2006年12月18日

人を好きになること

 僕はプルーストの『失われた時を求めて』が大好きなんだけど、そのことを誰かに話したいとは思わないな。


 つまりあの小説について、誰かと語り合いたいとは思わない。そんな暇があるなら、もういちど本を手に取り、プルースト本人と対話するほうがいい。


 ‥‥を読み解く、みたいな研究本にも同じ理由でまったく興味がない。インターネットの掲示板や、ないだろうけどミクシーの、プルーストの魅力を存分に語り合うコニュニティに参加して、思いのたけをそこでぶちまけたいとも思わない。


 本当に好きな物・事・人に関しては、そうだな。そのことを誰かに話したいとは思わない。プルースト以外にも僕はヘンリ・ミラーが大好きなんだけど、まぁ僕の筆力でミラー文学の魅力を語り尽くせるわけがないって理由もあるけど、そんなことを話したいという気にもなれない。


 誰かが『北回帰線』や、『暗い春』について書いていたとしても読みたくない。馬鹿馬鹿しい。繰り返すがその暇があるなら、僕は『北回帰線』を『暗い春』をもういちど読み返すだろう。そのほうがいいに決まっている。


              ☆


 レッド・ツェッペリンが好きだ。キンクスが好きだ。ストーン・ローゼスが大好きだ。でもそのことを、何がどうして好きなのかを人に話したくない。


 話せない、というのは大きい。その魅力、というか魔力について語る言葉を持たないというのは確かに大きい。でも僕は、努力してその言葉を探したいとは思わないのだ。


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 ある女の人を好きになる。機会が与えられるなら本人には告白する。僕はあなたの、どこが好きなのか、どうして好きなのか、100でも理由を考えて、200でも手紙を書く、いちばんぴったりする言葉が見つかるまで、僕は話しつづける。


 でもその話は、誰にもしないだろう。伝えられないことはわかっているのだ。どんな仲の良い友達にも、自分が彼女のどこに惹かれるのか、説明したりしないだろう。


 むしろ僕は、秘密にしようとするはずだ。好きであればあるほど、そのことを人には隠しておこうとするはずだ。


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 本当に好きなものは、僕をひとりぼっちにするものだった。誰より好きな人は、僕を世界中の誰よりも孤独にさせる、そんな人だった。


 小さな世界に僕は閉じ込められ、伝える言葉を失い、ひとりになる。


 どうしてかはわからない。でも僕はひとりだ。好きな気持ちは、本当の気持ちは誰とも共有なんかできない。好きな気持ちは、この気持ちはあまりにも純粋で、好きになったその人とも共有することができない。この先もずっと。ロックフリークさんへ。メイザさんへ。いつも無口な皆さんへ。僕はひとりだ。Oh well, whatever, nevermind.


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2006年10月22日

不幸せの理由

 僕は充分に幸せであることに気づいた。僕が僕である限り、僕に許される範囲内で。


 おまえは、これこれこういう人間で、だから相応しい場所に行って、できることをしろ。「それが幸せなんだから」という声は、何よりもまず僕の中に満ちていて、僕を縛る。


「声」は他人の口をかりて語られることもある。幸せ。「自分らしさ」という枠の中で、自己や他者や、「世界」にまでそれを追求させようという人間は、腐っている、と思う。


 なぜならば、僕は僕であることに、もう飽きている。「自分らしさ」にはもう飽き飽きしている。僕は僕に、もっとも似つかわしくない場所に出かけて、なれない自分になりたい。「ない」とされているものがほしい。「できない」とみんなが言うことがやりたい。


 それが不幸であるというのならば、僕は世界でいちばん不幸な人間になりたいのだ。僕を幸せにできる人はいる。たぶん世界中にいる。でも僕を本当の意味で不幸にできるのは、ただひとりの僕だ。幸福を追求することは、少なくとも今、僕の生きる力とはなりえない。


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2006年7月30日

愛ってよくわからないけど傷つく感じがする

 思うに、僕は「好き」や「嫌い」の感情論が判断の多くを決定する非論理的世界に生きているようだ。

 女性的、と言っていいのか‥‥。

 それが「正しい」かどうかは、たいして重要な問題ではないとわかる。

「彼女は阿呆だし間違っているけど僕は彼女が好きだ」

「彼の言っていることは正しいけれど共感はできない」


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 つまり僕を惹きつける人間の魅力とは、正しさでは全然ない。

 正しくあろう、とする姿勢かも知れないがそれだけでもない。


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 足らない、欠けた何かのみが夢や可能性という言葉に化け、女のかたちで身をくねらせて、僕を誘惑する。

 しつづける。自身変化する僕は、気まぐれや単なる偶然に絶対勝てない。

 薬師丸ひろ子じゃないけれどだからこの歳になっても愛、ってよくわからないのだろう。


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 僕には嘘のことがよくわかり、真実は何もわからないまま。

 ただ関係に於いて、満たされず傷つく感じだけが残るのだ。


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2006年7月 6日

遠距離恋愛

 ホックョクグマ・ピースのポストカードだ。なぜピースかというと僕がずっと以前、ブログでピースのことを書いたのを覚えていてくれてそれで。はるか昔、つき合っていた女性から手紙がきた。彼女は、たぶん、ぼくのWeblogの全記事を読んだ僕以外の唯一の人間だ。ブログをはじめるとき、僕は彼女にメールを送った。簡単な近況報告と、ふたりだけに通じる懐かしいジョークと思い出話を少し。

 そして最後に、付け足しのようにして、このブログの存在を教えた。誰も読まなくてもいい、そう思ってはいたけど本当に誰も読まなかったら嫌なので、何年も前に別れた何歳も年下の元恋人に僕はまた甘えたのだった。


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 恋とは、いつまでも一緒にはいられないふたりが、いつまでも一緒にいたいと相手を思う心のことをいう。「いつまでも一緒」が現実のものになったときには恋は、もう終わっている。遠距離恋愛、という言葉があるが、恋人どうしの距離は、そのようにいつも近くて遠いのだ。深夜から明け方まで、何時間でも電話したし、交わした手紙の数も、100や200ではきかないはずだ。

 ついに思い叶って一緒に暮らすようになったときには、僕たちの心はもう、ばらばらになっていた。

 話もなかった。半年後に彼女は、外国に行った。哺乳類がなぜかみんな袋の中で子供を育てる南の国へ、ひとりで。よくある話だとは思うが彼女は、それっきり、帰ってこない(それでもふられたと僕が気づいたのは、何ヵ月、いや何年も経ってからだ)。

 


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 彼女は今また、外国へ行こうとしている。仕事も辞め、発音の難しい外国語の勉強をつづけている。

 地球温暖化対策のため、このくそ暑いのにクーラーもつけずに、だ。会う約束をした。あのときの成田以来、何年かぶりに。あとは電話1本、入れればいいだけの話なのだが、‥‥まだ迷っている。

 今までの人生の中で、幸せなことがひとつあったとすれば、それはあなたと出会って、深く知り合えたということです。なんてとりあえず手紙に、返事を書こうか、いや。どうせ、彼女は、この嘘ばかりの文章の真実だけを今日読む。


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2006年6月25日

ふられたのでしかたない、諦めて次はこの人を好きになろう、と自覚して誰かを好きになれるなら苦労はない。

 ふられたのでしかたない、諦めて次はこの人を好きになろう、と自覚して誰かを好きになれるなら苦労はない。人の気持ちは、そんな効率的にはいかない。


 ポジティブ・シンキングなんて糞食らえだ。


 輝く希望の類が、堕して失望にかわったとき、諦めて別の何かを探せばいいとわかっていても、夢は持とうと思って持てるものではなかった。ポジティブに、上を向いて歩いていれば空から降ってくるわけでもないし、明日を信じれば無条件で湧いてくるものでもない。むしろ愛や希望は、若い僕の欲望と無関係に、最初から何の役にも立たないものとして、自分の中にあるようだった。


 あのころ、思いはいつまでも残り、時間が経つごとに複雑になっていった。


 もし神様がいて、何かの気まぐれで僕の目の前にあらわれて、何かの気まぐれ2で僕を10代のころに戻してやると、人生をもういちどやりなおしていいと言われても僕は断るだろう。発狂して神様を殺してしまうかも知れない。若さは観念的で鬱陶しい。あんなのは、いちどきりでたくさんだ。さまざまなものを持て余して、10代20代のころは生きていくのが大変だった。


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2006年5月 6日

特別な自分であるということは、特別ではない自分に気づいていくということ。

 あなたが恋をしていて、誰かさんにとっての「特別な存在」になりたいのなら、あるいは何かを目指していて、自分はこのまま普通で終わりたくない、と願うあなたがいるなら、‥‥「マイナスの普通」を見つけるといい。


 どういうことかというと例えば、人と人が愛しあうのは普通だけど、「人と人は愛しあうのが普通」と言う人は、ちょっと普通ではないと思う。


 それがマイナスの普通だ。普通を普通だと考えることは、その時点で考えることを止めるという意味で、普通ではない。それを非普通とは定義せずに、僕はマイナスの普通と呼んでいる。もちろんこれは僕のオリジナルだけれども、自分にとってマイナスの普通は何か、‥‥を探してひとつでも多く見つければいいと思う。


 そうすれば、あなたは、あなたのまま、そのままで、特別になれる。


 あなたが特別にならなくてもいい。マイナスの普通が、あなたを歪めず普通さだけを打ち消す。普通を打ち消すのは、リフレーミングされた普通である、ということ、当たり前であることを決して当たり前だとは思わない「あなた」自身だ。そのときあなたは、ありのままのあなたで「あなた」になる。あなたは特別にならなくてもいい。


 平凡で、ありきたりなプラスがあるところには、原理的に必ずマイナスがあり、「マイナスの考え」なんかと一緒に、僕も普通であることが普通だと思ってしまうようなマイナスの普通を気づかずにたくさん持っている。


