2008年7月 1日

ゾウを飼うことについて

 今日は動物をまだ一匹も見ていない。そのことについて焦りを感じている。昨日僕が見た動物は、カトンボを一匹だけだった。カトンボは真夜中のバスの中を漂い、多くの乗客に、不快感を与えていた。とりわけ女性に。23時30分。とても悲しかった。僕の「今日の動物」が、このカトンボになることは、確実だったから。


 ゾウを飼うことの最大の利点は、ゾウが毎日見れること、だと思う。17時間ぶっ続けで起きていたのに、その間見た動物は小バエ一匹、ということもあり得ない。ゾウを担保しておけば。


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2008年3月23日

ペットショップ

あとから思ったのだけど、僕はいつから、動物に話しかけるような人間になってしまったんだろう、赤ちゃん言葉で。女友達とペットショップをひやかしに行った夜のこと。


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2008年1月23日

錯覚

 前世みたいなものだ。盲導犬がエスカレーターに乗れない、おじいさんのようにまごついているのが見えた。本当に見たわけではない。


 女友達がいる。彼女は離婚するかも知れない。しないかも知れない。それはどちらでもいいけど僕は、彼女に離婚してもらいたいのか、してもらいたくないのか、よくわからない。


 彼女の友達は、彼女に離婚しろと言う。みんながそう言う。それほどの夫なのだ。


 借金があって、他に女もいる。でもそれで彼女は逆に、彼女の友人たちと、距離を置くようになった。そのあとで彼女が、僕と急接近したのは、そのことについて、僕だけが悩み、何も言わなかったからだと思う。


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2007年12月 7日

スズメ

 最近、スズメが小さくなったような気がする。僕の若いころ、スズメは大きかった。


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2007年9月28日

なぜ人を殺してはいけないのか

 愛している人がいて、その人の身長が1mmだったら? 僕は彼女を飼うだろう。監禁であるが、人権とか、法律とか、気にしないだろう。


 彼女のやりたいこととか、夢とか、子供は何人欲しいとか、全部無視だろう。それで飽きたら、捨てると思う。死んでしまっても葬式は出さない、墓もつくらない。ティシュに包んでゴミ箱に‥‥。


 とにかく1mmの魂など、あまり大事にはしないだろう。


 殺したいほど憎い人がいたとする。もしその人の身長が、10ミクロンだったとしたら? 何のためらいもなく、僕はその人を殺すだろう。良心の呵責も、罪の意識もない。むしろ面白がって、顕微鏡を覗いたりして、理科の実験のようにして、殺すと思う。それほど小さな命に尊厳はないような気がする(化けて出てきても全然怖くない)。


 ところで僕の身長が、1000mあったする。僕を殺そうとする人はいないだろう。どんな罪を犯しても、たとえクジラや、国連事務総長を食べてしまっても。僕は死刑にはなるまい。


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2007年7月 2日

ネコは吠える

 ネコが僕に向かって吠えている。


 これはネコじゃない、と思う。ネコは吠えない。泣きわめくものである。これはネコではない。あるいは、吠えているわけではない、どちらにしろ、僕が何をしたというのだ。


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2007年6月25日

オウム

 今日、満員の電車の中で、ワンピースの女の人の背中にカメムシがとまっているのを見て、教えてあげようかどうか、少しだけ迷った。緑色の服のふりをして、一体化した、緑色のムシ。黙って取ってあげようとして、やめたこと、とりあえず日記には、つけておこうと思う。


