2007年6月12日

明日のこと

 看護士という言い方は好かない。僕の彼女は、看護士ではなく確かに看護婦だったのだから。彼女がその看護の仕事をやめていた時期に僕たちは知り合い、つき合うようになった。10年前の話だ。2人で旅行ばかりしていた。今は電気も、電話もインターネットもない南半球の島に、彼女はいて、ナースとして働いている。地図にもない島から、手紙は届いたのだ。


 いろんな、ことを思った。ここには、何も書かない。けどほとんどは、前向きなことだ。時間と、距離を越えていくものについて。人と、人とのつながり。未来。それは、最後に考えたことだった。いつでも。明日のことは、最後に考えるのだ。一日の最後に。


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2006年11月 7日

子供は天使じゃない

 ハロウィンのイベントが、ここまで日本に普及したのはつい最近のことだが、それは大阪にユニバーサルスタジオジャパンがオープンした後である。というのはさすがに。穿ちすぎか。


 スヌーピーのマンガは小学生のときから愛読していて、英語の教科書のかわりだったんだけど、ハロウィンがいったい、何なのか、かぼちゃにどんな意味があるのかは、よくわからなかった。


 由来も何も知らず、それで今では、僕は「お葬式」みたいだなと思っている。死を、子供が解釈した、子供のための、子供主体のお葬式。


 トリック・オア・トリートをそんなふうに思って見ている。もちろん違うんだろうな‥‥


 死を美化する気はない、けど僕がもし、生まれてすぐに死ぬのなら、棺桶の中では、天使ではなく、オバケの格好がしたかったと思うから。お花のかわりに、もっともっとたくさんのお菓子に囲まれて、ハロウィンみたいに。


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2006年9月 3日

安部クンのことジモピーは語る

 小泉はのぅ、ああ見えてわきまえとるわいに、へろしまでも長崎でも、宿泊するホテルは、「ここぞ」とばかりに、豪華なスイートルーム出すがの、接待で入れたドリンクにも、一切口つけよらん、シーツもタオルも、必要最小限度しか使わん。


 でもなぁ、安部が首相になってみぃて、あいつは飲むけぇ、盛大に食べ散らかしよるけぇ、間違いのうて、先日ものう、記者会見で使ったホテルの、従業員一同に、安部がかけた、ねぎらいの言葉っちゅうのが、泣かせるわいの、「よく頑張ってくれました」、よく頑張ってくれましたじゃけぇのう、涙ちょちょ切れるけぇ。


 何かズレとるけ、バリおかしいけぇの。


 一昨日のう、安部がへろしま来たけぇ、地方を重視の姿勢だか、平和をアピールだか、知らんがのう、ジモピーにとっては、迷惑な話じゃ、ご丁寧に小泉の親分が、へろしまで常宿にしちょる、プリンスホテルで記者会見よ。


 下手なパフォーマンスかまして、国民の税金使い込みよってからに、だいたいのう、国会議員の給料なんて、国民の税金じゃ、ちゅうことはのう、安部を食わしてやっとるのはワシじゃけ、東京・へろしま間の往復の交通費払ってやったのもワシ、要するに、安部は下僕よ安部クソは。


「僕の下におる」


 と書いて下僕じゃ下僕、僕の下のくせに態度でかいんじゃわ安部は、何がうちゅくしい国ニッポンじゃ、寝ぼけマナコでそんなこと言いよってからに、舌ぁ回っとらんけぇね、説得力ゼロじゃけ、寝起きかオマエは、それで政治家か、はちゅおんオカシイけぇ、おたふくソースで顔洗ってから喋りおれ、そんなに眠いんじゃったらなオマエは、よだれ垂らして寝とれまったく。


 ほんでのう‥‥


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2006年8月25日

コロンブスは何人か

 スペイン人、という人はいる。本当だろうか。


 コロンブスはジェノバの生まれで、スペインに来たのは生涯を半ばも過ぎてからである。1551年生まれという、いちばん遅い説をとっても33歳、1546年とか、1531年なんて説をとれば、それ以上のトシになってからだ。


 コロンブスはだからイタリア、もしくはジェノバ人なのかというと違う。国際的にはやはり、コロンブスはスペイン人ということになるらしい。


 バルセロナの港の要にもコロンブスの像は立つ。


              .