 特別な自分になるということは、そんなふうにちっとも特別ではない自分に気づいていく、ということだと思う。


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2006年3月 7日

男女間に友情は成立するのか

 昨日の日曜日は双子の姉妹と会った。この間の検査で肝臓を悪くしていることがわかって、僕はパン食をひかえ、御飯に海苔というような朝食メニューを復活させているのだが、そのときに飲む、いつだったかブログの読者からメールで教えてもらったハーブティーを彼女らとつくったのだ。新陳代謝を活発にする、というふれこみで、毎日1リットルを飲まなければならない。最初聞いたときはそんなに飲めるか、と思ったものだが、食事のときに一緒に飲むようにすればいけそうだ。ハーブや、流れで漢方の話などで盛り上がって、次のアロマテラピーの講習会には3人で行こう、ということになった。漢方の薬局をひやかしに行った。風呂のとき、体に擦り込むと血行が良くなるとされる塩がとても安く売っていたのでみんなで買った。冷え性に効く、らしい。舐めてみると普通に塩の味がする。目に入らないように気をつけ、僕はためしに顔に擦り込んでみた。スベスベになったような気もするけれど、1回じゃ効果はよくわからない。


 アロマの講習費2回分と材料代の計6000円は今日振り込んだ。


 また、今日・明日の話ではないが僕は北京に行くことになった。実はまだ本決まりではないのだが、通訳には中国人の元カノを連れていくつもりなので、仕事半分、遊び半分という楽しい旅になると思う。時間があったら彼女の生まれ故郷の町にも足を延ばしてみようと話している。時間は、あるだろう。旅先にまでパソコンを持ってネットに繋いで、なんてそこまでしてブログを更新するつもりはないので、最近更新が止まってるな‥‥ってときにはこの記事を思い出して欲しい。「現実」と「ネットの世界」とを完全に分けて考えている僕だ、お土産話的なことは何も書かないかも知れない。書いたとしても相当な脚色が加わることはほぼ確実であるが、待っていればそのうち、夢日記だろうが何だろうが、「何か」を書くだろう、いつものぼくのWeblogはまた始まると思う。


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 男嫌い、などと言うと自分が女になったような気がする。もともと男性に対しては思春期の少女のように極度の引っ込み思案をする僕なのだ。カネがあるのをいいことにろくに働かず、半ひきこもりのような生活をずっと続けている。男はとりあえず全員死んで欲しい。いなくなれ、いなくなれ、と小声でいつも念じている。世の男たちと僕は人間関係を上手く築けない。「ネットの世界」だけは別だけれども、仕事でも私生活でも僕は、女性の友人と一緒にいるときがいちばん落ち着く。本来の自分、というものがもしあるとしてそこに還れるような気がする。意識せずになりたい自分になる、ことが無意識下で本当に可能だとして、僕はきっとそういう自分になっている。男嫌いの、僕は本来女なのだ。


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 あなたもまるで男みたいなことを言うんだ‥‥


 男女間に友情は成立するのか、古い議論でそれをテーマに映画がつくられたこともあったが、セックスを通じてしか女と関われないだなんて、‥‥そんな男がいるとしたら貧しい。何人もの女性と婚姻関係を結んでいた自称占い師の、渋谷サンだっけ? 逮捕されたけど、同じ女好きとしてああいう想像力のないタイプはだから羨ましくない。


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 何人かは結婚している、御主人には秘密で僕と友情を結んでくれている、犯罪すれすれのことをしている「悪い女」もいる、誰とでも寝るコがいて僕とだけ寝るコがいるがセックスは関係ない、僕はみんなが好きだ。彼女たち一人ひとりに面と向かって言ったことはないけれど、女性の友人はいつだって僕の人生の宝物だった。


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2006年3月 5日

結婚と白い勝負下着の心理

 名前が変わる、ということが大きいのだとは思うが、結婚・出産を期に仕事をいったん辞める人も多いだろう。「家庭に入る」なんて言い方も未だ残っている。それが良いの悪いの、別に「ジェンダー」とか結婚の心理学を真面目に語りたいわけではなくて、だから今日は勝負下着の話がメインなんだけど‥‥


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 高校を卒業して上京し、知らない土地で「デビュー」なんて比較にもならない。女性にとって結婚とは、その前後で人生をリセットするという人生最大の「節目」だ。その意味で結婚は人生でいちばんの大きな勝負であり、つまり結婚式のときにつける下着こそが究極の「勝負下着」と言えるのではないか、という理屈を考えた。


 さらに想うに、「リセット」としてある結婚(式)なわけだからして、たとえどんな悪女でも、というか、結婚前に遊びまくっていた「悪い女」であればあるほど、結婚式のときには、汚れのない純白の下着を選びたがるのではなかろうか。


 だけどリセットなんて無効だ。


 幸せも不幸せも、結婚と同じように名前を変えて続くのだから。最近では、白以外のウェデングドレスを着る新婦を見かけることも多くなった。僕も青やピンクが好きだけど、その理屈でいくと彼女らは、過去を特に清算する必要もない真に幸福な花嫁、ということになる。偽りの白を纏い、ばかりか下着までその色を選ばざるを得なかったその他大勢の「汚れた」女性より、結婚に至る心理は自然で、ゆえにそれは、破綻なくずっと長続きするだろう。


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2006年2月 4日

どうして結婚しなければならないのか

 拡大したネットワークの中で他人と自分との境界が限りなく曖昧になってしまった。ひきこもり。ニート。裕福な現代人はそれゆえ誰に踏み込むことを許さない「個」の領域を、物理的に広くとらずにはいられないのか。狭いニッポン、誰かと生活を共にすることなど、もはや考えられないくらいに、広く‥‥


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 か、どうかは知らないけど。


              ☆


「どうして結婚しなければならないの?」

 幼いころ、僕は父に訊ねた。子供心にも誰かと人生を分け合うだなんて、考えられなかった。それに対し父は、社会的信用、という言葉を口にした。結婚をしなければ社会の中で、マトモな構成員とはみなされず、出世もできない、給料も上がらない。それで困っても、結婚もできない人には『信用』がないからね、おカネを貸してくれる人も、いなくなるんだよ。
 昭和の、四十年代の話だ。典型的なさらりまんだった父を現代の視点で見て、その世界観を、笑うことはできない。

「結婚したくないな」

 それでも言い張る僕に、父は、なら芸術家になるしかない、作家とか、芸能人。そういう社会からはみだしたところで生きていける人なら、結婚はしなくてもいいのだ、と教えた。


              ☆


 幼稚園のころから僕は、将来の夢を訊かれる度にこう答えていた。「ものを考えてつくる人になりたい」
 なぜそんな言い方をするのか、自分で謎だった。考えてみればこの父の言葉があったのだろう。ひっくるめて、というわけだ。作家とか、芸能人、そういう社会からはみだしたところで生きていける芸術家、になりたかった、のではなくって。
 つまり結婚したくなかったんだ、たぶん、誰とも。

 今ならニートになりたいと言い出すかも知れない。


              ☆


 ガキっぽくて、どこか頼りない男に結婚を決意させるのに、女はどのような奥の手を使うのだろう。真実の愛? あるいは妊娠、とか? それで30年前の父と同じように「社会的責任」を言うのだろうか。少子化対策も要するにカネだと、そういう言い方をする人がいる。カネさえあれば。育てやすい環境をカネを使って整備してやれば。と。環境さえあれば晩婚化した現代人も結婚し子供を産むのか。違うと思う。30年前の価値観でありちょっとズレている、と思う。

 拡大したネットワークの中で他人との境界が限りなく曖昧になってしまった。僕。裕福になればなるほど「個」の確立に苦しむ僕。僕に関して言えば、あくまで「ものを考えてつく」ってるつもりのこの僕に関して言えば、その富と、あるのかないのかわからない芸術的才能は、すべてモラトリアムを延長する為にあててきた。社会の側はそれを浪費と呼んだ。才能の浪費。時間の浪費。
 経済的な損失を計算した。

 誰もが「勿体無い」、と言った。


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 あるいはひきこもり。ニート。そんな僕らが問うのだ。「どうして結婚しなければならないのか」


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2006年1月14日

男ごっこ

 人は考える葦なのだからその意識の流れにそって、言葉を紡ぎ、この程度の長さの文をひとつでっち上げることは誰に難しいことでもないだろう。夜毎。僕はいつものようにパソコンを起動し、Outlook Expressを立ち上げ自分に宛て。書いた文章をもちろん送信するわけではないが、いちいちネットに接続するのが面倒で、いつのころからか、ブログを書くときは主にメールの、下書きの機能を使ってするようになった。だから、これは、このぼくのWeblogは自分で自分に送る「手紙」なのだ。日記とは違う、‥‥微妙に。誰かに送って、読んでもらうのだという感覚がある。僕しか読まない日記なのだから、何でも書けるのだけど、でも、必ず読んでもらわなければならないということもあって、下手なことは書けない。


              ☆


 そのあたりが微妙だ、‥‥読ませなければならない。
 焦れば焦るほどに視点が流れる。言葉がブレていく感じ、自分で読み返す分にはナルシスティックで面白いのだけど、そろそろシャンとしよう。昨日あたりから『ブリジット・ジョーンズの日記』を読み始めた。どんなときでも何かしら読んでいる本はあって、つまり「書く」か「読む」か、どちらの方法で人生の時間を潰そうと僕はいつも迷っている。どちらもあまり簡単にできてしまうので迷うのだ。何かもっと、本質的で困難な課題に僕は挑むべきではないのかと。
 生産的な「仕事」をしてその中で自己実現を図る、とか。


Tom_Baril_01
Tom Baril


 そう学歴とか収入とか、発注とか取り引き、交渉、上を目指すとか競争とか批評とか、オメデトウ。その副賞としての「金」や「女」、「車」とか「時計」とかそして、参加賞で必ずもらえる「酒」と「ギャンブル」。その他安っぽい娯楽の「スリル」


