知ると、あまりにも多くのオタクが僕に『エヴァンゲリオン』を語る。しつこいくらい。庵野監督の過去の作品を録画したビデオをくれたりする。何を勘違いしたのか僕に「エヴァンゲリオンという現象」について意見を求めてくるヤツまでいる。僕は作者か。実は作者か僕は。それで「人の子は思わぬときに来ればなり」、マタイ福音書からの気紛れな引用で思いっきり馬鹿にしてやったはずなのになぜか狂喜乱舞でウザい。

 見たこともないし、また見るつもりもない作品ではあるが、そのようなわけで僕は新世紀エヴァンゲリオンについて詳しい。シーンに込められた意味、隠された謎の数々を、主人公として僕は語る。僕は「ぼく」を語ればいいわけで、はじめからそうすれば良かったのだ。自分語りの権威として。嘘つきgenius として。


 kaoru


『エヴァンゲリオン』は実は僕がつくったのだと、そういう錯覚すら既にある。


              ☆


 そう、あれは僕がぼくのためにつくった。僕のアニメだ。いつか見てみようと思っているオメデトウ、ぼくのすべてだ。


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2005年11月17日

紀宮さまのドレスのこと

 同い年か、いやひとつ下か、それにしても驚いた、この人が映画、ルパン3世の『カリオストロの城』を観ていて、結婚式のドレスも中でクラリス姫の着ていたものと同じデザインを選ぶほどのファンだったなんて。囚われの姫君と自分とを、重ね合わせて観ていたことは想像に難くない。だから夫の、黒田さんはルパンなんだな。マニアックなクルマが好きだったりするわけで、今僕はやっと、自分とは同世代のこの夫婦を好意的な目で見ることができた気がする。

 LP3

『ローマの休日』にしてもそうだけど、ああいう映画の、ヒロインに、切実な感情移入ができる人として、日本の皇族をこんな身近で、鮮やかに感じたのは生まれて初めてだった。皇室は変わっていたのだろう。声高に改革が叫ばれるよりずっと前から、確かに。開かれた内を皮肉で見る僕の腐った目の前で。


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2005年10月29日

明日はお菓子で朝ごはん

 少し買いすぎたようだ。けど明日ではないかと思うのだが。トリック・オア・トリートの子供たちが家に何人もやって来るので慌ててお菓子を。


 snoopy


 楽の音とざわめきが聞こえてくる。あれを歌として何の歌か知らない。教会では、ハロウィンをやっているのだ。


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(サイン入り)

 大人になったら僕は偉い予言者になる、と言ったのはライナスだったか。シューレーダーかな、ちょっと思い出せない。
「深遠な真理を語るけれど誰も耳を傾けない」。ピーナッツ(スヌーピーのマンガ)だ。


「誰も耳を傾けないって、わかっているのにどうして語るの?」


 オチは、さて何だったか‥‥


              ・


              ・


 小学生の僕のいちばんの愛読書がこれだった。英語の勉強を兼ねて、ということになるのだが、さすがは元神童といったところで、こんな哲学的なマンガ、10歳やそこらのガキが良くもまぁ読んでいたものだ。思い出したように当時のツル・コミックの、290円の新書判をめくっている。1ページに4コマの作品がひとつ、余白にはもとの英文が印刷してあるつくりなのだが、まだ余る白いスペースは今見るとマンガそのものより懐かしい僕の落書きで埋め尽くされている。

       CharlieBrown

 笑ってしまうのが、その落書きひとつひとつにサインがしてあることで、なるほど、気分は一端のアーティストだったのね(苦笑)


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2005年10月27日

「HUMMING BIRD」 多田由美さんのこと

 昨日の文章を額面通りに受け取る読者もまさかいないとは思うが、登場人物の内なる、醜く歪んだ心の闇は、即ち僕自身の抱える闇でもある。それは確かだ。空白に空白を重ねて、それをスタイリッシュと思い込んでいた僕は、歳を重ねても同じ精神的欠陥を抱えたまま、嘘は上手くなったが暴力的なまでに自己中心的で、それから‥‥なんだろう? 適当に補足して欲しい。ずっと同じことを書き続けている。


              ・


              ・


 多田由美というマンガ家がいる。あるいは、いた。本人の弁によれば「ずっと同じことを書き続けている」らしいので、今も「いる」のだろう。95年以降の作品はチェックしてないのでわからない。


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 手許には1冊、『ラッドロウ・ガレージ』という作品集がある。誰かから借りっぱなしになっている。91〜92年頃初出の、短編を集めた作品集で、これも悪くないのだが、読みたいのは『ルビー・チューズデイ』の方だったりする。当時付き合っていた女のコに貸したまま、結局返ってこなかったのだ。中の「ハミング・バード」という、20ページほどの短編が忘れられない。おれたち何も間違ってないよね、だったか、ラストのセリフは? 忘れてるが。


「コニーの肩にはニ羽のハチドリがとまっている。たとえ離れ離れでも三人は一緒にいるんだ。いつまでも。純粋すぎるが故に行き着いた愛。冠絶した神聖さに眩暈がする」(http://kamacho.blog32.fc2.com/blog-entry-8.html)


              ・


              ・


 嘘に嘘を重ねれば、いずれホントウになるだろうか? 自分を嘘つきだと言う嘘つきは、嘘をついてるわけだからつまりは正直者であり、真実を語っているわけだからその発言はやはり嘘であり‥‥