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2007年6月18日

変なところ

 今日は、変な人になったみたいだ。変なところを蚊に刺された。蚊に変なところを刺されて、僕は変な人になった。


 刺されたのが、どこかは言えない。誰にも話せない。ものすごく変なところ。


 確かに、僕には、少し変なところがある。でも「少し」だ。変じゃない部分もあって、そっちの方がずっと大きい。


 だから全体的には、「変じゃない」ということになると思う。僕は。どうやって蚊が、僕の「変なところ」を見つけたのか、わからない。


 蚊にも、変な蚊がいるのか。変じゃない蚊も、いるだろう。たぶんそっちの方が多いんだろうけど。変じゃない蚊が、変な人を刺して、ときどき変な蚊になるのかも知れない。


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2007年1月10日

今年は先っぽにお正月の飾りをつけた自動車を1台も見かけなかった。

 道端で、雑種の老犬がひなたぼっこをしていた。ずいぶんと長い鎖に繋がれているみたいで、家の、陽当たりの悪い庭にある犬小屋から、公道上にまで出て来ていた。


 屈んで、頭を撫でてやる間中、一生懸命に、僕の匂いを嗅ごうとしている。落ち着け、いいんだ、もっとリラックスしろよと声をかけると、ため息のように聞こえる鳴き声で漏らした。


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2006年10月23日

子ネコを殺す

 ネコというのは、僕にとってトンボの次ぐらいにどうでもいい動物なので、誰がこれを虐待して殺そうと、まぁアウト・オブ・眼中ということになるのだった。トンボはカマキリのエサであった。捕まえて糸を結んで、カマキリの目の前を飛ばすのだ。


 最近はトンボでさえ、ものによっては絶滅危惧種である。ネコをちょっといじめただけで「虐待」になってしまう。でも子供が楽しみで虫を殺すのは、ごく自然なことだ。やりかたにもよるけれど、ネコをいじめる初期のウィリアム・バロウズにも特に不健康なものは感じない。


「3匹のメスネコを飼っているが、生まれた子ネコは野良ネコ対策のために殺す」
「避妊手術も子ネコを殺すのも同じ」
「獣のメスにとっての生は交尾して子を産むことではないか」
「人間に他の生物に避妊手術をする権利などない」


 子ネコを崖下に放り投げて殺している、という例の作家の告白にしても、僕にとっては、その延長線上なのだった。だいたいにおいて、生まれたばかりの子ネコを見たことがあるという者は、その議論に参加している人の中で、どの程度いるのか。生まれたばかりの子ネコに感情移入することは、僕にとってカマキリの幼虫に感情移入することの次ぐらいに難しい。


 擁護する側にしても、批判する側にしても何を熱くなっているのか、理解に苦しむのである。板東眞砂子さんは、まだ生を実感するためにネコを殺しているのだろうか。生を裏づける殺しだか、殺しの中にある生の充実だかは知らないが、何にせよ、どちらにせよ的外れのような気はする。僕がカマキリにトンボを食べさせたのは子供っぽい好奇心であった。大袈裟に何かを実感するためではなかった。


 春になって、卵から孵った幼虫は殺したのではなく「捨てた」。増えすぎた子ネコも、感覚としては「殺す」ではなく「捨てる」でいいと思う。それだけのことだと思う。生の充実、がどうとか主張するのであるなら、見えない崖下に落とすのではなくキリで頭に穴を開けストローで脳味噌をすする、ぐらいのことはしてもいいだろう。それをしたところで、特に異常なことだとは思わない。たかがネコの額だ。


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2006年10月18日

隣の芝生が青い

 ちなみに英語でもThe grass is always greener on the other side of the fence. 日本語とまったく同じ表現である。ここのところ隣の芝生が青い。


「割り切った交際を求める年収1000万以上の女性との逆援助交際をしてみませんか?」


 路面電車でも隣に、芝生によく似た狐がいた。

 眼鏡の似合う、OLふうの。可愛いなと思ってずっと見つめていたら、目が合ってしまった。きっと僕が好きなのだ。


              .


 むかし山に芝刈りに行ったとき‥‥

 きつね?

