2006年4月 5日

鋭利な言葉は記憶する

 アフリカのとある部族にはこんな格言がある。死した勇者の尖った骨は敵が踏むのを待っている、と。手紙に嫌がらせでカミソリを仕込む女が昔のメロドラマなどにはよくいたものだが、二重の意味で、信じられない。刃物を贈ると、その人と縁が切れるというジンクスがあるのだ。誕生日に左利き用の缶切りをプレゼントしてくれた友人を直後に亡くしたことを根拠に、僕は、その非科学的迷信を信じるようになった。それは、すべて死者の怨念がこもった「骨」なのだ、と。細心の注意をもって扱わねばならない。刃物は、たとえカッターナイフのようなものでも「借りる」ことにすら抵抗を感じる。


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ALTphotos


 やむを得ず人に借りた場合でも必ず返す。


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2006年3月16日

中国の妖しいインターネットを見る・訂正

 直前の記事を丸ごと訂正してお詫びします。

 まず冒頭に引用したメールですけれども、確認したところあれはスパムでも何でもなく、Sさん本人からのメールでした。肝心の、僕とSさんの名前が呪詛って「輹」「誉燃」などと文字化けしていたため勘違いをしたのですが、「掲密中国人妖部落」もSさんが、まぁいいやこの際「誉燃」さんとしますが、彼女が、現代の中国にもこんなおバカなサイトがあるんですよ、こういうの見たら輹さん引いちゃうかな、へへっ、と僕に紹介してくれたものです。


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フルサイズの写真を見る


 誉燃さんのことを僕は、中国の、頭の固いスーパーエリートだと思い込んで誤解していたわけですが、もちろん語学に長けたエリートであることは間違いのないところなのですが、それ以前に彼女は、26歳の、J-POPとオタクと電車男とジャパニーズ・ホラーと鬼嫁や眞鍋かをりのブログなんかが大好きな日本通であって、そう日本人のどうしようもないブログはよく読んでいるそうです。


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2005年11月20日

クリスマスのイルミネーション

 裸眼で街に出ると、ただの散歩が冒険になった。平らな道につまずいて、何度も転びそうになる。段差とかバリアフリーとか、だからこれはそんな色気のない話じゃない。たいらなみち、だ。


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 気の早いクリスマスのイルミネーション。ピンクや青に、滲んで、焦点を結ばない。カフェに避難していた僕は日の落ちた街のあまりの美しさに負けた。世界は曇りガラスでできているかのように虹色に輝く。無数のささやき声につつまれて。夜の闇とともに、僕もその中に吸い込まれていく。


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2005年11月15日

自殺更新

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         定期的に海を見に行く。


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     Sheila_Norgate


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 レミング(タビネズミともいう)の名がよく知られているのは、姿・形のせいではなく、やることが変わっているからだろう。彼らはネズミに似た小型の齧歯類(げっしるい)だ。体長は約12cmしかない。ノルウェーやスウェーデンなどに住んでいる。


 ほぼ3年か4年ごとに、この地方にレミングの大群が現れ、海に向かって行進を始める。
 地方によって方角は違うが、必ず海に向かう。


 レミングは、途中にどんな邪魔物があろうとお構いなしに、「ゆっくりと」、着実に前進する。アニメ映画などでは、何か抗い難い衝動に駆られた彼らが、物凄いスピードで突進していくように描かれているが、あれはさすがに少し嘘。夜行性のレミングだが、このときばかりは昼間にエサを食べ、少し眠り、主に夜行進する。大群は川を渡る。幅数キロもある湖を泳ぎ渡る。
 街があろうが、山があろうが、何が何でも通っていく。


 のろのろと。
 
 
 その遅い遅い行進の途中で、レミングは草や木を何でも貪り喰い、大損害を引き起こす。一方、その大群には肉食の獣や鳥もたくさんついてくる。彼らは次々と殺され、食べられていく。
 レミングは弱い動物なのだ‥‥抵抗することなど端からできない。


「タビネズミ」ことレミングは、こうして旅を続ける。海岸へ行きつくまでに1年、長いときには3年以上もかけて。
 彼らは繁殖力がとても強いので、天敵にどんどん食べられていっても、数は減るどころか、道中ますます群れは大きくなる。
 行進は「更新」というわけでもあるのだが、僕も日々海は見に行く。
 とうとう海岸に辿り着くと、僕らはなおも進み、水の中に飛び込んで、みんな死ぬ。


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Richard_Johnston


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        つまり行進は代わりに「ぼく」が。

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2005年11月14日

ソフトx

 ソフトという言葉が好きだ。
 ソフトクリームやソフトドリンクは言うに及ばず、この語を前置するだけで、多様に存在しつづけるありふれた言葉が、対する責任を全面放棄して、世界を夢で見た色彩に染める。
 ‥‥気がする。
 ソフトミュージック・ソフトライフ。
 ソフトシティのソフトビーチでソフトロマンスを‥‥
 ソフトカフェのソフトテーブル。
 食べるのはソフトランチ。そんなソフトデート。


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 ソフト整体。ソフト歯科なんてのも、いい。


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2005年11月11日

車窓から

 この時間に電車に乗る。窓際のベッドが見える。病院で老人が口を開けて寝ている車窓。たくさんのチューブに繋がれて、意識があるのかないのかよくわからない。


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 いつ僕は空のベッドを見る。トイレか何かか、検査のため移動したのか。無論「ぼく」はそんなことを思わない。


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(pic by Izima Kaoru


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2005年10月12日

私たちの望んでた世界って、こんなんだっけ?