 けれども僕は、そのくだらない「男ごっこ」が苦手だった。社会でする仕事は、結局のところ「ごっこ」だと思えた。金儲けための「ごっこ」。政治だって「ごっこ」で‥‥男社会の「男ごっこ」に僕は参加したくなかったのだ。
 ピーターパン・シンドロームと死語を持ち出して笑え。
 僕は一般的な意味の「男」にはなりたくなかった、‥‥ピーターパンにさえ。


 ここが日本じゃなかったら確実に僕はゲイになっただろう。けど僕は、何にもなりたくなかった。


              ☆


 僕だってお金は好きだ。もちろん。
 女のコのことだって、‥‥人一倍。
 でも僕の、欲望の出どころはあまりに個人的で非男的で、きっと、「ごっこ」の男たちと共有することはできない。
 マニアックすぎて、オタクどもの共感さえ得られない。


 本当は、誰だってそうだと思う。フル・オーダーメイドじゃない欲望なんて、欲望じゃないのに。しかし「ごっこ」の社会は真にインディビィジュアルであることを人に許さない。僕の欲望があなたの希望であり、あなたの希望があなた方の引用であることを良しとする。規格外を規格外と放っておくことすらしない。サイコパス、クラスターB、とにかく名前をつける。引き篭もっている奴まで引っぱり出し、分類して、括る。
 仕上げに「リンク」を貼ることも忘れない。


 篭もるまでもなく本質的に僕は個だった。だからだ。そして自分なりの闘いを続けていかなければならなのは‥‥この先も。すべての希望と欲望をその出発点からして誰ともリンクできない、この幸福の中で僕は。


              ☆


 というか声高に訴えるまでもなく既に僕は何ものでもない。
 成し遂げた仕事はない。書き上げた小説もない。社会的にはゼロだ。
 いわゆる「男」ではないかわりに「オトナ」でもない。もちろん女でも、コドモでも。芸術家でも何でもない。
 オタクですらない、「ぼく」
 できることといえばただ書くだけで。時の流れに乗って、言葉を紡ぎ、この程度の長さの小説でもエッセイでもない「ただの文章」をひとつでっち上げることは容易い。


 あ ま り に も  た や す い 。


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              ☆


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 ここまで14分。写真は以前にダウンロードしておいたものだし、って‥‥暇つぶしにもならない。


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              ☆


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 村上春樹の書いた『ダンス・ダンス・ダンス』という小説が好きだった。100回は読み返した。中で主人公は決意する。最後に。これからはただの文章が書きたい、と。詩でも小説でも自叙伝でも手紙でもない「ただの文章」。締め切りも注文もない「ただの文章」


 あなたにはそれがどんなものなのか絶対に絶対に絶対に絶対わからないと思う。


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2006年1月 4日

遊びは遊び

 あくまでも「元カノ」である。例の中国人の彼女だ。
 よりを戻したとは口が避けても言わない。
 カラダだけの爛れた関係である。
 日本語のヘンな彼女はそのことを、つまり性交を「遊び」と呼ぶ。
「性交する」ことは「遊ぶ」で、その体位は「遊び方」
 言葉の使い方としては間違っていないのかも知れない。
 というか彼女から「今まで何人ぐらいの人と遊んだの?」と訊かれると、その訊き方だと、つい正直に答えてしまう。
 それで、日本人は遊び過ぎよ、などと言われる。
 中国では結婚する前にね、そんなに遊んでばかりいる人いないよ。
 そうかも知れない、素直にそう思う。
 ちなみに最後に遊んだのはいつ? 遊びは楽しかった? 


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「じゃあまた遊ぶか?」
「今度は上で私に遊ばせてね」
「えっ、そんな変わった遊び方するか?」
「ちょっと、もうやめてよ‥‥今夜は遊び過ぎ」


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 性交はただの性交で、これは愛とは何の関係もない「遊び」なのだと思えてくる。
 仕事は仕事。ドライブはドライブで、おしゃべりはおしゃべり。
 散歩は散歩。
 喧嘩は喧嘩。
 食事は食事。
 勃起は勃起。
 結婚は結婚。
 そして愛は愛で、それはどこかにあるか、あるいはどこにもないのだろう。少なくとも彼女はそう考えている。考え方としては決して間違っていないと思うし、彼女との会話やドライブや、遊びは、会話でありドライブであり、遊びであって、何回繰り返したところで、他の何物かになるわけでもない。
 彼女の中で、裏が表であったり、部分が全体であるようなことは、ない。


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 人生が人生であるような人生を僕は生きたいと思う。そう思ってきたし、思っている。


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 その正しさが正しく正であり、純粋が純粋に純粋であるような純粋を。


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 嫌いが好きであったりするような恋は、恋ではない。駆け引きは駆け引きであり、打算は打算だ。
 だから僕たちは、よりを戻したと口が避けても言わない。
 元カノは元カノだ。
 腐れ縁は腐れ縁。
 そして愛は愛で愛の愛が愛であり愛。


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 不純は不純であり、間違いは、間違いだ。それはそれで、わかっていることはわかっている。


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 それでも僕たちは‥‥是認すべき「僕たち」なのだ。ふたりきりの部屋で抱き合わずにはいられない。その深い接近の中で醜い僕は「僕」でなくなる。
 そのとき。抱きしめた腕の中で、すべてが失われる。彼女も、既に「彼女」ではない。


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2005年12月19日

女の形

 より読みやすく、わかりやすく、他者を意識して文に編集を加えるたびに、その言葉は自分から離れていってしまう。だからかも知れない。日々の思考を、第三者にもわかるように整理整頓して、Webに上げることにはそれなりの意義を感じているが、「自分の日記を人に見てもらいたい」という自己顕示欲は、以前より、だいぶ薄れた。


              ☆


 ある事情があって、僕は生まれ育った土地を遠く離れるハメになった。ひょんなキッカケで、慣れない仕事に就いた。偶然が重なって、責任のある地位にまで上り詰め、思いもかけないことから、大金を手にした。
 見たこともないくせに‥‥ある種信頼の念を起こさせる、そんな美しさを持った女と、出会った。すぐに愛し合うようになったが、彼女には、夫がいた。それで僕は生まれ育った土地を遠く追われることになったのだけど、違う。順番は、滅茶苦茶だ。


 30の歳を過ぎてから、何年もの間、僕はそのような混乱と、孤独の因果の中にいた。いや、村上龍に言わせれば、まず「混乱」や「孤独」が先にあって、そこに僕の人生が引き寄せられてきた、ということになるのだろうが、同じことだ。僕は、あまりに混乱させられたので、ものごとを深く考えたり、あまりに孤独だったので、生活する自分を注意して観察するようになった。過去の日々を思い出したり、さまざまな解答不能の難題を自分に問いかけてみた。中では、聡明な僕が「ぼく」を裁き、狡猾いぼくが、「僕」を欺く。自分自身と和解することが決してない、内省の苦しみの中で、もとから感じていた、分離、「僕」と「ぼく」との乖離は決定的なものになった。


 獄中で減刑を訴えるような、この手記は、そして窒息しそうな雰囲気をだんだんと醸し出すことに見事成功しつつあるが。にしてもこの「手記」には読者がいるのだ。数は少ないけれども‥‥熱心な。それをどう捉えるかだ。どう考えるか。下手に人を楽しませよう、喜ばせよう、などと意識すると、また誰も読まない小説から言葉を盗んでくるハメにもなり「希望に裏切られた顔、悲しみ、美しい顔よ」。ほら混乱よ孤独よ、悲しみよ‥‥あらこんにちは。結局のところ、僕には、それがどんなにありきたりなものになろうとも、心のいちばん深いところから思いを拾い上げてくる他に選択肢はないのだが同時に、それを、そんなナルシスティックな魂の叫びをWebに上げることを、恥じてもいる。


「もともと僕は、たった一日の間でもひとつのことについて異なった意見を持ち、僕の信念が長続きしないことを、すすんで認めていた」


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Julian_Lennon


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 いちどだけ、前述の女と一緒に紅白歌合戦を終いまで見たことがある。あのときは赤白、どっちが勝ったんだっけ。司会者は誰で、あれは何年前だったかな。出演者と。歌われた歌は。年の瀬になるとふと頭をよぎる疑問。
 師走。二度と見ないくせに。そう、思い出せもしないくせに、何年か経って今を振り返るとき、ぼくのWeblogを、コメントをくれた全員のことを僕は、彼女のようなカタチの疑問符にしてしまいたくはないのだ。


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2005年12月16日

「愛」について

 愛という字がある。


 上の、冠の部分

 aiai

 これにはもともと、目がつまる、穴が塞がる、というような意味がある。


 心は心、心臓‥‥

 aiaicocoro

 そして下の「久」、これは人が足を引きずって歩く様子を示した象形文字からきている。

 aiaiashi

 胸がつまり、心塞がるような感情‥‥それが「愛」だ。これはあまりの苦しさに足を引きずって歩く人の姿をあらわした字なのだ。今年一年を象徴する漢字だという。字の由来はイブニング4という地方のニュース番組で知った。この前はハードゲイ本人を呼んで、番組の中で「フォー」をやらせていた。「イブニング・フォー」。実に気の利いたキャスターがいるのだ。


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2005年12月10日

ラブストーリーは突然に

 ブックオフで立ち読みした原作はただ絵の汚いマンガというだけでしかなかったが‥‥。去年のこの時期はドラマ『東京ラブストーリー』の、いったい何度目かの再放送に夢中になっていた。夕方のオンエアを予約で録画したビデオの。
 こんなキスシーンを、だから僕はそのとき初めて見たのだ。