 ええ、子狐が罠にかかっているのを見つけて、助けてあげたことがあるのを思い出します


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2006年9月 7日

猫を憎むという人生

 わけあって祖母のもとで育てられた母だが、彼女は祖母が大嫌いだった。家で飼育していた猫を、勝手に「タマ」と名づけ、いじめぬく毎日だったという。タマというのは祖母の名前である。彼女は先ずタマのヒゲを切り、家から一歩も出かけられないようにしてから、子供ならではの残酷さをもって、陰湿な虐待をつづけた。


 子供にはありがちなことだが、そのうちに自分が憎んでいるのは猫のタマなのか、祖母タマなのか母は自分でもよくわからなくなってしまったらしい。祖母を憎むのは悪いことなので、彼女は猫を憎む人生を選んだのだろう。母と猫との、戦いの日々はこのようにして始まったのである。


 彼女が猫に対して示す嫌悪は、周囲の人間にとっては完全にギャグの域に達している。猫が好きな人は猫を目の前にすると、よく見ようとして顔を近づけ、目を大きく広げるが、猫にしてみればこれは宣戦布告である。目を合わせ大きく広げる行動は、猫に対し喧嘩を売っているのと同じ意味を持つ。


 母は猫が大嫌いなので、猫がいると視界に絶対入らないよう顔を背けるか目をつむる。が猫にとってみれば、これは愛情表現なのである。猫を嫌えば嫌うほど、母は猫に好かれてきた。あんなにいじめたのに世界中のタマたちは、自分のほうから、母に寄っていくのだ。


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2006年8月24日

例えば、化粧をしない女性が疲れやすいのはなぜ?

 マキコさんである。

 NLP-erのまきさんではなくて、まぐまぐプレミアムというメールマガジンの編集をしていて、中で日記を書いている。


 主に「岡島」と名づけたペットのワニのことが話題の中心で、とてもおもしろい。


マキコ(人間)と同居している岡島(ワニ)だワニ。最近、マキコはトイレで寝るクセがついてしまったワニ。いつまでたっても出てこないからドアをあけて入るとパンツを下ろしたままで寝ていたワニよ⋯。嫁にいけないワニよ!


 ひとりで毎回にやにやして、楽しんでいたのだけど、転写・転載はOKらしいということを知った。こちらにも載せてみる。


岡島(ワニ)の飼い主・マキコです。岡島が鏡の前で妙な行動をとるようになりました。何だろう? と調べるとなんと「交尾行動」! 思春期の子どもをもった母親のような気持ちです。でも、鏡の中にいるのは自分だってば。


 ディスクに保存していた100を超える日記から、厳選した。


              ☆


 ところで調べてみると、ワニの交尾の儀式は、奇妙なくらいデリケートだ。儀式はまずメスがやさしくちょっかいを出すところからはじまる。オスの側へ泳いでいき、顔をそっと撫でたり、彼の首に軽く鼻を擦りつけたり、肩でひょいっとつついたりする。


 オスの頭(顔)を愛撫したり、やさしく押したりを交互に繰り返す。それから、メスはオスの背中に這い上がり、全体重をかけてその上を滑ったりする。体の大きさや、下のオスがどれぐらい踏ん張るかによって、パートナーとして相応しいか、相手の強さをはかっているのだろう。


 メスがオスの背に乗ったまま、彼に命令して湖を泳ぎ回らせることもあるらしい。


 そのうちにオスの心は恋に傾き、他のオスと喧嘩したり、縄張りを見張ったりということは忘れてしまう。何だか妙に、人間的なのだ。


              .


 余談ながら、ワニの生殖器は、尿道口と肛門とオール・イン・ワンになっている。交尾のときは、すべてが一緒になった「排出口」どうしを重ね合わせる。


 僕は見たことがないが、その姿勢はアクロバティックで、「まるで2本のスイス・アーミーナイフがセックスをしているよう」だと評される。


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2006年6月 1日

猫が車にひかれて死んだ

 路地で猫が車にひかれたところに、偶然居合わせた。駆け寄って抱き上げたときはまだ息があったのが、すぐに死んだ。鳴かなかった。驚いたような黄緑色の目が見上げるのだけど、僕には、どうしようもない。


 首輪はなかったけど、毛並みが綺麗(手入れがされている感じ。それにあんな目の色見たこともない‥‥)で、飼い猫だと思った。ねぇ、猫が死んだ。僕を睨んで死んだんだよ。門のところにセコムのステッカーを貼って監視カメラをつけて、「猛犬がいます」などと凄みをきかせている家があって、さすがにそこは遠慮したけど、車にひかれたと何軒チャイムを鳴らしてみても、お昼どきのこの時間に、誰も出てこない。