 ではピカソはどうか。何人なのか。


 スペインでピカソをスペイン人と思う人はほとんどいないと聞く。


 知ってのとおり、スペイン人が誇りとする国民的3大画家は、エル・グレコとベラスケスとゴヤである。生誕の地、マラガで地元の人にピカソの生家を尋ねると、「観光客は外国人の話ばかりする」と機嫌が悪いのだ。これは笑い話ではない。


 美術館でも「スペインの代表的な画家」としてピカソ展を企画すると、スペイン側がいい顔をしないので、やらない。ピカソはピカソなのだ。


 エル・グレコはその名のとおり、ギリシャの出である。すごいことだと思う。ドメニコス・テオトコプロスの本名ではなく、わざわざEl Gerco(ギリシャ人)と呼ばれている男が、スペインの国民的芸術家なのである。


              ☆


 ラフカディオ・ハーンは何人だろうか。知らないが彼は、まぁ日本の国民的作家にはならないと思う。


 一方、冬期オリンピックで話題になったアメリカに帰化したフィギュア・スケートの、あの選手は何人かというと、心情的には、日本人ということになるのではないか。


 日本人は、流動化する日本を「日本であること」から手放そうとはせず、そのくせ逆に、そうして日本であろうとするものを「日本という枠」の内に受け入れようとしない。


              .


 いつも気になるのはナカタ、サカモト、世界で評価を受けた日本人が、国内でもカタカナやローマ字で表記されるのは、どうしてなのか。


 ペルーのフジモリ元大統領は、セカイで成功し失脚した日本人、か? ナショナリティの感覚が歪んでいるのは、スペインと日本のどっちだろう、と思う。


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2006年6月15日

ドアたちに挨拶する男

 彼女がフランスに出張することになった。それで居候の僕がドアを世話することになった。1週間。ドアの世話というのは重大な仕事だ。このマンションでは防犯上、人間よりもドアの地位のほうがずっと高い。パスワードを打ち込んで、鍵をまわせばそれで開くというほどの単細胞ではない。中国3千年の神秘を下に見て、うっかりドアの機嫌を損ねると居住者本人でも入れないことがある。彼女の不在でグレたりしないよう、なだめたりすかしたり、ときには蹴飛ばしたりして厳しく躾ておかなければならない‥‥


 僕はリビングのソファで寝る居候だった。すべては、彼女の好意だった。真夏の気候だったけどたぶん秋だったと思う。寝そべると窓からは月が見えた。見たこともないくらい大きな月だった。香港ではなんと月が近いのだろう。月の話ばかりすると彼女は笑っていたが隔てられた僕はまだ月をよく知らなかった。僕にとっての香港は「郊外」にあった。都心からMTRに乗って少し行った先、そこは音楽のように聞こえるフランス語の呪文で開ける何枚かのドアの向こうにある月世界だった。


 変な美意識があってフランス語の発音が少しでもおかしいと、聞こえないふりでドアは開かないこともあった。ドアだってちゃんと人を見るのだ。彼女のドアはそう、おフランス製だったが、開ける鍵を持たない田舎者の僕に、都会のドアたちは総じて冷たかった。秘密のパスワードは、秘密のままだった。その夏の『恋する惑星』という映画を観て、僕は衝動的に香港行きを決めた。行けば何かが変わる、向こうには何かがある、確信は揺るがなかったけど香港まで来て僕はどこにも行けないでいた。


 そんな僕を、彼女は選んだ。たぶん、日本語の通じるドアが欲しかったんだと思うが、なぜ僕だったのかはよくわからない。そこは裕福な異邦人たちの住むもうひとつの香港だった。跡形もなく消えてしまったけど僕は何かを見つけた。彼女はファッション・デザイナーだった。10以上も年上の日本人の女性だった。80年代、日本のOLの間で香港で働くことがブームになったことがあるがその生き残りである。広東語と流暢なフランス語ともちろん英語が話せた。マクドナルドだった。僕は独りで、することもなく小説を読んでいた。大柄で、とても日本人には見えなかったけど日本語で彼女のほうから話しかけてきた。鍵を差しこみ、香港を開けてくれたのだ。