「夜中にラーメンが食べたくなったら?」
「屋台ごと持ってくる」
「ビートルズのコンサートに行きた〜い」
「‥‥連れてくる」
「ジョンはどうするのよ?」
「おれが歌う」
「魔法で虹を架けて欲しいって言ったら?」
「それは、無理だけど‥‥」
「じゃ駄目だ、つき合ってあげない」
「でも魔法なら使える」

「‥‥どんな?」


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Seurat_11
Seurat


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 見ながら、僕はこんなことを考えていた。来年の今ごろ、自分はどうしているだろう、と。
 そして思った。

「去年の今ごろは『東京ラブストーリー』の再放送を見ながら、来年の僕はどうしているだろうと考えていた」

 と考えているだろう。自家撞着的思考に逃げるだろう。


 ずるい答だ。


 たんなる知り合いのひとり(ふたり)にすぎなかった双子と、ここまで仲良くなれたのはこのドラマがきっかけだった。その彼女の手術・入院と今年は辛いことも多かった。とても心配した。最悪の事態も覚悟した。「何か」と「いつか」をずっと待ちつづけていて、仕事なんてほとんどしなかった。気紛れに一年中ブログを書いていたような気がする。
 来年の今ごろは、僕は何をしているだろう。先のことなんて、本当に何もわからない。何が起こるかなんて、わからない。何を願えばいいのか。
「いつか」がいつか来たとき、そこが世界の中心なのだと知る。でも誰に祈ればいいのか。
 そこで叫べというのか。「助 け て 下 さ い !」


              ☆


 だからなのだろう。きっと来年の今は、合わせ鏡のように「あのときの僕」を考えていた「今のぼく」を思う。


 まるで似てない、ニ卵性双生児のように。その不完全なふたつの、鏡の像が無限に向かって劣化していく。コピーノイズの中で僕は歳をとって死ぬだろう。


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2005年12月 5日

昨日、中国人の元カノと久しぶりに会った。

「別れてもお友達」って、難しいと思う。僕らにそれができるのは、彼女が女で、僕以上に自己中心的で、それが許されるほど美しいからだろう。彼女を中心に世界が、ぐるっと一回転半。すると僕たちは手をつないでいたりするのだ。
 それで楽しかったりする。
 昔みたいに。
 彼女のクルマで海を見に行く。ド派手な赤い。「普段はノーメイクなんだけど‥‥」言いつつ信号待ちのルームミラーで赤く口紅だけの化粧をする。よくあるポーズなのだろうが、そのポーズをこれほどクールに決められる女をやはり僕は他に知らない。


sea5


 一度停車したクルマを、タイヤが曲がっているとの理由でまた停め直す。駐車場で繰り返した懐かしい「儀式」。冬の海にも意味はない。


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2005年12月 4日

ゴミ屋敷と母の思い出

 近ごろは北海道にもそれはいるらしいが、もう何年もゴキブリを見ていない。ハエも。近未来SF的な環境で暮らしているとか、そういうわけでもないのに。
 気づいてみれば絶滅危惧種か。
 とすればゴミ屋敷、各地で増殖するそれは保護センターか。ゴキブリたちの駆け込み寺か。僕は何を書いているのか。母は歳をとるごとに潔癖になっていった。しまいには絨毯に落ちた髪の毛の一本が許せなくなっていたようだ。床に這いつくばり、ため息をつきながら、それを手で一本一本拾い集めている姿を思い出す。


 記憶の中の最も哀しい光景のひとつだ。


 僕に最終的に、家を出ることを決意させたのは、だらしないアル中の父親ではなかった。反比例するがごとく日毎、病的に綺麗好きになっていく母だった。


 George_Daniell


 今、家の掃除をするときは、意識的に一部をやり残す。
 トイレは三日後にしよう、フロはあと五日ぐらい持つ。
 流しは明日、きちんとすればいい。
 その僕のこだわりを、意味のないへんてこなジンクスを、見て見ぬふりで許容してくれた優しい母はもういない。捨てず残した、ガラクタのコレクションでゴミ屋敷と化した実家には二度と帰らない。


              ☆


 函館出身の母は、ハタチまでゴキブリを知らなかった。
 上京して初めて、追いつめられた彼らが空を飛ぶのを見たという。


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2005年11月19日

神様を捨てる

 またWebでもうひとりの「ぼく」と出会った。 


http://blog.livedoor.jp/zorg/archives/50214848.html


好きな人と真っ正面から愛情をやり取りする事、

へたくそなぼくなので、だからこそフェチでもあるので、

逆に、フェチ的な変な宝物や、変なギフトはたくさんあるのでした。


カレとすごした、ちょっといい時間をぜんぶ記憶したいのでした。


誰でも、旅の想い出や、ディズニーランドに行ったことなんかは、

忘れないだろうけれど。

なんてことない散歩とかデートとかは、ひょっとしたら5年後には、

2人でコンビニのおやつ何を買ったってことも忘れちゃってるのかも

っておもうと、とてももったえないよ。

消えていく時間が愛おしいわけだよ。


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AugustineSebastian
“Monday Afternoon” Augustine Sebastian


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 僕も人から見たらゴミにしか見えないものを大事にとっておくことはある。


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それを自分だけの、「個人タブー」や、
ジンクスとして活用したりします。
朝いちばんで、このゴミ(のようなもの)に触ると
いいことがある、とか。
ゴミを揃えて家を出ると何があっても迷わず帰還できる
とか。

紅茶を飲むときはゴミとともに。
ゴミで髪の毛を洗うと禿げない。

枕にゴミを挟んで寝ると、夜うなされない‥‥


でもあるときが来ると、何かが変化して、
「ゴミのようなもの」は本当のゴミになってしまって。

本来どうでもいいようなものを、神様に仕立て、
大切な思いをいっぱいくっつけて、
挙げ句僕はそれを捨てます。


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 例のごとく。
 ここにコメントした通りであるが、僕がこんな人間になってしまったのは、そういうことを繰り返してきたからかも知れない。
 バチがあたったのだ。
 ものをとっておけない僕は世間でいう、「シンプルな生活」の健全なイメージに騙され、嬉々としてものを捨ててきたわけだが、

「変な行動や、不便な行動も、ジンクスも、ほんとにその人に、とても必要だからやっているのかな〜とおもっているよ」

 と言う、もうひとりの僕は、大切なものが何か、きちんとわかっている僕だった。


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 ありふれた夢を見た。そこにはもうひとり別の「ぼく」がいて、僕には夢としか思えない時間を、目が覚めてからも全部憶えている。


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2005年11月17日

紀宮さまのドレスのこと

 同い年か、いやひとつ下か、それにしても驚いた、この人が映画、ルパン3世の『カリオストロの城』を観ていて、結婚式のドレスも中でクラリス姫の着ていたものと同じデザインを選ぶほどのファンだったなんて。囚われの姫君と自分とを、重ね合わせて観ていたことは想像に難くない。だから夫の、黒田さんはルパンなんだな。マニアックなクルマが好きだったりするわけで、今僕はやっと、自分とは同世代のこの夫婦を好意的な目で見ることができた気がする。

 LP3

『ローマの休日』にしてもそうだけど、ああいう映画の、ヒロインに、切実な感情移入ができる人として、日本の皇族をこんな身近で、鮮やかに感じたのは生まれて初めてだった。皇室は変わっていたのだろう。声高に改革が叫ばれるよりずっと前から、確かに。開かれた内を皮肉で見る僕の腐った目の前で。


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2005年11月10日

時差プラトニック / 彼女の日記

 絶対にハッピーエンドじゃなきゃ嫌だという物語がひとつあって、今日はそれを書く。


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 彼女は今もあのマンションに独りで住んでいるのだろうか。ときどきバックパッカーを連れ込んで? 日本語のわかる男はもうこりごりだと思ったかも知れないし、あの日記の続きを読んだ人はいないのかも知れないけど、とにかく今日はハッピーエンドで切る。


 無理矢理でも何でも。


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 僕はゲイということになっていて、主人公の男から暴力的に犯される。レズビアンの彼女は日記にそんな妄想を綴っていて、僕がそれを読むことも知っていた。


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 僕はリビングのソファで寝る居候だった。
 彼女は寝室のダブルベッドでひとり、ゲイのセックス・シーンが延々と続くいやらしい小説を書いている。郊外にある、超高層マンションの最上階で僕は毎晩月を見上げながら眠った。朝が来て、彼女が仕事に出たあと、洗い物を終え洗濯機を回している間、僕は寝室に忍び込んで昨夜の日記を読むのだ。小説の続きを。鍵のかかる寝室の扉がロックされていたことなど過去一度もない。固く勃起した僕は彼女の下着を干す。彼女の財布から抜き取った香港ドルで、食事をし、買い物をする(たいした額じゃない‥‥)。
 職場までついていく朝もあった。
 彼女はコンピューター編みの服飾デザイナーだった。一緒にエスキースを何枚も描いて、議論する。センスについて凹むようなことを言うわりには僕のデザインを採用してくれる彼女だった。それがそのまま製品になったことも一度や二度じゃない。昼休みには彼女の中国人の同僚たちとランチに出た。10歳も下の僕のことを何と説明していたのかは知らない。弟か、親戚か、いずれせよ広東語の会話のすべてを訳してくれるような彼女ではなかったし、中華のランチはデザートまで脳が蕩けるほど美味しくて細かいことを気にするのは野暮というものだが、日本語をわかる知り合いに僕が紹介されることもやはりなかったのだ。
 アフター5には太極拳の教室に顔を出す。一日も持たずリタイアした僕とは違い、身長178cm、大柄で、武骨な感じさえする彼女は、優秀な生徒であるらしかった。純粋な腕力だけでも僕よりずっと強かったろう。その上に武道の心得まであるときては抵抗することなどできなくて、その晩も月下のベッドで僕は犯されるのだった。主人公のモデルはもちろん彼女だ。彼女はレズビアンだった。