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2006年4月 7日

ひきこもりやニートは知能の高いブタである

 汚い、臭い、というイメージもあるが実は彼らはとても綺麗好きだ。清潔な環境を好み、人にも良くなつく。食用の家畜としてブタは可哀想なくらい知能の高い動物で、自分たちがいつか殺され、人間に食われるのだという認識まである。


 で、わかりやすく言えばひきこもりやニートはその「ブタ」なのである。食用の、ブタだ。現状に対して不満を、将来に対して不安を、それぞれ漠然と抱きつつも屋根の下で寝床だけは確保し、餌も毎食与えられているからか、それに気づかずにいる。彼らは、今も徹底的に奪われ、以後も死ぬまで搾取されつづけるのに不足は何もない、と思っている。


 なぜか。それは、そう思えるのは彼らが、ドロップアウトしたつもりの、日本型村社会のシステムの内側で手厚い庇護を受けているからだ。今この国にいる男の、90%はそうした「ブタ」だと僕は考えている。


 自分がそうではない、などとここで言うつもりはない。
 末端ながらも、システムに従属し、そこから恩恵を被る僕は間違いなく同じ穴の、ムジナの一員である。


              .


 そのような穴の中にいる人間のような僕にとって、「外」は唯一の希望だった。


              .


 単純に言えば外国である。海外からの視点、はなぜかこの国では充分なリアリティを持たないようだが、僕は、外国にいる日本人と話をするのが好きだ。短い期間ではあるが海外で暮らしたこともあるし、外国人の女性と、つき合ったこともある。
 北京にいる中国人の友達とは毎日のように濃いメールを交わす。


 彼らとの交流の中でひとつ、はっきりしたことがある。内部にいて、そこから無条件の庇護を受けているようなひきこもりには、その是非を検証することは不可能である、という真理だ。
 いくら連中の知能が高いからといって、結局のところ、ブタはブタなのである。


Jimmy_eat_world


 今、教育基本法の改定論議がある。「国を愛する」か「国を大切にする」かでもめている、という。同じことである。今この国にいるのはどこにも出かけないのか、出かけようとしないだけなのかは知らないけどそんな「ひきこもり」だけで、連中に自分の属する共同体にのみ示す「公共心」を言ってどうするのだろうか。


 この国にはそんな馬鹿は要らないと思う。


              ☆


 そして僕たち、「ひきこもり」には、そんな馬鹿は要らない、と言う馬鹿だけで構成された、多様性に対して不寛容な社会がいったいどれだけ危険なのか、‥‥真のリアリティをもって想像することは決してできないのだ。マンモスかなピー、とはこのことである。


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2006年2月11日

都会でピクピク(野良犬高橋の場合)

「高橋はもっと凄いよ」

「そうそう、私らのうんち食べてたし」

「いや人間のうんちって、これがさ」

「けっこう栄養あるんだって」


inu0207


「飼っている」ということ自体を何ヵ月も忘れてしまうほどの存在ではあったが、小学生のときはベランダの水槽でアメリカザリガニを2匹飼育していた。ときどき、思い出したようにカエルやイモムシを与える他はまったくのメンテナンス・フリー、特に秋〜冬のオフ・シーズンはエサもなく、ひもじい思いをさせていた。春には数百の単位で捕獲したオタマジャクシを放つのだが、それまで共食いもせずに、毎年よく生きていたと思う。

 奴らなら、どんな環境でもしぶとくサバイブしていけるはずだ。そう信じ引っ越すときはドブ川に逃がしてやった。最近ではヘビやワニなど爬虫類のペットを飼うことが流行りだけど、無責任な飼い主の、だから気持ちもわかるのだ。彼らの動きと表情のなさ、都会でピクピク、愛玩物として誰に媚びるでもなく、過激な感情移入を要求しない。その佇まいは好きだ。まぁ本当は違うのだが、そのような誤解があとで問題にもなるのだろうが、‥‥手間がかからず、こっちが興味を持ったときだけかまってやればいいのだ、というイメージが爬虫類にはある。それでつい飼ってしまうのだろう。逆に手に余るようになっても、良心の呵責なく捨てられるのだろう。