 世界を変えた100人の写真家、というサイトがある。

 100 Photographs that Changed the World

 まぁ予想通りの写真が載っているわけなんだけど。僕はこのロバート・キャパ的な世界が嫌いだというところから話を始めよう。


 beachdead

 tsquare


 フォト・ジャーナリズムなど唯の欺瞞だと。


 earthrise


 以上、話が終わってしまった。


              ☆


 あまりに早く結論が出てしまったのでここからはもうひとりのロバートの話をする。


 ロバート・フランク。写真家。
 スイス生まれのユダヤ人。


 ‥‥以上、また話が終わってしまった。


              ☆


 知らないという人がいたら嫌なのだそんな人に向けた説明的な話をしたくないのだ。

『アメリカ人』という写真集があまりにも好きなのだ。


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 キャパやユージン・スミスらが築き上げた「事実に依拠する」大文字の正義!の写真。
 その確信に満ちたヒューマニスティックな粉飾を別のやりかたで否定してみせたのが『アメリカ人』であった。


「奴は風を撮ろうとしているのさ。でも風を見ることはできない」


 よく言ったもので1958年の刊行当時、ロバート・フランクの写真を「見る」ことは誰にもできなかった。


  RobertFrank2


              ☆


「またあるものは、その碑さえもない」


 ここにはナチスドイツと戦ってはみたけれど名もなき兵士は何がなんだかわからないまま死んじゃったよあ〜あ、民主化をもとめて丸腰で戦車の前に立ちはだかってみましたみんな、見てるぅ?そう宇宙からはベトナムの戦火は見えても「国境線」は見えなかったんだよね、などというわかりやすい物語の幻想はない。


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 この世界には悲しみがある。
 そしてその「悲しみ」を告発的に、まさにロバート・キャパ的に描き出すことは、より大きな欺瞞を呼び寄せてしまうだけだという困難がある。悲しみがある。


      RobertFrank4


 もはやそれと意識されることもなく日常の風景となった「悲しみ」。
 マイノリティ。
 政治的、人種的、宗教的な。
 差別。偏見。無理解。
 貧富の格差。
 マクドナルド的に世界に輸出されたロバート・キャパふうの欺瞞。


 それに対する輸入国側からの解答は、なんだったのか。


「私たちの夢みてた世界って、こんなんだっけ?」


              ☆


 この写真集は曖昧な詩だった。どうとでも解釈できるノストラダムスの予言のような。でもそこにはこう書いてあった。このアメリカ原産の悲しみの事象は、いずれ世界を覆い尽くすだろう、と。
 すべては最悪の形で的中したのだ。


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 観光地のガソリンスタンドに並べられた絵葉書。良く見ると中に1枚だけ核実験のきのこ雲を写したカードが紛れ込んでいる。
 また真夜中のハイウェイ。砂漠の中メキシコの国境まで遠く繋がる真っ直ぐな道。
 スキャンはしない。あまりにも好きな写真をここには載せない。
 見て何も感じない、という読者がひとりでもいたら嫌だからだ。


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2005年10月 4日

From the past,city seen

 開け放した窓、厚い雲に時刻を奪われた淡い光が差し込む。
 雨音を聞きながら、寒がりの僕はバンクーバーの夢を見ていた‥‥濡れて黒ずんだ、暗い冬の街の夢を。

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                  pic by Brian K. Smith


 バンクーバーの秋冬は、やたらと雨が多い。
 短く乾燥した夏の太陽は、上空から外れ、破裂して北の大地に降りそそぐ‥‥灰色の雨の季節の到来だ。

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                    pic by me(ぼく)


 だがこの年は、記録的に雨の少ない秋だった。ストリートをパークを、真夏より強く輝かせる落ち葉。街を埋め尽くす鮮明な色彩の。
 美しい秋は、いつまでも終わらなかった。

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                          by me


 All that moment would be lost in time, like rain. でも僕は、すべてを独立した感覚の連続のように記憶している。


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2005年10月 2日

逃避

 電車を1本遅らせ僕はホームに残ることにしたのだ。

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 今にして思えば、あれは、日常的によくあることだったのかも知れない。
 だから気づかずにいたのは僕のほうで、車内に座ってクールにメールなどしていた彼らではなくて。

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 ホームに停車中の電車だけを明るく残して駅がまるごと停電した。
 一瞬のことで、本当に気づかなかった人もいたようだが、狐につままれたような顔で「きょとん」としていたのは、僕ひとりだった。

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 説明のアナウンスを5分だけ待って、いつもとは逆方向の電車に乗った。


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2005年9月29日

人魚姫のエロチックな足

 セイレン。
 ギリシア神話に登場する女性の顔に鳥の身体を持つ海の精だ。地中海の小島に住み、美しい歌声で船乗りを魅了して破滅させたという‥‥
 英語の「サイレン」の語源がこれである。
 え?! 
 と思った方(僕も含めて)も多いのではないか。

 そう、「鳥の身体」なのだ。

 娘をさらわれた彼女は地上のいたるところを捜しまわる。捜索の手を海上にまで広げたセイレンに水中を自由に泳ぎまわれるようにと神々が与えたのはしかし、魚の尾、ではなかった。
 翼の助けで波の上を飛ぶことができるようにと願ったのは彼女自身でもある。
 あれほどの歌の才を持ちながら、舌が使えなくなるのは惜しいとの配慮から、美しい女性の顔と声だけは残された、というわけなのだ。

 なのだが。


Jacek_Jedrzejczak


 同時にセイレン(セイレーン)は魚の下半身を持つ女としても描かれてきた。魚の尾を持つセイレンの姿は、古代ギリシャの壺にも紀元前二世紀の昔から見られる。
 この魚の尾を持つセイレーン誕生のひとつの理由として語源的なことが言われている。なんとギリシャ語では「羽」を指す言葉は「ヒレ」と一緒なのだ。

 ラテン語でも前者は“pennis”、後者は“pinnis”と似ていて、しかも「ペニス」と読める。


Jacek_Jedrzejczak01


 ところで中には、人間を誘惑しそこねたセイレーンが、それを悔しがり、海に身を投げて死んだ、という伝説もあって、これがいつ形作られたのかは定かではないが、後の人魚姫の物語に影響を与えたことは間違いない。「ペニス」という名の羽や尾を持ち美声で人を魅了するセイレーン = 人魚は、生成の場所である子宮を誇示する、水と結びついた再生のシンボルでもあった。