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 僕は20代の半ばで、香港は初めてのアジアだった。「恋する惑星」という映画を見て未だ2週間も経ってない。貯金を全額トラベーラーズ・チェックに換え、格安航空券を買って衝動的に香港にやってきたのだ。
 仕事も辞めた。
 なぜそんなことをしたのか訊かれても答えられるのはキッカケの固有名詞だけだったが。
 曰くウォン・カーウァイ。
 恋する惑星。
 フェイ・ウォン。
 夢中人。
 そして今はなき啓徳空港。真っ直ぐ悪名高いチョンキンマンションに向かう。安い部屋を取ってカネがなくなるまで香港で暮らす算段で。
 初めから何か確固たる目的があって来た街ではなかった。
 漠然と小説家になりたいと思う僕はいて、これはそのうちに書く長篇のための「取材」なのだとあとから言うことはできる。体験のストックだと。彼女の話もいつか小説にしてやろうと心に下書きとしてしまっておいたものの蔵出しだ。チーズやワインのように熟成させて、話に深みとコクと粘り気が出るのを待っていた。
 つもりだった。


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「青年海外協力隊のOBは、自宅に人を泊めることを厭わないものよ」


 部屋に来ないかと誘われて驚く、僕に彼女はこう言った。何か裏があることは見え見えではあったが、甘い話にとりあえず乗ってみることにした僕だ。
 つまりこれは「取材」だと。
 香港に来て一週間、することもなくマクドナルドで腐り切っていた僕に、彼女は声をかけてきた。僕が断らないことは顔に書いてあったのだろう。「滅多にない貴重な体験をする機会を逃すわけにはいかない」。青年海外協力隊と、自宅に人を泊めることを厭わないという傾向が、なぜイコールで結ばれるのかは知らないが話はそれぞれ本当だった。つまり僕の前に日記で犯されていた男は何人もいたわけで、そのときの主人公はモロッコに派遣された協力隊の青年、被害者は現地の少年、悲惨な結末に終わるのはきっと少年が日本語の日記を読めなかったからなのだ。
 妄想の日記には翌日から僕をモデルにしたキャラクターが登場した。
 舞台は変わり香港で、現実との違いも彼女が小説の中で男になるという一点だけ。
 だから絶対にハッピーエンドじゃなきゃ嫌だという物語がひとつあるとすればこれで、前の男は主人公に崖から突き落とされ殺されるのだった。逃げようと思えばいつでも逃げ出せる、だからこそ彼女は終わらない日記を僕に読ませたのだと思う。夜がどんなに遅くなっても続きを書いたのだと思う。これを倒錯と呼ばない。夜毎に過激になっていく性描写を僕は。
 ありとあらゆるやり方で彼女に犯される僕は、読みながら、毎朝彼女のベッドで勃起していた。前の晩には彼女が同じように寝ていたはずのベッドで。そんなふうにして僕たちは愛を交わしていたのだ。


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2005年11月 3日

心に香りの引き出しを

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 アロマテラピーと、恋愛の話をする。


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 前置きとしてタバコと肺癌の関係について軽く触れている。恋愛の話を読みたい人はそこを飛ばしてくれればいいし、そんなの知るかという硬派の読者は途中で読むのをやめて欲しい。


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 酒も煙草もやらないその理由として「不味いから」というのは以前書いた。健康云々ではなく味が気に入らない。実際アルコールは強いほうだし、これで美味しければ父のような大酒呑みになったかも知れないと。
 しかし僕は子供のころからそれらを嫌悪していた。酒好きの父は全体的に酒臭かった。喫煙者でもある彼の息は特に臭かった。
 もしかしたら匂いというのは味以上に重要なファクターだったのかも知れない。


 タバコと肺癌の因果関係については、いろいろなことが言われている。肺癌の主原因はストレスと遺伝で、喫煙とは何の関係もないのだと。公平な眼で見て、それはきっと正しい、意味もなく正しい報告であり、けどそれが何だというのか。僕の半径2m以内でタバコを吸ってもらいたくはない。なぜかと言えば臭いからで、さすればこれはやはり「健康」でも「味」でもなく、「匂い」なのだろう、僕がそれを嫌うのは。臭い息を吐きかけるのはやめてほしい。ニコチンに心を落ち着かせる作用があることは知っているが、クサいものを嗅いでリラックスというのも倒錯だ。反論を恐れず言えば「非健康的」である。イエス、イエス、イエ〜ス。良い香りを嗅いで気持ちよくなったほうが身体にもいいに決まっている。


              ☆


 かなり以前のことだが、読者からのコメントを読んでアロマテラピーに興味を持った。


ハーブの香りやアロマテラピーの香り、好きでしたが本当に効果あるのかい?
と、いうような感じでした。

が、ワタクシ出産した病院が
アロマテラピーしてまして、分娩室や
出産後の部屋などに、気分の落ち着く香りやらなんやら、まーいろいろほどこしてあったんですが。
当然最初は「まあ気分の問題よね」と
思ってました。

それが、あーた!(むっちゃおばさん風ですな)

分娩!やたらと痛いと巷で評判の分娩時!
まさにアロマテラピーの香りで
ずいぶん気分がやわらぎ、痛みから
気がそれ、穏やかな気持ちで
出産できたのです。

それ以来けっこう香りって大事なのねと
本気で思っております。


 ブログには書いてこなかったけど、親しい女性の友人と連れ立って講習会にも何度か参加した。講習といっても堅苦しいものではなく「今日はみんなでハーブの石鹸を作ってみましょう」という程度のお遊びだが、楽しかった(ちなみに石鹸は彼女の強い薦めでラベンダーを選んだ。お風呂で使っているが、とても良い。気持ちが落ち着く)。


 最近ではアロマテラピーやハーブに興味を持つ男性も増えてきている、とは言う講師も含め僕以外の参加者の全員が女性だ。やはりオトコは、珍しいのだろう、進んで向こうから声をかけてくれる。「人の心と香りの作用」というテーマで話し込んでしまった。
 先生によると、長期入院しているお年寄りには柑橘系の香りが良いという。覚醒作用があるから、とかレモンなどには殺菌の効果も期待できるからとか、そんな理由だけではなく、柑橘系の香りは記憶に訴えかけるのだと。若い人と違い、お年寄りにラベンダーやカモミールなどを嗅がせても「いい香りね」のひとことで終わってしまう。何の香りだかわからないと駄目らしいのだ。柑橘系ならばこれはレモンだとかミカンだとか、言語化ができる、イメージとして「見える」、それが重要なのだという。


 人を救ってくれるのは人そのものではない。イメージなのだ。歳をとって、記憶の引き出しに最後まで残ってくれるのは、映像でも音でも言葉でも「それそのもの」ではない。たいへんに興味深いお話だった。


 Redon_f


 ところでブログに書いてこなかったことはまだある。「親しい」や「友人」と表現したが彼女は別のところで結婚している。小学生になる息子までいる。不倫をしている意識はないけど、では僕とはただの「お友達」かと言えばそれも違う。「そのもの」でもない。ただ、もう少し若かったら恋と呼んでお互いを苦しめたかも知れない、この微妙な感情に、しかし今僕たちは香りの名前をつけることができるわけで。


 お気に入りの呼び名を。


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2005年10月26日

悪い女

 「私、悪い女よ」

 「どのぐらい悪いんだ?」

 「わかるまでには、一生かかるわよ」


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              ・


 初期の片岡義男だ。タイトルもストーリーも、もう忘れた。オマエは突然何を言い出すのかといえば、メールだ。読者から届く。流れは定石通りだ。コメント欄に投稿できない弱気な自分を詫び、以前からの愛読者であると女性のようなハンドルネーム(本名?)を名乗る。そしてブログのエントリーを褒めちぎる。戸惑いながら返した当たり障りのないお礼のメールにも、また熱狂的(?)な返信が来て、最終的には「いちどお会いしてお話がしたい」となる。

 それで出会い系だなとわかるのだが、中にはwebメールではないプロバイダーのアドレスから送ってきたり、やたらと文章が綺麗だったり、ブログをコメント欄まで読み込んだ上での丁寧、かつ適確な批評が添えてあったりで、これはどういうことなんだろうと考え込んでしまうのだ。

 自称年齢の平均が、やや高いことも符に落ちない。30〜35といったところだ。出会い系なら普通もっと下を言うだろう? 


              ・


              ・


 内のひとり。35歳の年齢に相応しく、と言おうか。彼女の日本語は完璧であった。記事への考察も鋭い。なにより驚くのは、僕が文中にさり気なくちりばめた先行する文学作品からの引用を50%以上の確率で見つけ出し指摘してみせることだ。

 ちょっと考えられない。

 とっくの昔に絶版になったSF小説からパクっているのに。単行本にもならなかった幻の短編その他。それを「このブログの第2の楽しみは、昔自分が好きで読んでいた懐かしい小説に再会できることです」と来るのだ。嫌みか? その出版社で長年編集の仕事をしているとか、あるいは本職のSF作家か俗な大学の文学部助教授あたりか、そうでない限り120%絶対にありえないこと、に思えた。

 胡散臭すぎる。

 何かの罠だろう。
 何が狙いなのかは凡人たる僕の理解を越えるが。この世にこんな暇人がいたのか、と驚くばかり似通った読書傾向。しかし「なんちゃって」の僕とは違い、理論物理学と精神医学に関する彼女の知識は本物だった。NLPについてはまきさんのサイトにも載ってなかった海外の文献を部分部分翻訳して送ってくれた。これほどの知性が僕をハメようとしているのなら、どんな抵抗も無意味だろう。例えて言えば自家用ジェットだ。それに乗って20m先のスーパーダイエーまで買い物に行く人がいるか? ダイエーは僕の比喩だ。こうなったら店ごとお買い上げいただくしかない、開き直った僕はそれを福音と捉えた。
 いつしかブログに上げる前の記事を「彼女」に送って感想を求めるようになっていたのだ。