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2005年10月10日

ヌードカレンダー無料配布中

そうか、もうそんな時期になるのか

無料か。何よりヌードだし

早くしないとなくなるな、と

いそいそ、もらいに行ってきましたよ


‥‥カードカレンダーを。


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2005年9月 5日

「世界で最もルックスのいいガソリンスタンドの店員」

 スーパーマリオブラザーズの最速クリア記録は5分17秒だという。
 疎いのでそれがどれほどすごい数字なのかわからない。
 100mを8秒で走ったりする類の大記録なのだろうか? 僕は「スーパーマリオブラザース」自体どういうものか知らない。
     mario
「マリオカート」というゲームならやったことがある。怪獣やキングコング他マリオのキャラクターが車に乗って、ピクセルのサーキットで競争する、あれだ。
 初心者の僕に友達は、「これがいちばん速いよ」と小さくデフォルメしたゴジラのようなキャラを譲ってくれた。ヨッシー、とかいう。それでレースに参加したのだが、僕は車を真直ぐ前に走らせることすらできなかった。
 リタイア‥‥
 ぐらぐら揺れる画面を見ているうちに車酔いしてしまったのだ。ゲームなのに。吐きそうになってしまった。ちなみにマリオカートの最速ラップは9秒を切るか切らないか、というところらしいが、やはりどれほどすごい数字なのか、実感できない。


      gwf

 ゲームウオッチに、火災が発生したビルから飛び下りてくる人をトランポリンでポンポンお手玉して救急車まで運ぶゲームがあって、それが僕のできる唯一の「ゲーム」だった。
 3人落としたら(地面に落とすと死ぬ‥‥)ゲームオーバーで、飛び下りる人のスピードは段々速く、その感覚も短くなっていって難しいのだが、僕はひとりの犠牲者も出さずクリアしたことが何回かある。


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2005年8月13日

二階から目薬

目薬をさすときは、床に寝っころがって
megusuri1
こう、鏡に目を映しながらじゃないと、させないんですけど、僕は目が悪いものですから
megusuri2
目と鏡が接近し過ぎて、目薬の一滴を鏡の裏側に落としてしまうことがあります。

電気カミソリでヒゲを剃るときも同じく
megusuri3
顔のとても近くに鏡を持ってこないとできなくて
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で、気づくと、鏡の裏側の何も無い空間を、剃ってるつもりの手が行ったり来たり、ということもあります。


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2005年7月30日

「ガンダム石碑」長野に建つ

1、「ガンダム石碑」長野に建つ

 僕も噂を聞いたことはあった。試しに検索してみるとこんなに出てくる。マニアの間では有名な石碑なのだろう。

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 ガンダムのテレビに見入る児は六才 戦死とは何ぞ我に問いたり

 この石碑は平成元年4月に建てられたもので、作者は市村かくさん。すでに亡くなられているそうだ。歌に詠まれたお孫さんも今や20代(どこかでブログをやっているのかも知れないが、さすがにそこまでは探しきれない)。

 緑道に他にもある石碑はすべて『短歌 道の会』という会の16名の作品。だが、これほどのインパクトを持つ碑もない。「ガンダム」はある意味ヒロシマやナガサキより上か。「ドライブなどで通りがかった人たちの目を奪い、ひそかな話題となっている」それも頷ける話で、普通にありきたりな答が返って来るのではないかという気もするが、戦争とは何か、死とは何か、僕もこのおばあちゃんになら訊いてみたかった。


2、「寿老人」九段下に建つ

 これはその「ガンダム石碑」のところからのリンクで知った。試しに検索してみても、ほとんど出てこない。が、マニアの間では有名な石碑、なのかなぁ。「1986年、ハレー彗星が地球に接近した記念に建てられた」とある。

       sekihi2

「星にゆかりの深い寿老人を模して作られた」というが、七福神の一神でもあり、長寿の神として信仰されている寿老人が星にゆかりがあるだなんて、これまた知らなかった。

 更に調べてみる。

「カノープス」という南半球に明るく輝く星がある。これは地平線スレスレのところに現れる北半球ではなかなか見ることのできない星で、「見ることができれば寿命が延びる」という言い伝えまであるとか。「カノープス」は「南極老人星」とも呼ばれ、その星を人格化したのが寿老人だというのだ。


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2005年7月15日

ガンダム占い「主役機です」

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ジオンの新兵器かしら‥‥

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2005年7月12日

押し入れで眠る、ベッドを夢見る

 ソファで眠るということについて、Zakさんが書いている。「ソファで寝るということは、もうベッドに行くのもめんどくさいぐらい眠い。とにかく眠くてしょうがないから横になろう。そういう状態だ。つまり眠いから寝る、という極めて自然な状態だ」

 極めて不自然だが、僕は小学生の頃よく押し入れで寝ていた。ドラえもんに憧れて。彼は何故のび太と布団を並べて寝ないのか、謎だった。いくらのび太の部屋が狭いとは言え、布団のスペースを奪ってまで押し入れで寝る方が場所を取る。

 その理由についてはWeb上でも、ドラえもん七不思議のひとつとして議論になっているようだ。

「ドラえもんは自分のことを“猫型ロボット”といっていますが、本当はやっぱり“タヌキ型ロボット”で、そのタヌキの性質である“穴の中で眠る”というのを持っているため、あの押し入れで寝るのが一番落ち着くのです」
dora


 続きは、あっと驚く新説はこちら

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2005年7月10日

たけだみりこの『かぞくのおへそ』

 ちょっとシュールな展開になっていたので紹介します。これはリビング新聞に連載されている5コマのマンガです。

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『かぞくのおへそ』。子供2人、お父さん、とお母さん、基本的には、ほのぼのした、家族のいいお話なんですけど、ときどき、宇宙人とか超能力とか、また今回のように突然、不条理の入ったヘンな話になっている週があります。そこが好きです。

              ☆

 たけださんのマンガをもっと読んでみたいという方はここ、あるいはこちらを。