  Jacek_Jedrzejczak_02


 その彼女が王子様の気をひくために、魚の尾を捨て、声を代償に人間の足を手に入れたというのはだから倒錯である。
 歩くことのできる足は、開くことのできる足であった、のだが。
 歌抜きでただ足を開いた姫は、性欲の捌け口としてのみ看做され、弄ばれた後で捨てられる。歌う声は、主張する声でもあったわけで、失ってはならなかったのはさて、どの声と、どちらの足だったのか。


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2005年9月22日

好き?嫌い? 3秒ルールで語るロバート・メイプルソープ

 食に関してはいわゆる「3秒ルール」の信仰を個人タブーとしている読者も多いと思う。日々の生活のアクシデントに冷静に対処できるのもこれあればこそで、

「床に落としてしまった食べ物も3秒以内なら摂取可」

というアレである。僕はもう少し長くて10秒ぐらいまでいけるか。清掃の行き届いている(はず、の)家の床なら2〜3時間の経過もなかったことにできる。
 ものはいつ「モノ」であることをやめ「ゴミ」へと変化するのだろうか。
gomit
 それは3秒であったり10秒だったり2時間後だったり、結局のところ個人の心持ちの問題、なのかも知れない。ところでこの「モノ→ゴミ」計時を異常に長く取る人種を一般にアーティストと呼ぶ。通常はゴミと考えられるボロ切れも彼らの目には絵画製作上の貴重な材料と映ったり、する。現代アートとは床に落ち3秒が過ぎた食べ物に、新たなる価値を付与した「こじつけ」だ。画家はだから冷蔵庫の隙間から出てきたビスケットのカケラをデッサンしなければならない。

   flowers_1

   flowers_2

 枯れる寸前の花を描かなければならない。それこそが評価の対象となる。
 写真はロバート・メイプルソープ。
 彼の撮る人物は綺麗だけれどつくりものみたいで「床に落ちて」ない。逆に花はつくりものみたいだけど、ちゃんと床に落ちている。落ちてからきっかり3.00秒経ってる。それを誤差1/1000以下で拾っているのだ。僕はそこが好きなのだが、この奇妙な生命感の欠如を揶揄する向きもあろうか。つまりメイプルソープの花はスノッブの冷たい玩具にすぎない、と。評価の別れるところだとは思う。


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2005年9月21日

双子のプリテンダー

 もう元気だよ、心配いらないから。ずっと妹のふりをして僕に電話をかけてくれた心優しい姉。
 声だけは本当にそっくりなふたり‥‥
 実際の容態は退院後も一進一退で、何度も真夜中に救急車を呼んだらしい。

 Gemini

 いつまでも、友達でいられるかな? 僕がボケ双子姉がツッコミ、その妹が笑うという。病室以外のところでフルメンバーが揃うのは、とにかく3ヶ月ぶりなのだ。


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2005年9月15日

メビウスの輪

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「良心」の行き届いた社会工学と、パースペクティブの美の中に冷たく幽閉された性交の猥雑なメタファー。

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 グラフィティに内部から犯された地下鉄は、走る「裏ビデオ」なのだ。裏がいつの間にかにクリーンな表層にすりかわっている、矛盾したメディアだ。そこから更に深く掘り下げ、この社会が受精する「発生」の現場まで潜った西澤丞が、ドイツやアメリカで高く評価されていることを考えあわせ、昨日の写真と比較してみると興味深い。

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2005年9月14日

アーティストの子宮

 ものごとの裏側。だが「裏」という言いかたは、あまりにも失礼だ。私的に近いのは、「真相」。違うけど「ブラックボックス」‥‥

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 紅茶を飲み、格好だけのジャズを流し、暑くも寒くもない部屋で、寛いでパソコンの前に座る。このいちばん無難な末端から、描写する言葉のなんと無力な、ことか。

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 冷たい産道、一滴の血も流さずに僕らを産み出す、

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 鋼鉄の子宮。創造の方程式の中で最後まで残った「X」。

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 何かが生まれる現場として、果ては宇宙を見てしまう、僕も的外れな連想ゲームをしているわけではあるまい。吸い込まれるような静寂の中で、僕は「言葉」が粉砕される音のみを聞く。勝手な思い込みではあるが、ビッグ・バンを起こすような、天才の仕事場は、少なくともその出発点に於いては、こんな剥き出しのコンクリートが冷たい、暗く、がらんとしたガレージの一角、であって欲しいのだ。

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2005年9月13日

操り人形のマリア

 操り人形にはたくさんの種類がある。指で動かす手づかい人形。棒や針金で動かす棒づかい人形。影を映す影絵人形。
 中でも上から糸でつるして動かす人形のことを「マリオネット」という。

 操り人形の歴史は古い。今から何千年も昔、古代エジプトの遺跡からも人形芝居の劇場が見つかっている。劇(ドラマ)がいつ始まったのかは、正確にはわからない。それはひとり、または数人で、神の生活を描き出す宗教儀式から発展したと考えられている。劇場は、寺院と同じくらい神聖な意味を持つ場所だったのだ。
 
 今日、僕たちが知っているような喜劇や悲劇は古代ギリシアに既にあった。演劇はその時代に大きな発展を遂げた。悲と喜のふたつの「劇」は、どちらもギリシア人の発明なのだ。
 
 悲劇は普通、主人公が破滅して終わる。不幸や悲惨な出来事を題材とし、人間や人生を悲壮さ、崇高さの面から捉え、受難とそれへの闘いの過程を「ドラマチック」に表現する。喜劇は幸福な結末をとる。生活のもっと明るい面を、機知と諷刺を以て扱う。

     williamropp

 では「マリオネット」もその時代に生まれたのだろうか。違う。その名はイタリア語から来た。初期のクリスマスの祭では、子供のキリスト、と聖母マリア、その他の人々を象った手足の動く小さな人形をつくり、糸でつるして操る人形劇を演った。そういう操り人形が「小さいマリア」、つまりマリオネットと呼ばれるようになったのだ。


