2008年8月12日

午後

 強い日差し、風。午前11時に干した洗濯物が、11時半に乾く。


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 もう乾かすものがない。


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2008年7月23日

僕は知らない

 知らなくていいことと、知っておいた方がいいこと、世の中にはどちらが、たくさんあるだろう? 


 知らなくていいことを、いくつ僕は知っているだろう? 


 知らなきゃいけないこと、いくつ僕は知らないだろう? 


 どれだけ知ればいいのか、どこまで知ればいいのか、僕は知らない。いいのかな。


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2008年7月 9日

夢の生活

 8時過ぎに起きた。部屋に掃除機をかけた。フローリングの床を拭いて、レースカーテンを洗った。午後からは、畳の上で昼寝。


 夢で見た生活、のような気がする。そうじゃない気もするのは、掃除や洗濯をする場面を、夢では、見ていなかったからだろう。


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気休め信仰

 僕の毎日は、エコバッグ的な気休めで満ちている。


 逆に考えてみると、究極の解答ではなく、むしろ一時的な気休めの方を好み、それを求めているのが僕だ、と言えると思う。


「解答」は総体としての人類を、最終的に救うのかも知れないが、僕という個人の生活に、今もこれからも必要なのは、「気休め」なのだ。


 とか思っている。僕は既に救われている。


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2008年6月27日

第一歩

 幸せなふりをすることは、幸せになるための第一歩だ。僕は実感がない。


 他にすることがあるふりと、何もすることがないふりを、交互に繰り返して、どこへ向かおうとしているのか。


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2008年6月25日

僕は言った

 憎しみより、悲しみの方がいい。僕は言った。


 君がいることを憎むより、君がいないことを悲しむ方がいい。君がいないことを憎むより、君がいることを、悲しむ方がいい。僕は言った。


 一緒にいるときも、離ればなれになるときも、ちゃんと悲しませてくれ。僕は言った。僕はしつこい。


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2008年6月24日

見かけのいい機械

 見かけのいい機械は、大抵、中身もいい。近ごろでは人間も機械だから、見かけのいい人間は、中身もいい、ということになるのだろう。外面を磨くことで、人間は機械に近づくのだ。


 ところで内面を充実させていくと、機械はおもちゃに近づく。


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2008年6月18日

あるひとつの世界

 男が好きなのが女で、女が好きなのが男だとするなら、夜型人間は朝が好きで、朝型人間は夜が好き、ということにならないだろうか。必ずしもそうはならないのかな今は。


 ないものを探すのではなく、あるものに気づこうとしている。スピリチャルな人々。その姿勢は立派だが、夜好きの夜型人間と、朝好きの朝型人間は、一緒の世界には住めまい。そうした断絶が起きているような気がする。


 つくりあげた「ひとつの世界」というものの価値を、いまだに信じている。僕は古い人間だ。世界に一緒に住みたいのではなく、一緒の世界に住みたい。


 僕のような人々と、世界を住み分けようとしている、排他的な人々。男と女。ゲイになることで、女と住み分けようとしている男。金持ちと貧乏人。貧乏人と住み分けようとしている金持ち。


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2008年6月11日

泳げること

 僕は水が怖い。僕は泳げない。もしも泳げるようになれたら、水が怖くなくなって、楽しいだろう。


 それは空が飛べるようになって、高いところが怖くなくなるような感じ、なんだろうか?


 あるいは泳げるということは、高いところが怖くなくなって、空が飛べるようになる、そんな感じかも知れない。


 水が次第に「高いところ」に似てきた今‥‥


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2008年5月21日

リラックスとリフレッシュ

 僕は常に完全なリラックス状態にあり、リラックスに対する感覚が麻痺していることもあって、リラックスする、ということがどういうことなのか、よくわからない。


 リラックス感を得るため、定期的にリフレッシュ、というか「リセット」する必要があるのだが、リセット後にはまた、違うことがわからなくなっているのだ。


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2008年4月29日

リアリティ

 それは僕ではなく、僕のかたちをした影でもなく、僕のかたちをした影を可能にする、表面のこと。


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2008年4月23日

問題と答

 彼女は問題を解決して、答を出すより、問題と生きていくことを選んだのだ。そう思う。僕は答だった。どこにでもある、ありふれた、ただの答。あるひとつの答。かけがえのないものは、問題の方だった。いつだって。


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2008年4月17日

ごっこ

 世の中にはたぶん、原因より、もっと深いことが原因で、起こることがある。理由より、もっと大きなことが理由で、起こることがある。


 理由になりたがっている、僕の中には、僕より重要な僕と、僕より重要じゃない僕がいて、僕の知らないところで、原因と結果ごっこをしている。


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2008年4月16日

悪いこと

 投票に行くことと、投票に行かないことでは、投票に行くことの方が、悪いことのように思える。


 お酒を飲んで酔っ払うことより、お酒を飲まないか、飲んでも酔わないでいることの方が、悪いこととされる。


 遊んで暮らすより、地道に働く方が、悪いことのように思われている。


 中国を否定し、中国を批判するより、中国を褒めることの方が、今は悪いこととされる。


 年金やNHKの受信料を払わないことより、払うことの方が、悪いことのように思える。


 日本では死刑に賛成するより、死刑に反対することの方が、悪いこととされる。


 他人を疑うことより、他人を信じることの方が、悪いことのように思える。


 ネットでは裁くことより、許すことの方が、悪いこととされる。


 愛するより、愛されることの方が、悪いことのように思える。


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2008年4月10日

1日以外のもの

 朝には、1日が始まり、1日以外のものも始まり、今はもう


 1日が終わり、1日以外のものまで、終わってしまう。


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2008年4月 2日

理由

出来事を憶えていることはできる。なのにそのとき自分が感じていたことを、忘れずにいるのは難しい。なぜだろう。


思いを積み重ねることができない。経験を重ねることはできても。


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2008年4月 1日

知らない人

 いくらなんでも「みんな」ということはありえない。僕よりも若い人たちがみんな楽しそうに見えたり、僕よりも老いた人たちがみんな苦しそうに見えるのは、僕が彼らのことを、よく知らないからだろう。