「ずっとここにいていいのよ」と繰り返し彼女は僕に言う。行くところなど他にはあるわけもなくて、だからそれが新しいパスワードになった。その日から、僕はドアになった。ドアだけどソファで寝た。ドアだけどキッチンで洗いものをした。ドアだけど彼女にブラディマリーをつくってあげた。ずっとここにいていいのよ。喜んで僕は朝と夜に開く。繰り返し彼女は言うのだった。


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ドアたちが挨拶する女

 超高層マンションと、低い位置にかかった月。僕のイメージする郊外である。実際の香港だ。仕事を終えて、深夜に帰宅する街の風景として、これ以上は望めないと思う。改札を出て、目を閉じると僕は郊外としての香港にいる。真昼の空にだって月は輝く。


 毎月変わるパスワードを打ち込んでエントランスをくぐる。4つもつけられた玄関の鍵は、開けるのにちょっとしたコツがいる。2つずつを同時にまわすのだが、ただまわせばいいというものでもない。唱える呪文があり、儀式がある。ドアたちの機嫌を損ねると、居住者本人でも入れないことがある。防犯上ここでは人間よりもドアの地位のほうがずっと高いのだ。


 そうした扉の内側に、僕は短い間滞在していたことがある。家主は15も年上の日本人の女性だった。彼女はファッション・デザイナーだった。80年代、日本のOLの間で香港で働くことがブームになったことがあるがその生き残りである。広東語と流暢なフランス語ともちろん英語が話せた。世界中のドアたちが平伏す女だ。


 彼女の好意で、僕はリビングのソファで寝る居候だった。真夏の気候だったけどたぶん秋だったと思う。寝そべると窓からは月が見えた。見たこともないくらい大きな月だった。香港ではなんと月が近いのだろう。月の話ばかりすると彼女は笑っていたが隔てられて僕はまだ月をよく知らなかった。僕にとっての香港は、「郊外」にあった。都心からMTRに乗って少し行った先、そこは音楽のように聞こえるフランス語の呪文で開ける何枚かのドアの向こうにある月世界だった。


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2006年4月24日

今日の北京は寒いです。

風も強いです、ふうふうな音が出ます。


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2006年4月 4日

日本のどこが好きか

1、

 仕事の関係で新しくお友達になった、某企業で英語日本語中国語の通訳として働く、北京の誉燃さん(仮名)。
 事情で北京行きは無期延期になったのだがメールのやりとりは続いている。
 親日家の中国人である26歳の彼女に、日本のどこが好きかと訊いてみると、簡潔に

「富士山と北海道と沖縄」

 という返事が返ってきた。


Cina77
(写真は本文と無関係です)


 てっぺんと北と南のはじっこ、というわけで、これは何かの皮肉なのか、ユーモアのセンスなのか、素直な答なのか、考え込んでいる。


2、

 北京に住む中国人のメールフレンド、誉燃さん(仮名)によると「人生の価値は何を得たかではなく、何を成し遂げたかで決まる」良く耳にするこの格言と同じ意味の言葉は彼の地にもあるとか。

 それを日本語に直訳するとこうなるらしい。
 

「完壁な人生は何を持っているではなくその人は何なんですかっ」


              ☆


 激アグレッシブで「いかにも」とは思うが、彼女の性格を考えるとギャグの可能性もある。

 僕は、からかわれているだけかも知れない。


3、

 僕の元カノは中国人だ。日本語に堪能だ。僕が知っているだけでも他に5か国語を話す。僕が知らないというだけでたぶんもっと喋れる。特にそのような専門の教育を受けたわけではない。南京の大学では教育学を専攻していた。外国語はいつの間にか、何となく喋れるようになったのだという。5か国語をいつの間にか何となく喋れるようになる奴などいない。いるとすれば天才だ。彼女は語学の天才だ。最近では古語に凝っている。日常会話の中で実験的に古い言い回しをして「あってる? こういう言い方ある?」と僕に質問してくる。「いや、そういう言い回しは、文法的におかしいよ、うん、そうそう、それが正しい用法だけどさ、でも今どきの若い人にそんなこと言っても絶対通じないよ‥‥」なんとか切り抜けていたのだがこの前、最後の最後になって天才にこんなことを訊かれ、混乱してしまった。