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2005年9月11日

もしも私が男だったら

 インターネットを始めてまず体験してみたのは「チャット」だった。その昔(ハル)という映画があって、これはパソコン通信で知り合った男女の恋物語だが、憧れたのだ。

 映画では、男性のふりをしてチャットに参加していた女性が、主人公(男)に「女である」ことを打ち明ける場面が最初のクライマックスになっている。

 男性不信に陥っていた、という理由がなくても、ネット上で女性が男のふりをする、その気持ちは理解できる。自分も「そんな女」のひとりに見えたのだろうか? 初めてのチャットで女性と間違われて以来、私は「男のふりをする女」として何度かそれに参加してきた。
 
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 別に何か特別な努力をしたわけではない。「中性的な感性」とは読者のひとりにも指摘されたとおりで、普通に

「方向音痴にとってJR有楽町駅は地獄だ。そごうに辿り着けない」

という話でもしていれば、インターネットは匿名の私を女性として扱ってくれるのだった。

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2005年9月 9日

大人のおもちゃ考

 僕はときどき、普段使っている簡単な言葉の意味がよくわからなくなって辞書を引くのだが、今回は

「子供が持って遊ぶ物」

などという実も蓋もない記述に頭を抱えてしまった。おもちゃとは何か。子供なら石ころひとつ、と布切れ一枚、そんなものがあればきっと楽しく遊べるだろう。そんなものも「おもちゃ」だろうか。違うような気がする。それはただの石であり布であり、おもちゃとしての役目は果たしているけど、本当のおもちゃではない。

 おもちゃは、もちろん「子供が持って遊ぶ物」だが、何かの点で大人のすることを真似てつくってある。例えば鉄砲とか、乗り物、人形。ボールなどもやはり大人のすることと関係がある。子供は大人のすることを真似したがるものだ。

     picasso11

「私は子供のように描けるようになるのに一生かかった」。早熟の天才は逆に、子供の真似をすることで精神の均衡を保っていた。かどうかは知らない。アフリカ美術からの影響を云々されるピカソの彫刻である。ではあるのだがこれは、そんな、子供になりたい大人のための「おもちゃ」なのだと解釈すると、個人的に物凄くしっくりくる。

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2005年8月27日

我が名は‥‥

 To be,or not to be....

「永らうべきか、死すべきか」というのは、ちょっと違うような気がする。シェークスピアの有名なセリフだが、どう訳せばいいのだろう‥‥

 ねぇ、どう伝えればいいのだろう?
 
 トベという名の知人がいるのだ。
 彼がローマ字で“To be”とサインするときの格好良さといったら! 


              ・              


       shirousa


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2005年8月12日

100%の少女

「女は腐る一歩手前が一番美味い」とこれは村上龍の発言だが、ある意味不幸な女性もいて、彼女らが最も光り輝くのは開花する直前、少女のころなのだ。

 専門用語で「満開」とは実は花が散り始めた状態のことを指す言葉だが、その前に「100%」だった少女たちにとって、「成長」は「欠損」という語のあからさまなネガだと思う。

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  久しぶりにその名を耳にした。ショップで気になる曲が流れていて、訊いてみると彼女だというのだ。写真のヴィヴィアン・スーで、歳を重ねるごとに損なわれ続ける少女の典型だが、度重なるスキャンダルにもめげず、現在は中国や台湾で歌手として活動している。本人はそれで結構幸せそうに見える。売れてもいるようだ。曲は「狼狼愛」‥‥中国でヒットしている(いていた?)。歌詞の聞き取れる部分だけ訳すと「人の目など気にせず、私だけを愛して」そんな意味になろうか。
 
 それを皮肉として聞いてしまう、僕は既に彼女のファンではない。そこに100%の少女がいて、そして時は過ぎていった、ただそれだけのことなのだが、思いはある種の悔恨となって、音楽が終わった今もずっと心に疼き続けている。


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2005年8月 1日

写しあった写真

「カッコイイ」より「カワイイ」が好きだ。地図が読めなかったり、メカに弱かったりと、戯画的な女性の特質を幾つもあわせ持つ僕である。脳の中は女性なのではという気もして、僕は「オタク」とは男がなるものだと思っていた。マニアックな蒐集、というのは男性特有の悪癖としてあるのだと。必ずしもそうとは限らないが、それでも、ヤヤーさんの「夫がアマゾンからゴミを買った」という話には、特に

「あっ、袋から出しちゃダメじゃん。え? もうひとつ封を切らないで取っておくためのものを買う?」

ところなど、僕の考える「オトコ」のイメージとあまりにぴったりで、コレクターとはこんなものなのかと逆に感心してしまう。いつの間にか失くしてしまったが、「スターウォーズ」といえば僕もこんなものを持っていた。

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 またこんなものを持っているという「桃組工房」さんだが、僕もジェームス・ディーンは大好きで、 

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リーバイスのブックレットがディーンだった時期に、90年代前半くらいかな、集めていたそれもいつの間にか、失くしてしまったのだ。

              ☆
 
「人が物に愛着を持つ部分て、なんだろう」。ブログ「暇TIME」の、これは何気ないつぶやきだが考えさせられる。「多分自分の安心のためかな? これさえあれば一生大丈夫だ。そのために最高のパートナーを色々な物で探してんだろうね」

 そのコレクションを眺めるという行為は、過去の自分を振り返ることでもあり、つまり一種の自己確認なのではないかと思うが、僕はそれができない。愛着の証拠品は捨ててきた。何かを後から楽しむということが苦手で、考えてみれば12の歳以降、僕の手許には写しあった写真の一枚すらないのだ。


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2005年7月21日

「介護する日常こそアート」‥‥折元立身の作品から

 ブログでわからないことがあってもわざわざニフティまで電話して訊くのは、気が引けてしまう。
 後に行列を従え、ATMの前で戸惑って、係員を呼び出し何十分も説明を受けている迷惑なおばあさんがいるが、殊パソコンに関しては僕も一緒なのだ。

              ☆

 折元立身、というアーティストを御存じだろうか?
 下は彼の作品“ART MAMA IN THE BOX”