 僕は僕より楽しそうに見える若い人たちと、僕より苦しそうに見える老いた人たちに囲まれて暮らしている。つまり僕は、よく知らない人たちに囲まれて暮らしているのである。とてもよく知っていているつもりの場所で。そう暮らしている。どういうことだろう。


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2008年3月19日

僕には遠い記憶

 元気は「出す」ものでもなければ、「なる」ものでもなかった。元気って元々は、明るい、パワーみなぎるという意味ではなかったらしいのだ。元の気、元の素の状態、それが変化して今のように使われるようになったと聞いたけど、だとすれば元気になるのは難しい。元気を出すのは難しい。


 元々の僕はどうだったのか、自分でももう思い出せないから。


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2008年2月 5日

夢抜きの細部

 僕は夢を見ない。夢が僕を見る。僕の目の前にある、現実製のパソコンも、現実サイズのメンソレータムも、バックギャモンのボードと駒と、2つのダイスも、すべて夢抜きで存在するが、夢が見ているかのごとく、リアリティはない。


 細部はスポットライトを浴び、見られることにより、現実味を失う。


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2008年1月24日

寒さ直結

 寒いから風邪をひくわけではなくて、風邪ひくのはウィルスのせいなんだけど、ここまで寒いと、ウィルスとか抜きで、寒さだけで風邪ひく。


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2008年1月12日

じゃんけん

 風呂上がりに、鏡の中の自分とじゃんけんをして遊んだ。だいたい全部引き分けだった。


 頭痛がする。頭の中ではなくて表面、頭皮が痛い。


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2007年12月18日

3と3と7

 階上の住人が、釘を打っている。たぶん無意識なのだろうけど、337拍子で打っている。僕も無意識に、3と3と7を足してしまう。13。


 買い物に行く予定を明日に延ばして、家にいる。3と3と7も、足してしまった。今日できることを今日してしまうと、明日はすることがない。


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2007年10月10日

その他もろもろ

 夜の町を歩く。すれ違う人々が、無秩序で、無計画、何の意味もないことをしているように見えた。規模の小さな町を。行き先と、ちゃんとした用事があるふりで行く。


 不満。白いTシャツの襟の開き具合、その他もろもろに不満。今やるべきことのリストが、すべて買うべきもののリストになっている。


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2007年5月26日

治安が良いということ

 列車には、アメリカ人の女性がいた。国は中国、彼女は観光客。途中、女性はバッグからカメラがなくなっていることに気づき、列車に乗っていた警官に、そのことを伝えた。


 中国では列車に、何人もの警官が乗っている。今はどうなのか知らないが、この話があった20年前はそうだった。カメラを盗んだ犯人は、すぐに見つかる。犯人は中国人の少年だった。警官は、その場で列車を停止させた。件の少年は、車外に連れ出された。乗客全員に見えるところまで歩かされ、そこで射殺されたそうだ。


 元カノに聞いた話である。彼女は中国人だった。中国には、そういう法律があった。外国人の物を盗むと、死刑なのである。観光客にとっては、治安の良い国だった。一時期の香港より、北京や上海は安全だった。がその治安の良さは、このような法律に支えられていたのだ。外国人と、自国の国民を徹底して隔離するような政策においてだった。


 門戸開放。もう古い言葉だが。その「壁」が取り払われたとき、抑圧されていた民衆の不満が、僕ら外国人に向けられたところで、誰に彼らを、責めることができようか。それを誘導する政府の政策が、あったとしてもだ。何年か前、中国で吹き荒れた日本バッシングの嵐を見て僕が思ったのはそのことだった。アメリカ人のカメラを盗んだ罪で死刑になった、少年の話だった。


 人間をいくつかのグループに分ける。グループと他のグループを隔離する。その壁を高く、厚くすることによって治安は保たれる。壁とは法律のことだ。外国人のカメラを盗んだ少年を、裁判にもかけず死刑にするような法律である。


 日本も、かつては治安の良い国だった。そこに暮らす、僕たちにとっても、訪れる外国人の観光客にとっても。ならば壁は、どこにあったのだろうか。壁の向こう側にいて、僕たちが接触できなかったのは誰だろう。治安が悪化した今では、その誰かと通じあえるようになったのか。それとも日本はまだ「治安の良い国」なのだろうか。誰かがどこかに追いやられているのか。日本に暮らす、日本人である僕に、そこを判断することはできるか。何もかもがわからない。


 同質化、という言葉がキーワードになるのかも知れない。テレビや新聞が「格差」と言うとき、そこで問題になっているのは格差ではなく同質化であるような気がしている。経済的な格差は「壁」ではなくて、その正反対のものを生み出している。都会の金持ちから地方の貧乏人まで、今や日本の全員が同じ欲望をシュミレートして生きている。つまり僕たちは「みんな同じ」になろうとして、互いから盗み、殺し合うのではないか。


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