「よこしょう、って言葉あるかな? よこしょうになられる、て言い方、間違ってる?」

 横床。

「ふつうにさ、横になられるでいいんじゃないの? なんでそんな古語チックにしたがるかな?」

「私の勝手じゃんケ。教えてよだから横床って言葉ございますか?」


              ☆


 だからありそうな気がしたのだ。

 んなもんねぇよ、とその場で断言できなかった自分がう〜ん情けない。


4、

 僕の元カノは中国人だ。彼女にはお姉さんがひとり、タクシーの運転手をしているという弟がふたり、いる。つい最近ゲロったのだが妹までいるらしい。5人兄妹ということだ。
 当然のことながらある疑問が浮かぶ。

 人口を抑制するために中国がとっている、有名なあの政策はどこへ行ったのか。

「は? 何それ? あぁ、‥‥はいはいはい、昔むかし、ありましたね。今はもうなくなったの、歴史の闇にね、うん、消えた」


5、

 誉燃さん(仮名)はブランドもののお洋服と化粧品が好きだ。たくさん買ってしまう。着る服の色は黄と紫が多いとか。若い彼女には似合うかも知れない。朝は毎朝家の近くの店で麺と「油条」を食べる。それは何? と訊いた。

「大豆でつくったミルクのような‥‥」

 それは「豆乳」だと思う。

「そうけ?」


              ☆


 ちなみに誉燃さん(仮名)にもお姉さんがひとりいると言う。元カノにしたのと同じ質問をぶつけてみた。

「知らない」

 簡潔な答が返ってくる。


 知らないことはないと思う。けれども彼女は怒っているわけではない。僕ももちろん、楽しんでいる。彼女にはいつかいつか会ってみたい、と思う。何のどこが好きか。そんなことじゃなしに聞きたい話もあるのだ。


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2006年3月15日

北京にメール

 仕事で北京に行くことになったのは書いたとおり、今日は現地でお世話になる予定のSさんにご挨拶。のつもりが中国語と悪戦苦闘しているうち向こうから先にメールが来てしまった。


 完璧な日本語の。


 Sさんは今回通訳として同行してくれることになっている僕の中国人の元カノの友人でたいへんな親日家、日本に留学していたこともありその後5年間東京で働いていた。現在は北京で進出してくる日本企業相手の通訳をしている。


 え、それで26歳って‥‥若くないですか? 


 若くはないか。優秀な人はとことん優秀なのが中国人で、彼の地は日本の数倍以上の格差社会、というか格差是認社会だと思う。能力のあるものが社会から恩恵を受け、無制限の繁栄を享受するのは当然の権利であって格差は、ありとあらゆる意味に於いて「格差」は、これはあって当たり前、無能者はその歪みの底で限定的に生きて死になさい。


 という。


 あるのは有能・無能という価値観で、それだけで、つまり「多様性」というものに対してそのわりには不寛容であるところが気になるところ。そこは日本と似ているけどまぁスケールが違いすぎて比較は無意味なくらい。


 ならば取材のアングルはどのように設定すべきか?


beita
(云居寺)


 設定などすべきではないんだろうな。僕は何も知りません、というところから始めて、何も理解できませんでしたというところで終わる。その間にどれだけ強く、カラフルで、「全体像」などには還元不能な、個々に具体的な真実をとってこれるか。


 ちなみに親日家の彼女は日本のどこに惚れたんだろう?


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2006年3月12日

クエスチョンマークの秘密

 通称「アストラムライン」、国道の中央分離帯から高架を生やしたモノレールで正式名称は「広島新交通システム」というのか、でも地元の人はたんに「アストラム」、若者なんかは「アスト」と呼ぶ。

 そして誰も利用しない。


astoram


「広島市北西部の安川沿いの地域では、昭和40年代からの急激な宅地開発による人口の急増に伴い広島都市圏の中でも特に深刻な交通問題が生じていました」

 導入の背景をホームページはこういうふうに説明している。

「こうした北西部地区の交通問題を抜本的に解消し、さらに、広島都市圏の交通体系を高度で効率的なものにするため、地域の交通需要に適応した新しい軌道系の公共交通機関を導入することとなり、新交通システムのアストラムラインが建設され、平成6年8月20日から運行しています」


              .