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 そしてこれが“TIRE TUBE COMMUNICATION(MAMA AND NEIGHBOURS)”だ。

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 極めてユニークな視点で捉えられた「老い」。
 一歩間違えば‥‥という危うい表現だが、写っているのは作者(当時54歳)の実の母親なのだ。
 年老いて、病をかかえる母親と、なりゆきから介護をすることになった決して若くない息子。
 自分の親なら許されるのか、と生真面目な人なら怒り出すかも知れない。いや確かにきわどいのだがそこを、作者は、日本人離れしたユーモアのセンスと、愛を武器に、ぎりぎりのところで踏み止まった。

 これは時間という鏡が写し出した、できれば見ずにすませたい僕らの自画像でもある。
 そんな意味で、やや突飛な連想かも知れないが、この写真に僕はエドワード・ホッパーの絵画を思う。

              ☆

“ART MAMA(アートママ)”プロジェクトについてはこちらのホームページが詳しい。
 作者は言う。「介護する日常こそアート」と。10年近く前の作品だが、身近な、自分自身の問題として、今いちどの追体験は無意味ではない。


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2005年6月28日

 日本では兎だが、中国では桂の木があるのだという。月の話だ。木の根元には男が立っている。彼は木を切りたい。けれど切っても切っても傷はすぐにくっついてしまうので、彼は永遠に木を切り続ける。そんな話だ。

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 犬も吠える。馬などの家畜は満月の夜を選んで死ぬ。人間界でも殺人や事故が増えたりするわけで、月、イコール狂気というのが世の主流だろう。兎、とはユニークな見方をしたものだ。この桂の木の話を中国人にすると、なんで日本人がそんなことを知っているのかと驚かれる。僕の知識の多くは本から得たものなので、思い出せないがこれも何かで読んだのかも知れない。


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2005年6月13日

猫科の美女(ブログで犬が猫より人気がない理由・追記)

 美人をネコに喩えてそれを褒め言葉とするのは今日限り。

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 取って置きの口説き文句を少なくとも5個は失った。


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ブログで犬が猫より人気がない理由‥‥「猫だけ動物愛護」の異常

わかりません。

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2005年6月11日

敷居の低い美術館

 部屋を整理していたら、懐かしいポストカードが大量に出てきました。

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 これはバンクーバーの、ダウンタウンの外れにあった(今もある?)小さなギャラリーです。日本では「美術観賞」というと、どうしても構えてしまうのですが、海外の、少なくとも当時のバンクーバーのギャラリーはいい意味で敷居が低くてですね、僕は毎日のようにこんなギャラリーに通っていました。

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 で、これは上のギャラリーで僕が撮った写真を、ポストカードにしてもらったものです(どこかで売ってるはずなんで、興味のある方は探してみて下さい)。
 犬の散歩のついでにアート観賞ができるなんて、本当に羨ましいですよね。

 ちなみに中にはこんな絵が展示してありました。

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 どれも地元の、無名のアーティストですけど。

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 彼らは今も描いているのかな? 有名なアーティストになる、という当時の自分の夢を思い出しました。

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 ここに挙げたのは、無名の、正直たいした才能もないアーティストの、二流の作品ばかりです。
 
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 しかし当時の僕が、彼らの冴えない絵に、無い才能に、どれだけ心動かされ、そして励まされたことか‥‥

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 どんなに情けないことからでも、人は何かを学べます。駄作や凡作に存在価値があるとすればそこで、今はインターネットという名の世界一敷居の低いギャラリーもあります。お礼が言いたいと思うんですよ。将来性のカケラもない僕たちの絵と、それでも展示してくれた心優しいギャラリー‥‥
 或いは世界の中心から遠く離れた、バンクーバーという街に。

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2005年5月29日

靴下の穴

 お見舞いに行く。彼女の双子の姉と一緒に。さすがの僕もひとりでは行けない。あの病室に家族以外で面会に来るのは僕だけである。
 一番上の姉と母親との間で僕のことが噂になっているらしい。というか3人姉妹なんだ‥‥
 
 失礼なことを思う‥‥一番上のお姉さんも、似てないのだろうか?
  
              ☆
 
 面白い靴下を穿いているので訊いてみる。狭いベッドで寝たきりの生活を送る中、流行りのエコノミークラス症候群になるのを防ぐために、膝下まであるあんな靴下を穿くのだという。「血行が良くなるの?」「うん。締め付け効果で、足が細くなるような気がする(笑)」
 
 で、その靴下のどこが面白いのかというと、

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(写真は僕の靴下です。本文と無関係です‥‥)
 
足裏に穴が開いているのだ。

 その穴は何のために開けてあるのか、議論となった。
 
 1、ぼく説 「身体に溜った余熱を足裏から放出させるため」

 2、双子(妹)説 「足指を動かしやすくするため」

 ‥‥足の指を動かしやすくするために穴なんか開けるわけないじゃん。自説には絶対の自信があったのだが、彼女は病気で入院中の身だ、ぐっと堪える。あぁなるほど、そうなんだそうかも知れないね‥‥
 
 彼女の双子の姉はジーンズの足を退屈そうに何度も組み替え、「アンタたち馬鹿じゃないの」式視線を僕に冷たく走らせる。
 あのさぁ、答え知ってるなら教えろよな。


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2005年5月26日

実はお宝ワイセツ画像?! ドガの踊り子スナップショット(盗撮)

 そのキャリアを彫刻家としてスタートさせたモディリアーニとは逆に、ドガは晩年、視力の衰えを理由に、彫刻や、あるいはパステル画のような「扱いやすい」表現手段を使うようになった。個人的にはパステルが「扱いやすい画材」だとはとても思えないのだが、時間をかけて細部まで描き込む必要がないからだろうか、彫刻なら視力の代わりに触覚が重要な役割を果たすというわけだ。

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 これはドガが生前、公の場で発表した唯一の彫刻(を鋳造したもの)である。お得意の「踊り子」像に本物の服を着せている。オリジナルにはかつらまでかぶせていたということで、現代の「フィギュア」の感覚でつくられたこの彫刻、当時としては画期的なものだったと言えよう。