              ☆


 始まりは「ペットは飼ったことがない」と双子の言う、それでこんな話になったのだが‥‥。僕の話の途中で、彼女らは高橋のことを思い出したらしい。冒頭の会話で言及されていた野良犬だ。

「栄養がある‥‥」

 って、じゃオマエら自分で食えよと突っ込みたくもなるけど。子供のころ、こっそり高橋と名づけてふたりで「可愛がって」いたという。


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2006年1月 2日

【初夢】クジラの祖先は羊である

 嘘つき僕の誕生日は年に3日ほどある。

 つまり動物占いによると日付によって、僕は「羊」になる、こともあるわけで。だからというわけでもないのだが、僕はこの動物が好きだ。やさしそうな顔をしていて穏やかそうだ。そのくせ強い。暑さにも寒さにも強い。品種は1000もある。中世のヨーロッパで紙と言えば羊皮紙だった。テニスのラケットの糸にもなる。角は象牙の代わりの印鑑になるし、糞はエコな燃料になる。ちょっと間の抜けた感じに見えるが、実にたくさんの可能性を秘めている彼ら‥‥本気になったらものすごいのかも知れない。


histujiotoko
Alfredo Castaneda


 ちなみにまだ足があったころのクジラの化石を見ると、その特徴から祖先は羊だとわかる。お馬鹿な連想ゲームで、僕は羊がシロナガスクジラ相手にリターンエースを決めたり決められたり、ホロスコープを覗きこんで、牡羊座の上昇宮がなぜか鯨座であることを発見したさまを思い浮かべている。ヒナギクから花びらを一枚ずつちぎっている姿を‥‥クジラは私を愛している・愛してない。シートに便座を組み込んだエコカーで、脱糞しながら峠道をドリフト走行する彼らはどうだろう? 便座未使用の新古車が高値で売りに出されていたり。

 という夢を見た。


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2005年12月28日

パンダパンダ

 URL紛失で状況がよくわからないが、中国だとは思うこれ、まさか何匹かはぬいぐるみ、トリック写真、じゃないよねこんなたくさんの赤ちゃんパンダ‥‥


 pandapanda


 一匹一匹、見分けはつくのだろうか。名前はついてるのか。ランラン、カンカン、ファンファン‥‥例が古いけどわかります? そうそう、ところで中国では、この続きの名前は子供の愛称なのだ。


「中国人はオトナになると名前変わるのよ」とは日本語が変な元カノ(中国人)の説明。
「ふーん」と僕。
「じゃあさ、日本人で“奈々”っていう人がいるんだけど‥‥」
「子供子供」


 要するにだ、彼女の言によればだ、日本人で言うところの、「ミポリン」とだか「ミキティ」とか、つまりは名前の後に「ちゃん」をおくる感覚で2回繰り返し。だから彼らの名前は本来、「ラン」であり「カン」であり、また「ファン」であったり、というわけ。たぶんたぶん。


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2005年7月 7日

ポストペットからの手紙

 七夕は誕生日だった。この日が晴れるのは久しぶりのように思う。
 帰宅してチェックいれると、たくさんの方からメールが来ていて、びっくり! ありがとう。
 ポストペットのミッピからもこんなメッセージが届いていた。


 たんじょーびおめでとー!!
 ぼくはミッピよりも
 たくさん生きてますか?
 ケーキもいぱいたべれていいなぁ。
 ミッピからのプレゼントはおほしさまです。
 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 いっぱいいっぱい。


 飼い主の名前を「ぼく」で登録しているので、微妙にシュールな雰囲気になってしまったようだが。

 ロンドンで起きたテロのニュースに驚いている。

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2005年6月18日

ひみつ日記

6月18にち

今日ふでばこさんのところへいった。
ペンちゃんとあそんだ。
これも純情さ。

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ミッピ


(ポストペットのミッピが書きました)


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