 さすがに公式のサイトだけあって書いてあることに嘘はない。「運行して」いるのは途中までであってその先の路線は資金不足で建設が止まったままなことも、ゆえに「北西部地区の交通問題を抜本的に解消」するという当初の目的は果たせずじまいであることも、市内中心部の終着駅付近に新しくつくられた地下街「シャレオ」にも客の入りはさっぱりでテナントは次々と撤退し、市も助成金を打ち切る方向で検討していることも、ただ書いていない、というだけだ。

 嘘はない。


route2


 ちょうどクエスチョンマーク「?」の形をしたこの路線図を見るたびに僕は思う。これは予定では環状線になるはずだったのだ。「広島都市圏の交通体系」はそれで「高度で効率的なもの」になり、地下街にも人が溢れ採算は充分とれるはず、だった。つまりはこういうことなのだ。まぁそれでも広島はマシなほうで、全体として地方の経済は未だ壊滅的な状況にある。政治・経済とはまったく関係ない文章の中でも、ひとつ、またひとつとクエスチョンマークを見つけるたびに僕は思う。これはメタファーではない。破綻した地方経済とは具体的に、本当にこういう姿をしているのだ、と。


              .


 頓挫した計画は疑問符の形をとり今も僕の頭上にある。


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2006年1月27日

事故はなぜ起きたか(鳥取県、JR伯備線の場合)

 この辺りの人は皆心が広い。朝の電車が10分15分と遅れたくらいで文句を言う奴などいない。ならば20分早い電車に乗ればいいだけのこと。踏切内の接触事故だとか、ポイントの故障だとか、‥‥多発するアクシデントは皆想定内なのだ。
 
 朝の8時15分というと、だからここでは通勤客が乗る最後の電車になる。ラッシュとは言っても、車内で新聞を大きく広げて読める程度の「混雑」だ。周囲に気を使って傍若無人を装おわずとも正々堂々とケータイで話ができる。東京の山手線のようなことはない。運が良ければ座れることもある。所用で僕は久しぶりにその時間の電車に乗った。今日こそは新しい歯ブラシを買う。電気会社まで出向いて延滞している電気料金を支払う。現実的な世界の現実的な用事をこなす、現実的な1日の始まりだ。
 
 目的地まであと1駅、というところで停車したまま10分。電車が動かなくなった。


              ☆


 以前にも書いたが、この辺の電車は冬の間、車体の扉を手で開け閉めする。理由は寒いから。このようにホームに長い時間停車するとき、ドアが解放されたままだと車内が寒い。最後に乗降した人は手でドアを閉めるのがルールである。そんなわけで、駅のホームに繰り返し流れる案内放送は、閉めきった車内に残った我々にはよく聞こえなかったのだ。
 
 そのうち動き出すだろう、みんなそう思っていた。そう思ってどっしり構えていた通勤客も、停車時間が20分を過ぎたころからソワソワ、落ち着かなくなってきた。そこにやっとアナウンスが入る。

「えぇ‥‥(長い間と雑音)‥‥で発生した踏切事故のため、この列車は当駅で折り返し運転となります。この列車は××駅には参りません。××駅へは、2番ホームの列車が次に出るようです」


              ☆


 出るようです。「よ う で す」のところでさらりまんが何人かブチ切れた‥‥。けれど続きはもういいだろう。というのは、これを書いたのは1週間以上前のことだからだ(歯ブラシも買った、電気代も払った)。書いてはみたもの投稿直前に気が変わって没とした。
 
 いつも書き過ぎてしまう。ぼくのWeblogは1日1エントリーを基本にしているが、このように直前で気が変わったりして日に2つは書いてしまうのだ。誰に説明するつもりもない僕の基準(気分)で没となった記事は、下書きに放り込まれる。そうして裏・ぼくのWeblogと化した没記事が再び陽の目を見ることはまずない、‥‥ないのだが、あり得ないことなのだが。この24日、JR西日本管内でこんな事故が発生した。