              ☆
 
 よく知られているように、ドガの絵は写真の「スナップショット」である。彼は時の流れの中にある一瞬を暗示するために、この技法を使った。

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 中心のずれた構図。

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 画面の端でわざと断ち切られた人物。

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 鑑賞者が、情景を、チラっと垣間見たかのような印象をつくりだしているのだ。
 
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 本人たちがどれだけ意識しているかは疑問だが、90年代に一世を風靡した日本の女のコ写真家たち、hiromixに代表される「写真新世紀組」のオリジナル・イメージは、実はこんなところにある。

              ☆

 ドカ‥‥本名イレール・ジェルマン・エドガー・ド・ガス、上流階級の出身である。裕福な家庭に育った彼は、セーヌ右岸の洗練された社会で過ごすことを好み、左岸地区に住む貧乏人を毛嫌いしていた。その左岸に暮らす同時代の多くの画家たちはドガを敬遠していたが、彼は、そんなボヘミアン気取りの連中の誰よりも現代に近い感覚を持ったアーティストであったのだ。
 
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 今では信じられないが、ドガの一連の「スナップショット絵画」は当時、猥褻だとして糾弾されたらしい。「覗き見」を連想させるこれらの絵は、恥ずべきと考えられたのだ。


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2005年5月 3日

シアトルのアンダーグラウンド、の近くに

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2005年5月 1日

たてまえとホンネ

 人間の顔って左右対称なわけではなくて、必ず歪んでいる。右+右、左+左で写真を加工してみるとわかります。
 一般的に顔の右は"たてまえ"の側、左は深層の無意識が反映された"ホンネ"の側と考えられています(逆の人もいる)。
 
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 これ↑ぼくの右+右。ふっくらしてていい感じ? これが外面ですか。


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 ↑左+左。心の中はこんなんですから。
 

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お風呂上がりに、

スキャナーでセルフ・ポートレイト撮影してみました。昨日に引き続き。

 だいぶ、こなれてきたでしょ? そろそろデビューしますから、世界初の「スキャナ・ポートレイト・フォト」の写真家として。

 眩しいがしかし。

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 「ぴかっ」がクセになりつつある‥‥

 洗い髪がセクシー? しかし、髪伸びましたね。
 丸坊主にする時も近い。

 以前も書きましたが、僕、髪切る時は丸坊主にしちゃうんですよ。あとは1年以上伸ばしっ放しという。

 丸坊主にした直後の周囲の反応は凄まじいものがある。いませんからね、そんなヒト。芸能人でもないのに、男で、この年齢(30代後半)になって、こんなに大胆に髪型変えちゃうヒト。女性でもこの歳になれば、「自分に似合う髪型」がもう決まっていて、それは「似合うと思い込んでいる髪型」でもあるんですが、とにかくそれをキープしてますから、みんな。

 反応として最も多いのは、「何か悪いことしたの? 何を反省してるのかな?」というもの。これが75%。
 
 「(また)失恋したの?」というヒト。これが20%。

 ただただ爆笑する正直なヒトも。残り5%。頭に触れてきたりする。

 たまに、僕のことを「サラリーマン金太郎」の高橋克典に似てると言う人がいて。自分では織田裕二に似てると思い込んでます、が、というか、只野係長嫌い、嫌じゃ、あんなホストみたいな顔‥‥
 まぁ、どっちに似てるにしても、坊主が似合わない顔ではあるんですが‥‥笑われるわけだよな。

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2005年4月26日

織田裕二です! こんばんは

 こんばんは〜
 
 織田裕二です。「ぼく」の友達です。
 
 「ぼくのWeblog」をヨロシク!
 
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 スキャナーで顔写真撮影してみました。
 
 マイケル・J・フォックスの映画を思い出したアナタ、30代以上確定ね。
 
 てゆうか、目、チカチカするんですけど! 
 
 「くるっぱー」さんのコメントを引用すれば、光のつぶが見える! てな感じですか。
 
 光子が、光子が見える!
 
              ‥‥失礼しました。

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2005年4月25日

別れた理由

 中国で起きた一連の反日デモ。以前とはまったく違った意味で「日曜日」を意識するようになってから、暫く経つ。僕は言いたいことの10分の1も言葉にできずにいる。 
 
 僕には中国人の友達がいるのだ。彼女とはずっと以前、恋人同士だった。
 
 東洋は、この地球上で最も人種差別の激しい土地だと彼女は言う。ベトナム人は何千年もの間カンボジア人を憎んでいる。中国人は日本人を憎んでいる。朝鮮半島の人々は、みんなを憎んでいる。そして「みんな」は華僑を憎んでいる。東洋のユダヤ人を。
 
 彼女は「つぶ塩」という歯磨き粉に出会って、日本という国が大好きになったという。「アニメ」でもなく「ソニー」でもなく。その話を聞いて、僕は彼女が大好きになった。きっかけなんて‥‥そんなものだ。
 
 恋人同士だったのは、遠い昔のごく短い期間だったが、彼女とは今でも友達だ。
 
 なら何故別れたのかと訊く人がいる。僕らは古いジョークを引用してこう答える。「窓際の席に座りたかったから」
 
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 中国を旅するふたりの夢は、実ることなく潰えた。僕の中国語は少しも上達しなかった。久しぶりに来た手紙に、僕は簡単な返事を書くこともできないでいる。

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2005年4月20日

ネコはなぜ絵を描くか‥‥キャットアートの理論

 ↑という本があるのを御存じでしたか? 
 ヘザー・ブッシュとバートン・シルヴァーの共著で「ベネディクト・タッシェン」という会社から1995年に出版されたこの本は、10年後の今も秘かに版を重ねるロングセラーとなっているようです。
 ふとしたキッカケで「絵を描くようになった」ネコたちを、その「作品」と共に写真で紹介するというこの本‥‥まぁ百聞は一見にしかず、ということで、ここでは「超越表現主義の画家」ブーツィーちゃんの記事を引用してみましょう。
 