              ・


              ・


         返事は超音速であった。


              ・


              ・


 胡散臭すぎる。夜中の3時に送ったメールに返事が来るまで1時間だ。どう考えても胡散臭すぎる。昼の1時に送ったメールには15分で返信があった。リアルタイムで計ったから細工のしようもない。1分置きにメールチェックを入れたのだから。それが最速の記録だ。


              ・


              ・


          なんという暇な僕だ。
 

              ・


              ・


          なんという暇な女だ。


              ・


              ・


 ブログにFC2の、詳細なアクセス解析を導入したのはそれからだった。

 アクセス解析など読者に失礼だと思ってそれまでの僕は「スゴいカウンター」というちっともすごくないカウンターの、いい加減な数字を、たんなる目安としてだけ利用してきた。日の総アクセスと、ブックマークで来てくれている読者が何人いるのかわかればそれでいいと。
 だからアクセス解析がどこまで訪問者のプライバシーを暴けるのか、わかったときはショックだった。
 FC2のブログにはこの解析が標準で備わっているらしいのだが、そんなところになど行けないと引いた。

 とにかく怖すぎる。

 訪問者が、過去何回そこを訪れたのか、初回の訪問はいつか、前回いつ来たのか、解析を付けている人は人をそんなところまで監視しているのか。
 嫌だいやだ‥‥
 でも見てしまう。あれば見てしまうだろう。


              ・


              ・


 何度も見に来てくれる熱心な読者ならなおさらで、彼女はどんな人なのか知りたくなってしまう。内のひとりにはカマをかけてみた。あまりにも怪しかったので罠を仕掛けてみたのだ。見事に引っかかった(心理学も使いようだ)。やり方は汚かったけれど、知ることはできた。要するにこの人は、僕や僕の書くことに興味があったわけではなかったんだと今は思う。ベートーベンの記事をピアノの歴史と絡めて書くよう助言してくれたのは彼女だ。そんなもの知らないと言う僕に、モノ・コードに始まるその歴史をわかりやすく書いて送ってくれたのは例の。原子爆弾の記事でもお世話になった。ありがとうと言えることは他にもある。しかし勝手ながら一方で、僕はそんな「彼女たち」にこのブログを読むのを早くやめてもらいたいと思っていた。

「×××××の味」「メビウスの環」。わざと嫌がるだろうことを書いて送りつけた。引いたのはわかった。けど思ったほどの効果はなかった。地下鉄の落書き程度の猥雑さが通用するほど「彼女」は甘くなかったのだ。

 逆にむしゃくしゃして書き殴った記事で関係ない人ばかりが釣れる。
 ジジイの書き込みを禁止にした一昨日のエントリーだ。いい案配に耕されたコメント欄の、掘ったつもりもない落とし穴にセルフで穴を掘ってハマってくれる。何より桃組さん以上に驚かされたのが「晴」さんのタイムリーなコメントで、何様のつもりかと啖呵を切る、汚名は自分が被るのだという。


              ・


              ・


         そうだ「汚名」と言った。


              ・


              ・


Redon_02


              ・


              ・


 文章がその向こうにいる「そのひと」に触れたとき、僕を待っていたのは感動などではなかった。
 繰り返すが「汚名」だと。
「彼女」に次ぐ訪問回数を誇っていた晴さんではある。大仰にそんなもの被らなくていいので削除した。穴の深さは、もうこの程度でいい。


              ・


              ・


 その汚れた名に最も相応しい彼女からは今朝こんなメールが来た。曰く「私、悪い女よ」と。
 何が面白いのかは知らない。
 どのくらい悪いのかと言えば僕に、「わかるまでは、一生かかる」のだろうから。たぶん。


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2005年10月16日

失恋

 女が、泣くのを見た。普通のハンカチを持った、普通の女だった。普通の服を着て、普通の靴を履いた。
 普通の化粧を普通に崩す、普通の涙、を僕は見た。

 picosso_20

 女があと少し、美しかったら。ほんの少しでも、醜かったら。若かったら、老いていたら。貧しかったら、豊かだったら、恋にも似た思いを、そう僕はその場で感情移入、をしたのに。

(普通になろうなんて考えちゃだめ‥‥)

 何時間も経ってからだった。


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2005年9月27日

量子論的

 愛しているよ。この手紙を書き終えるのが辛い。
 書くのをやめると、きみがいってしまうような気がする。

         (「ワイルド・アット・ハート」より)

             ☆

 見ていないと、消えちゃうよ。それが彼女の口癖だった。「私のことをちゃんと見てよ」と、喧嘩するときには、いつもそう言って僕の無関心を責めるのだ。
 実際、原子とか電子とか、極微の世界の物質は、「観察」によってその状態を決定される。見ていないとき、彼女がどこで何をしているか、僕らは「波動関数」という、一種の確率で予測することしかできない。
 簡単に言うとこういうことだ。真昼の月は、僕たちが「見る」ことをしないので、不貞腐れて、夜が来るまで不可視の霧のような状態になって空一面に拡散していると。バッドガールズ・ゴー・エブリウェア。ある種の女たちのように、見られることがその存在の第一条件なのだ。
 まそれは嘘だけど。

The_Sleeping_Gypsy

 マンションの向かいにある生命保険会社が、ちょっと目を離した隙に倒産していて本当に驚いた。ビルの一階にはドラッグストアではない薬屋が入っていた。昔、同居していた彼女が高熱を出して倒れたときに慌てて薬を買いに行った店だ。あのヒゲのおやじさんは僕に優しかった。
 ビルの前の自動販売機には、ファンタのグレープの、しかもミニ缶が入っていた。彼女は1分間だけ寄り道をする。例えば、お好み焼きを食べに行った帰りに。飲めないくせにときどき欲しくなってしまう。炭酸が、彼女のアルコールだった。それでもやはり、飲めないものは飲めなくて、小さな小さな缶をふたりで半分コして飲むのだ。
 良くないことは知っていたが、薬もそれで飲ませた。
 ファンタでうがいをさせた。
 間違って射精してしまったあと、コーラであそこを洗うと妊娠しないとかいうのと似た種類の迷信に基づき‥‥

             ☆

 そう言えばお好み焼きは、すっかり御無沙汰になっている。これはなんの迷信だろうか、ピザもそうだけど、今も、あの形をした自堕落な食べ物のあとでなぜか嫌いな炭酸を少しだけ飲みたくなるのは。


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2005年9月25日

どんくさい彼女の話

 ハタチくらいの、若い知り合いから恋愛の相談を受けた。
 
              ☆

「彼女が部屋で料理作ってくれたんスよ」

「いいね」

「いくないっスよ! どんくさいんスよあいつ最悪っスよ」

「下手なんだ?」

「それぐらいならまだいいっス‥‥あいつ足に包丁落として」

「刺さったんだ?」

「刺さったなんてもんじゃないっスよ。床まで貫通して‥‥」

「血、出た?」

「血まみれっスよ! 救急車呼びましたピーポーピーポーピーポー」

「(‥‥柳沢慎吾みたいに口でドップラー効果再現しちゃうんだ?)」

「マジ2回目っスよ、これで!」


              ☆

 いやこれは相談だったと思う‥‥何の?

L_Field

 ところで「その救急車、黄色くなかった?」というジョークは若い人に通じなくて。


 絵は


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2005年9月18日

動物みたいな靴下

 今日、5本指ソックス + サンダル という若者を見た。文章にすると馬鹿みたいだけど決まっていて、靴下にサンダル履きというそのコーディネイトは意外とありなのかも知れないと思う。
 冷え性の僕は真夏でも靴下を履かないと風邪をひく。
 サンダルなんて諦めていたのだけど、そうか、5本指ソックスと合わせればいいのか。5本指ソックスなら何枚か持っている。女性にはなかなかウケが良かったりする。
 この場合のウケは「笑われる」という意味のウケだが。

     doubutsu

 以前つき合っていた中国人の恋人は、5本指ソックスを本当に気に入ってくれた内のひとりだ。
 こんなの見たことない、と言うので誕生日にプレゼントした。「動物みたい」と大喜びだった。

「ね、足が動物みたいよ!」

 外国人である彼女の日本語は新鮮で、交際は楽しかった。恋人に合わせ僕の日本語もどんどん変わっていった。
 それが興味深かった。

              ☆

「日本のファンの片言の英語に付き合っている内に、自分の言葉がどんどんシンプルになっていくのが興味深かった」

 似たことを書いている人がいる。この前インタビューした、ハリウッド俳優の言葉がいつまでも印象に残っている、と。記事はそんな書き出しで始まる。
 筆者は通訳の仕事をしているのだ。
 そして、普段は人見知りの激しい自分が、外国語を使う仕事をする時には非常にオープンな性格になれることを、どうしてなのかと不思議に思っている。
 
 そんなある日、筆者は一冊の本と出会う。自閉症の子供を治療する精神科医の記録だ。
 子供たちは、本当の自分を、少しでも他人から遠ざけようとして、極端な猫背になって暮らしていた。
 ある日のこと、ふと黒いサングラスをかけてみた彼の患者のひとりが、こんなことを言うのだ。


「人の顔が見える!」

「‥‥?」 

「先生、ぼく、人の顔が見えるの!」


 精神科医は暫くその子に、一日中サングラスをかけたまま、「自分をとり戻させ」、生活させてみた。無論その数カ月後には、彼がサングラスなど必要としなくなっていたことは、言うまでもない。
 
 この話を聞いてなるほどと思った。僕も視力0.1の裸眼で街に出ると、妙にいつもより人と話がしやすかった経験があるからだ。
 外国語にもそれと同じ効果がある。
 筆者は語る。不自由な言語でコミュニケーションをとろうとするとき、私は必死になる、と。
 一寸でも、言葉を惜しんでいる暇などない。
 無論仕事として使うなら、最低限の文法は守らなくては嘘だが、それでも外国語は私にとっての真っ黒いサングラスなのだ。
 少ない語彙を最大限に活用すべく、私は無我夢中になる。世間体の厚い衣をバリバリと破って、コミュニケーションは生の姿を見せる。
 