「24日午後1時20分ごろ、鳥取県江府町武庫のJR伯備線で、岡山発出雲市行き特急「スーパーやくも9号」(6両編成)が、保線作業に従事していたJR西日本米子保線区根雨保線管理室所属の4人をはねた。同県米子市目久美町、Aさん(47)、同市錦町、Bさん(49)、同市祇園町、Cさん(21)の3人が全身を強く打って死亡し、1人が腰に軽いけがを負った」(朝日のHPから引用)


 j2006_1_24


 JR伯備線は単線である。特急の運転手は300m手前で線路上の作業員を発見し、警笛を鳴らして、非常ブレーキをかけている。現場は比較的見通しの良い場所だったが、はねられた作業員たちは、誰ひとりとして、岡山方向から列車が来るとは予想だにしていなかったらしい。

 それはなぜか。朝日のサイトは報じていないが、実はその日の「スーパーやくも9号」は15分遅れで運転をしていた。連絡は、直前、昼休み中の作業現場に届いた。軽い混乱が、取り返しのつかない誤解に発展する。作業員たちは昼休憩の間に、特急は通り過ぎたのだと思い込んでしまった。彼らは「スーパーやくも」の次に、逆方向から来るはずの貨物列車を警戒していたのだ。


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2006年1月23日

夢の木

 誰が教えるのか‥‥、中国人の彼女は新しく覚えた「目視」という日本語に夢中だ。運転中にもくしもくしとうるさい。そうして助手席の僕に左後方を確認させるわけだがこんな、交通量の少ない、山奥の道がなぜ片側ニ車線なのか。ご丁寧に中央分離帯まである。まるっきり税金の無駄使いとしか思えないのだがあなたもね、ちゃんと自分の将来像というものを目視してみないと駄目よ、夢、夢の話をして、私は将来のビジョンを目視してみたの。(ふーん)そんで何か見えた? 
 介護の仕事をするんだ。うそ、私がするんじゃなくて、庭にケアハウスを建てて、経営するのね。「庭?」

「あー、だから土地、土地よ。土地に建てて、するの」


              ☆


 だから土地を探さないと‥‥。目視してみなさい、ほんっと、ここら辺りはつまらない木ばかり、つまらない土地。飼い主がいつまでたってもトイレができない馬鹿猫を捨てに来るような最っ低の土地ね。日本には国中こんなゴミ捨て場しかないの? 良い木があるのが良い土地よ。あ、あの木を目視して。私、小さいころ木登り得意だったんだ。あんな木があると登りたくなっちゃう。登りたくなるのが、良い木なの。
 
 夢の木、‥‥私は登るよ。


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2005年8月21日

カメラはどこで回っている?

 空は明るいのに急に激しく降る。
 夏の終わりの夕立ちなんだけど、こういう雨を見ていると何かを思い出しそうになる。


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 いや「原風景」とかそういう話ではなくって‥‥たぶんテレビの見過ぎだろう。
 ドラマの中の嘘っこの雨みたいなのだ。


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2005年8月 9日

下を向いて歩こう‥‥レアな「止マレ」表示に注目!

 マンホールの魚拓(マン拓?)をとるため全国を回る人はいる。地域によってデザインが違うのだが、しかしこういうホームページは初めて見た。道路に書いてある「止まれ」。字体のバリエーションがこんなにもあったとは。

              ☆

「『止まれ』のラインは大きく分けると、関東型と関西型に分かれます。これは関東型で、『ま』の字の←のところのように縦棒から回るところが90度になっています。また、『れ』の字は→のところのように、縦棒に上に小さな横棒と下から右への部分と3つの部分に分かれた『れ』の字になっています。東京では小路に一回り小さな『止まれ』またはひらがなの『とまれ』も引かれています」

tomare-tokyo1


「こちらは関西型、『ま』の字の←のところが縦棒から自然に回った感じ(R)になっています。『れ』の字は→のところのように、縦棒とそのほかの部分が一筆で引かれたような感じになっています

tomare-osaka1


「栃木県の『止まれ』のラインは関東、関西複合型で、『ま』の字は関東型、『れ』の字は関西型です」

tomare-toti1


              ☆

 この3つの基本パターンを軸に、各地に様々なバリエーションが存在する。人が書くものに個性が出るのは当然だが、いい加減なお役所仕事の、杓子定規ではない部分に、憤りではなく愛を感じてしまうこれは例外事項といっていい。とても興味深い。個人的には岐阜の「止まれ」の、「れ」の字体がオシャ「れ」で好きだ。「施工時に手間が掛かりそうです」という滋賀や

tomare-siga1


福岡のそれもいい。
 
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 比較すると熊本や佐賀はタイポグラフィに対する意識が低い。というか無い(小学生に書かせたのかと疑う)。