 「超越表現主義の画家」
 
 ブーツィーは去勢され、尻尾をストーブでひどく焦がし、ペットホテル式の猫飼育施設に預けられた。すべて1989年末の僅か1週間の間に起こった出来事である。同じ週に飼い主が引っ越しをし、ブーツィーは隣家から七面鳥のローストを失敬しようとして犬に捕まった。こんなトラウマがいくつも重なれば大抵の猫だったら落ち込んでしまうだろうが、ブーツィーは違っていた。
 
 彼は不運を糧に大成したのだ。
 
 実は彼が絵を描くことを教えられたのもその施設で、サンフランシスコ郊外のローリング・ウッドにあるその飼育所には
 
 ネコ用のクリエイティブ教育制度
 
があったのである。さすがブーツィ、すぐに創作活動に身を入れ、それ以来脇目もふらずにこの道を邁進した。彼は4年余の間に5回の展覧会を催し、今日までに75,000ドルを越える報酬を稼ぎ出した。

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 こちら(↑)ブーツィーちゃんの描いた絵、「オウムの時間」です。


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 こちら(↑)「インコにおしっこ」。韻を踏んどる‥‥


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 でこちらが(↑)ブーツィーちゃん本人。彼はミラノのキャットアート展で1992年に入賞し、1993年には「黄金の前足」賞を獲得しました。
 
             ☆
 
 ね、興味深いでしょ? 非常に面白いんですけど、ひとつ困るのは、これがどういうスタンスで書かれた本なのか、さーーーーっぱりわからないこと。
 いや、つまり、ジョークなのか、マジなのか、ってことなんですけど。
 
 僕、この本大好きで‥‥何度も読み返している愛読書のひとつなんですけど、それでもわかりません、どこまでが本気でどこからがギャグなのか。
 
 いえ、そもそも全てがジョーク(マジ)なのか。
 
 ただ、この本、結構コアな読者が付いてそうで‥‥ここで下手なこと書いたらバッシング浴びそうで怖いんですよね‥‥
 
 うん、とにかく写真はカワイイ。特にネコ好きというわけでもない僕が見てもカワイイんですから、その手のヒトは必携ですよ。「読む人それぞれに独自の解釈を許す」というのはベストセラーの条件のひとつなのですが、そういう意味(どういう意味だよ‥‥)でもお薦めの一冊と言えるでしょう。是非。

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2005年4月17日

白紙のプラカードを掲げて

 中国で繰り返される反日デモの報道に接して思ったことひとつ。
 
 昔、ある社会心理学者がこんな実験をした。
 
 白紙のプラカードとしろはたを掲げて、デモ行進に参加してみたのだ。
 
 さて、どうなったか‥‥?
 
 30分もしない内に彼はデモから排除された。
 
 怒り狂ったデモの他の参加者たちから、暴行を受けることもあったという。
 
 「私は何の意見も持っていない」という主張は、時にどんな反対のメッセージよりも強い過激な「NO」として機能するのだ。
 
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 白の旗をどれでも全部掲げて
 
 (パフィの「アジアの純真」の替え歌)
 
 だから何? と訊かれても、言いたいことがあるわけではないんだけれど。

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2005年4月13日

"ESCARGOT" by Akiko (my friend)

 以前からの読者の皆様には、お馴染みのこの写真。
 怖くて訊けなかった質問がおありではないでしょうか。
 ‥‥訊けないでいるのは、僕も同じです。
 
 「これ、このあと、どうしたの? 食ったの?」

 Escargot00

 あああぁ‥‥訊いてしまった。ウソだからね。答えなくて、いいからね。
 てゆうか、生きてるじゃん。ツノ、出してるじゃん‥‥ 
 
 そういや、昔、知らずに食わせちまったことは、あったよな‥‥美味しいの? これ。
 
 あああぁ‥‥答えなくていい‥‥
 
             ☆
 
 写真、撮ってるんでしょ? ここで使ってもいい写真があったら、送って下さいよ。いつかまた、一緒に美味しいモノ、食べましょう。

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2005年4月 5日

よろしくね

pc011 プリクラ撮りました。何年ぶりか。載せてみました。こんなんですがよろしくね。
 髪、切るかなぁ‥‥

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2005年4月 4日

Le secret du bleu

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2005年3月30日

I saw the light that never goes out

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2005年3月26日

HIROMIXに関する苦い思い出‥‥あるいは UNI vs STAEDTLER 論争

 こんばんは。
 いつも楽しく拝見しております。
 写真やイラスト楽しみにしてますねー。
 HIROMIXってなんか懐かしい。あの頃ながしまゆりえさんとか(漢字失念)女の人の写真が元気ありましたね‥‥

 昨日の「写真新世紀」の記事への、この「くるっばー」さんのコメントに返事を書いていたら、けっこうな長文になってしまいまして。勿体無いので、記事に格上げ(笑)しました。

             ☆ 
 
 昔、僕が美大受験生だった頃の話なんですけど、「ユニ vs ステッドラー論争」というものが、ありました。
 なんのこっちゃ、とお思いでしょうが、鉛筆です、デッサンに使う鉛筆は何が良いかで議論になったんです。
 今時の人は、こんなことで何時間も議論するなんてこと、ないんでしょうけど。まぁ、当時はまだ「どうでもいいことで熱く議論する若者」が、いたんですよ。美大に行こうなんて奴は特にね、みんなオタクだし。
 「ユニ」は日本のメーカーの鉛筆です。三菱ですね。
 対する「ステッドラー」はドイツのメーカー。この二つの派閥に別れて、論争(笑)。
 僕はステッドラー派だったんですが、工業製品としての鉛筆の出来は、ユニの方が断然上なんです。黒鉛の粒子が完全に均一だったユニに対して、ステッドラーはどうしても、ばらつきがある。ムラがある。ザラつくし、紙に引っ掛かる感じがある。
 でも絵を描く時には、その「ムラ」が「味」になるんです。粒子が均一なユニじゃ絶対に出せない、微妙なニュアンスが表現出来るんです。
 