「黒いサングラスをかけ、外国語を使う時、私はやっと本当の私になれるのだ」

              ☆

 ずっと以前僕は、「どんな言葉でコミュニケーションがとれるかですべては変わる」と書いた。
「あらゆる価値は転換し、世界はその姿を変える」と。
 クソ生意気なことを言ったもので、自分の傲慢さ加減を今は恥じている。
 僕たちはみんな、その言葉を発する前の段階で必死なのだ。黒いサングラスをかけたりして。慣れない外国語を使ってみたりして。
 サングラスを投げ捨て、素顔のまま、母国語でコミュニケーションのとれるほど強い人間が、いったいどこにいるというのか。
 それ抜きで裸の自分を人前に曝せる奴を、「勇気がある」とは言わない。恥知らず、単にそれだけ。
 みんなどこかに、某かの「サングラス」を隠している、そう思う。少なくとも僕はそうだし、そんな人間のほうが好きだ。
 見えないサングラス越しに極端な猫背になって、世界と対峙する、アナタが。
 
 ブログサイトというのは、単なる日記ではない。これは、誰にも理解されたくないわけではないという、僕たちの、黒いサングラスである。
 自分の殻の内側に籠ったまま、モノを「言う」ための、一番新しいサングラスなのだ。

 以前の僕は、そんなことを書いていた。


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2005年9月16日

都会でピクピク‥‥女らしい貴女が理想の彼氏をゲットできない理由

 思い描いていた理想とは似ても似つかぬ男性を好きになってしまう、そんな経験を持つ女性は多いのではないか。これは女性特有の、脳の構造上の問題なのだが、そのことについて「NLP-erまき」さんが興味深いことを日記に書いている


「20代の後半になって、ある時ふと思ったんです。自分では、いわゆる『都会の優男』タイプが理想だと思いこんでいたけれど、実際に好きになった人は全く違うタイプだな、と。私が好きになったりおつきあいした人に共通していたこと。それは、

『大胸筋ピクピク』

見た目には全然マッチョではないし、毎日筋トレしてるなんて知らないし、そんなことを条件にして好きになったのではないのに、何故か皆、大胸筋がピクピク動かせる人たちだったんです。それに気づいたとき、さすがに私も『うーん』と唸りました。どうやら自分で理想だと思い描いていた男性像は、私の好みとはかけ離れているらしい」

  leo


 つまりまきさんの場合、左脳で考えていた理想の男性像が「都会の優男」、右脳でとらえていた理想の男性像が「大胸筋ピクピク」だった、わけで実際に彼女もそう分析している。面白いことに女性は男性と比べ「脳梁」と呼ばれる部分が大きい。何が面白いのかというと、「脳梁」とは脳の左右の情報を連絡する神経の束なのだ。束が太い、イコール「右脳と左脳を行き来する情報量が多い」、と考えて間違いない。

 左脳は言語能力を司り、右脳は感覚的なものを司る。男性は脳梁が小さいため、右脳と左脳を行き来する情報量が少ない。だから、論理的な「左脳だけ」、感覚的な「右脳だけ」、の思考ができる。男性ホルモンが多くより「男らしい」男ほど、恋愛に於いても遊びは遊び、仕事は仕事、結婚は結婚、などと割り切った思考ができ、理想と現実を履き違えることもない。

 しかし、女性は脳梁が大きいため左右の脳を行き来する情報量が多く、それを処理しきれなくなると、頭がパニックになってしまう。女性ホルモンが多く「脳梁」が大きい、女らしい女ほどその傾向は強まる。

 まきさんもそうだったのだろう。混乱した彼女は「自分の理想の男性像を精査することにしました。そしてストライクゾーンを若干修正したのです。夫とはストライクゾーンの修正後に出会いました。ええ、大胸筋ピクピクできるそうです。(もちろんつきあい始めた後に知ったことです。)」

 しかしだ。間の悪いことに彼女が「ストライクゾーンを若干修正した」時期は、ちょうどNLPと出会ったころと重なる。「NLPとは何か」と語り出すと長くなるのだが、それは、きわめて右脳的な事柄(イメージ、感情、感覚など)を左脳的に活用したり説明している部分がある。つまり彼女の中で、左右の脳の間を大量の情報が行き来していた時期にあたる。

 その時期に「理想の男性像を精査することにした」彼女は、自分の中に「都会の優男」と「大胸筋ピクピク」が完全にごっちゃになった新たな、

「都会でピクピク」

というような、わけのわからない理想像をつくりあげてしまった可能性が高い。都会でピクピクとは、あぁ、どんな人なのだろう。彼女の旦那さんは、いったいどんな人なのだろう。俄に興味が湧いてきた‥‥のは決して僕だけではない、はずだ。


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2005年9月12日

××××の味

 僕は身体が柔らかい。
 風呂上がりに毎日欠かさずするストレッチのおかげだ。
 この習慣は高校生のころからだ(腹筋、腕立て、ジョギング、ウォーキングなど。いちど身体に覚え込ませた習慣はこの歳になっても無理なくつづけられる)。
 というわけで僕は身体が柔らかいのだ。足を180度横に開いて胸を床にべったり、など軽くできる。

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 高校生のころだ。いちど×××××を試してみたことがある。
 風呂上がりに、自分で自分の××××を×××××してみたのだ。
 どんな味がするのか、ちょっと不安だった。
 変な「味」だったら、相手に失礼ではないか。
 勇気を出して、初めての×××××。
 結果は?
 少し塩っぱかった。そう、腕とか、身体の他の部分と同じ味だった。
 ほっ、としたのを覚えている。
 かなり。
 相当に。


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2005年8月25日

「バースデーイブ」の話

僕はたぶん、本当のことを言う人が怖いのだ。


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2005年8月24日

ことの終わり

「文は人なり」だったか「文は体をあらわす」だったか、言いかたはどうでもいいんだけど、出会い系サイト全盛の昨今に、未だこんな迷信を本気で信じているおめでたい人がいるとは。写真が決して「真」を写さないのと似て、言葉はむしろ嘘を言うためにある。文はただの文であり、何かを伝えるものではない。それは筆者の人格などこれっぽっちも映さないし、いや百歩譲る少なくとも僕はそういう書きかたをしていない。
 
「ぼくのWeblog」を読んで、僕のことを好きになってくれた読者が、まぁいるとしよう、彼(彼女)が現実の「ぼく」と直接会って何を思うだろうか。僕の方でもどのツラ下げて会ったらいいのかわからないけど、酷い嘘つきだとがっかりするのではないか。「嘘つき」というのはそれは事実だから、ブログにその意味での反映はあろうが‥‥
 
 owari

 だが実は、昨日、僕の大好きだったブログがなくなってしまった。予想していたことではあった‥‥それでも「404 NOT FOUND」の表示には泣きそうになってしまう。
 
 なんて痛ましいこと!

 虚のガードで守りを固めながらも、自分がどれほど進んでハルに、ハルだけに、隙を見せたがっていたのか今はっきりとわかった。驚く他はない。僕は、彼女の皮肉とナイーブさを組み合わせた嘘で、心臓まで届く強烈な左フックをかましてもらいたいのだ。ことの終わりを、そうでないものとして突き返してもらいたいのだ。


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2005年8月22日

ライヴ、下から見るか上から見るか?

1、「最前列 キース・エマーソン」


 高校の時の友人が言っていた「後ろの方で聞くライヴって、わりと好きだけどな」

 何を格好つけているのかと思った。じゃオマエのS席は最後列か。

              ☆ 

 最前列で見たコンサートが一回だけあって、再結成したELPだ。キース・エマーソンがオルガンを破壊するあの有名なパフォーマンスと、見守る呆れ顔のバンドとのコントラスト。目の前で見上げたそれは一生忘れないだろうが、書いていて思い出した。僕にも、遠くの、高いところから見た印象的なライブがあって、あれなら‥‥「後ろの方で聞くのも、悪くない」。似たことを言うと思う。

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              ・
              ・ 
 
 と、知らない人のために、ちょこっと解説。ELPとはエマーソン、レイク&パーマーの頭文字を取った略で、70年代、日本でも非常に人気のあったプログレ・バンドです。キーボード担当のキースはバンドの中心的存在で、

 emerson2

 これこれ、若き日のキースです。いい男です。一度解散したバンドは、パーマーの代わりの“P”にパウエルを入れ、90年代になって再結成しました。僕が見に行ったELPは、もちろんそのエマーソン、レイク&パウエルの方で。

 emerson1

 ちなみにキース、ライヴではこんな高そうな機材は壊しません。オトナです。スタッフが差し入れた、小学校の音楽室にあるようなボロボロのオルガンを女性に見立て、上になったり下になったり、いろいろやった後で破壊します。

 emerson3

 オルガンは後でローディの誰かが修理して次の日のライブでも同じものを使う、と思われます。

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              ・

2、「最後列 コーネリアス」


 あれは僕たちの関係がもう完全におかしくなっていたころで、いつ別れてもおかしくないふたりを繋ぎ止めていたのがこういうイベントだったのだ。苦労して取ったチケットだから見に行くまでは‥‥と。「FANTASMA」発表後のコーネリアスの全国ツアーで場所はゼップ大阪。
 
 12月の寒風に吹かれて開場を、しかし一時間も待ったかいはあったと思う。席はオールスタンディングのフロアーを見下ろすようにある二階だった。盛り上がるステージと一階の客、を半ば醒めた目で見つめる僕ら‥‥

 fantasma
 
 複雑に入り組んだ出来事からただひとつの結論を引き出すのは愚かなことではある。この恋愛、あの日のコンサートには某かの真実と多くの暗喩が含まれていたはずだ、がそれらの解釈は読者にまかせよう。僕が今書けるのは、歌はやはり魔法だということ。
 