             ☆

 広島の「止マレ」はレトロでいいけど、

tomare-hiro1


これらは順次漢字とひらがなの「止まれ」に書き換えられているとのこと。実はすぐ近所にもこの「止マレ」が幾つかある。いつまでも残って欲しいと思うが、とにかくこのホームページのおかげで散歩の楽しみがひとつ増えたことは確かだ。


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2005年8月 5日

「家に帰る」という旅

「‥‥人の創った光の下に、煌めくふうに庇護されて、永遠の西を占めている」(ランボー)

              ☆

 しかし東の方に来ると日の落ちるのが早い。この季節の夕方、この明るさならこの時刻だろうという感覚が、狂う。逆サマータイム、と呟いて空を何度も見上げた。秋空に浮かぶような雲を見つけ驚く。確かに立秋は近いのだが、久々の東京は、時差が何時間もある外国のようだった。

 既にここは帰るべき故郷ではない。

              ☆

「銀色夏生」なんて、ペンネームだけで絶対に読みたくないって思う作家の日本代表、みたいな人だけど、エッセイだけは、特に旅のエッセイは良くてその中で

「私が一番好きな旅は、家に帰るという旅だ」

最後にこんなことを書いている、その気持ちはわかる。旅って、そう、一番楽しいのは、恋人や仲間と計画を立てているとき、で、一番ほっとするのは、帰りの飛行機やバスに乗ったとき‥‥
 
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 気取って、人生を旅に喩える、それなら僕の人生の、毎日も、家に帰るという旅だったらいいと思う。かえって、いつまでも計画だけを立てているような人生は、たぶんそれが一番楽しくて、楽しすぎて、出発するのを忘れてしまうんじゃないかな。反対に、あまりにも遠くまで行き過ぎ、戻れなくなった旅。それは辛い。


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2005年7月 6日

スカートの中

 タータンチェックのキルトは、スコットランド男子の正装だが、その下はどうなっているのか‥‥。気になったことはありませんか? 何も身につけないのがしきたり、というから、感じとしては日本の女性の着物の場合と一緒だが、喜んではいけない。唯一このしきたりから解放され、下着をつけるという自由(不自由?)を享受しているタータンチェックがあるのだ。


 19世紀末、英国陸軍に所属する有名な“ブラック連隊”が、ビクトリア女王の御前でスコティッシュ・ダンスを披露した。そう、足を高く何度も上げる、あの踊りだ。目のやり場をなくしてうろたえたのか、うんざりだったのかは知らないが、


「もうよい。以後は下着を纏うように!」


 女王から通達が出されたわけである。


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2005年6月27日

チーズケーキ・エトセトラ

 世界一チーズケーキの美味い店を知っている。“チーズケーキ・エトセトラ”。場所は誰にも教えたくないが、今や「地球の歩き方」にも載っているメジャーな店だ(検索するがいい)。

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 知人が帰国した。味は変わってない、とのメールを貰う。チーズケーキ・エトセトラは東洋人に占拠されている、とも。確かにあのあたりは中国系が多かったが、ダウンタウン全体でもコリアンの店が増えているそうだ。そういう流れか。

              ☆

 ところでこのメール、ポストペットで送ってくれたらしいのだが、指示を忘れ、うっかりOutlookで受信してしまった。うちのミッピに久々のお客が来るはずだったのだが。


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2005年5月 3日

シアトルのアンダーグラウンド、の近くに

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2005年2月18日

ぼくのバンクーバー滞在記。今思う一番不思議な話

 画廊で絵をみせてくれた画家。「この絵を日本でも売りたい」と言っていたな。マンションの管理人はゲイだった。昼間から管理人室にオトコを連れ込んでいた。真夜中にジャズを聴きに通ったデザート·レストラン、そして、その店の「デス·バイ·チョコレート」と名付けられた、頭がおかしくなりそうなケーキ。

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