 ステッドラーのこの粒子のばらつきを、工業製品としての「欠点」と看做すか、あるいは、わざと残した「個性」と看做すか、その辺で評価が真っ二つに割れたわけで‥‥
        
             ☆
 
 思うんですけど、これって日本の工業製品全体を象徴する議論なのではないでしょうか。
 一番わかりやすい例を挙げれば、クルマですか。いくら頑張って「高級車」や「スポーツカー」を作っても、結局トヨタや日産って、ベンツやジャガーより格下なわけですよね。
 多分、工業製品としての出来は、ジャガーなんかよりトヨタの方が上なんですよ。エンジンの性能とか耐久性とか。でもクルマって結局人間が運転する物ですから。トヨタ的には「欠陥」としか思えないような何かが、「個性」として喜ばれたりする。黒鉛の粒子が不均一なステッドラーみたいにね。
 
 その「欠点」と「個性」との差は、本当に微妙で、作り手としてそれを区別するには、相当の「感性」が要求されると思うんです。
 
             ☆
 
 それが工業製品なら、まだいいですよ。欠点と区別がつかないような個性を切り捨て、ただただ完成度を上げるという道がありますから。
 実際それは、多くの日本のメーカーが選んできた道です。
 でもアートの世界じゃそれは通用しない。
 ルネッサンスの頃ならまだしも、今時単に写実的な絵を描いただけでは、評価してくれる人は誰もいません。
 演奏が上手い、というだけである程度通用するのは、クラッシックの世界だけですし。
 
 実は「写真」って、割と最近まで、そういう古典的な価値観が生きていた世界なんですね。カメラという「機械」を使う表現だからでしょうか。絞りがどうの、被写界深度がこうの、あるいは「焼き」が良いとか悪いとか‥‥言わば職人の世界ですよ。
 バラの花を撮り続けて何十年、みたいな大先生がいたわけで。
 
 HIROMIXに代表される、「写真新世紀」からデビューした若い女のコ写真家たちは、それを根本から変えちゃったんです。一種の革命ですわ。
 
 HIROMIXなんか特にそうですけど、使ってるのは安っぽいコンパクトカメラ、被写界深度? なぁに、それ‥‥。「焼き」に至っては街の「現像料0円」とかいう店でプリントしてもらってるんですよ。はっきり言って、ありえないです。
 
 そんなテクニック無視、センス・オンリーで勝負した写真が、革命を起こした。音楽史で言えば、パンクロックの登場みたいなもんですかね。ルネッサンス式の絵画を否定した印象派というか。
 
              ☆
 
 そして、真に革命的な何かを、最初に評価するのは難しい。あのビートルズだって、「騒音」と酷評された時代があったんですよね。僕はそこまで年寄りじゃないんで憶えてませんが。
 印象派の絵画だって「落書き」と言われたそうですし。
 
              ☆
 
 僕には、デビュー前のHIROMIXの写真が「単なるスナップ写真」にしか見えませんでした。
 悔しいけれど、表現に関わる人間としては、完全に失格です。
 
「アンタには、新しいセンスが理解出来るだけの才能がないのよ」

と言われたのと同じですから。美大出の、アーティスト気取りだった僕はHIROMIXに引導を渡されたんですよ。インターネットで敗者復活戦をやってはみても、所詮二流。でも、まぁ、「悪あがき」って、嫌いじゃないですけどねぇ。
  
              ☆
 
 これだけ「HIROMIX風」の写真が溢れかえっている昨今、今からデビューを目指そうとする若い人は、逆に古典的なテクニックを勉強してみると、得るものが多いかも知れません。
 イラストとかやりたい人もね、先ずは徹底的に描写力を磨くとか。
 
 「へたうま」でデビューしたHIROMIXが、どんどん古典的な写真のテクニックを勉強して身に付けて行ったのは、実に正しい選択だと思うんですよ。

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2005年3月25日

Miss Delicate Sign

39.6 コピー

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Miss Delicate Sign

60_ 60_

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2005年3月24日

「写真新世紀」の苦い思い出

 やっと出来た! 嬉しい。
 てゆうか、今まで出来なかったんですけどね。何度写真を載せようとトライしても、「これは画像ではありません」って言われちゃって。
 悔しいけどマックOS 8.6には、無理なのかな、と諦めてたんですが、

「んなわけ、ねぇだろ」

ということに、今さらながら気づきまして。絶対、僕に、何か問題があるはず‥‥半日かけて謎を解きました。 
 
 「.jpg」と付ければいいんですね。いやぁ、たったそれだけのことなんですねぇ。
 
 今まで友人に画像ファイルを添付したメールを送るたびに、「開けないんだけど」と苦情を言われてたわけですが。ずっと

「ウィンドウズだから開けねぇんだよ、マックにしろマックに!」

と心の中で思っておりました。
 うーーむ‥‥勝ち組パソコンの皆様、ごめんなさい。負け犬の、ひがみでした。
 
              ☆
 
 写真ですけど、僕、実は美大卒でして。写真に限らず、イラストなども結構描き溜めておりまして。まぁ、人前に出しても、そんなに、おかしくないような出来だとは思います。ちょっとずつ、ここで発表していきたいと考えています。
 
 思い出すのは、もう何年前か‥‥「写真新世紀」という写真の新人賞に応募しようとして作品を持って行ったんですよ。その時、会場でデビュー前の HIROMIX に会いまして。うん、普通の、イマドキの、高校生って感じのコでしたが。
 どんなん撮ったの? ってお互い見せ合ったんですけど、まさか、あんなスナップ写真みたいなのが、大賞受賞するとは思いませんでした。つくづく見る目なかったよなぁ。
 僕も最終選考まで残って、審査員にコメントはもらえたんですけどね。今でも結構悔しい思い出です。

              ☆
 
 これであと出来ないのは、

「記事上でURLの表示をする」

「文字を大きくしたりする」

の、ふたつだけになりました。
 
 きっと僕は、何か馬鹿な間違いを犯しているんだろうな。その内、突然出来るようになってたら、笑ってやって下さい。

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美術館の犬

111.1

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