 アルバム未収録のインスト曲の、そのあまりの出来(の良さ)に驚きつつ、僕らが手を繋いで合唱したのは「STAR FRUITS SURF RIDER」という「うた」だった。音楽と言葉と映像と照明と思いが重なる‥‥僕は、その偶然の、秘密を解き明かそうとしているのだけれど、どうしてもわからない。
 
 あれはほんの二時間の馬鹿騒ぎ、それだけではなかったはずだ。アンコールが終わると、僕たちは、会場の外によろめき出た。雪が降っていた‥‥襟に溶け落ちる湿った大きな雪片。だがそれも演出の一部で、雪は人工のものだった。
 
 思わず顔を見合わせ、頬を寄せる僕ら。
 
 出会ったころのトキメキ。感じた僕らは、しかし気づいていなかったのだ。それがひとあし早く訪れた大団円だということに。すべてが終わったあとに降り積もる嘘のように白いエピローグの。いちばん感動的なライヴ。それは誰よりも遠くから、輝くステージを俯瞰するように見たライヴだった。


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2005年8月20日

「アダルトチルドレン」なんて死語だけど‥‥

 柑橘系の香りが好きという人は未熟な子供っぽい甘えん坊、などと言うがどうだろう? 実際僕も子共のころはそんな香りが大好きだった。成長するに従って、例えば「森の中」をイメージさせるような、より複雑な香りを好むようになったのだ。昨日の記事のコメントから発展させて、書いている。
 
 精神医学の世界では甘えではなく「自己愛」という言葉を使う。自分のことを好きになる気持ち、だ。無論「自己愛」にも良い悪いがあるのだが、その「悪い」子供っぽい未熟な自己愛も、大人になるにつれ成熟した自己愛へ成長する‥‥

 成熟した甘えの心理というのがわかりづらければ、これは上手く行っているときの恋愛関係を思い浮かべてもらえばいい。女性の甘え( =自己愛)を満たしてあげながら同時に自分も相手に甘えられる‥‥のが、オトナの男ですよね!? ともかく自己の甘えの構造を知り、人間関係に敷衍させる、それが「相手が何を求めているのか」を察し、相手の立場に立って考えるということで、成熟した自己愛の意味はそこにあるのだろう。

             ☆

 だが、その成熟した自己愛が成長するには、小さいころに幼稚な自分の甘えを充分に満たしてもらうことが必要だという。「アダルトチルドレン(AC)」なんて死語だけど、思い出してしまった。

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 マイケル・ジャクソンやクリントン元アメリカ大統領を例に挙げるまでもなく、その道で成功した人にはACが実に多い。日本人でも貴乃花などは典型だ。宮沢りえとAC同士結婚しても結局は破局しただろう。イチローもたぶんそうで、子供時分から「大人であること」を強要されてきた人々、満たされなかった子供ならではの思いを人生の別の部分で補填できる彼らは、それでも幸せな例だ。


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2005年8月16日

彼女と別れる

 携帯電話を持った手を10cm高く。あれで手を振ったつもりなのだろうか。ひときわ大きなクラクションが鳴ると、彼女の乗ったバスだ。

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「やっぱり見送りはいい」と言う。餞別のつもりのジュースも「気持ち悪いことしないで。いらない」。双子と僕は、だからバス通りに沿ってだらだら歩くことにしたのだ。
 
 そのくせ、今日この日のことは2ヵ月も前からの告知だが、彼女とは特に親しかったわけではない。「わたし、直接会える人にメールなんかしないよ」と、いちども返事をくれたことのない携帯のアドレスを教えてもらうまで、半年がかかった。
 
件名 「Re:」

本文 「どこに行ったか誰に訊かれても、『知らん』答えるのね? 寂しくなるって、そればかり話してるよ‥‥」

 危ないと言う双子を無視してわざと車道を歩いた。歩きながらメールを打った。何台もの怒声が追い越して行き。いつもどおり返事がないのが嬉しくて、なんだか泣きそうになってしまう。そのとき。


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2005年7月22日

遠距離ノスタルジア

 小学校の、三年か四年か、確かそのころに授業で習った。最近の子供は見たこともないだろう? 家庭裁判所のすぐ脇に、まるで昭和三十年代のような木造の建物があって、「珠算教室」という看板が掲げてあったのだが、いつの間にか取り壊されていた。

 なくなってみて初めてその存在感の大きさに気づく。

 見なれた風景が一変していた。
 次はどんな建物が建つのか。コンビニか弁当屋、そんなものが出来たら嫌だけれど、悪い予感は的中するものだ。

              ☆

 調停はご丁寧に「親権の移動」で申し立てられていた。
 不調に終われば審判が待っている。

 オレは調停委員に彼女からの手紙を見せた。
 文面はソフトだが要は、浮気相手と再婚したこと。子供達と共に引越すので、住民票移動の委任状および子の氏の変更届を書け。上記の件につき調停の申し立てをした。
 オレは住民票の移動と保険証の分割は受諾し、苗字の変更は拒否したことを話した。以前の調書を読んだ調停委員は事情を理解しているらしい。呆れ顔、というか同情気味だ。

              ☆

 元妻の家で大部分を過ごす子供たちの親権は今オレにある。
 彼らは現在近くに住んでおり、二つの家を自由に往来している。
 オレは働けば世話が出来ず、面倒を見ればいずれ金がない、というジレンマに直面し続けてる。

「子どもは親の満足のためにいる訳じゃない」というのがオレのモットーなので、離れて暮らすのはある意味仕方がないという気持ちもある‥‥元妻が人を殺すのも厭わないような性格の人間でなければの話だが。
 オレはキレた元妻に包丁で切りかかられて離婚に踏み切った。度重なる浮気、暴言、暴力はともかく殺されては!
 そんなオレに、しかしいくら同情してもらっても結果が伴わない限りどうしようもないのだけど‥‥その意味では、調停委員は単なる法の追認者であり、九官鳥や鸚鵡と大して変わらない。
 とにかく今日は主張を突き通し、不調で終わらせた。

 次回は一ヵ月後。

 いずれオレは審判で負けるだろう。状況は圧倒的に不利で、法律も守ってくれはしない。

              ☆

 hal


 それで晴(ハル)という女と結婚した、というわけではないが、オレの名字は雨森という。
 そう「雨漏り」だ。笑ってくれていい。

 当たり前の話だが結婚後も雨漏りは止まなかった。

 オレは天気予報の名人である。オレの人生には雨の日しかないのだから。
 この悪天候は100%の確率で続くだろう。絶望や、諦めが、まだまだ続くだろう。
 どこにも毛筋ほども好転の兆しは見られない。
 雨は晴と仲良く並んで、死の牢獄に向かって行進していかなければならないのだ。逃げ路はどこにもない。

              ☆

「割れたグラスが元通りになるように、しかしこの宇宙には、時の流れが逆転している場所が遍在している」

 悪友のケンはこんなことを言う。これだから頭の良い男は嫌いだ。奴なりに慰めているつもりなのだろうが、相変わらずズレている。おまけにハンサムときてる。ガキの頃から女にもてた‥‥大嫌いだ。
 どうせオレの貧弱な物理学の知識では、奴の戯けた話を完全に理解することなどできねぇ。

 けどわかったよ。あるんだな。贖罪が死ではなく、誕生によって齎される、そんな世界が、あるんだな。

 オレにはそれだけで充分だ。


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2005年7月 5日

7月7日に生まれて

 不倫のような恋をしてしまったことがいちどあるが、彼女の旦那さんは、僕と同年同日生まれだった。そのときはちょっと困ってしまったけど、画家のシャガールも、そうだ、先日は知人のひとりが、やはり七夕生まれだと知った。言いつつ僕は誕生日を知らない。7月7日は僕の誕生日ではない。たった30分の違いだからと、僕は七夕生まれとして申告された。それが6日の深夜なのか、8日の未明なのか詳しくは聞かなかった。両親の記憶も食い違うし、いいのだ。恋人にも「誕生日は七夕」で通してきた。裏で僕は、秘かに誕生日を使い分けている。履歴書にはもちろん公式のものを使うが、それを入力するタイプの占いでは、気分によって6日にしたり8日にしたり。ホロスコープを作っても30分の差で運勢に変化はなさそうだ。一方で動物占いなどたった一日の違いで診断が変わってくるけど、その程度の誤差が許容範囲外になる遊びなど信じない。あるいは見方を変えよう。僕の誕生日は3日続くと。ロマンチックに考えよう‥‥

hana
‥‥7月7日は、年に一度の大切なデートの日は1時間余分にある、と。


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2005年6月 8日

不倫

 既婚者と恋に落ちてしまったことが、二度ある。けど、その内一回は、本当は不倫ではなかった。

 出会ったのは雨の季節だ。彼女は、その時点で離婚していた。秘密裏に。離婚した状態で、夫と息子と三人の「結婚生活」を営んでいた。
 
 子供の成長を楽しみにしていた。普通に。
 
 自動車の、運転免許取得のための勉強を僕は見てあげた。仮免をとった彼女は、僕のクルマで路上に出た。そのお礼だと言うのだ。隔日に部屋に来て食事を作ってくれた。堂々と手を繋いで、買い物に行った。部屋を掃除してくれ、洗濯物を干してくれた。

「冷房効きすぎよ」妻みたいに小言を言い。泊まっていくこともあった。

 二人が夫婦でないことを知るのは、僕だけだった。愛し合っていたんだと思う。それでも僕と寝たのだ。

 クリムトの描く女性のように、反対側の横顔で嘘をつく。別れたのは、秋だ。理由は僕も訊かなかった。

 

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